シマダ・ミチハルさんは64才、ホームレスである。一日8千円ほどの建設現場の仕事を必死になって探しまわり(その半分は暴力団の手配師の手に渡ってしまうが)、夜になれば、ますます増加の一途をたどる、同じような不景気の犠牲者とともに、大阪駅の階段通路上で段ボールの箱に入って眠る。彼はいつも背広にネクタイ姿だ。「私は大阪で生まれました。だから、ひょっとしたら私のことを知っている人に会うかもしれないのです。」だが、シマダさんは、段ボールの家に入る時には必ず靴を脱ぐ。日本では家に入る時には必ず靴を脱ぐのだ。それは、たとえホームレスとなっても変わることはない。

 日本は苦悩している。経済は縮小している。1998年度のGDPは推定2.4%落ち込み、日本は戦後最悪の苦境に立たされることが予想され、アジア経済の足を引っ張っている。日本の各銀行の積もり積もった不良債務は英国経済全体に匹敵する規模のものだ。経済の下向きの悪循環が進行するなか、ワシントン、北京、あるいはほとんど世界のいたる所から、「景気回復を、景気回復を」という大合唱の声が聞こえる。だが、それでも日本は二の足を踏んでいる。従来の見識に従えば、日本人の暮らしはあまりにも快適で、彼らは、自分たちが不況の中に暮らしていることにほとんど気付いていない、というのが一般的な見方だろう。だが、二週間かけて、喫茶店、パチンコ店、学校、酒場、鉄道の駅、そして家庭の居間など、日本の日常を巡って見えてきたものは、それとはずいぶん異なるものだ。そこで見えてきたものは、一体どうしたら事態を好転させることが出来るのか、絶望的なまでに思案を欠き、ゆっくりと恐怖に飲み込まれつつある国民である。すべてのライトが赤く点滅し、警告を発している。だが見たところ、操縦桿をしっかりと握り、破滅に向かう急降下からこの国を救う役を自らすすんで引き受けようとする者は、一人もいないようだ。

 自らの命を絶つことを芸術的な形式にまで高めた国であるこの日本は、国中が死の螺旋とでも言うべき状態に閉ざされてしまったようである。日本社会のいたる所で、奇怪なことが起こっている。おそらくは、日経平均株価の数字が示す苦悩などよりはるかに深い不安感の表れであろうか。現在この国を吹き荒れている一連の不可解な毒殺事件を考えてみるがよい。昨年7月、ある祭りでヒ素が混入されたカレーを食べ、4人が死亡、63人が入院するという事件が和歌山県で起きた。それ以来、警察の報告によれば、日本中で同様の凶悪な事件は34件も発生している。海外の者の目には、日本は快適で平和な国のように見えるかもしれない。だが、その皮を1枚剥げば、そこに虚ろな恐怖感を見いだすのにそれほど時間はかからない。

 少なくともシマダさんは怯えている。彼は毎晩、大阪駅南出口の同じ場所で眠る。そして、お互いの身を守りあうため、同じホームレスの者たちと親しくなり、彼らと段ボールの箱を並べて眠る。彼は焼酎のペットボトルを手放さない。気持ちを慰めるためだ。冬の冷たい夜が訪れるようになったが、シマダさんの段ボールの箱は自らの牢獄となってしまった。そこからどうやって抜け出せばよいのか、彼にはまったく考えもつかない。

 大阪駅からタクシーでほんの10分ほどのところに、グラン・カフェがある。大阪市のミナミと呼ばれる歓楽街の地下のクラブだ。一歩入れば、そこは大きな楕円形の部屋で、オレンジ色のライトが照らされ、環境テクノミュージックが、会話が出来る程度の落ち着いた音で、心地よいリズムを繰り返している。ここにはファッションモデルが足を運ぶ。大阪の、刺激に満ちた最先端スポットの一つなのである。

