2003年3月12日から14日までソウルへ行ってきました。その報告記です。

今回の旅行、二つの記憶ができました。「トラブルはトラベル、トラベルはトラブル」、「初心忘るべからず」です。何のことかは、順々にお伝えいたします。これから海外旅行へ出られる方の参考になれば幸いです。

12日・金さん登場ナンタの舞台

13日・自由行動タクシー利用

14日・財布がないクレジットカードでトラブル韓国の身体検査日本の荷物検査


12日、岡山空港から大韓航空で出発、ソウルまでは1時間チョットということで、海外というイメージはあまり強くありません。ソウルは2回目です。到着、入国手続は簡単です。

ここからは一般の人も立ち入れるという場所で旅行会社が手配した「現地係員」と待合せです。私達のツアーの看板をもった人に声をかけたら「違う」という返事。そこへタイミングよく、自称・金さんが「お待ちしていました」と現れます。この人、あとでわかったのですがまったくの偽者でした。空港からみやげ物店を経由しホテル近くまで送ってくれました。本当の現地係員はオトコ連れの私達2人を発見できず、岡山と連絡を取ったり、空港で2時間近く待ったりと、大慌てでした(これもあとでわかったことです)。
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いざ、ホテルへチェックインしようとするとできません。正当な現地係員が案内してきてないわけで、ホテルは私達の情報をもっていなかったのでしょう。同行者が旅行会社、ホテルと連絡を取りなんとかチェックイン。
自称・金さんはとても不思議な存在でした。タクシー代など現金の請求はありませんし、パスポートを奪うふりもありませんでした。みやげ物店へ連れて行っただけで、無理やり買わせようとする姿勢はありません。金さんは、「床屋」(=韓国ではこれが「オトコ」の遊び場らしい)へいかないかと何回も誘ったにもかかわらず私達が反応しないのにあきらめたのでしょう。ホテルへさっさと届け、次のカモを狙ったほうが得策と判断したに違いありません。

12日18時、本物の現地係員・沈さんがホテルへ現れました。行き違いになったこと、空港で待ったこと、岡山へ連絡を取ったこと、などを説明。こちらからは、金さんという存在を告げ、双方が空港で出会えなかったことに、やっと合点がいった次第です。そのあとは、焼肉の夕食と、「ナンタ」を観てきました。1時間半、息もつかせぬ台所を舞台にしたパフォーマンスの連続、韓国のリズムをうまく生かし迫力ある舞台でした。本当はこれが一番強い印象になるはずだったのですが、波乱万丈の旅の始まりで、ナンタの影も薄れ気味でした。でもトテモ迫力ある舞台でした。
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13日は一日自由行動の日です。近くの公園を見学[そこで1枚パチリ]

。その後、地下鉄で移動して戦争記念館、南大門市場、東大門市場、明洞(ミョンドン)などを見物の予定。地下鉄駅では自動券売機でキップを買うところからトラブル。先に行き先ボタンを押すという「西洋的」な手順がすぐわからずチョット時間がかかりました。おまけに、3日前に値上げがあり、それまで600ウォンだったのが700ウォンになっていました。同行者が券売機で乗車券を買おうとしている間、小生はインフォメーションの係員とお話。3日前に値上げになったことや、記念館への行き方などのおさらいをさせてもらいました。

ここにも旅なれない旅行者にヤケに親切にしてくれる人がいます。今回は、「タクシーが安い」「射撃はどうか」というお誘いでした。丁寧にお断りし、地下鉄(乗り換え1回)で戦争記念館へ。ユックリ見学、昼食は食堂で安く済ませました。電車で移動し南大門市場へ。ここでめがねをつくりました。次は、東大門市場。東大門市場から段々と西へ西へと歩いてホテルまで帰りました。結構、楽しめる道沿いでした。衣料、雑貨、本、屋台、貴金属などなど似通った業種が固まっているのが特徴です。夕食はミョンドンで焼肉。適当に入ったお店はハズレ。「1回目はしょうがない。2度と行かない」ということで、ともかく食べて帰路に。

