ホロトロピック・ブレスワーク体験記

text by Michael Shakson


 グロフのセラピーに行ってきた。ゴルフのスイングを矯正したのではない。チェコスロバキア生まれの精神科医、スタニスラフ・グロフの創始した「ホロトロピック・ブリージング」のワークショップに参加したのだ。
 ワークショップは1993年3月12日から14日まで、C+Fワークショップの主催によって、グロフ博士を迎えて高野山宝善院で行われた。今回はそのことについて書いてみたい。
 ホロトロピック・ブリージングについては本誌92年7月号特集「からだで感じる・こころが動く」のワークショップ体験記の中で説明しているが、速くて深い呼吸を持続して行う、つまりハイパーベンティレーション(過換気)の状態を意図的に作りだすことによって、変性意識状態にいたるセラピーの技法である。数あるトランスパーソナル・セラピーの中でも最も過激なものと言われ、実際にセラピーの現場では、暴れるひと、赤ん坊のように泣くひと、涙とよだれと鼻水でグチャグチャになるひとが続出すると聞いていた。
 正直、ちょっとコワイな、という感じはあった。赤ん坊みたいになったら恥ずかしいなあ、とも思った。最後まで参加するかどうか決断がつかなくて、参加費を支払ったのはワークの前々日だった。それでもやってみようと思ったのは、ぼく自身のなかに解決したい問題があったから、ではない。むしろ興味本位といったほうが当たっている。サイコ・セラピーは一種の修行なのだという見方もある。宗教団体になんか入らなくても、気楽に宗教体験が得られるというのは、考えてみればコンビニエンスで、いいではないか。  ただ、こんなふうに考えること自体がぼくの問題なのかもしれない。宗教とか心理学が好きで取材をしているくせに、ぼくはそうしたものにどっぷり浸かったことがない。何かの神様を信じたこともないし、特定の団体に所属したこともない。頭での理解が先に立って、いつもちょっと引いたところから見ていたような気がする。
 思い出してみれば子ども時代から、ぼくはそうだった。小学生のころみんなで隠れん坊をしていて、あるとき、隠れるのを止めてしまったことがある。どうせいつかは見つかるのだから、隠れたってしょうがないじゃないか、という考えが頭に浮かんだのだ。そのころから、なにか自分が現実に生きていないような、自分の思考と肉体が一致していないような、シラケた感じがつきまとっていた。
 ワークへの参加は冒険だった。でも、とにかくそこへ飛び込むことによって、自分が何かに関わりたい、参加したいという気持ちがあったと思う。やるときはやりたい。最近、そんな心境にんなっているのだ。  その気持ちを後押ししてくれたのが、ブリージングの産みの親であるグロフ博士の来日であり、しかも会場が高野山という特別な場所だということだった。これ以上のセッティングはありえないかもしれない。
 ちなみにワークの参加費は8万円(交通費は別)だった。安いとは思わないが、高野山に行けるいいチャンスなんだから、と自分に言い聞かせた。


