ティク・ナット・ハンのきもち

マインドフル・プロジェクト事務局長 中野民夫

中野民夫さんは博報堂に勤めるバリバリの広告マンですが、いっぽうではオルターナティブな世界にかかわる幅広い活動を展開しています。この原稿はティク・ナット・ハン来日を控えて、関西気功協会の津村喬さんが出していた雑誌『地球のきもち』に94年の暮れから連載されたものです。


一枚の紙と雲とは「インタービーイング」


 いま欧米で信望を集めているベトナム出身の仏教者ティク・ナット・ハンを、来年の春に日本に招く準備が進んでいる。わかりやすい言葉と具体的な実践法で、社会に関わり行動する仏教のエッセンスを今に蘇らせる地球時代のスピリチュアルリーダーだ。彼が暮らすフランスのプラムビレッジのこの夏のリトリートには、世界中からのべ千人が参加したという。来年の関西での企画には、この秋から読書会を始める津村さんとたかのかずこさん、そして地球市民企画室も協力して下さるとのこと。来日に向けて、より多くの人に彼の人となりと世界をご紹介すべく、今回からしばらく連載させていただく。


「もしあなたが詩人であるなら、この一枚の紙の中に、雲が浮かんでいるのを見るでしょう。」
("PEACE IS EVERY STEP." Bantam 1991)


 ティク・ナット・ハンは、日本で有名な「般若心経」の解説をこんな風に始める。平易な英語で書かれたこの本("The Heart of Understanding." Parallax Press 1988)の冒頭を、5年ほど前バークレイのシャンバラ・ブックストアで目にした。「一枚の紙に雲を見る?えっ、どういうこと?」思わず目が釘付けになった。


 雲がなければ雨はないでしょうし、雨がなければ木は育ちません。そして木がなければ私たちは紙を作ることができません。紙が存在するためには雲はなくてはならないものなのです。もし雲がなければこの一枚の紙も存在できません。ですから、雲と紙は『相互存在(Interbeing)』していると言うことができます。


 なるほど、そういうことか。そして一枚の紙に雲を見る感受性はそこに留まらず、さらに深く様々なものを見いだしていく。紙の中に、森を育てる太陽の光を見る。木を切りだした木こりを、その木こりを養ったパンを、パンの原料となった小麦を見る。木こりを育てた両親やその先祖たちを見る。さらには、その紙を知覚している自分自身をも見いだしていく。こうして、時間、空間、大地、雨、鉱物、陽光、雲、川、熱、あらゆるものがこの紙と共に存在していることを知る。


 「存在する(to be)」ということは、「相互存在する、共に在りあう(inter-be)」ということなのです。あなたは、あなた一人だけで存在することはできません。


「インタービーイング(Interbeing)」 という言葉は、ティク・ナット・ハンの重要なキーワードの一つだ。あらゆる物事は他から切り離されて単独であることはなく、多くのことと相互に関係しあい依存しあって存在している。そういう在り様を、彼は"inter"(相互に、間に)という接頭語と"being"(存在する)という動詞を組み合わせて"inter-being"という新しい造語で表現する。

 この言葉を、日本での今のところ唯一の翻訳書『ビーイング・ピース』(壮神社1993刊)の訳者棚橋一晃さんは「相互存在」、独自に前述の般若心経の解説本を訳した法玄さんは「相互(とも)に在り合う」、武田智亮さんは「不可分存在」と訳していて、それぞれ含蓄が深い。

 もともと日本語の中では、「おかげさまで」という表現で、共につながりあい支えあって在ることの肯定面を感謝してきたのだと思う。今や様々なつながりが断たれ、その感覚は薄れてきた。

 しかしインタービーイングしていることはありがたいことだけではない。地球規模で水や空気や食物が汚染されてしまった現在、自分だけの健康や安全はもうありえない。環境の危機が、私たちが皮膚に囲まれた閉じた存在ではなく、環境と不可分な存在であることを思い起こさせる。さらにこの目で深く見れば、私たちの暮らしぶりが、南の国々の環境破壊や貧困、そして戦争とだってつながっていることも見ざるを得ない。

 ティク・ナット・ハンは、こんな現代を生きる私たちにどんな道を示してくれるのだろうか?


