(またはマックと私のパラダイス)

(何故にマック愛好家になりえたのか)

第1章 苦悩の日々(MSとの葛藤の日々)

第1部

 実は初めて買ったパソコンはE社(プリンタで有名な)の98互換機でした。まだE社チェックと言って、N社が互換機を認めないために98ソフトをそのまま使えなくするチェックを付けていた時代の話です。まだMS-DOS5.0で、ちまたでは今、慶喜のもっくんが「WINDOW!WINDOWS!WINDOWS!」と叫んでいました。なぜそれを買ってしまったかと言いますと、周りに98ユーザーが大勢(今も)いたからでした。F社はそのころTOWNSなんざ作っておりました。選択としてあとはもちろん、マックもありましたが。ただ、周りにいないため何かあると不安だったのです。当時会計部門におりまして、確かに財務会計はちゃんと端末で処理できるようになっておりました。ただ、端末(パソコンとはいえない)ですので、こんな処理が必要だなと思ってもその管理をしている会社に依頼して作ってもらわなくてはならなかったのです。そこで技術者の人がつかっていたLOTUS123を見たのです。おお、これはいい、自分で作れる。それに麻雀ゲームなんかもできるし、当時ファミコンでやっていた「三国志」なんかもできる。迷いもなく秋葉に行ったのはいうまでもありません

第2部

 確かに買ってしまいました。職場で使うからモノクロのノート型を買いました。そこから苦悩いや、地獄を見てしまいました。インストールするのに入れ方がわからない。なに、ディレクトリだ。わけがわからず、先輩に頼んで入れていただきました。ゲームを買ってきても入れ方がわからず、HELP!。使っていても「コマンドが違います」とつれない返事。たたき壊してしまおうしたのは1度ならずありました。俺は文系だ!理系じゃないぞ!!でも、その期間はわずかでした。WINDOWS3.1がその悩みを解決してくれるはずだったのです。

第3部

 フロッピーにして25枚(確かな記憶ではありません)でおよそ半日かかりました。当然自分ではできませんでした。そう、これで自由に使えるはず。そう思ったのですがそれはある一言で夢と消えました。「ディバイスどうする。コンフィグシス。オートバットエグゼ。」等々。なんのこっちゃ。バイオスとか、メモリーの領域だとか。しまいに「メモリー足りないぞ。どうする。」また金が...。秋葉に行き探してみるとたくさんの種類のメモリーが。で、E社のものに使えるのは最高で4Mのみ。仕方がないのでそれを買って付けました。なんとかぎりぎりで動いてました。ああ、やっと使える。そんな安堵感は長くは続きませんでした。

第4部

 確かに勉強不足でした。でも、マシーンをいじりたかったわけではなく、ソフトを動かしたかったわけです。トラブルは次から次へと続きます。正月家に持って帰ってゲームでもしよう、なんて言ってうちに帰ると動かない。設定が吹っ飛んだようです。結局家では使えず職場に正月明け持ってきて直し。次は123R4Jで良くあった「一般保護エラー」。せっかく何日もかけて作った書類が一瞬で白紙に。5Jではなかったような気がしますが。その次にハードディスクがいっぱいになったので削除しようとしたところアイコン(絵ですね)消したのですが、ディレクトリにあって消えてない。ディレクトリから消すと調子がおかしくなってしまいました。ほかにもあったのですが、そんなこんなの日々が続きました。ただ、ここまで来るとさすがに職場に98がやっとやってきました。最初は技術者の人のところに来たわけですが、しょっちゅうじゃましていたので、会計でもいれていただきました。が、トラブルとわからないことはいつもそばにいてくれました。

第5部

 こんなんじゃ自宅では使えない。トラブルのたびに知ってる人に家に来てもらうわけにもいかないし。そこで見たのは「Macintosh」だったのです。ここからがパソコンパラダイスが始まったのでした。

TO BE CONTINUE...