What is healing?









interview with Shinichi Yoshifuku


よしふく・しんいち●1943年岡山県倉敷市に生まれる。早稲田大学文学部に入学するが、むしろジャズのベース奏者として日本ジャズの黎明期に活躍する。大学の半ばで渡米、バークレー音楽院においてジャズを学ぶ。60年代から70年代にかけてのカリフォルニアでニューエイジ・ムーブメントの波のなかを泳ぎ、数々のセラピー技法を吸収。帰国してC+Fコミュニケーションズを設立、セラピーと翻訳によってトランスパーソナル心理学を日本に紹介した。現在はハワイ在住。著書に『トランスパーソナルとは何か』(春秋社)『トランスパーソナル・セラピー入門』(平河出版)ほか多数。翻訳書に『意識のスペクトル』『タオ自然学』(工作舎)ほか多数。


 吉福伸逸さんへのインタビューは1993年8月13日、岡山県倉敷市の吉福さんの実家においておこなわれた。前月に伊豆の観音温泉でおこなわれた吉福さんのワークショップに出席した際にずうずうしくもお願いして、訪問させてもらったのだ。初めて会った人間に、発表のあてもないインタビューを許してくれた吉福さんにはほんとに感謝しています。

 このころぼくは夏風邪を引いていて、鼻水は垂れるわ、咳が出るわで、さぞかし迷惑な取材者だったと思う。さらにひどいことに、このとき何を聞きたいか、ぼくのなかで明確な方向性がなかった。ただ吉福さんの話を聞きたい、それだけだった。思うように出てこない質問に、インタビュー中はかなり苛々したのではないかと思い、恐縮している。

 新幹線で岡山まで行き、そこで瀬戸大橋線に乗換えて「児島」という駅で降りる。そこで電話すると、吉福さんが車で迎えに来てくれるという。しばらく待っていると、黒いスポーツカーがやってきた。映画『バック・トウ・ザ・フューチャー』に登場したデロリアンという車だ。まさか、と思っていると、車のなかから吉福さんが手を振っている。値段は数千万円するらしいが、知人にもらったのだとこともなげにいう。

 吉福さんはひとから物をもらうことが得意だと笑う。確かにこのひとはなにかを差し出したくなる雰囲気がある。ひとつには、吉福さんが所有ということにこだわっていないから差し出すほうも自然にそうできるからであり、もうひとつは彼が、物ではない何かを常にひとに与えつづけているからだと思う。


関係性の癒し

BODHI PRESS(以下BP) 英語でヒーリングという言葉は、一般のお医者さんのあいだでも使われる言葉なんですか。

吉福 最近はそうですね。お医者さんといってもいろいろで、西洋医学に凝り固まっていて、自己治癒力みたいなものを重視しないひともいますけど、最近では、ある意識をもった医者のあいだではヒーリングという言葉はよく使われます。自己治癒力を高めること、それを抑えないことに腐心しているお医者さんも多いです。日本の医療システムでも、極端な病気や怪我を除けば、心有るお医者さんたちは自己治癒力に視点を移していこうという努力はされていると思うんです。真摯に医学をやってきたひとであれば、気がつかないわけがないんです。

BP 先日、内科のお医者さんに会ったんですが、血圧が高いっていうと血圧ばっかり見ているというんです。胃が痛いというと胃カメラを飲ませてみたり。

吉福 対象療法がポイントになっていますよね。でも、血圧が高いのには本人のシステムのなかに理由があるんですから。それは純粋に物理的な理由でも、純粋に精神的な理由でもない。当人の心身システム全体のなかから沸き上がってくるものです。  血圧が高いと下げる薬を飲ませるでしょう。あれはなんにもならない。もちろん症状はなくなるでしょうけど、それが起きてくる根本的なところに働きかけているわけではないですから、血圧が下がったとしても違った部分に現れてくる。それはからだの別の部分かもしれないし、こころに現れてくるかもしれない。そのひとの社会的な立場かもしれない。ぼくはいろんな病に対しては、それは理由があって出てきているんだから、なんらかの心身システムの警告ですから、ライフスタイルそのもの、パーソナリティそのものに対するアプローチの変化の要求だと見るのがもっとも的確だと思います。

BP 医者のあいだでも、このままじゃだめだ、と考えているひとも出てきているし、心療内科みたいなものも増えてきつつありますね。

吉福 ただ、医者の問題だけじゃなくて患者さんの側の要因もあるから。なにか症状があるとそれを取り払ってくれというでしょう。医者のほうもいちいち人生論を語ってそのひとのライフスタイルに変化を促すというのはすごく時間がかかる。本人がそれを求めていない場合も多いですし。患者さんが忙しい場合など、どうしてもとりあえずこの症状を除いてほしいと思う。  ひどい場合は別ですよ。ひどい場合は本人も考え直しますから、それがパーソナリティの変容につながるわけです。大病というのはね。ところが適度な症状である場合は本人が必然性を持っていない。医者だけが頑張ってもしょうがない。やはり医者と患者双方がなんとかしなければいけないでしょうね。

