浦和レッズ観戦の思い出

1 Jが始まった年、駒場がまだ1万人ぐらいの収容能力しかなかったため、なかなかチケットを入手できなかった。おかげで改修工事が終わるまで駒場で試合を見たことがなかった。Jが始まる前に見といて良かった。開幕前年(ナビスコカップ)に決して悪くない成績で終わったことがレッズに受難の時代をもたらしてしまった。

2 やはり始まった年、全然勝てなかった。特に点がとれなかった。しかも、アルゼンチン・トライアングルなんて言ってたのに開幕したら2人いなくなっていた(笑)。

我々は駒場での観戦をあきらめ、鹿島まで観戦しに行くことにした。サッカー専用スタジアムとして出来ていただけあって素晴らしい競技場だった。それよりもレッズ以外でこんなに熱心に応援しているチームを見て感心した。(現在もしっかり地元に根付いたチームである)老いも若きもってかんじである。

試合でことが起こった。思いっきり久しぶりに福田選手が点をとったのである。サポーターも大喜びだったが、選手も大喜びだった。我々も浮かれてやったーとばかり喜んでいると突然、鹿島側(あのアルシンド選手)がキックオフして、大喜びして集まっているレッズイレブンを後目に一気にゴールしてしまったのである。そう、レッズは全員自陣に戻って集まって喜んでいたのである。内容も今とは比べものにならないぐらいお粗末だったし、こいつらプロじゃねぇと思った。案の定レッズは負けた。そして万年最下位で、Jのお荷物球団とさえ言われていた。

3 ともかく、名古屋グランパスエイトには相性が悪い。そして何故かグランパス戦のチケットをとく手に入れていた。そしていつも負けていた。共に最下位争いを続けたチームではあったが。よくグランパスのサポーターに馬鹿にされたものである。レッズは1ステージに2勝するぐらいで、それを見るのは本当にラッキーといわれたものだから。1994.5.7 せっかく勝てそうな試合にもかかわらず、エリベウトン選手の超ロングシュートを決められ負けた。国立競技場だったので、帰りの長かったこと。この試合の入場の際、前の試合で発煙筒を使った馬鹿者のために今後そういうことがあったら国立を使わせないというチラシをもらった。サポーターにとっても転換点の時期だったのかも。その2ndステージにギド・ブッフバルト選手、ウーベ・バイン選手がやってきた。共にドイツ代表。ここでやっとレッズも何かが変わろうとしていた。本物のプロになるための。

4 今思っても駒場よりも大宮サッカー場の方がサッカーを見るのはいいと思っている。やはり駒場は陸上のトラックの分遠いのだ。ただ近かった分グランドにも降りやすかったということもあった。自由席なんて段差が全然なかったから。だから、清水エスパルス戦のとき、シジマール選手(GK)が試合終了の時レッズサポーターに何か言ったらしく、レッズサポーターがグランドに入って大騒ぎになったこともあった。そのときはたまたま指定席で観戦していて、何が起こったかわからなかった。近すぎるのも問題なのかな。

つづく...はず