Richard Baker Roshi











小柄でやせて静かだったティク・ナット・ハン一行のなかで、ひときわ異彩をはなっていたリチャード・ベイカー老師。そのただならぬ存在感とあたたかいユーモアに魅了された参加者は多かったようだ。サンフランシスコ禅センターの堂頭としてアメリカの禅の隆盛に貢献した老師の仏教観を、藤田一照・稲葉小太郎が聞いた。


3つの仏教

稲葉 老師は日本の仏教とアメリカの仏教、両方見ておられますが、同じ曹洞宗でも違いがあるように思います。特にどのへんが違うのでしょうか。

老師 正確に答えるのは難しい質問ですね。失礼があってはいけないので……。私の先生である鈴木俊隆老師は、曹洞宗とか臨済宗という以前の、禅そのものに帰ることを望んでいました。だから彼は自分が曹洞宗だとは言わなかった。日本ではそう言われているかもしれないけれど、私たちには、禅そのものだと言っていました。

 昨日も少し言いましたけど、アメリカでは三つの仏教が考えられます。ひとつは日系人のためにエスニック・ブディズム。これはたいへん伝統的な〈日本仏教〉です。でも私の意見では、3世4世のあいだでさえ、もうすぐ消えていくでしょう。もうひとつの、ある種の〈改良された日本仏教〉はたぶん、生き残るでしょう。でもその〈改良された日本仏教〉も〈西洋仏教〉とは違います。だから私の感覚としては、〈西洋仏教〉を発見したい。それは単に西洋風に味付けされたスープなどではなく〈ほんとうの仏教〉を、という意味です。私が最初に鈴木老師と修行を始めたころ、曹洞宗の僧侶たちがアメリカを訪ねてきました。1962年か3年のことです。鈴木老師は私に、彼らになにか話をするように言ったので、こんな話をしました。

 日本の樹木をアメリカに移植するときに、枝を払い、根っこについた土を取り去ってしまえば、それは死んでしまう。だから最初は枝や土がついたそのままの状態で持ってこなければならない。でも木はゆっくりとアメリカの土地に根をはるようになる。

 仏教も、最初は正しい〈日本仏教〉を伝える必要がある。しかし、それもアメリカの土地に根づくうちに変わってくるのです。


仏教と心理学

稲葉 老師の言われる新しい〈西洋仏教〉はまだ形成される途中なんでしょうけれど、それはどんなものになるのでしょうか。たとえば、道元禅師の教えはとても厳しいものですが、そのへんは多少は西洋風にアレンジされるのでしょうか。

老師 今、新しい、という言葉を使いましたが、ちょっと違います。私の感じでは、〈西洋仏教〉は決して新しいものではなく、もっとずっと古いものだと思うのです。私たちは根本に戻ろうとしています。根本の仏教が、新しい土壌で成長していくのです。

藤田 新しいなにかをつくろうというのではなく、仏教の根源に戻っていくということですね。

老師 そのとおり。そしてそれが西洋においてどのように存在できるのか、発見したいのです。現在の西洋では、仏教がじゅうぶんに健康であるとは思いません。禅だけでなく、いろんな仏教がありますが……、かなり原理主義的になっているものもあるし、心理学とないまぜになってしまっているものもあります。心理学は仏教ではありません。

「仏教心理学」と言っても同じです。一般的に使われるのはかまわないのですが、仏教には「サイキ」というものはない。「サイキ」とは物語を通じて形成されるアイデンティティ。西洋的な概念です。それについて考えるのは大事なことですが、仏教はいわば「マインドロジー」とでもいうものであって、「サイキ」とは関係ないんだよ。


psycheとmind

老師 仏教は「心」「意識」「気づき」に関する学びです。心理学を含むけれど、同じではない。人間を見る角度が違うのです。だから心理学を半分ミックスしたようなこの種のグループには異議を唱える。実験は面白いのでしょうけれど、私にはあまり……。

稲葉 そうすると、たとえばトランスパーソナル心理学のケン・ウイルバーなどは鈴木俊隆老師のお弟子さんだと聞いていますが……。

藤田 黛老師のお弟子さんでしたっけ?

老師 いや、誰の弟子でもないよ。ケン・ウイルバーは知っています。頭のいい男だし、システマチックな考えを持っている。でも彼が語っていることは仏教ではない。彼とはずいぶん話していないし、今は仏教徒みたいなものなのかもしれないけれど、はっきりは分かりません。

藤田 この話は、昨晩の話と関係しているのでしょう? 老師の言う西洋の「サイキ」と仏教の「心」の違いについて、もうすこしくわしく説明してほしいです。老師は「サイキ」は物語を通じてつくられるアイデンティティだと言いました。ここでいう物語とは個人の物語のことですね。それはフィクションということですか。

老師 そう。西洋人はフィクションだと思わないだろうけどね。でも人間というものは物語をつくるものなんだ。心理学では、神とか元型(アーキタイプ)とかいろんな物語を生み出す。西洋人のアイデンティティの核心にあるのは「私は誰かWho am I?」という物語なんだ。仏教はその物語を落とそうとする。

私たちはエゴを必要とする。エゴがあるから人間は機能している。でもそれは無常だと知っているよね。

藤田 アメリカのヴィパッサナや禅のグループでも心理学とミックスしようとする動きがあるけれど、物語で説明しようとする心理学と物語をはずそうとする仏教を一緒にしちゃいけないよ、ということですね。

老師 ここ4、5年は毎年オーストリアで、25人の心理学者のグループと集まりを持っています。彼らはオーストリアでも最も進んだ心理学者たちで、瞑想を実践し、神学にも通じている。にもかかわらず、なかなかこのことを理解できない。西洋文明の核心とアジアの文明の核心の問題だからね。理解するのは難しくないけど、時間がかかる。だから〈西洋仏教〉がどんなものになるかというのは、大きすぎる問題です。誰も分からない。でもね、私は〈西洋仏教〉についてはすごく楽観的なんだ。この地球の行く末には楽観的じゃないけれど、仏教には楽観的。地球が生き延びるなら、仏教も生き延びるよ。


ベイカー老師のお話はまだまだ続きます。以下の内容はWHO ARE YOU?11号、12号、13号に掲載してあります。バックナンバーをご希望の方はbuck nembersのコーナーを見て下さい。


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