<特集>ティク・ナット・ハンとの出会い






NEWAGE AND SOCIETY

中野民夫さん(ウエッブ・オブ・ライフ代表)に聞く


 1995年のティク・ナット・ハン招聘委員会の事務局長を勤めた中野民夫さん。東京大学文学部宗教学科を出たのちに大手広告代理店に就職。カリフォルニアに留学中、ティク・ナット・ハンの教えに接した。今回は超多忙の身ながら、みんなの先頭にたって来日交渉やプログラムの作成にあたった。ティク・ナット・ハン来日直前の、意気込みを述べてくれた。



精神世界オタクと社会のみぞは深い

WAY ティク・ナット・ハンを知ったのは89年ということですが、今回、日本に読んでみたいと思った直接のきっかけはなんだったんですか。
中野 91年にカリフォルニアのマウント・マドンナ・センターで4泊5日のリトリートに参加したんですが、そのときすでに、日本に紹介したいなあと思いましたね。これはいい、と。
WAY ティク・ナット・ハンのどこに引かれたんでしょう。
中野 正確には思い出せないし、言葉にするときれいすぎちゃうんだけど、ひとつは精神世界と社会活動をつなぐという点。もうひとつは非常に地に足がついていて、日常生活の一瞬一瞬を大切にすることを教える。そのふたつを、日本に紹介したいと。
 最初の点についていえば、精神世界オタクと社会的な運動のミゾは深いでしょう。それをごく自然につなぐというのはジョアンナ・メイシーとも通じることで、より大きな世界に目覚めることがひとや社会に係わっていく原動力になっていく。
 ぼくはインドとかいろいろ行きましたけど、グルというか、どこかへ行って偉いひとに会ったら自分が変われるという、そういう期待は今はあんまりないんです。日常を大切にする、その積み重ねのなかで変わっていけるというほうが自然だと思えてきたんです。その点、ティク・ナット・ハンは食べることも歩くことも瞑想にしてしまう。



湾岸戦争のいらだち

WAY そのへんは中野さん自身が成熟してきたというか、変わってきたんでしょうか。
中野 ……そうでしょうね。ただ、ぼくのサガというか、なにか面白いものに強烈に出会うと自分でそれをモノにする前に、ねえ見て見てって呼びかけたくなるのね。そのときはジョアンナもぜひ日本に紹介したいと思ったし、ジョアンナが終わったらティク・ナット・ハンを紹介したいと思っていたんです。
 それはずっと湾岸戦争と密接にからんでいて、自分のうちなる平和と社会の平和がどうつながるのかということを真摯に問うていたときにジョアンナのディープ・エコロジーワーク(絶望と力づけのワーク)に参加するなかで自分の平和も社会の平和もこの一歩一歩からだと確信していきましたね。
 日本はノーテンキだったけど、アメリカにいたぼくたちにとっては人ごとじゃなく感じたんです。だからこのふたりを日本に、刺激剤として打ち込みたいと思った。
 とくに現代化の努力を怠っている日本の仏教に対する刺激にもなるだろう。別に仏教に限らず安易なポジティブ・シンキングに行ってしまっているニューエイジのようなものに、ほんとうに世界に起こっていることから目をそらすなという、世界の現実に係わる断固とした姿勢みたいなものを伝えたいと。あのころは苛立っていたからねえ。



I'll come to Japan

WAY じゃあ、遅かれ早かれ、呼ぶというのは決めていたんですね。
中野 91年にティク・ナット・ハンとジョアンナと深く出会って、92年に帰国したんだけど、修士論文で彼らのことを少し深く勉強したんです。そこでジョアンナを93年の春に呼ぶために学びながら準備しようと、ウエッブ・オブ・ライフというのを作って、読書会などの活動をしていました。結局ジョアンナは来れなかったから終わりはパッと終われなかったんだけど。それでちょっと疲れまして、95年が戦後50年でティク・ナット・ハンに来てもらうんだったらそのときがいいなあと思っていて、修士論文を送って、日本に来てほしいと書いたんです。返事は来なかったけど、あとで聞いたら届いていたみたい。
 ジョアンナの代わりにマーガレット・パベルが来てティープエコロジー・ワークが93年に終わった。そのときに通訳してくれた木村さんが6、7月にプラム・ヴィレッジを尋ねて日本にお呼びしたいという話をしたら、すでにその気になっていて、"I 'll come to Japan."って。あなたたちのグループのことは知っている、ジョアンナのチラシも見た、ということでした。
 くわしいことはアメリカのアーニー・コットラー(ティク・ナット・ハンの本を出版するパララックス・プレス社長)と連絡を取ってくれとか、日本に行く前に翻訳は5冊くらい出してくれと言われた。そのあと93年の夏にうちのつれあいがバークレーに戻っていたときに、津村さんと高野和子さんとかと一緒にアーニーと会ってどっさり資料をもらって帰ってきたんです。
 なにかしなくちゃと思っていたんですが、仕事がバタバタしていて。そしたら去年の3月にジーナさんというティク・ナット・ハンのお弟子さんが来まして、あなたがたのオーガナイジングの準備状況はどうですか、と。そのときに日本人でティク・ナット・ハンと縁のあるひとが15人くらい集まっていたんですが、特に動けるひとがいなかった。そこで実行委員会をつくりましょうということで7月に立ち上げたんです。



