もう夜中の12時近くである。ジョージ・ブッシュはモスクワのホテルのスウィートルームで眠りについていた。するとドアをどんどん叩く音がする。私服警官であった。彼らはロシア外務省の通訳を通じ、イラクの身柄引き渡し要請に基づき、ロシア滞在中のアメリカ合衆国前大統領を逮捕すると告げた。湾岸戦争において地下防空壕を標的とし、数百人の民間人を死に至らしめた空爆を含む一連の戦争犯罪で告発されたのである。

この空想のシーンは確かに、少々突飛すぎるが、ワシントンやその他各国の政府当局者は同じような事態を真面目に考え始めている。これとほとんど同じようなことが、アメリカではなくチリの元大統領アウグスト・ピノチェト・ウガルテ将軍の身に起こったのだ。今年10月、ロンドンの病院で療養中のことだった。ピノチェトは最終的に身柄をスペインに引き渡され、そこで拷問と大量虐殺の容疑で裁判を受けることになるかもしれない。当然のことながら、彼の犠牲となった数千人の家族は歓呼の声を上げ、人権擁護の活動家は、これで、現役を退いたかつての圧制者達が安全でいられる場所はもう世界のどこにもないと大喜びしている。だが、すねにまったく傷など持たない国の政府関係者が指摘するのは、現在繰り広げられようとしているこの新しいゲームのルールブックには、それが独裁者にのみ適用されるなどと何処にも書かれていない、ということだ。ヘンリー・キッシンジャーは一歩でもアメリカを出れば敵がいるし、それを言えば、マーガレット・サッチャーだってそうなのである。

今回、英国の最高裁(上院)がピノチェトに外交上の免責特権はないと判断したことで、国際法の領域でほとんど気付かれぬまま進行していた劇的な展開が、ようやく脚光を浴びることとなった。ニュルンベルク裁判や東京裁判以来、国家の指導者といえども大量殺人や拷問の罪を免れることはできないという前提は国際法上に条文化され、国連決議により強化されている。また、集団殺害、拷問、テロリズムを禁止する国際的な諸条約もこれを支持している。

これまで長い間欠けていたものは、その実際的な運用であった。だが、国際社会はこれまで一連の規則と手続きの作成を進めてきており、期待以上の効果をあげている。最近の改革にはずみをつけたのは、ルワンダとボスニアでの凄惨な大量虐殺である。国連安保理は、この二件に対して、その戦争犯罪を追求するための特別な国際裁判所をハーグとタンザニアのアルーシャに設置した。今年6月には、常設国際刑事裁判所の設立条約文書を取りまとめることを目的として、160ヶ国の代表がローマに集まり、その設立条約を120ヶ国の賛成で採択した。アメリカは反対したが、それにもかかわらず、この新しい国際裁判所は60ヶ国が批准した時点で生まれることになっている。

目下のところ、この人権擁護運動の先頭に立っているのは、スペイン全国管区裁判所のやり手の予審判事、バルタサール・ガルソンという43才の男である。彼は2年前、アルゼンチン国内のスペイン系市民に対する人権侵害の問題を調査し始めた。それはコンドル作戦という策謀でチリとの繋がりを持っていた。この作戦で、ピノチェト元大統領や他の南米諸国の軍事政権指導者達はそれぞれの反体制派を弾圧するため、残酷な秘密警察の共同運用を行っていたのだ。従来の法的な原則の一つに、国家主権による免責特権というものがあり、それは国家指導者を刑事訴追から保護する側面を持つものだが、ガルソンの出した結論は、それはピノチェトには適用されないというものだ。殺人や拷問は国家元首の適法な機能の一部とはみなされないからだと彼は主張する。英最高裁(上院)判事の見解もそれと同じものであった。英国内相ジャック・ストローは、ピノチェトのスペインへの身柄引き渡しの手続きを開始するか、それとも83才になるピノチェトを人道的な見地から帰国させるか、12月11日までに決断を迫られている。