静かな瞑想よりサンガ・ビルディング
(コミュニティづくり)


 ベトナム出身の仏教者ティク・ナット・ハンの暮らす南仏のプラムビレッジのリトリートに、この夏参加した仲間の話で印象的だったのは、「人数を制限せずに受け入れる」という原則と「子どもを瞑想のじゃまにしない」という話だった。

 「早朝から座禅や読経、午前中には法話や歩く瞑想、午後は作務やお茶会、夕食後も儀式や座禅で就寝」という一日のスケジュールを聞くと、禅宗の集中修行である「接心」の張りつめた日々を思い起こすが、実はずいぶん違うらしい。欧米人とベトナム人に分けられた二つの村には、夏の間家族ぐるみの人々も含め施設の収容能力をはるかに超えた4〜500人がテントを張って滞在しており、静かな瞑想会というよりキャンプ・インのような様相を呈していたという。それもそのはず、もともと数十名程度の宿泊施設しかないところに、縁あって来る人は拒まず「制限なし」で受け入れるのが基本方針であり、ここ数年は特に人気の出たアメリカからの参加者が急増して人があふれるようになったという。

 どうやら物音ひとつしない静かな禅堂で座禅にふけると言うよりは、「縁あって集った仲間たちと共にどういうコミュニティ、学びの共同体(サンガ)を創り出していけるか」ということの方が中心的な課題になっているのだ。「お金を払ったのだからそれに見合うものを一方的に与えてもらおう」という日本にありがちな受け身的な姿勢はない。自分が、数百名の食事を作るチームに参加したり、掃除や皿洗いをしたり、子どものためのプログラムに折り紙など自分のできることを提供したりして、法話や瞑想に参加できなくなってさえ自分たちでリトリートを創り出していくのだ。自分の思いや行動が、そのコミュニティをどういうものにするか密接に関わってくる。自分一人の力で社会なんか変えられない、と思ってあきらめがちな私たちが、自分の一歩が全体に影響を与える体験を積んでいくのは貴重なことだろう。

 また、そこではコミュニティの重要な成員である子どももじゃまにされるどころか重要な役割を果たす。ティク・ナット・ハンは法話の初めのしばらくは子どもたちに語りかける形で始める。そして10数分もして飽きてくると外に遊びに行かせて、それから大人に向けて語るという。歩く瞑想でも彼は子どもたちを先頭に立てて、子どもたちと手をつなぎながらゆっくりと一歩一歩を味わう。瞑想と子どものにぎやかさはどう考えても対立しがちだが、もし子どもをじゃまにするならばそもそも何のための瞑想なのか。瞑想がもともと自己を明らかにし平和の器となるための手段だとしたら、家族や次の世代を置き去りにして大人それも男だけが瞑想にふけるのだったら一体何のための瞑想なのか。こういう点をティク・ナット・ハンはきちんと押さえている。


 良いコミュニティの基礎は楽しくて幸せな日常生活にあります。プラムビレッジでは、子どもたちが中心にいます。大人は誰でも子どもたちが幸せであれるように努力しています。なぜなら、もし子どもたちが幸せなら、大人たちが幸せになるのはとても簡単だからです。(中略)気づきの生活(Mindful Living)のコミュニティとは、伯父や叔母やいとこのような関係で訪ねあうことができる場で、かっての大家族に代わるものです。様々な景色や鐘の音や建物さえも気づきに返ることを思い出させてくれるような場に、誰もが属する必要があります。
("Peace is Every Step." Bantam p.89)


 来年の5月、ティク・ナット・ハンの一行を招き講演会や4〜5日のリトリートを行うべく準備を進めているが、人数制限をせずみんなで共に創り出したり子どもをじゃまにしないリトリートをこの日本でどの程度やれるだろうか。実にやりがいのある課題である。


マインドフルネス=「いま」の「こころ」


 東京で働く会社員の一人としてあわただしい生活を送っていると、いつも何かしたり、何か考えたりしていないと落ちつかなくなる。電車を待つわずかな時間も持て余し、満員電車の中では中吊りの週刊誌の見出しを何度も読み、駅に着けば約束の時間に遅れるのを気にしながら前のめりに走り出す。どうも都会はせわしない。心の中はいつもいつも「忙しい」。しかし、忙しくしているのは一体誰なのだろうか。「時」は決して走ってはいないのに。


 私たちは、自分が生きることができる唯一の瞬間であるこの今の瞬間に生きているのだ、ということをなかなか思い出すことができません。呼吸の一息一息、歩く一歩一歩を、平和と喜びと静かさで満たすことはできるのです。そのためには、この現在の瞬間に生きているのだ、ということに目覚めさえすればいいのです。
("Peace is Every Step."より)