BP 吉福さんにとっての癒しというのは自分の内面から、心身相関的に治っていくということでしょうか。

吉福 そうですね。自分の内側にある自己というシステムを安定させる恒常性のような力、それをいかに活性化させていくか。ただこの場合、自分の内側というのは環境、自然、と密接にかかわり合っていて、切り離すことができないわけです。印哲をやっていられたからお分かりだと思いますけど、tat tvam asi、そは汝なり、ですから、そういう意味では、外の関係性や社会も自分のシステムですから、そちらの癒しが必要であるのが、なんらかの症状として出てくる場合もあります。だからそれは単なる個体のホメオスタシスとして切り離して考えるのではなくて、さらに大きな関係性のなかでのホメオスタシスへとすべてつながっていますから、より、内外両面に向いた目で見ていかなければならないと思います。


成長としての癒し

BP これまでは、癒しが可能になるためには、その対局に病気という概念があるとされていましたが、今のお話しを伺うと、そういう二元論は狭い考え方ですね。病気というのはたまたま表面に現れてきた現象にすぎない。

吉福 そうですね。こころの病気であれ、身体の病気であれ、事故など突発的な出来事であれ、あるいは天災と呼ばれるものであれ、そうです。それと癒しという概念は、もっともっと仏教的な発達論的な捉え方もできますね。

BP そうです。そのへんをお聞きしたかった。

吉福 その考え方の根底には、今、人類の大半、我々というのはやはり、本来あるべき姿のままでいない、という前提があります。その境地、その心境、その事態に自分が立ち至るまでは、ずっとなんらかの癒しが必要とされているといえる。禅などでいう悟りに至るまではなんらかの病に冒されている、という視点が必要になってくる。一般的な社会では症状があるとは見なされていなくても、より理想主義的な十全な人間性というものをモデルとして捉え返してみると、なんらかの意味で欠落していたり、過剰だったり病といえる部分があると思う。そういうことも癒しという観点から見ていくことができると僕は思います。だからさまざまな修行の方法というのは、あれは癒しなんです、どう見ても。自己治癒のためのテクニックですね。

BP 成長としての癒し。

吉福 成長につながる癒しですよね。病というのはいいチャンスなんです。せっかくいいメッセージが来ているんです。瞑想修行で研ぎ澄まさないと分からないようなメッセージが、病では極端に出てきますから。最近セラピーの世界では、症状というのはあまりにも微妙で本人もまわりも気がつかないので、できるだけ促進しようとするわけです。かすかな症状をどんどん促進していって、極端化して本人にも他人にも見えるようにしていくわけです。ほっとくとあと10年かからないと出てこない症状を、短時間のうちに明確にし、問題の根源を早めに治癒するという方向に持っていくわけです。

BP 今、聞いていて思ったのは、3月のグロフの高野山のワークに60人くらい来ているんですけど、一見フツーの、別にどこも悪くないんじゃない、というひとがたくさんいたんです。でも話しているうちに、このひとたち、問題があるから治しに来ているんじゃなくて、問題を見つけに来ているんだなあと。

吉福 大半はそうです。僕なんかのワークショップでもまったく同じことが起こっていて、問題があると認識してそれを治しにくるひとでも、それが全然間違っていることが ある。ああいう場に来ることにより、初めてどこが問題なのか気づいて認めるという作業 をする。気づくだけじゃだめなんです。認めないと。人間というのは非常に狡猾なシステムですから、自己納得するためには、気づいても理屈でそれをどんどん変えていきますから、それをしっかりと受容して認める作業が必要なんです。本格的な作業はそれ以降に始まる。  ただ一回気づき認めると、ある部分が活性化されていますから、逃げられなくなって、どんどんプロセスを促進していくという方向へ行きます。何年かかかりますよ。どんな症状でも、どんな問題でも。たった数回のセッションでうまくいくというのは、よっぽど本人のなかに明確な必然性があって、ぎりぎりの淵に立っている場合。そういうときはただ一回の出会いで大きく展開することもある。そういう方はぎりぎりのところにいますから、なんとかしようとしているんです。なんでもいいんです。システムは。占いでもかまわない。パッと出れば、それで行ってしまいますから。普通のひとの場合はもっと長い時間がかかりますね。

BP 今の日本においては自分自身ではどうしようもない悩みというのは、かなり限られていると思うんです。貧しさもないし、特定の生活レベルは保てるし。悩みがない。それが逆に、悩みだと思っているんです。逆に、病といのはいいチャンスとおっしゃったように、マイナス要因ではない。

吉福 ある生活レベルを保って社会と同化しているあいだは、自己を問うこともなくすべてをあやふやにしたままで、安穏と暮らせる。そういう状況はある意味では不幸ですよね。自分に直面する必要もないし、限界に触れる必要もない。ということは変化の必然性が生み出されない。それは日本という国をなんらかの方法で操作しようとする人間にとって、もっとも好ましい状況です。本格的な疑問を抱いて自己を知ろうとか社会を変えようとする人間が少ないというのはね。