LSDと同じ体験

 三月十二日の朝早く、ひかり号で新大阪に向かう。地下鉄御堂筋線に乗り換え、さらに南海電車に乗って一時間。次第にあたりは山深くなってくる。極楽橋駅でケーブルカーに乗り急な坂を登っていくと、そこが高野山だ。百二十三の寺院を擁し、四千人の僧侶が集う一大宗教都市である。ところが、バスから眺めると思っていたより開けた”街”なので驚いた。一ノ橋口というバス停で、降りたところが宝善院である。着いたのは一時五十分だった。
 三時には大広間に参加者がほぼ集まった。全部で六十人くらいだろうか。若いひとは大学生から、上は五十代まで。男女の比率は半々くらいである。本堂での住職のあいさつに続いて、C+F代表のティム・マクリーンさんがグロフ博士を紹介した。
 グロフ博士は背が高く、横幅もある、熊さんのような雰囲気だ。ひとが良さそうな笑顔は好感が持てる。
 まず、博士がホロトロピック・セラピーについて概略を説明をしてくれた。精神科医である彼はもともとLSDの大量投与によるセラピーを行っていた。その際、被験者の多くが自分の出生体験を思い出していることに気づいた。LSDが禁止されたのちに、同じ体験ができるテクニックとして過換気によるセラピーを考案したのである。
 話はブリージングによって得られる非日常的意識に及んだ。「非日常的意識は、それ自体に人を癒す力があります。いろいろな文明が非日常的意識を利用してきましたが、今日の産業社会だけはそれを生み出す術を持っていません。それによって私たちは自然とのつながりを失い、破壊の方向へ向かっているのです」
 さらにグロフ博士の提唱する「意識の作図学」が説明された。人間の意識には三つの領域がある。自分の過去のことに逆上る自伝的領域、自分の出産を再体験する分娩前後の領域、さらに宇宙との一体感を得たり、過去生へ戻ったり、悪魔や天使と出会ったりするトランスパーソナルな領域。
 ホロトロピック・ブリージングではこれらを体験することができるという。本で読んで知っていたことではあるけれど、実際にグロフ博士の口から説明されると、なるほど、と思ってしまうのであった。 夕食をはさんで、夜はスライドを使ったレクチャーだ(ちなみにご飯は精進料理。味は期待していなかったのだが、これがおいしい。ご飯を三杯おかわりしてしまった)。スライドはLSDを使ったサイケデリック・セッションの後に被験者が描いた絵=マンダラ・ドローイングだ。誕生の場面を再現するおどろおどろしい絵がいくつも映し出された。ブリージングでも同様のものを見ることができるらしい。
 ここで思ったのだが、もちろんセラピーに先立ってあるていど知識を持っていることは必要だろう。でも、前日にこういう強烈なものを見せられると、セラピーのなかで影響されてしまうのではないか。あるいは、もしこういうものが見れなかったらどうしよう、という気持ちも出てきてしまった。
 講義の後はワークのパートナー選びをした。ワークでは、呼吸をするブリーザーとその世話をするシッターとがペアになるのだが、相手は直観で選ばなければいけない。これがなかなか恥ずかしい。初めて学校に行って、知らない人間に会うようなもの。目をつぶってぐるぐる回る。パッと目を開けたら二十代の女性Dさんと目が合った。
 ペアが決まったらグループに分かれて説明を受ける。山の上は夜になるとさすがに冷える。石油ストーブを囲んで、十人が集まった。ぼくたちのグループのファシリテーターは高橋実さん。三鷹でトータルリコール研究所というのを持っていて、アイソレーション・タンクを持っている。実際のブレスのやり方を教えてもらう。「今回のセラピーはあくまできっかけと考えてください。これですべてが解決するわけではない」
 ブリージングに際しての注意点は、変性意識状態になると、暴力的な気持ちになる場合があること。シッターはブリーザーが自分や他人を傷つけないように、布団でガードする。
「それから、性的なイメージが出てくることがあるが、実際の性行為はしないでください」
 高橋さんがいうと、みんな笑った。緊張が少し溶けたようだった。
 部屋に帰ってみんなと話をした。ぼくらの部屋は男が八人。経験者は二人だけ。セラピスト志望者や現役の心理臨床家もいて、自分の問題をなんとかしたいという切実な感じを持っているひとは、むしろ少数派のようだ。
 これはあくまで印象でしかないけれど、ここに集まっているひとたちは特定の悩みや問題を解決したいというより、問題を探しにきているような気がした。ぼくたちはふつう悩みなんてないほうがいいと思いがちだが、悩みは生きる上での指針となることがある。その解決を目指すことによって、人生の方向舵が定まるのだ。悩みがないというのも、つらいものである。