帰りはタクシーを使ってみようということになりましたが、英語が通じません、ホテル名をローマ字で書いたものを見せましたがダメでした。あれやこれや、近くの建物などを単語でくりかえしやっとOK。迷いもせず無事帰り着きました。教訓、ホテルが用意している名刺大の案内を携行すること。発音も違えば、逆にこちらはハングル読みを知らないわけで、郷に入れば郷に従えの原則で、現地のタクシー運転手に通じる資料は必要です。
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14日、帰る日。一大事発生。財布がない。前日、タクシーから降りたときにでも落としたのだろう。ホテルの受付に問い合わせるが、届いてない。あきらめるしかない。今回は財布を分割してなかったので、一気に無一文に近い状態になりました。さてさて、あなたならどうします?

ホテルのカウンターで500円硬貨を両替してくれないかと頼んだが「コインはダメ」との返事(当然)。クレジットカードを取り出し、現金を受け取りたいというと「Yes」の返事(当然)。しかし、このホテルではその取り扱いができないと言い、向かいのビルを指差し「ATM」とのたまうホテルのお嬢さん。

午前8時、自動預払機取り扱い開始。早速、クレジットカードを入れ、日本語の案内を選択し、順調に手順はすすむ。札を数える音がなかでする、手元に現金がもうすぐ・・・、と思いきや出てこない。5万ウォン払い出した記録だけが排出される。ハァッ? 壁の向こうは銀行の支店だがまだ誰もいないようだ、ビルそのものの案内嬢がいたので事情を説明する。しかし、英語が通じない。ATMのところにもどり、そばにある電話機でどこぞに連絡をとる(セコムだったようだ)。英語で会話はすすむが、場所を聞かれて、ハタと困る。例の案内嬢をむりやりつれてきて説明してもらった。

そうこうするうち、銀行の側からシャッターが開き、行員二人登場。若い男性の方がハングルで説明するが当方には意味不明。こちらは英語で説明するが先方十分に理解できず。意思疎通ができないのに双方が勝手にしゃべるという、チョット不思議な時間が経過しました。

8時25分頃、中年の男性(あとで名刺をもらい支店長と判明)が出勤。普段なら客がいるはずのない時間に私が支店内にいたものでチョット驚いた表情だったが行員の説明を聞いて納得した様子。支店長、私のところに歩み寄り「Do you speak English?」 これを聴いて私、正直なところなんとかなると初めて思いました。あとは快調に進展。私が所持するカード、韓国内のATMでは払い出しできないのもわかり、現金が出てこなかった件については支店長の責任において請求はありえないことを裏書してもらいました。これで、振り出しに戻りました。ATMを使って借金をしたようになっていたのが、とりあえず現金無し状態まで復元したわけです。

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本来の問題「文無し」は解決してない! これは大変。支店長に、カウンターならOKかと問うと、「We'll try, but..」とのこと。韓国のカウンター業務は9時半からで約1時間後でないと作業できないのだ・・・。私は、時間を散歩で潰し、改めてその銀行へ。カウンターでの作業はひとつのことを除き順調でした。応対した行員が3回私に尋ねたのは、「50000」と書いた払い出し額が、本当にウォンで良いのかということでした。日本円にすると約5000円で、こういう払い出しにしては少額だったのが気になったのでしょう。私は、今日、日本に帰る予定で、少しばかりお金が足りなくなっただけだからと説明し、無事現金を受け取ることができました。

事務進行中、支店長が部屋から出てきて様子を見に来ていました。もちろん、別れ際にはあらん限りの感謝を伝え、銀行をあとにしたのでした。

教訓、お金は複数に分けて保管すること。海外旅行では初めてこれを忘れ、「文無し」を経験しました。せめて、クレジット・カードが別にあったこと、銀行の営業日であったこと、が窮地を救ってくれました。それと、英語を多少でも意思疎通に使うことができたことが、精神の落ち着きを与えてくれました。