BP ぼく自身のなかでも、「なんとなく」というのがキー・ワードになっている、と思います。

吉福 そう思います(笑)。なんとなく、さまざまなことをはっきりさせないままで、自分の責任でなんらかの決断をして自分の言動に責任を持って人生を歩んでいく、そういうとをなんとなくしないでも済むんですよね。日本的社会というのは、責任転嫁のシステムですよね。もっと激しいのはアメリカです。


風邪をすすめる

(ここで吉福さんのお母さんが麦茶をもってきてくれる)

吉福 稲葉さん、風邪ひいててさ、可哀相に。

吉福・母 ティッシュがあろうに。

吉福 ちゃんとここに置いてあります。大丈夫です。

吉福・母 夏風邪ひいたら、治りにくいよなあ。

BP すいません。

吉福 ハハハ、必要なんですよ。

BP いやあ、自分でそう思ってもなかなか突き詰めて考える方法が分からないんですよ。

吉福 風邪に関してですか。そりゃあ、考えてもどうにもなりませんよ。考えて突き詰めることじゃないですから。風邪をひいているのは、稲葉さんという心身システムが、風邪を必要としているんですよ。何か自分に対して、課してやっていくといい。もっともいい方法は、その風邪を促進させることです。もっとひどい状態にもっていく。そうすれば風邪というものがあなたにとってなにを意味しているのかがクリアになってきますよ。たとえばその風邪がひどくなると、稲葉さんがやる予定があったのにやれなくなることが出てくるでしょう。それはなんですか、一体。たとえばここに来れなくなったかもしれない。そういうことです。

BP 風邪をすすめるためには……裸で寝るとか?

吉福 もうどんどんそういうことやればいいんです。極端なことをやればいいんです、ハハハ。でも、そうすると治ったりしますけど。


死んですべてをまっとうする

BP ひとりの人間のなかで生まれて死ぬというプロセスがあるとしたら、癒しというのは単に病気を治すということではなくなりますね。

吉福 死はね、究極の癒しだと思います。そこから先のことはぼくには分かりませんが、ある特定のシステムが終焉を向かえる、要するに活動を止めるということによって、非常に多くの側面が癒されると思います。臨死体験の記録を読んだり、それに類するものを自分でも体験したりということを背景に考えていきますとね、死のプロセスのなかでそれまで十全でなかったものを埋め尽くして、過剰だったものは削ぎ落として、自分自身を究極的に受け入れると思うんです。徹底的な自己受容。それは究極の癒しだと思います。それが起こらない限り、ひとは死なないと思うんです。  事故などで、外から見ているかぎり、非常に不十分な自己受容しか起こっていないと見える場合、あるいは死のプロセスが一瞬にして起こってしまったような場合でも、時間とはまったく無関係に、人間のなかではすべてをまっとうするということが起こっているのではないか。それが起こらないかぎり、人間は死という場所に足を踏み入れないと思う。たとえば恨みを残して死んだとか、心残りでたまらなくて死んだとか。そういうとき霊魂が浮かばれないとかいうけれど、ぼくはそうじゃないと思う。どういう形であってもそのひとが自己の人生を受け入れないかぎり、死なないと思う。外から見たら受け入れていないように見えたり、本人もその自覚がないかもしれないけれど、しかし、いざ死の領域に一歩足を踏み入れて、そのプロセスにふっと入り込んでいくときは、強烈な癒しのプロセスが始まっていると思う。想像ですが。だから岡野さんとの『生老病死の心理学』でもいっているけれど、死というのはすべてをまっとうする、と。そのへんで仏教なんかと観点が違ってくるかもしれませんね。輪廻転生なんかとはだいぶ違いますから。

BP うーん、そのへんは吉福さんの直観?

吉福 体験がありますよね。自分に強い自殺衝動があってね、実際に睡眠薬を飲んで死のうとしていたときの体験、そのあとで何度か体験したLSDなんかの体験を通してぼくなりに実感したことは、ここで死ぬということは、すべてが解消される、と実感しましたけどね。  ヒーリングになんらかの秘訣があるとすれば、それは「全面的な受容」ですよ。なにが起ころうと、どんなことがやってこようと、それを受け止めるということだと思います。

BP 受け止めるというのは?

吉福 受け入れる。

BP それは自分の責任だということですか。

吉福 そのときに自分という概念がまだあればね。稲葉さんは体験されたことがあるかどうか分かりませんが、そのときは自分というところに立っていないんですよ。足場がぜんぶ崩れさるんです。自分が、自分と思っていたようなひとではないということがすごくクリアになってきます。それが怖いから、受け入れられないんです。

BP トランスパーソナルな体験というのは誰もがする必要があるものなのでしょうか。

吉福 それはぼくはよく分かりません。ただ人間というのは本来そういう方向性に向かう衝動があるんじゃないか。幼子から少年になり青年へと成長していく衝動と同じようにね。そうしなければいけないということはないんだけど、もしかしたらぼくらに本来備わっている衝動かもしれない。そういう視点からすれば、そうした体験を経ていないひとは、避けているといえる。断言はできませんが。少なくともぼくはそういう方向性は持っているし。


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