POP workshop





text by Michael Shakson


 93年12月1日、アメリカはオレゴン在住のセラピスト、マックス・シュバック博士を招いて行われた「プロセス指向心理学」のワークショップに参加した(於・三鷹の上五会館 主宰はC+Fワークショップ)。
 プロセス指向心理学(Process Oriented Psychotherapy=POP心理学)とは、ユング派の心理学者アーノルド・ミンデルが開発したセラピーの技法だ。ミンデルはニューヨーク出身。マサチューセッツ工科大学で物理学の学位を取得するが、その後スイスに移り、チューリッヒのユング研究所で心理学の博士号を取っている。
 当初は正統的なユング派のセラピストだったが、次第に言葉のみによるセラピーに飽き足らなくなり、70年代の初めごろから身体の動きも含んだワークを行うようになった。
 たとえばクライエントの無意識の動作に着目し、その動作をどんどん拡大していくことによって、意味を探っていく。ここでは身体症状は病的なもの、抑えるべきものではない。それはあくまでクライエントの内部で進行しつつある「プロセス」の現れであり、逆にそれを利用して癒していこうという考え方だ。いわば心の自然治癒力を頼りにしたセラピーであり、その意味では東洋的なセラピー技法と呼んでもいいかもしれない。
 もうひとつ、POPのユニークな点は、個人の心理的身体的な問題だけでなく、対人関係の問題をも視野に入れているところ。そのためグループによるセラピーが重視されることになる。
 と、ここまで書いて、ずいぶん肩に力が入っているのに気がついた。それだけPOPがよかったということなのだが、もうちょっとリラックスして、ふだんのペースで書いてみたい。


ハイ・ドリームとロー・ドリーム

 ぼくにとってPOPは初めての体験。POPが面白いという話は、昨年ミンデルが来日したときの参加者にインタビューして聞いていたが、ミンデルの著作が一冊も翻訳されていないし、POPについて解説した文献もほとんどないのが現状だ。その分、新しいものに出会えるという期待感も大きい。
 今回の参加者は20名ほど。男女の比率は半々くらいである。まず最初にC+F主宰のティム・マクリーンさんがマックス・シュバック博士を紹介。マックスが得意とするのは「関係性」のワークで、今日も人間関係の問題がメイン・テーマになるだろうとのこと。 続いてマックス・シュバック博士が挨拶。フランスの俳優セルジュ・ゲーンズブールにも似た、ギョロリとした目の渋めのおじさんだが、笑うと、子どもみたいな笑顔になる。「日本における人間関係の問題、夫婦の問題に興味があり、それが身体症状とどう関わってくるか考えたい」という。
「今日はまず2〜3時間かけて、人間関係についてのワークを行います。ただ私は日本人についてあまり知らないので、直観的に進めていきたいと思います」
 立ち上がった彼はホワイトボードに字を書きはじめた。クセのある字だ。


     relationship

  communication

    intended    trances

  unintended      dreaming process  

      double signal

 関係性というものをコミュニケーションという視点から見ると、意図したもの・意図せざるもののふたつに分けられる。これをダブル・シグナルという。嫌いなひとと道で偶然出会ってしまったとき、口ではしゃべっていても身体はそのひとから離れようとしていることがある。この場合、身体の動きが意図せざるシグナルを発していることになる。
 またPOPによれば、人間のこころには「ドリーム」と名付ける意識と無意識の流れがあり、比較的高揚している状態のハイ・ドリームと落ち込んでいる状態のロー・ドリームに分けることができるという。


夢を登りつめる

 ここで実際のエキササイズに移る。手順は、以下のとおり。

  a すでに終わってしまった人間関係をひとつ取り上げる。
  b それについてのハイ・ドリームを見つける。
  c それを極限まで高める。
  d ロー・ドリームを見つける。極限まで低める。
  e それが今日の人間関係にどのような影響を及ぼしているか、考える。

 ぼくは隣に座っていた男性(20代半ば?)と組んで、やってみた。
 まず a だが、いろいろ迷ったが、小学校から高校まで一緒に過ごした男の友達とのことを選んだ。彼とは家が近かったため、小学校2年から高校1年くらいまでほとんどの時間を一緒に過ごした。だが大学受験が近づくにつれて疎遠になってしまい、高校卒業後はたった一回、道で偶然会っただけ。彼がどこでどうしているのか、今でも気になることがある。
 b のハイ・ドリームというのは、割と簡単に思い出せた。ふたりで遊んだ時間はほんとうに楽しかった。朝早く起きて川へ釣りに行ったり、フォーク・ギターを弾いたり、ノートに漫画を描いたり。音楽は泉谷しげる、漫画は本宮ひろしがヒーローだった。泉谷は今ではヘンなおやじとしてけっこうメジャーだけど、そのころぼくらのまわりはビートルズ・ファンばかりで、泉谷を知っているひとさえ少なかった。
 中学では同じ剣道部で、毎日二回、朝晩稽古していた(防具を干すことなどめったになかったので、まわりの人間はさぞ臭かっただろう)。けっしてそれ一筋に打ち込んでいたとは言えないけれど、自分から進んで体を動かしていたなんて、今思うと驚く。
 ところで、書いておきたいのは、こういうワークショップの場だと、こんな個人的な話でもパートナーは真剣に聞いてくれる。この点だけでも価値があると思う。
 このハイ・ドリームを極限まで高める段階が難しかった。どの時間もそれなりに楽しいのだが、これ!といえる瞬間が見つからないのだ。なかなか夢が頂上までいかない。
 d のロー・ドリームはすんなり出てきた。ぼくたちはふたりだけでいるときは楽しくてしょうがないのだが、ふたりの間に第三者が入ると、とたん面白くなくなる。ジェラシーが生まれてくる。男同士なのに、一対一の関係じゃないと我慢できないのだ。
 一番のロー・ドリームは、剣道の稽古中に喧嘩になって、それ以降ほとんど口をきかなくなってしまったこと。最初はそのうち仲直りするだろうと思っていたのだが、次第に時間がたち、ふたりの方向性が全然違ってしまった。ぼくは大学受験コース、彼は就職コース。そんな高校の仕組みも、ぼくたちの接点を奪うのにひと役買っていた。
 e だけど、今でもこれとまったく同じことを繰り返しているような気がする。たとえばインタビューの仕事などでも一対一ならなんとかなるけれども、3人以上だと、うまく話せない(だから対談は苦手、というのは言い訳か)。
 さて、パートナーの彼は、高校時代のガールフレンドとの関係について語った。プライベートな問題でもあるので、ここでは書かないが、彼もうまくハイ・ドリームを見つけられないようだった。