 サイトウ・アツシさんは、日本の今おかれている問題がどういうものか、自分なりに一つの結論を得たと思っている。グラン・カフェのテーブルに座り、ライムなしでメキシカンビールを飲みながら、彼は言う。「夢がなくなってしまったのです。」そして、こう続ける。「20年前、日本人は家を買い、車を買うことを夢見ました。今、私たちは、そのすべてを手に入れました。まわりにいる人たちを見てごらんなさい。」彼は、そう言って、グラン・カフェの、高価な服をさりげなく身にまとった人の群れを指す。「人々が今求めているのは、安全な場所です。繭なのです。彼らは新しい未来を築くことが怖いのです。我々のこの社会は、言ってみれば完成され終わりを迎えた社会です。」サイトウさんは32才、立派な職を持ち、グレーのポルシェを乗り回す。そして現在、自分と新妻のために、大阪のトレンディな地区に立つマンションの改装を進めている。「私自身、夢を持っていません。こんなことを言うのはお恥ずかしいことですが・・。私は学校を出て、仕事を始めました。さて、これからどうすればよいのか・・何も思いつきません。」

 この国のいたる所で、同じ言葉が繰り返され、ささやかれる。日本は進むべき道を見失ってしまった、と。一人の人間として、自らの生き方をいかに切り開いていけばよいのかを知ることは、実のところこれまで日本人には、一度もなかったのである。アメリカ人のように西部に新天地を求めることも、中国人のように沿岸部に向かうことも彼らには一度としてなかったのだ。同じ一つの国民として、日本は皆が整然と一団となって進み、ついに、西洋諸国と経済的に肩を並べるという目標を達成した。だが、そうなった今、次の目標はまったく見えなくなってしまった。自分の頭で物事を考えることが認められない工場の流れ作業、その精神風土の中で形作られたシステムの下で、変化を促す者はほとんどなく、組織に縛られず、囲いの外で考えることのできる急進的な人間はさらに少ない。この国を支配しているのはコンセンサスであり、首相ではない。彼らはインターンのように、次々と現れ、そして消えていくだけだ。社会は活力を失って衰退し、劇作家サミュエル・ベケットが描き出したような状態に堕してしまった。「誰もが指導者の出現を待ち望んでいる。だが、そんな指導者など出現しないことを誰もが知っている。」次の千年期を間近に控え、今の日本には目標がない。世界でもっとも豊かな国の一つが今、疲弊し、想像力をなくし、優雅に髪を結い上げたままゆっくりと崩れ落ちてゆく以外になすすべもないのだ。

 そして、そこにこそ希望の理由があるとすら言えるかもしれない。日本が新しく生まれ変わるための唯一の道筋があるとすれば、それは、音を立てて崩れ落ち、燃え尽き、そこから復活する以外にないのだ。広島に住む27才の主婦、コバヤシ・コズミ(カズミの間違いか?訳者)さんの声を聞いてみよう。彼女のお腹には初めての子がいる。日曜の午後、夫は近所のサッカーの試合でレフェリーを務めるため、出かけている。夫は昨年の夏、彼女をフランスに一週間連れて行ってくれた。ワールドカップを観戦するためだ。彼はジャパニーズドリームが自分に与えてくれた分け前に十分満足している。NECのコンピュータ部門に勤める彼は、これまで仕事を失うことなど考えたことはなかった。だが、彼女は違う。「私の親の世代は、働くのは常に夫の方でした。現在、私たちは、夫が職を失う可能性にいつも備えていなければなりません。」彼女は屈託ない様子で笑って言う。だが、その言葉の内容は現実の厳しさを物語っている。最近、地元のキリンビールの工場が閉鎖され、労働者が職を失ったのだ。今の状態はますます厳しくなるばかりだろうとコバヤシさんは恐れている。「非常に辛い体験を経てきた者だけが、どのように生きていけばよいのか、そのより良い考え方をつかみ取ることが出来るのです。自立できない人は社会から一掃されてゆくでしょう。」

