実家に電話をしなくてはいけない。 その時僕は都内にあてがわれた会社の寮に住んでいた。 実家から丸の内までは少し遠いのだ。 しかしこの寮も6月には出なくてはならなくなる。 その上、パスポートやスーツケースなども実家に置いてある。 そしてその日、僕は久しぶりに実家に電話をした。 僕: 「・・・。そういうわけで6月からニューヨークに行くことになったんだ。今度荷物まとめにウチに戻るよ。米ドルっていくらか残ってたっけ?」 母: 「あら、まぁ。ニューヨーク?アンタ、アメリカ人と結婚するの? でも黒人はやめてね、あの手のひらと足の裏だけ白いのが気持ち悪いから。そうね、子供の名前は『エミリ』なんかどうかしら。日本人にもアメリカ人にも呼べる名前で。あ、男の子だったら『ケン』の方がいいわね。『マリオ』じゃファミコンみたいだから(笑)」 子供の名前の付け方というのは、呼びやすさ、画数、運勢など要素がいくつもあって難しいのかもしれないが、それはともかくとして、 ウチの母親は少し頭がおかしい。 僕: 「嫁さがしじゃないんだよ、仕事なんだ、仕事。研修だよ、勉強しにいくだけ。一年もたたないうちに帰国するんだよ」 確かに30歳を目前にして僕はまだ結婚の気配すら見せていないのだが。 母: 「ホホホ、ごめんなさい。ちょっと待って、お父さんに代わるから。お父さーん、お父さーん・・・」 最近の父は家にいることが多い。 僕が高校を出るころまでは毎日仕事で家にいなかったし、父が独立して家にいるようになってからは逆に僕は京都に行ってしまった。 皮肉な話だ。 数秒間、そんなことを考えていると父が電話に出た。 父: 「あーもしもし。聞いたぞ、ニューヨークに行くんだって?うらやましいなあ。会社のカネで観光旅行か、父さんオマエのことを誇りに思うぞ」 うれしそうにそんなことを言っていたのだが、 観光旅行じゃないです。 それに、誇りに思うところが間違ってます。 脳内でどういう翻訳がされているんだろうか。 僕: 「観光旅行じゃないんだって、研修に行くんだよ。仕事の勉強だよ」 父: 「そうかそうか、まあ何でもいいや。がんばっておいで」 なんて適当な返事なのだろう。 何でもいいのか? 僕: 「日程とかはまだ決まってないんだけど、今度ウチに帰ったときにでも教えるよ」 父: 「わかった。えーとな、アメリカには父さんの知り合いがいるんだ。何か困ったことがあったら連絡してみるといい。えーと、住んでるのは確か・・・」 ごそごそと何かをめくる音がして、 父: 「住んでるのは、ネバダ州だな」 ネバダ州。 カリフォルニア州の西側に位置し、カーソンシティを州都とする州で、デスバレー国立公園で有名だ。 ニューヨークからだとアメリカ合衆国をナナメに横断する形になる。 つまり北海道から沖縄に行くよりも遠いところにあるのだ。 遠いんだよ、父さん・・・ 困ったことがあっても頼りにならなさそうだった。 僕: 「それはちょっと遠いよ・・・」 父: 「そうか?まあ何でもいいや、今度教えてあげるよ。多分10年前から住所は変わってないはずだから」 いったいいつの知り合いなのだ? 僕: 「ネバダに行くことがあって、その上で困ったことがあったら連絡してみるよ・・・」 多分、可能性はゼロに近い。 父: 「父さん、みやげはビーフジャーキーがいいなあ」 僕: 「・・・。」 まだ出国もしてません。 僕: 「・・・わかった、買ってくるよ」 小さなため息を一つついて、僕は受話器を置いたのだった。 これからしなくてはいけないことがたくさんでてくる。 細かいことを言えば、住民票も実家に戻さなくてはならないし、国際免許も一応取りに行かなくてはならないだろう。 シティバンクにお金も入れなくてはならないし、海外旅行保険も選ぶ必要がある。 プルルル、プルルル、・・・ 部屋の電話が鳴った。 実家からだろうか。 携帯電話ではなく、寮の部屋の電話が鳴るのは珍しい。 僕: 「はい、もしもし」 電話の向こう側にいたのは、三浦海岸・葉山に住む母方の祖父だった。 祖父: 「今度ニューヨークに行くんだってなあ? ベッピンな金髪さんを見つけておいで」 嫁さがしじゃないんだ。 僕: 「・・・いや、研修で行くだけだから一年もしないうちに帰国するよ」 祖父: 「そうかそうか。いつ行くんだ?明日か?」 それは無理です。 僕: 「いや、6月くらいだと思う・・・。まだ決まってない」 祖父: 「そうかそうか。おじいちゃん、おみやげはビーフジャーキーがいいなあ」 僕: 「・・・わかった、たくさん買ってくる」 ウチの親族は全員、アメリカ土産=ビーフジャーキーなのだろうか。 でもよく考えてみたら、ビーフジャーキーくらいニッショーストアにも売っている。 祖父: 「アメリカ行っても、(プルルル)、健康にだけは気をつけてな、(プルルル)」 僕: 「わかったよ、ありがとう。なんかキャッチが入ったみたい。また電話するよ。」 祖父: 「はいはい、それじゃ元気でな」 部屋の電話が鳴ること自体珍しいのだが、キャッチホンが入るなど初めてのことだ。 僕: 「はい、もしもし」 切り替えると、電話の向こう側にいたのは母方の叔父だった。 叔父: 「アメリカ人の女の人を連れてくるんだって?結構結構。」 ・・・。 犯人は一人しかいない。 |