 私たちの「心の中のおしゃべり」は、饒舌でなかなか黙らない。いつも過去の未処理の問題や、未来の心配事や期待で心を一杯にしてしまい、今ここを生きることを妨げる。「今」を生ききることなく未来の夢に生きていても、その未来の時が来たらそれはその時の「今」になる。あるのは常に「今」だけだ。だから「今」を生ききれずに、期待していた「その時」を迎えても、結局また存分に生きる瞬間を逃して先送りのパターンを繰り返すのだろう。それでは満ち足りた至福の時は、一体いつどこで実現するのか?ティク・ナット・ハンは言う。「幸せは、この今の瞬間にしかあり得ない」と。

 心ここにあらずになりがちの私たちを、今ここの瞬間に連れ戻すティク・ナット・ハンの教えのキーワードが「マインドフル」だ。「マインドフル」とは、「今この瞬間に起こっていることに目覚めていること」「自分が今やっていることを知っていること」。その瞬間に注意深く目覚め気づいていることだ。カリフォルニアで参加したリトリートで、彼は「マインドフルネスとは漢字でこう書きます」と言って、「念」という字を書いた。そして、この字を真ん中で上下に分けた。するとびっくり、「今」の「心」となるではないか!「マインドフル」=「念」=「いま」の「こころ」か。なるほど。

 このような気づきを深めるための彼の最も基本的な瞑想法は、呼吸しながらこう心の中で繰り返す。


 息を吸う、私は自分が息を吸っているのを知っています。
 息を吐く、私は自分が息を吐いているのを知っています。


 これだけだ。(ぜひちょっと止まって目を閉じてしばらくやってみて下さい...)  ティク・ナット・ハンが現代の欧米で人気がある理由のひとつは、普通の日常の中で気軽にできる具体的な瞑想法を数多く教えてくれるからだ。先のように意識的に呼吸することに始まり、座禅のように座ってやる瞑想、目的地を持たずにただただ歩くことを楽しむだけのウォーキング・メディテーションや、ひとつぶのみかんを味わったり黙って食べることに集中するイーティング・メディテーション、そしてお皿を洗うことまで瞑想にしてしまう。さらには職場での電話のベルや渋滞の中の赤信号さえ、自分自身に還るための「気づきのベル」として使いなさいという。

 わが家では彼の方法にならって、そろって食事を始める時に、まず目をつぶってゆっくり3回深呼吸し、それからお互いににこにこ微笑みあってから「いただきます」をする事にしている。7才と2才の子どももそれなりに神妙にやっている。一人静かに瞑想する時など持てない私にとっては、大変貴重な瞬間だ。

 マインドフルネスを深め、永遠の今ここを生き尽くしたいものだ。


息を吸って身体をゆるめ、
息を吐いてにっこり微笑む。
いまこの一瞬に深く在って、
すばらしい瞬間だと知る。


「関わり行動する仏教」(Engaged Buddhism)


 ティク・ナット・ハンの仏教は、ベトナム戦争の激しい戦火の中から生まれた。欧米では、ダライ・ラマの教えとともに「行動する仏教」と呼ばれ、自らの内なる平安を求めるだけでなく、社会の厳しい現実に積極的に関わり行動していく実践的な側面を強く持つ。「自分」と「世界」を統合しているのだ。寺と書物の中に自閉することの多い現在の日本の仏教とは対照的だが、彼のこの姿勢はどこから生まれたのだろうか。


 私がベトナムにいた時、たくさんの村が爆撃されていました。私は、寺の修行の仲間たちと一緒に、どうすべきか決断に迫られました。寺の中で修行を続けるべきか、それとも爆撃に苦しむ人々を助けるために禅堂を出るべきか。よくよく考えた末、私たちはふたつのことを両方することに決めました。つまり、寺を出て人々を助けることと、気づきや注意深さ(マインドフルネス)の中で行動することです。そしてこれを「関わり行動する仏教」(エンゲージド・ブディズム)と呼んだのです。マインドフルネスは関わらずにはいられません。ひとたび「見る」ことができたなら、「行動」が伴わずにはいられません。もしそうでないのなら、何のための「見る」ことなのでしょうか。
("Peace Is Every Step" Bantam 1991 p.91より)


