タイ警察はコムサン・ソンファンに、今後もう一度彼を逮捕しなければならないようことがあれば、彼の象をも取り上げると告げた。風俗街で、一つかみ50セントで観光客にサトウキビを売り、自分の象スリトン(金という意味)にそのエサを与えさせるという商売をしていたとして、彼はバンコクの警官に逮捕されたのだ。首都バンコクに象を持ち込むのは禁止されている。だがコムサンは仕方がないと言う。自分の出身地である北東部の貧しいスリン県ではスリトンには仕事がないのだ。「少なくともここでは、彼女(スリトン)は食べていける」と23才のその象使いは言う。「戻ったって、何もないんだ。」
同じような苦境に立たされ、少なくとも60頭の象とその象使いが、人と車で身動きのとれないバンコクの街にやってきている。バンコク都知事ビチット・ラッタクンは彼ら全員を首都から追い出そうとしている。彼は警察に厳しく取り締まるよう命じたが、象使いたちはあっさりとは引き下がらない。「やつらは、今年、もう10回も俺を逮捕したんだ」とコムサンは言う。「やつらは彼女(象)を持って行きはしないさ。やつらだって彼女のことなんて欲しくないんだ。だって、象を没収したところで、それをどうするんだ?」
多くのタイ人を悩ませている問題がそれだ。象というものはタイ国のシンボルなのだ。だが、今日のタイには、この家畜の居場所がもうなさそうである。この国がシャムと呼ばれていた頃、力強い象たちは王を戦場にまで運び、その紋章が国旗にあざやかに描かれていた。この厚皮動物は今でも、王家の印章や寺院の壁、観光広告、企業のロゴマークなどを飾る。国王プミポン・アドゥンヤデートは、王の力の神秘的な象徴である白象を11頭所有し、それは王家の放牧地で大切に飼われている。
だが、それ以外の何千頭もの象には、もっとみすぼらしい運命が待ち受けている。彼らの生息地である森林は伐採者や農民、開発業者たちに破壊されてしまった。忠実な働き手としての、そしてまた運搬手段としての有用性も、科学技術によりほとんど排除されてしまっている。だから、何百人もの象使いたちは、自分達の象を都市に連れてきて、そこで、ほとんど物乞いの状態にまで身を落としているのである。
苦しんでいるのは、象だけではない。地方に住む無数のタイ人もまた、ダムや開発プロジェクトに、その土地を奪われ、仕方なくバンコクにやってきて仕事を探すことになる。あるいはまた、議会の前で抗議をすることになるのだ。おそらく象は、自分達の悲しいやり方で身をもって、今でもこの国の意味深い象徴となっている。
動物の権利保護運動の活動家にとって、これは慰めにも何にもならない。「この都市で毎年、苦しみ死んでゆく象が何頭もいます。」こう語るのは、動物に対する残虐行為防止のためのタイ協会のロジャー・ロハナン氏。彼は、象使いたちがバンコクに象を連れてこないようにするために、象にエサを与えないでほしいと人々に力説する。だが、そうは言っても、地方も象にはまったく優しくはない。違法伐採という影の世界で、千頭以上の象が酷使されているのだ。多くの象はもっと熱心に働くよう、アンフェタミン(覚醒剤として使われる中枢神経刺激剤)を与えられる。その麻薬漬けの体が持ちこたえられなくなった時、彼らは棄てられ、そのまま死んでいくのである。あるものは、作物を食べるという理由で、農民たちに撃ち殺されたり毒殺されたりする。ビルマ(ミャンマー)との国境近くで、地雷を踏んでしまうものもいる。人を乗せ、観光客相手に芸をする象は、比較的幸運な象である。だが、それですら虐待を受けやすい。無法者が野生の母親象を片っぱしから殺して子象を捕らえ、ショーに売り飛ばすのである。
「もし対策がなされなければ、いつの日か私たちの象は、恐竜のように絶滅してしまうでしょう」保護団体「アジア象の友」会長ソライダ・サワラ氏はこう言う。20世紀の初めには、タイには10万頭もの象が飼われていた。そして野生の象は、その何倍にも及んだ。現在、すべて合わせて、その数は5千頭にも満たない。そのうち300頭以上がバンコク、チェンマイ、パタヤ、あるいはその他の都市を歩いている。
生活は過酷だ。コムサンと二人のいとこが昼間を過ごしているのは、廃棄された建設現場のベニヤ板の差掛け小屋。40才で、妊娠5ヶ月目のスリトンは、他の6頭とともに低木の草を食んでいる。夕暮れが迫ると、彼らはバンコクの街を7時間もかけてのろのろと歩き回り、ホテルやディスコバーの近くでしばらく歩を止めたりするのである。夜明け近くまでに、彼らは20キロも歩いてしまう。「スリトンにエサをやってくれるのは、ほとんど外国人さ」コムサンは言う。ほとんどの者は、初めてスリトンを見て、呆然とするようだ。「象は観光客にとって最大の魅力だね。都市が象にとっていい場所なのかどうか、私には分からないがね。」というのは、米国モンタナ州ホワイトフィッシュからやってきたB・J・ワースさん。彼は、妻と娘と3人で終止笑いながら、スリトンにエサを与えるところをパチパチと写真に撮っている。ビールをしこたま呑んだ白人たちが、バーで引っかけた女の子たちにサトウキビを買っている。スリトンが鼻で彼女たちの手からサトウキビをつかみ取るようすに、彼女たちはくすくす笑っている。一人のタイ人が金を払って、象の胴の下を這って通る。縁起がいいのだ。
今夜の商いは上々だ。30ドルは稼げるだろうとコムサンは思っている。スリトンのエサ代に一日、22ドルかかるから、自分といとこ達の飯代に十分な額が残ることになる。逮捕されなければ、の話だが。だが、そうなるかもしれない。現在、都知事のビチットは、警察に突き止めやすくするために、象にマイクロチップを仕込みたがっている。コンクリートとガラスの塔の間を、どしんどしんと鈍重に歩く3.3トンもの象を見つけることは、それほど難しいというわけではない。「マイクロチップなんか要らない」コムサンは言う。「俺たちに必要なのは、住める場所と生活を支える仕事なんだ。」それを手に入れられない限り、象使いと象は、バンコクの街に現れ続けるだろう。「やつらは好きなように俺たちみんなを逮捕できるさ」とコムサンは言う。「でも、俺には、生き延びるために他にどうやっていいのか、さっぱり分からないよ。」