あ、しびれる……

 十三日の朝。さすがにちょっと緊張している。激しい呼吸をすると食べたものを吐いてしまうこともあるというので、朝食のご飯は一杯だけにする。
 九時。布団が敷きつめられた大広間に、みんなが集まってきた。このころのぼくの不安は、なにかあったらどうしよう、ではなく、なにもなかったらどうしようであった。せっかくここまでやって来て、なんの体験もできなかったら……。
 でも気持ちを集中するためにアイマスクをかけると、もうやるしかない、という気になる。グロフ博士の指示でまず全身のリラクセーションをする。足の先からだんだん力を抜いていき、口をぽかんとあけて、ため息を吐くように深い呼吸をする。
 音楽が小さな音で鳴りだした。その歯切れのいいリズムに乗って、次第に呼吸を速めていく。「ハッ、ハッ、ハッ」
 とやっていくと、すぐに両手の先がしびれてきた。「来た、来た」という感じである。大学の剣道部でしごかれて、過呼吸性症候群になって病院に担ぎ込まれた記憶がよみがえってきた。しびれはだんだんと腕全体に広がってきて、両手がねじ曲がって赤ちゃんみたいなかっこうになるのが分かった。
 さあ、このしびれが全身にひろがっていくのかな、と思って頑張って呼吸をしていると、しびれが治ってくるではないか。あちゃー、と思ってさらに気合をいれて呼吸を続けた。
 しかし気合にも限度がある。疲れてもうどうにも呼吸が続けられなくなる。腰を上下させると楽だ。すると今度は顔のまわりがちょっとしびれてきた。よしよし、と思っていると、また引いてしまった。
 それでも八万円払ったんだから、と自分に言い聞かせた。腹筋が疲れてきたので、正座して、腕の曲げ伸ばしでタインミングをとった。一度立ってみたら、思ったより疲れたのですぐ座った。
 そうしているうちに、右肩が痛くなってきた。ワープロの打ちすぎであろうか。左手で押さえていると高橋さんがやって来て、上に乗って、
「両腕を思いっきり伸ばして、大声を出してごらん」
 という。これがボディ・ワークか。
「ウオーッ」
 いわれたとおりにしたが、声が小さいという。呼吸をしすぎて、声がすっかり枯れてしまったのだ。
「ウワオーッ」
 もう一度やって、解放してもらった。(本当はもっとかまってほしかったのだが)
 こうしている間も常に意識はしっかりしていて、変性意識状態というのは、ぜんぜん訪れない。途中でトイレに行ってしまったのがまずかったのであろうか。寒かったから近くなるのであった。
 ……。
 ふと意識を取り戻したときは、一体何時間たっていたのだろうか。一瞬呼吸を忘れていたのに気がついた。自分が息をしていないのに生きているという、不思議な感覚だった。水の中にただよっているような、あるいは水に溶けているような感じがあった。それでいて不安感はまったくなく、すごく平和な気持ちだった。
 これは、なんだろう。多分、眠っていたのだろうと思う。でも、あれが眠りだとしても、あんなに気持ちのいい眠りというのは、経験がない。
 音楽はすでにゆったりとしたものに変わっていた。まわりから話し声も聞こえる。アイマスクをとった。「今、何時ですか」
 Dさんに聞くと、始まってから三時間もたっていた。実感では三十分しかやっていないような気がしたのだが。
 ぼーっとしていると、グロフ博士の巨体がやってきた。あったままを話すと、それはいい体験だ、と言ってくれた。
 部屋に戻ってマンダラ・ドローイング。楕円形がみっつ見えた(ような気がした)ので、それを黄色で描いた。ブーンという音が聞こえた(ような気がした)ので、それも描いておいた。
 Dさんと昼飯を食べていると、ブロック外しのためのボディワークがまだ続いていて、ときおりギャーッという叫び声が聞こえてきた。芸能山城組の「恐山」の世界である。なんにも知らない宿泊客が聞いたら、どう思うだろうか。