 彼女は三月に出産を予定している。その彼女の最大の関心事は、子供の教育費のためにお金を貯めることだ。「両親が私の教育に非常に多くのお金をかけてくれたのを私はよく知っています。だから、私も自分の子供の教育水準を下げるわけには行きません。」そのため彼女はもう、10万円もするブランド服を買ったりはしない。夫と外食することも滅多になくなった。フランス旅行はこの夫婦にとって、最後の長期海外旅行となってしまった(日本政府が消費者の購買意欲を刺激することで、この不況を終わらせようとしているのならば、とんでもない話だ)。コバヤシさんには何の解決策も分からない、だが、厳しい中に淡い光を見いだしている。「経済は今後、それほど良くはならないでしょう。だから、子供を甘やかすことはもう出来ません。私の子は、自分で考えることの出来る、しっかりとした人間になってくれるでしょう。」

 日本の最北東部の街、根室市。イワモト・ヒロイチさんが、憂うつな気分を追い払おうと、パチンコに没頭している。昨年8月中ごろ、いつもの漁獲シーズンの終了期に数週間も早く花咲ガニが獲れなくなった時、まずい事態になっていることを彼は知った。イワモトさんは28才、これまで根室沖で16年間魚を獲ってきたが、この年は最悪だった。鮭、さんま、イカなどすべて、非常に少なくなってきている。鱈は5年前にまったく獲れなくなった。「私たちは、あまり資源の保存に注意を払うことはなかったのです」悲しげに彼は言う。

 彼は今、海に潜ってウニを取り、そして昆布を採取している。だが、卸売業者は、そのどちらにもあまり高い値をつけてはくれない。「たぶん将来は、陸(おか)に上がったほうがいいのでしょう」彼はこう言って、元気のない笑みを浮かべる。海を捨てれば、父親を悲しませることが彼には分かっているのだ。カニ漁船「コウセイ丸」の支払いのため、年老いた父親は一生を漁業に捧げてきた。もちろん、魚の獲り過ぎで漁業が駄目になってしまったのは、ここだけの話ではない。世界中でのことだ。だが、不況に見舞われて日本人の魚の購買量が減り、さらに市場にもっと安い輸入魚が流れ込んでくるため、日本の漁業の見通しは特に暗い。「この商売は、自然が相手なのです」イワモトさんは言う。「私たちは乱獲しすぎたのです。」

 問題の一部分は、イワモトさんのような人たちを援助するために設立されているはずの、地元の漁協にもある。職員の数が多すぎるのだ。港を見渡す広々とした事務所から231人の漁師を管理するのに、100人もの職員がいる。イワモトさんによれば、その漁協の組合長の仲間の漁師たちが、もっとも有利な漁業権を得る傾向にあるという。手遅れになるまで、魚資源の保護のことを考える者など誰一人いなかった。漁師は、苦しい時には、将来の漁獲を担保にした形で、漁協から金を借りる。漁獲量が減ると、彼らの借金は増すだけなのだ。その借金を返済するまで、漁協は、漁師が海を捨て別の職業に就くのを認めようとはしない。それに、パチンコで金持ちになった者など誰もいないのだ。イワモトさんはいまだ独身だ。「私の今の稼ぎでは、二人は養えないでしょう。」女の子たちは、根室の漁師とはもうデートしてくれない。イワモトさんの女性との交際は、半年以上続いたことがなかった。


 根室から南に500kmのところでは、岩手県の農民が谷間に張り付いた小さな水田で、稲の刈り取り作業を行っている。竹林が風に波を打ち、柿が鮮やかな色をして木になっている。これが日本の田園風景だ。少なくとも、ヤクシゲ・マキコさんはそう思った。7年前初めてこの風景を見た時のことだ。名門東大法学部を卒業したマキコさんは、誰もが羨むような農水省の職をものにした。だが、その仕事を捨て、岩手県に移り住んだ。そして地元の人と結婚し、木版画さながらの風景の、この谷で子供を産んで育てることを決心した。