銀行では朝から別行動だった同行者と偶然出会い、喫茶店へ移動して珈琲。同行者は海外旅行初めて、3日間で地下鉄を使って目的地に行って用事を済ませて帰ってこれるようになっていました。11時頃チェックアウトをすませロッテデパートへ出発進行。大きなデパートですね。免税店もひとまわり。昼食は山菜ビビンバを美味しくいただきました。

歩きながらホテルまで帰る途中、スターバックスで珈琲を飲みました。やっと、しっかりした苦味のある珈琲に出会いました。12日、メガネ屋さんで出してもらった珈琲、14日朝の喫茶店の珈琲とも、一時はやった「アメリカン」よりも薄く感じられていましが、なんとか納得のアジでした。

14時、ホテル出発。途中、お土産屋さんを経由(旅行日程にふくまれている)し仁川空港へ。空港では、搭乗券の手配まで沈さんがしてくれましたので、あとを付いて歩けば出国ゲートまでという図式。ただし、身体検査が厳しくなっていました。私はバンドのバックル(留め金)が金属探知機に反応し、余分な検査がありました。韓国美人が検査担当だったので特に不満はありませんでしたが・・・。

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出発は17時45分。通関検査が済んでなお1時間半近くあります。私は、あるものを買おうと免税店を歩き回りました。今回なくした財布の代わりを見つけようと思ったのです。長年愛用した財布に愛着がありましたし、迂闊だった自分の現金保管の失敗を忘れないためにも同じ型を探したのです。結論、ありませんでした。形を説明するのにチョット手間取りましたが、何軒目かで「マネー・クリップ」というのがわかり、あとはスムース。しかし、現物がないのが大半。あっても、クレジット・カード入れもついていて、シンプルでないのと、カードを一緒にしたらなくしたときにとんでもないダメージを受けることになるのを考え妥協せず探し続けました。10軒目をこえたあたりで、またしてもシンプルでないのを見せてくれるので、「余分なものはいらないノ」というと、究極のシンプルさを備えた「マネークリップ」を提案してくれました。[写真]

これ、まさにクリップだけです。お金を隠すとか保護するとかいう機能は一切ありません。一瞬、呆気にとられたものの、提案した韓国美人売子に感心もしていました。値段、これが2度目のビックリ、US$40なのです。!?という感じでしたね。でも、これよりあとはこの空港にはモノはないなあと観念し、購入。この品、イタリア製でチタンでできているそうです。

飛行機は無事飛び立ち、岡山には午後7時頃到着。岡山駅で同行者と別れ、JRに乗って我が家へ。3日間の事件続きの旅行はなんとか終わったのでした。

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海外旅行を始めた頃は、現金も、パスポートも自分で決めた原則どおり保管していました。段々とルーズになっている自分の到達したのが、今回の旅行。海外旅行のスタイルを改めて点検するよい機会になりました。韓国というお隣の国だったのが、せめてもの救いでした。これが、もっとスゴイところだったら、と思ったりもします。

さて、付録をひとつ。帰国したときの税関の荷物検査です。私は、荷物の安全を考え、アルミのカメラバッグを旅行かばんとして使います。鍵もかかるし、変形もしない頑丈さで気に入っています。しかし、これをもっていると不思議に税関で「開けろ」と言われるのです。今回もそうでした。彼らは職権ですから当然ですが、打率7割を超える開示の指示は異常です。以前は、髪を長くしてくくっていましたので、サモアリナン、怪しく見えるよねなどと口ひげをさすっていたのですが、マジメな格好していてもどうにも「アケロ」と言われるのです。ヒゲも怪しさの原因なんですかね。今回はたまらず、目星のつけかたがおかしいんじゃないか、と担当にチョット文句を言いました。風体であたりをつけているとしたらどうも気分の悪いものです。通関を過ぎロビーに出たあたりでは、背広姿の人たちが、「今回も検査されんで良かった」などというのを聞くと、なおのこと税関の目星のつけ方がヘタだなあと思うのです。


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