ふと感じた寂しさは

 午後からはぼくがシッターになる番である。シッターの役割は重要で、あらゆる努力をしてブリーザーを見守り、助けなければならない。自分が呼吸をするより、こちらのほうがいい体験が得られるひともいるらしい。午前中と同じように、グロフ博士のリードでワークが始まった。
 いきなりどこかでギャーという叫び声が聞こえる。うーん、ノリがよすぎるゾ。その点、Dさんはおとなしい。
 見回すと、役目そっちのけで踊っているシッター。女性が暴れている。大の男が三人も四人も押さえつけてもはじき飛ばしてしまうのだから、凄いものである。
 インド音楽をバックに、見事なインド風の踊りを披露している女の子もいる。後ろでは、体重百キロはあろうかという男のひとが高橋さんを肩車してスクワットだ。
 シッターはこんなふうによそ見をしていてはいけないのだが、Dさんがあまりおとなしいので、つい安心してしまうのであった。
 今度も、気がつくと三時間がたっていた。Dさんも、さすがにひと仕事終えたという感じである。まだ叫んだり暴れたりしているブリーザーたちのわきをとおって部屋へ戻り、マンダラ・ドローイングにつき合った。
 夜は隣の部屋の女性軍も呼んで、ビールを飲んだ。みんなの話を聞くと、けっこういろんな経験をしている。自己開発セミナーはもとより、アメリカまで行ってインディアンの儀式ビジョン・クエストに参加したひともいた。ホロトロピック・ブリージングの経験者も女性のほうが多く、最高記録はなんと二十回だった。しかし、それはほとんど中毒ではないのか?
 一夜明けて十四日の午前中、各グループに別れてシェアリングを行った。自分の描いた絵を見せ、みんなの印象を聞くのだ。それを受けて、なにを描いたのか自分の考えを述べる。
 ぼくの「三つの楕円形」は家紋みたいだとかプロペラみたいとか言われたが、自分ではどうもオチンチンとキンタマではないかという気がしてきた。
 トンネルや渦巻きみたいなものを描いたひとが多かったが、紙芝居みたいにストーリーのある絵を何枚も描いたひともいた。
 プログラムの最後はグロフ博士の質問コーナーだった。みんなで手をつないで瞑想したあと、解散。ぼくは同じ部屋だったOさんと一緒に、しばらく散歩してから山を降りた。
 この体験はなんだったのか。
 何か得られたか、変わったかといわれれば、ノー。機が熟していなかったのかも。六、七回は受けなければ効果は出ないという。
 ただ帰ってから二、三日は、ワークのことをよく思い出した。あの場所での、あのひとたちとの、あのときの体験というのはもうないんだと思うと、少し寂しい感じがした。セラピーももちろん重要だが、そこにいるセラピストたちや参加者の持っているものも大きいようだ。


セラピーの社会における位置づけ

 分からないこともある。激しい呼吸を続けると脳にどのような変化があって変性意識状態になるのだろう。その生理的変化がよく分からない。過換気ということは、過酸素の状態になる。ということは活性酸素などが関係してくるのかもしれない。また変性意識状態と出生体験などがどう結びつくのかがよく分からない。
 それにこの方法は、非日常意識になるテクニックとしては、時間がかかるし、体力的にもしんどい。自分の内面に注意を向けるというのも難しい。さらにコンビニエンスな方法はないのだろうか。そうなると、やっぱり薬物に頼らざるをえないのだろうか。
 ぼくが見た(と思った)ものはなんだったのだろうか。あとで『トランスパーソナル・セラピー入門』(吉福伸逸著 平河出版社刊)を読んでいたらグロフ博士が当日話してくれた三つの「意識の作図学」の前段階があって、それは「感覚的障壁の領域」と言われる。そのとき「自分の眼球の構造のようなものが幾何学模様で出てきたりする」「聴覚的にはブーンという音や、チリチリチリとかサラサラサラというような音だとか、とにかく気持ちのよい音が聞こえてくる」と言う。ぼくはその段階で止まってしまったのだろうか。
 最後の溶けるような感じの記述もあった。「分娩前後の領域」の最初に胎児が母親の胎内で大洋感覚に浸かっている状態というのがあって、そのときには「心のなかでやすらぎや安心感を強く感じたり」「ヴィジョンとしては海のなかを漂うようなものが」多いという。
 グロフ博士にいい体験だといってもらって、そのときはうれしかったのだが、ようするにまだ生まれるところまでいっていないということなのだろうか。
 いや、もう考えてもしようがない。あったことをそのまま受け止めるしかないのだ。あの溶けるような感覚、ああいう境地があるんだと思えただけでもよかった。
 最後に一言だけ付け加えるなら、一回だけ受けて、どうなるものでもない。このままでは病院のなかで行われる西洋的な医療となんら変わらないことになってしまう。セラピーも社会のなかに位置づけていかなければ。コミュニティーにとって意味のあることでなければ、ほんとうの癒しはないのではなかろうか。たとえばお祭りのように、集団のみんなが関われるような形も考えられないだろうか。
 あるいはひとりの人間の人生のなかでセラピーがどんな意味を持つのかも重要だ。一種の通過儀礼。
 ところでホロトロピック・ブリージングをもう一度やるかと聞かれたら、機会があればまたやりたいと答えるだろう。もしかしたら、次はもっと凄いコトが起きるんじゃないか。そんなほのかな期待感があるのは事実だ。


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