 中央の役所を離れてみると、農業は違ったものに見えてくる。農水省は都市住民の何千億円もの税金を投入して、米の生産を支え、輸入米を締め出しているのだ。確かにこれは絶望的な行いのように思える。「米の値段は下がってきているし、農業を継ぐ若い人もいません。」ヤクシゲさんはこう言う。「アメリカの農業と競争など出来ないことは、今の私たちには分かっていることなのです。何か他のことを目指すべきなのです。」彼女の話では、山間にある彼女の村の農民の平均年齢は、ほぼ60才だという。夫の家族は1ヘクタールの水田を所有しているが、それだけではとうてい家族を養うことは出来ない。だから、彼は役場に勤めている。彼女が心配するのは、2才の息子の将来である。「この不況だとか環境問題だとか、児童の犯罪率の増加、それに毒殺事件などを考えると」と彼女は語る。「たぶん、私たちは今、転機に立たされているのかもしれません。今、社会を変えることが出来なければ、今後そうすることは決して出来ないでしょう。」だが、そのためにどうしたらよいのか、彼女にはまったく答えが分からない。ただ漠然と感じるのは、80年代のバブルの時期に急激に膨らんだ消費的なライフスタイルを、日本人は改め、もっと質素な生活に戻るべきなのではないかということだ。

 自分たちがどこに向かおうとしているのか、大人たちが分かっていないのだとすれば、その一方で、学校の子供たちの方は、まったくの閉ざされた真空状態にある。ほとんどの子供たちは、何のためにそんなことをさせられるのか、よく分からないままに、長時間を費やして事実だけを頭脳に詰め込んでゆく。圧力釜の中の圧力のように、攻撃性が高まってゆく。そして閉ざされた集団は、容赦なくその犠牲者を選び出す。アカサキ・ウタコさんは、その犠牲者の一人だ。彼女は、埼玉県所沢市の学校で、クラスメートのいじめにあった。おとなしく、引っ込み思案で、他の子とうまく合わせられなかったからだ。13才の時、誰かが彼女の机の引き出しの中に、巧みに三枚のカミソリの刃を仕込んだ。「たとえ、どんな開け方をしても」と彼女は思い出して言う。「手が切れてしまうようになっていました。」彼女の左手の薬指の腱は完全に切断され、彼女は今でも、その指を真っ直ぐ伸ばすことが出来ない。靴の内側には画ビョウがテープで貼り付けられ、教科書は破られてしまう。その状況に対して、彼女はますます心を開かなくなり、精神的な殻の中に引きこもるようになった。

 アカサキさんはついに学校をやめて、彼女を死に追いつめるほどの激しい、執拗ないじめを逃れた。彼女は今18才、女優になりたいという願いを持ち、これまで幾度か地元の演劇の舞台で役を演じてきた。「役を演じるというのは、まったく別の人間になれる方法の一つです」と彼女は言う。「その時、ウタコはどこか別の場所に行ってるんです。」だが、新しい生活を始めるようになった今でも、彼女は消えてしまいたいと夢見る。日本から遠く離れて・・たぶん行くとしたらオーストラリアだ。「だって、そこには山なんてないでしょ。ずぅっと遠くまで見渡せるし、途中に邪魔するものなんて何もないでしょ。」

 日本の中では、逃げ場がなく、ひろびろと開け放たれた空間もなく、衝撃を軽減する緩衝器の働きをするようなものもない。フラストレーションは当然のことながら、はね返ってぶつかり合い、内面化され、抑圧される。だが、解消されることはない。「私は、日本の危機などということはよく分かりません」唐崎中学校の数学教師、マジマ・タツミチさんは言う。「でも、学校制度に危機が訪れていることは確かです。教師と生徒の間には壁があるのです。」マジマさんの中学校は、大阪や京都に働きに出る人のベッドタウンとして近年発展してきた大津市にある。生徒数700名の内、50名が「問題児」に分類されている。少なくとも週に一度はけんかが起こる。近くの喫茶店で、いらいらした様子でタバコを立て続けに吸いながら、彼はそのように語る。「私は、明るく冗談を言いながら間に入って、けんかをやめさせるように努めています。でも、実際は怖いのです。刺されるのではないか、殴り倒されるのではないか、それにびくびしているのです。他の教師の多くは、あえて仲裁に入ることなどありません。」