人数無制限の原則に委員会一同、ぎょえ〜

WAY 実行委員会をつくってからは、スムーズに来たという感じですか。
中野 いやあ、場所をどうするか、お金をどうするか、受入れの体制をどうするか。まあどれもずっと苦労しています。場所は決まったし、お金は個人の募金と貸与金で400万くらい集まってそれで走れるということになったけど、場所は決まったけどなんにも手がついていないところもある。
WAY 二回目の委員会のときかな、プラム・ヴィレッジから島田さんが帰ってきて報告をして、びっくりしましたねた。
中野 メインのリトリートは伊勢原の思親会さんにお願いしているんだけど、そこは講堂として大きい場所はあるんだけど宿泊施設は50人分くらいしかない。でもジーナさんはティク・ナット・ハンは最後の来日だろうからできるだけ多くのひとと接してほしい、と言うわけです。だけどティク・ナット・ハン自身が日本でそんなに知られているわけでもないし、リトリートにそんなにひとを集めるよりも、少ない人数でしっくりやったほうが次に繋がるよね、というふうに話していたんです。ところが島田さんがプラム・ヴィレッジに行ってみたら人数は無制限で受入れなさい。ティク・ナット・ハンに関心があって来る人はすべて受け入れるように努力してください、と言われて。無制限の原則というのが帰ってきて、ぎょえーっと。
 たしかにプラム・ヴィレッジは夏は5、600人集まって混沌とした状態のなかで、静かに瞑想するというより縁あって出会った仲間がどうやってコミュニティをつくっていけるかということに焦点がある。だからサンガ・ビルディングのほうにコンセプト替えしなくちゃいけない、というのが出てきて。それは今も課題です。でも広げたはいいけど、ほんと今も何人来るか分からない状態ですから。



家族のように癒しあう

WAY 彼が言うサンガというのは……。
中野 現代は家族とか地域のコミュニティが失われているなかで、根無し草のひとが増えている。それは仏教で言う餓鬼。餓鬼は喉が細くて食べ物が欲しくても喉を通らない。そういう苦しみを背負っていて、愛を求めているけど愛を受け取れないひとが増えている。そういうひとをほんとにあたたかく包み込み、家族のように癒しの場となり成長の場となるにはサンガが不可欠であると彼は言っています。
 ひとりでマインドフルの練習をするというのは大変だけど、ゆっくり歩いているひとが自分にそのことを思い出させてくれる。いらいらしているときに微笑んでいるひとを見てはっとする。、誰かの修行がほかのひとの気づきになる。そういうお互いが育ちあうコミュニティが必要だ。それは子どもも除外しないし、年寄りも除外しない。だいたいこんな感じですね。
 仏・法・僧の三宝を敬えというけど、彼の言うホトケもダルマも、自分のなかにあるものなんです。サンガはひととからむ部分だから、ひとつの重要な知恵と学びエネルギーの供給源としてのコミュニティが必要だと繰り返しています。
 やっぱり精神的指導者はそのひとがもっているコミュニティによって評価されるでしょう。言葉や概念でひとが救われるわけじゃなくて、どう暮らしているかが重要。個人的なトランスフォーメーションも社会を動かしていくこともそこからしか出てこないということは、繰り返し言っていますね。



ひとりひとりが一部をになう

WAY この概念があるのとないので今回の委員会もぜんぜん違ってくるんじゃないか、という気はします。
中野 この委員会ががサンガ・ビルディングだ、と言いたいけど、同じ場を共有する時間が月に3時間くらいだからね。実際にはなかなかそこまで正直な実感は不足しているんですが、みんなボランティアでやりたいというひとが集まってきているわけだから、ここから生まれてくるものを大事にしたいという思いはあります。
 でもぼくが忙しいなかで強引にすすめることで、いろいろあるんですよ。ぼくのスタイルはピラミッド型のリーダーシップよりもサークルを目指しているから、上から誰かがビシバシ指示を出すというよりも、ひとりひとりがかけがえのない輪の一部を担っているんだという思いでなにかが生まれてくる、そういうシナジーみたいなものを夢見ているんだけど。
 そのへんはディープ・エコロジーでも言うことで、ピラミッド型のヒエラルキーが神を筆頭にして男、女、動物があり植物があり、鉱物があり、上のものは下のものが自分のために存在しているという意識を持っている。それがさまざまなレベルの分断を生んでいる。もっとお互いが神経細胞で、つながりのなかでお互いがある、そういう関係のあり方を求めているところがあります。それと現実的に処理しなければいけないところとの間がね。



ティク・ナット・ハンの印象は?