 こうして自らと社会に関わり「行動する仏教」が生まれた。戦乱のまっただ中で、南北どちらにも組みせずに戦争集結のために発言し行動することは、双方から「敵」視され、多くの同僚が虐殺されたり、彼の部屋にも手榴弾が投げ込まれたりしたという。焼身自殺で抗議する仲間もいた。1966年には欧米に赴いて各国で平和の即時回復を訴え、マルチン・ルーサー・キングら多くの人に感銘を与え、ノーベル平和賞候補にも推薦された。パリ和平交渉ではベトナム仏教者の代表をつとめたが、73年の調印後、その影響力故に政府からは帰国が許されず、以後今に至るまで亡命を余儀なくされている。そのままフランスに仏教コミュニティを作り、仏教の指導や難民の救済活動を続け、現在のプラムビレッジへと発展してきた。80年代からアメリカを隔年で訪れ各地でリトリートを開き、英語の本も20冊以上出版され、各分野の多くの人々に大変高い評価を得ている。

 彼はかって一度日本に来ている。70年に京都の世界宗教者平和会議に参加して、スピーチしたのだ。その写真を最近見る機会があった。なんと両手を組んで仁王立ちし、大変厳しい表情で演説している。まさに闘う仏教者の激しい風情である。ああ、今は限りなく柔和な師も、こういう時代を経て今があるのか、と深く感銘を受けた。

 プラムビレッジでの難民救済の活動の様子は、次の一節からもうかがえる。


 ある日私たちは、小さな難民ボートの少女がタイの海賊に強姦されたという手紙を受け取りました。彼女はまだ12才でしたが、彼女は海に飛び込んで自殺してしまったのです。このようなことを初めて聞くと、誰でも海賊に激怒します。当然少女の側に立ちます。しかしもっと深く考えると、違った風に見えてきます。(中略)私は瞑想の中で、自分がその海賊の村で生まれ、彼が置かれていたのと同じ境遇で育てられたなら、私がきっと海賊になっていただろう、と気づきました。シャム湾沿岸では毎日何百人もの子どもが生まれます。もし、私たち教育者や社会的な活動する人や政治家などが、この状況に対して何かをしなければ、25年後にはこの子たちの多くが海賊になってしまいます。
(前掲書p.122)


 自分の中に海賊を見、少女も見る彼はまた、蛙やそれを食べる蛇を、飢餓の子どもと武器商人を、独裁者と収容所で死んでいく者を、自分として見いだしていく。こうして彼の詩の中でも有名な「私の本当の名前で呼んで下さい。」という詩が生まれた。

 平和のために意味ある仕事は、「非対立」の原理と「深く見通す」ことが必要だ、とハン師は別のところで語っているが、問題を深く見据え、表面の対立を越え、こういう悲劇そのものを生み出してしまうより根元的な問題に取り組んでいこうとするのだ。


プラム・ビレッジにて


 春の招聘の打ち合わせのために、ティク・ナット・ハンを中心とするコミュニティ「プラムビレッジ」を南仏に訪ねた。パリから高速TGVで約3時間、ボルドーの手前のリボーヌという駅で各駅に乗り換え、約40分の片田舎の駅から、さらに車で約20分。ゆるやかな起伏を繰り返す丘陵地帯のブドウやプラムの畑が広がる美しい田園の中に、その素朴な仏教共同体はあった。女性を中心とするロウアーハムレットと、男性を中心とするアッパーハムレットに分かれている。

 乗り換えた列車の車中で、ドイツから帰ってきた日本ツアーの担当者ジーナと一緒になり、迎えの車でアッパーハムレットまでたどり着く。写真で見たリンデンの木やホールがあるが、予想外に素朴で質素な第一印象。神戸の被災地を見てきた目には、石を積み上げてコンクリートや泥で固めただけの壁はあまりに弱々しく見える。しかし、地震のないフランスの田舎の小屋の最も素朴な作り方なのだろう。

 行き交う人は、みなゆっくり歩いている。誰かと出会うと、合掌してお辞儀をしてにっこり微笑み合う。ぼくもそのように一人一人に迎えられた。ここには約35人が暮らしていた。6割がヴェトナム人の若い僧侶達だ。80年代に、本当に命を賭けてボートピープルとして祖国を脱出し、香港などに流れ着き、カナダなどに定住していたあと、縁合って祖国の仏教の師ティク・ナット・ハンのことを知って、ここへ来て出家した若者が多い。みな、きりっとして、にこやかにいきいきと暮らしている。また、ヴェトナムから直接ここへ修行に来ている僧たちもいる。その他の半分近くは、アメリカ人やフランス人やドイツ人などの僧と、冬のリトリートに参加している世界中からの訪問者だ。