 「切れる」(逐語的には cut という意味) とは、抑制がきかなくなり、暴力的になるという意味のスラングである。「そんな言葉は、以前には聞いたことがありませんでした。今の子供たちは「切れる」ことが、かっこいいことのように思っているのです。彼らは、ほんの些細なことですら、暴力を誘発しかねないような雰囲気を作り上げてしまっています。」夜になれば、その彼らが街の中心部をうろつき、まだ15や16の子供たちが深夜の2時か3時頃まで家に帰らない光景を、マジマさんは目にする。「彼らは、見たところ、特に何をしているわけでもないのです。ただ、ぼんやりと立っているだけなのです。」


 この空虚な砂漠のどこかで、毒殺犯たちがせっせと活動している。彼らは、抑え込んできた激しい憎悪を無防備な民衆にぶちまけ、心を癒しているのだ。恐怖をばらまくことで無力感をあがなおうとしているのだ。全国いたる所、ありあわせの物で済ませるような、おぞましい国になってしまったこの日本で、コンビニや自動販売機、学校給食の調理場などの飲食物に今、青酸カリやヒ素から、自動車のエアバッグを膨らませるのに使う猛毒の化学物質にいたるまで、ありとあらゆる物が混入されている。昨年7月から5名が命を失い、何十人と病院に担ぎ込まれている。ダイエーは今、ソフトドリンクの商品棚の上にビデオカメラを設置している。商品に手を加える者を監視するためだ。オフィスのコーヒー自動販売機の周囲では、「ひょっとして?」と神経質な冗談がささやかれる。そして、多くの人は現在、贈り物をもらっても、それが食べ物であれば封を開けることもしない。当局は何の当てにもなっていない。警察は、変な味のする飲み物は吐き捨てるよう市民に呼びかけているが、また同時に、ほとんどの毒物は、目立った味が何もしないと警告している、というような有り様だ。

 多くの日本人は、もう安全な場所はどこにも残されていないと感じ始めている。戦後日本の最も神聖なる場、それは職場である。その職場が今、音を立てて崩れ始めているのだ。増加の一途をたどる解雇が、仕事によって初めて自分の存在がはっきりと示されるような社会を震え上がらせている。昨年の失業率は4.1%で、戦後最悪のものとなった。政府の統計の中に、仕事を見つけることをあきらめてしまった者まですべて含めると、実際の数字はもっと高いものになる、と経済学者は言う。

 アオキ・モリヒロさん(38才)は、広島でテレビ会社に勤務している。夜になって、ホテルのバーで酒を飲んでいる彼の顔が赤らんでいる。「学校時代からの旧友が、今年になって三人、職を失いました」彼は、まるで恥ずべき秘密をそっと伝えるように、声をひそめて言う。「三人とも、まだ新しい仕事が見つかっていません。彼らは隠れるようにひっそりと生活しています。」何年もの間、アオキさんは子供とすごす夜や週末を諦め、夜遅くまで残業して働いてきた。今、彼は、その会社に尽くした忠誠がまったくの無駄だったのではないかと思っている。恐れられるリストラ(リストラクチャリング、解雇を遠回しに言ったものだ)は、まだ彼の会社を襲ってはいない。だが、彼は覚悟している。「いずれリストラを行わなければ、会社全体がつぶれてしまう、それは誰もが分かっていることなのです」彼はそう言って、ビールを一気にあおった。「私には妻と二人の子供がいます。私は怖いのです。」