ふたりで、どんなことができますか?

 参加者がひととおりエクササイズを終え、また輪になった。マックスがプロセスが終わっていないと思うひと、もっとやってみたいひと、と声をかけたので、ぼくも手を挙げた。結局4人の男性がみんなの前で、直接にワークをやってもらうことになった。
 最初は30代くらいの男性が、かつて傷つけてしまった女の子のことをワークした。彼女のほほに両手をそえてキスをしている場面を再現した。マックスが尋ねた。
「そのジェスチャーをしてみて、どんな感じがしますか」
「なにか大事なものを、持っているような……」
 その瞬間、彼の表情がぱっと明るくなった。「娘です」と彼。家族がどんなに大事なのか、そのとき気づいたようだった。見ているこちらが、感動するような光景だった。
 次はぼくのパートナーだった男性の番だったのだが、トイレに立ってしまったので、ぼくが先にやることになった。
 最初に、小学校のころの男友達との関係だと話すと、
「それはとてもいい。誰でも、子ども時代のいい思いでを持っています」
 といってくれた。なんだか励まされたような気がして、彼と一緒に釣りをしたこと、マンガを描いたこと、剣道をしたことを話した。
「では一番のハイ・ドリームはどんなことですか」
 とマックスが聞くので、それがよく分からないんです、と答えた。するとマックスは、「これはあくまで想像なのですが、あなたたちふたりは戦士です」
 という。もちろん、ぼくたちが剣道をやっていたということから来た連想だと思うが、ぼくにとっては戦士という言葉はピンと来ない。でも次の言葉はとんでもなかった。
「もしもふたりが力を合わせたら、どんなことができますか」
 そう聞かれた瞬間、いろんなことがものすごい速さで頭のなかを横切った。そのなかで一番スゴイことは……。ぼくは答えた。
「人と人との壁を無くすることができると思います」
 マックスは「それは素晴らしい」といい、「あなたはセラピストですか」と聞くので、「編集者です」と答えた。
 でも編集者の仕事とは、まさにそういうことではないか。書きたいひとと書きたいひとを集めて壁を取り払う。書き手と読者の壁を取り除くことじゃないのか。
 そう考えたとたん、涙がじわーっと出てきてしまった。今すぐにでもその仕事ができるじゃないかと思うと、子ども時代の彼との関係も決してダメな関係ではなかったと思えてきた。あとはマックスに感謝の言葉を言うのが精一杯だった。
「ふたりの力でなにができますか」と聞かれたとき、ぼくの内側でなにかがじわーっと動いた。あの関係を、今までそんなふうに肯定的に考えたことがなかったのに、マックスの言葉が引き金になって、プロセスが登りつめたかのようだった。
 結局ロー・ドリームのことは話さなかったが、もう話すまでもないことだった。マックスはセラピストとかカウンセラーというより、人生で励ましよきアドバイスをしてくれる先輩という感じがした。


生きることとプロセス

 そのあとぼくと一緒にエクササイズをした男性がワークをした。彼は自分のロー・ドリームについて話すのを拒否したが、マックスは、
「では、動きで表してください」。
 マックスが体を動かすと、相手もだんだん乗ってきていろんなゼスチャーが出てきた。「あなたはひとのバランスを崩すようなことをして、そのひとはなんのためにいるのか気づかせてくれるトリックスターかもしれない」
 マックスの言葉に、彼も満足したようだった。
 面白いことに、この日マックスから直接ワークをしてもらったのは男性ばかりだった。マックスは男に好かれる男なのだろうか。
 POPにはひとつの形というものがなく、なにかのきっかけでどんどん展開していく。ぼくの場合は言葉だけによるものだったが、クライアントのちょっとしたしぐさ、目の動きからでもプロセスは始まる。そのぶんセラピストの目の確かさが重要になる。
 プロセスが展開する様は、見ていても面白い。遊んでいるようにも見えるが、それだけ創造性を開発するという方向でも応用が効きそうだ。もちろん、実際の対人関係で使えそう。インタビューのときなど、相手がほんとうのところなにを言いたいのか、なにをしたいのかを引き出すテクニックとしてもかなり有効になりそうだ。さらに、人生=プロセスを考えると、ある人間の一生をPOPの立場から捉えなおすことも可能だ。POPがどんな人間観、人生観を生み出すのか、興味があるところだ。
 さて、今回のような自己成長を求めるワークショップでは効果はある程度期待できるが、実際に臨床ではどのような効果を上げているのだろうか。この後、POPのセラピストとして活躍中の藤見幸雄さんが、既成の精神医学の世界ではなかなか受け入れられないことを訴えていた。まだまだ壁は厚いようだが、少しずつ実績を作っていくしかない。
 ぼくはPOPを応援するつもりだ。


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