タイの環境保護僧





プラチャク師インタビュー その2


藤森 もう少し靴を脱いだ時のことを伺いたいのですが……。

プラチャク師 靴を脱ぐということはとても重要なことです。靴を履いていると、あまり何も考えずにどこにでも行けます。注意力が散漫になりがちです。ところが裸足ですと石があるとか切り株があるとか常にいろいろと気をつけていなければなりません。いろいろなことに注意を向けるようになり、観察力が鋭くなるのです。ものごとの真実の姿を見きわめることができるようになります。私はこの18年間ずっと裸足です。

 どんな状況でも常に精神を緊張させ、頭を冴えた状態にすることができるようになれば、靴を履いてもかまわないでしょう。でも私はまだそのような境地には達していないので、裸足でいることによっていわば強制的に注意力が散漫にならないようにしているのです。裸足でいると、ぼーっとしたまま歩くということはできませんからね。

 重要なことは生活態度を変えることから始めるということです。家族のことや親戚縁者のことを懐かしく思い出すこともやめなければなりません。心から様々な心配や気遣いをなくさなくては、心を澄んだ状態にすることはできません。そうすることによってはじめて自分の心の内部に大きな力が湧いてくるようになるのです。そうなればさまざまな煩悩にも打ち勝つことができるようになります。

 鮮明な状態に意識を保つことができるようになると、本当の智恵を持つことができるようになります。そのためにはまず自分の体と心の内部をよく理解することから始めなければなりません。そうしたことをしないで一時的な感情に基づいて行動すると、途中でさまざまな誘惑に負けて、間違った方向に進んでいってしまいます。

 自分の体と心の内部をよく理解するということは森のことをよく理解 するということにもつながります。森があるからこそ我々は新鮮な空気を吸うことができるのであり、また森はいろいろな食べ物や薬草を我々 に与えてくれ、また我々の心に静寂さをもたらしてくれます。こうしたことが理解できれば森を大切にしなければならないという気持ちが自然と湧いてくるはずです。しかしこうしたことを本当に理解するためには、 口先だけでしゃべっていてはだめで、自分自身の実体験を通じてこうしたことを本当に実感する必要があります。

 森の大切さを理解するためには、まず森のことをよく知らなければなりません。そして自分自身の体と心のこともよく知らなければなりません。その両方をよく理解できれば、人間と森は本来一体のものであるということがわかるようになります。人間はともすれば物事を内部と外部に分けて考えがちです。自分は内部で、森は外部。人が大勢住む町は内部で、人の住まない森は外部といった具合です。町は明るく、森は暗い。森はうっそうとしていて何だか薄気味悪いと考え、木を次々と切って町のようにすることが「進歩」だと考えてしまいがちです。しかし実際に 森に入ってよく森を観察してみると、森は決して暗くはありません。森が暗く見えるとしたら、それは見る人の心が物質的欲望で曇ってしまっているからでしょう。私には森よりも町の方が暗く見えます。」


菜食主義も 執着になりうる

藤森 あと食べ物のことについてですが、私たちのグループの中には、アメリカ人の菜食主義者の方がおられまして、夜の説教の時に、『仏教徒の人は菜食主義者の人ばかりだと思っていたのに、どうして菜食主義ではないのですか』とプラチャクさんに質問した人がいましたが、それに対して答えられたことをもう一度お聞かせ願いたいのですが……。

プラチャク師 菜食の問題についてはいろいろな考え方があり、難しい問題なのであまり話したくないのですが、まず菜食とは何かということについてもいろいろな見方があります。分子や原子のレベルまで分解して考えると、動物と植物の違いというものも瞹眛になってきます。しかし一般的にいって動物を殺すことは確かにいけないことです。動物が泣き叫びながら殺されていくのを見ると誰もが心に痛みを感じるでしょう。しかしすでに死んでしまった動物の肉がそこにある場合、それを食べることがいけないとは一概に言えないでしょう。植物たちもその根から水分とともに土壌の栄養分を吸い取ります。しかしその土壌の栄養分ももとはといえば動物の死骸が分解されたものかもしれません。植物にしても人間にしてもその生命を維持していくためには栄養を採らなければならないのです。まず自分の生命を維持するための最低限の栄養を採るため以外には動物を殺さないということをしっかり守っていけばいいのではないかと思います。

 確かに菜食にはいろいろいい点があります。体臭も少なくなりますし、過剰な性的欲望を感じることも少なくなります。しかしそれは菜食にしないと絶対にできないことではありません。菜食は確かにいいことですが、とりたてて自慢すべきことではありません。菜食主義者の中には、菜食でない人を見下す人がいますが、それは間違いです。そのような傲慢な気持ちを抱いて菜食をしていては意味がありません。菜食でなければ絶対にいやだというのもひょっとすると一つの執着心、一種の欲望となってしまうこともあります。粗食に努めることは大事なことです。美味しい食べ物に固執することはよいことではありません。何を食べるにしても、その味や香りにこだわりすぎてはいけません。そういう意味では、肉の味が好きだからどうしても肉を食べたいと思って肉を食べるのはよくないことです。何を出されても、好き嫌いなく食べるのが理想的だといえましょう。藤森:毎日のお経の時に、草も木も動物も生きとし生けるものがみな共に救われなければならないといつも言っておられましたが、森の中でどのように動物と接しているか具体的にお話しいただけますでしょうか。