 同じように怖っがているものは、この国には他にいくらでもいる。法務省は最近一つの報告書を発表し、そこで、恐るべきオウム真理教の信徒が再び増加していることを指摘している。このカルトの信者たちは1995年、サリンガスで東京の地下鉄を襲い、12名の命を奪い数千人の負傷者を出すという事件を起こした。だが、政府は昨年、法律の厳密な解釈に基づき、この集団を禁止することは出来ないと決定した。そのことに多くの日本人は耳を疑った。このカルトは、ハルマゲドンこそが救済にいたる道と説き、さ迷える世代の新たな入会者を引きつけ、現在、社会の広範囲な警戒感を呼び起こしている。「近ごろ、人々の間に和というものがありません」京都の泉涌寺の僧コバヤシ・コジュンさん(32才)は今の日本の社会を見てこう言う。彼は夜が明けないうちから起床し、祈祷を行う。700年にもなる古い僧院の木の廊下を歩く時には、ほとんど音も立てない。「オウムのようなカルトに人々が向かうのを食い止めるために、仏教僧は何をしているのかと、テレビに出る人たちは言います」と彼は言う。この解決策を見いだすのは困難だ。彼は高校生の頃、SF小説や、仏教、キリスト教のカルトブームに魅せられた一人である。泉涌寺は真言宗に属する。その中心的な儀式は、護摩とよばれる火祭で、修行僧が七日間松の枝を燃し、経を読むというものだ。「そうです。これは我々の営みの神秘主義的な側面です。しかし、これが行き過ぎると、カルトになるのです。私達は、誰か頼れる強い父親のような存在を欲しているのです。それは私にも心情的に分かります。もし私が今ここにいないとすれば、おそらくはオウムに入っていたかもしれません。それは十分にあり得ることです。私の友人の、そのまた友人の一人がオウム信者でした。彼はいまだに行方知れずです。」

 日本には現在、183,886の新興宗教団体が公式に登録されている。

 「胸の悪くなるようなことがあまりに多く起こってきました」と語るのは、日本の代表的な小説家の一人、村上春樹氏(主作品「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」)。「この毒殺犯たち・・彼らは出口がないと感じているのです。袋小路に追いつめられたような気分になっているのです。」2年前、当時48才の村上氏は、地下鉄サリン事件を描いたノンフィクション「アンダーグラウンド」を書いた。彼はこれまでに、事件の被害者やオウムの信者などに直接会って、話を聞いてきた。「私はフィクションの作り手です」彼は言う。「麻原彰晃(オウムの教祖)もそうです。物語りを作ることが白魔術だとすれば、麻原の行ったことは黒魔術なのです。しかし、時として、黒魔術は人を引きつける。それは非常に強い力を持っているのです。」

 村上氏は自分の小説をニュージャージー、マサチューセッツ、ハワイなどで書くのが好みだ。とにかく、日本を離れ、その精神的な枠を越えられる場所なら、どこでもよいのだ。自分自身の国の中では、必要とする距離が得られないと言う。「日本は快適な国です」彼は言う。「オウムの集団内で暮らすことでさえ、居心地の良いことだったのです、そう彼らは思っていたのです。しかし、日本には、巧みに覆い隠された暗い闇の部分があった。そして、ある日突然、誰かがそのドアを開け、その闇が表に出てきてしまったのです。我々は戦後、バラ色のフィクションを描いてきた。経済がどんどん発展し、みんながますますハッピーになっていった頃のことです。それは一種の宗教のようなものだったと言えます。だが、我々はそれをすべて失った。そうなった今、我々は新たなフィクション、新たな宗教を必要としているのです。」

 神話によれば、日本の最初のフィクションに、天照大神という太陽の女神が登場する。彼女は洞窟に引きこもり、世界をまったくの暗やみに投げ入れてしまう。多くの破壊と災いがもたらされた後になって、やっと、彼女は誘いに乗せられ、再び洞窟から出てくる。今日、日本の人々は、将来どのようになると思うかと問われると、決まって同じように「暗くなる」と答える。自分たちを導く新たな光をこの国がさがし出すのに、もう一度天照大神が洞窟に隠れ、ハルマゲドンを起こすことなど必要でないことを、日本は、そして世界は、ただ願うばかりである。