WAY 今回、あらためてティク・ナット・ハンに会ってみてどうですか。
中野 まずね、以外に厳しい感じがするの。91年に会ったときは遠くから見てたから、なるほどゆっくり歩き、ほほえみ、しゃべるひとだなあと思ったんだけど。今回ウオーキング・メディテーションをやるときにみんなが集まっていたらふらっと出てきてさ、あれ、ベトナム人にもティク・ナット・ハンに似ているひとがいるんだと思っていたら彼で(笑)。あっちへ行きましょうという感じで歩きはじめたんです。ほほえみながら、というけどニヤニヤ笑っているわけじゃなくて、リンとした厳しさがあってね。ずっと20分くらい歩いたら畑のなかにはいってみんなが来るのを待って、いきなり太極拳みたいなものを始めて。
 法話も一番前で聞いたんだけどけっこう厳しさみたいなものを感じたね。だけどそのあと退出するときに、「日本から来ました」と話しかけたら、部屋に呼んでくれたんです。話してみたら非常にふつうのひとでほっとしましたねえ。
WAY へええ。
中野 ほんとふつうのひとで、話がさばけているんだよね。日本には何度か来ているみたいで、朝日に取材されたこともある。1970年に若きベトナム仏教者として仁王立ちで報告をしている写真を見たことがあって。いまでは柔和な師もかつてはこういう戦う仏教徒だった時代があるんだなあとうれしくなりましたね。でも日本の印象はどうですかと聞いたら、いろいろありすぎて言えませんって。あんまりいいことはなかったみたい。難民の受入れ先で揉めたり、ね。回りから聞くところによると。
 講演について、日本のひとはいまさら仏教の話を聞きたいとは思わないでしょうとか。いくつか案が出ていたんだけど、「家庭のなかにいかにマインドフルネスを取り戻すか」という話はどうでしょうとか言う。日本の女性にとっては大家族から解放されるべきものだから、あまり家族に帰れというのはどうかと思う、と言ったら、じゃあ「日本女性の解放」というのはどうでしょうかって(笑)。もう1969年から欧米で暮らしているから、よく分かっているんですよ。
WAY ふつうのひとという印象ですか。
中野 こっちの思い入れに比してね。緊張していたからねえ。ふつうにおしゃべりしてほっとしましたね。神戸の写真を見せたら、じっと見ていましたね。ジョアンナは日本に行ったの、とか、卒論を送りましたと行ったら、ああ、あれがあなたでしたか。あれはよかったって。
 それから、これから日本の仏教をもっとひとびとに近しいものにしていくという思いを持っている若い僧、尼僧に会いたいと言っていました。若いというのはどれくらいかと聞いたら、young mindedだって。彼らに、自分が欧米で工夫してやってきた修行法を伝えたいと言っていましたね。


出会ったひとの数だけ種がまかれる

WAY これから来日に向けて、どんな気持ちですか。
中野 ほんとに来てほしいし。無事に、疲れずに来て、予定されている企画がやれれば、成功も失敗もない。
WAY それはけっこう本音というか。
中野 無事に来てくれれば、いろんなことがうまく行くと思います。でも大丈夫でしょう。彼らは自分を治めるということをやっているから、疲れちゃうとかいうことがないんだよね。弟子たちに日本に来たらなにしたいかと聞いたら、顔を見合わせて、自分たちはなにも希望や欲望は持たないように、と教えられていますからって。一ヵ月以上旅してくるから疲れないように、って言ったら、自分たちはそういうの大丈夫だからって。野暮なこと言ったなあと思いましたね。旅行で興奮してあっちこっち走り回ったりなんかしないでしょうから。だからちょっと寂しいくらいに律してるから。
 ティク・ナット・ハンの食事なんかすごく気をつけていて、ぜんぶ自炊できる体制で来るんだよね。前日のものは使わないとか、油も封を切って一週間以上のものは使わないとか。ものすごく慎重ですね。
 そうですね、抱負ですか。いろんな種がまかれるだろうから、ひとりひとりが違った受け取り方をするだろうから、出会ったひとの数だけの種が植えられるというのが、企画したもののよろこびですよね。
 すぐひとに紹介したがる者の宿命はですね、モノにするまえに次に興味が行っちゃうというか、自分がそんなに深く行けない。でもこれをきっかけに出会ったひとがずんずん深く行ってくれればいい。だってぜんぜん勉強できなくて、これじゃあ申し訳ない。関西の渡辺臣さんなんかにも言われてるけど、現実的なことに忙殺されていて。でも役割かなって思いますけど。
WAY ひとりがぜんぶとは行かないですからね。


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