プラチャク師 まわりの草や木や動物たちも幸せでなければ私たちも本当に幸せだと感じることはできません。まわりの人やすべてのものに対して悪意を持たないようにしなければなりません。こちらが悪意をもたなければ動物たちの方から私たちを襲ってくることはまずありません。互いに相手の邪魔をしないように気をつけ、相手を尊重するようにすればうまく共存していくことができます。私は森の中を歩く時は、地面を這う小さな虫たちを踏みつけてしまわないように気をつけて歩いています。とはいっても時には見落としてしまうこともあります。ついついうっかりして蟻のような小さな虫を踏みつけてしまうのです。なるべく気をつけるようにしているのですが、ある程度はやむを得ないこともあります。でも森の中にいる時はできるだけ注意して、他の生き物を傷つけないようにしなければいけません。

 森の中で暮らしていると、他のすべての生きとし生けるものに対して優しい心を持つことの大切さを実感できます。強靭な肉体と強靭な精神力だけでは森の中で暮らしていくには十分ではありません。強靭な肉体と強靭な精神力を持ちながらも慈悲の心を持たない人間ほど危険なものはありません。そうした人間はまわりの人や自然に大きな危害を与えてしまいます。しかしそのような人は心の安らぎを感じることはできないでしょうし、本当の幸せをつかむこともできません。いつかは自然から手ひどいしっぺ返しを受けることでしょう。森では慈悲の心を持つことが大切なのです。すべての生きとし生けるものに対して慈悲のこころをもつことによって、森の中で自然と調和して生きていくことができるのです。


森のなかで気をつけるべきは
野獣の襲撃よりも人間の不和

藤森 虎に会ったり、象に会ったりすることはありますか。

プラチャク師 今回のスタディ−・ツアーの最中には会わなかったですね。獣の叫び声は聞きましたが、姿は見えなかったでしょう。今回はかなりの大人数で行ったので、動物たちも恐れて近寄ってこなかったのでしょう。足跡とかはそこら中に残っていましたけどね。2〜3人の小人数で行ったら姿も見ることができたでしょう。

藤森 出会ったらどうしたらいいのですか。

プラチャク師 互いに干渉し合わなければいいのですよ。こちらから攻撃しなければ向こうから襲ってくることはめったにありません。どちらかが傷つかなければならないようなことになったら、傷つくのは自分の方であればいいと思うようにしています。森の中で気をつけなければならないのは、野獣の襲撃よりも人間同士の不和です。森の中にいる時に人間同士が内輪もめをすると、いろいろな災害に巻き込まれることになります。人間同士が内輪もめさえしなければ森の中で何か災害に遭うことはめったにあることではありません。そして人間が内輪もめをすると、被害を被るのはいつも力の弱い者です。ですから森に入る時は、一緒に行く人たちの間で内部争いが起きないようにしなければなりません。人間同士が内輪もめをすることによって危ない目に遭うということを私自身これまで何度も経験してきましたので、このことをまず一番に気をつけるようにしています。」

藤森 以前プラチャクさんが森の中で寝ている時に、ムカデが体の上を這ったことがあったということですが、その話をもう一度お聞かせいただけますでしょうか。

プラチャク師 そういうことはよくあることです。まあもともと彼らが住んでいたところに私が出かけていったのですから...本当は寝る前にムカデなどに人間が来て、一晩邪魔をするということを知らせるために、よく地面を叩いてその音によって人間が来たことを知らせてから寝るようにすれば寝ている間にムカデが体を這うということはないのですが、私も時々地面をよく叩かないで寝てしまうことがあるのです。それから森の中で寝る時にはこの傘の形をした蚊帳をして寝ます。地面をよく叩いてから、蚊帳の裾をしっかりと地面につけて寝れば、ムカデが来ることはないのです。まあそれでもうっかりしていて寝ている間にムカデが体の上を這ってきたら、その時は動かずにじっとしていればいいのです。そのうちムカデはどこかにいってしまいます。ムカデをやっつけてやろうなどと考えると、かえって痛い目に遭います。慈悲の心をもってムカデが過ぎ去るのをじっと待つのが一番です。

藤森 でも蚊は刺されるととても痒いので、私などはついバシバシと手で何匹も殺してしまったのですが、プラチャクさんは蚊に対してはどうされていますか。

プラチャク師 修行を積んでいない人はどうしてもそうしてしまうでしょうね。どうしても我が身のことばかりを考えてしまうのです。修行を積めば蚊にさされてもどうということはないと思えるようになります。少しは痛かったり、痒かったりしますが、そうした痛みや痒みもそのうちに消えていきます。あまりにも蚊が多くて耐えられない時には、蚊を叩くのではなく、蚊がとまっている近くの部分を指で軽く叩くことによって、蚊を殺すことなく立ち去らせればいいのです。自分の修行のレベルにあった対処のしかたをすればいいのです。でも蚊を叩いてつぶすというのはやはり修行がまだまだ足りないことの現れだといわざるを得ません。蚊は田畑を持っているわけではありません。他の動物の血を吸わなければ生きていけないのですから、少しばかり血を吸うのは許してやってもいいでしょう。

藤森 では蛇に出会った時はどうされますか。

プラチャク師 蛇だって同じことです。蛇の方から人間にむかってくることはめったにありません。人間が蛇を踏んづけたり、いじめたりしなければ蛇は人間を噛むことはまずありません。ただ蛇はよく喉が渇くので、あまりに喉が渇くと人間に向かってくることがあります。そういう時には、水を飲ませるか水気のある物を食べさせてやればいいのです。そうすればおとなしく立ち去ります。慈悲の心を持って接すれば、蛇も恐れる必要はありません。」


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