 食事などは交代で作る。西洋とヴェトナム料理のミックスでなかなかおいしい。もちろん完全な菜食だ。豆腐や全粒粉のパンなどはここで作っている。食事ができると、鐘が鳴らされ、キッチンで順にお皿とお椀によそって2回の食堂へ上がる。皆がそろうのを待って、ベルが3回鳴ると、しばし合掌し、沈黙のまま食べ始める。初めの20分は沈黙で、一口一口50回くらいは噛んで味わって食べる。実にこれが味わい深い。20分たって鐘が2回鳴ると沈黙が解除され、ある仕事に必要なボランティアを募ったり、様々な連絡事項や新しく来た人の紹介などがヴェトナム語と英語でなされる。食器は効率的に並べられた5つのたらいを流れながら自分で洗う。

 正式な鐘だけでなく、電話のベルや時刻を知らせるチャイムがなると、皆やっていることを一斉にストップして、静かに三呼吸ついて自分自身に戻る。これもなかなかいい。マインドフルネスを忘れて、あわただしくしかけているときに、これが入ると忘れない。

 一日の始まりの朝は、6時に起床の鐘の音。真っ暗な6時半からトランスフォーメーションホールでのシッティング・メディテーション(座禅)に始まる。短いお経のあと、約30分の座禅を2回。間でゆっくり堂内を一周歩く。英語とヴェトナム語でお経を読んで終わる。

 冬の間、木曜と日曜の朝はティク・ナット・ハンのダルマトーク(法話)があったが、それ以外の午前中は、いくつかの仕事に分かれてワーキング・メディテーション(作務)。それから一歩一歩呼吸と共にゆっくり歩くウォーキング・メディテーション(歩く瞑想)。合間はそれぞれ自由に過ごしている。

 ぼくは5日間の短い滞在の毎日、連日ジーナさんと3時間以上の打ち合わせに明け暮れたが、帰る前の日が日曜日でようやくタイ(「先生」の意。ティク・ナット・ハンのことをこう呼ぶ。)に会えた。ロウアーハムレットで総勢80人くらいが輪を作って歌など歌って待っていると、タイがひょこっとやってきて、今日はこっちかな、という具合でゆっくり歩き出す。皆が後に従って、ウォーキング・メディテーションが始まる。美しい田園の小径を一歩一歩味わうように歩く。数十分歩くと、タイはひょいとプラム畑の中へ。何が始まるのかな、と待っていると、なんとおもむろに両手を上げてゆっくり下ろす運動を始めた。まさに太極拳の起勢である。前・横・上などに上げたり伸びたり、足を片足づつ上げて回したり、まさに気功のような運動を15分ほど。そして、また来た道を戻り始めた。

 帰ってひと休みすると、普段の食堂がダルマトークの会場に。イヤホンが半分の席に配られ、タイのヴェトナム語の法話が英語とフランス語に同時通訳される。この日は、一番前の席でごく間近に聞いたが、A・B二人の人間関係のこじれに第三者のCがからむときのやっかいな問題点について話していたようだが、ささやくような英語の通訳ではほとんどわからず残念だった。

 法話のあと、皆の合掌の中をうやうやしく退室していったが、せっかく来て全く直接話さないのももったいないと思って、勇気を出してあとを追って話しかけると、日本で準備を進めている者だとすぐ分かって、「来なさい」といきなり腕をとって裏のご自分の部屋に連れていってくれた。恐縮しながらも、日本の状況や神戸の地震のことなど話す。「日本の人は今さら「仏教」を習いたいとは思っていないのでしょうから、話のタイトルはわかりやすいものにしなければなりませんね」、とか、非常にさばけている。非常に普通の方で、本当にほっとする。師を思うジーナさんの要求が結構厳しくて参りかけていたが、直接会ってよかった。

 帰りにパリに戻ると、そこは別世界。ビルと車と人と喧噪。けたたましく行き交う車と人、人、人。綺麗なショッピングウインドウ。長蛇の列をなすオペラや美術館。地下鉄の中で「愛の賛歌」を吹くイスラム系の人。一駅の間で人形劇を見せる若者。世界中からの人生のドラマが渦巻いている街。

 一方で、あの片田舎の石造りの小屋で、ヴェトナムや欧米の若者が朝暗い内から静かに瞑想している。お互いがお互いの気づきを助け合うべく存在しあっているサンガ。あの一瞬一瞬を大切に生きる感じは、都会の生活に戻っても忘れないでいたい。


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