ストロー内相は、政治的な解決を目指すのではなく、法的に公正な決定を下すであろうと言われているが、トニー・ブレア労働党政権には人権問題に対する強い意識があり、そのため彼に身柄引き渡し決定を迫る空気があるのは確かである。その上、もし彼がピノチェトを釈放する方向に気持ちが働いたとしても、その行く手を阻むもう一つの障害がある。以前は非常に理解しにくかった「司法の普遍主義的管轄権」という原則である。この考えは古く海賊の時代にまでさかのぼり、当時、公海上での海賊はいかなる国でも取り締まることが出来たとされる。今日では、組織的な大量殺人や拷問などの凶悪な犯罪で告発された者は、いかなる国であれ自由に裁くことが許されるという点で大きな一致がみられる。「ある種の犯罪には国境はありません」カーター政権時の国家安全保障会議メンバーのロバート・パースターはこう言う。「だったら、我々も国境を超えてその犯罪を追求すべきです。」そうなれば、イギリスも、ピノチェトをスペインに引き渡す代わりに、自国の裁判所で裁くことができるはずなのだが。

クリントン政権は、この件との直接的な関わりを避けながら明確な政策を模索しているようだ。論理的にいえば、テロリズムに対して徹底的に闘う姿勢を示しているアメリカにとって、ピノチェトの裁判に賛意を示すことは当然のはずである。1976年、ワシントン大使館街の路上の車が爆破され2名の死者が出た事件で、その暗殺団を送り込んだのがピノチェトであることは、ほぼ確実だとされているのである。

だがアメリカ政府は二重の態度を取っている。人権侵害の凶悪犯は処罰されるべきであるが、同時にチリの民主政府の意向も尊重すべきだというものである。そのチリは、ピノチェトを本国に帰国させるよう強く求めているのだ。「この件の是非に関しては、それ以上のことは言えない。」と米国務相スポークスマン、ジェームズ・ルービンは言う。

ピノチェト本人に対してや、あるいはその彼が1973年に軍事クーデターを起こしサルバドール・アジェンデ社会主義政権を転覆させた際には、CIAが援助を与えていた。アメリカ政府当局者は、その未だに公開されていない機密事項が表に出ても、何ら恐れるところはないと断言する。彼らが言うには、むしろ非常に憂慮すべきなのは、もしピノチェトが国外で裁かれれば、チリ社会に新たに右翼陣営と左翼陣営の深い溝が生じる可能があるということだ。だが、その一方、彼らは、「厳しいものであれ必要な結論を下さなければならないのはチリ政府であり」、自国でピノチェトの裁判を必ず行うとチリ政府は国際社会に誓約しなければならない、と言い、その考えがチリ政府に伝わるよう努力していると主張する。チリ国内ではピノチェトに免責特権があることは言うまでもない。また、仮にそういったものがなくても、彼が裁かれるだろうと考える者は誰もいない。

だが、そのアメリカにしては首をかしげさせるような異様な行動を、過去においてこの中南米地域で取っている。1989年12月、ブッシュ大統領はパナマに派兵し、マヌエル・ノリエガ将軍を逮捕、麻薬取引罪で裁くため彼をフロリダに連行した。ノリエガ将軍の起訴は前代未聞の事であった。というのも彼は外国の現職の国家主席だったからである。しかし、その犯罪は目にあまるものがあり、容認できるものではないとアメリカの検察側は主張。ノリエガ将軍は、この逮捕はパナマに対する侵略行為であり国際法に違反しているため、アメリカの司法権は彼には及ばないと抗議した。それに対してアメリカの裁判所は、逮捕手段は本質的な問題ではないとし、彼に有罪を宣告、禁固40年の刑を言い渡した。

ピノチェトをめぐるこの紛糾劇は、もうすぐ生まれようとしている国際刑事裁判所に対して、クリントン政権に今までとは違った見方を促すことになるかもしれない。アメリカ政府は今年夏、その設立条約文書の署名を拒否した。戦争犯罪の追求に行き過ぎた熱意を燃やす検事達が現れ、軽々しくあるいは敵意をむき出しにして、海外米軍や米国内の政策決定者をも戦争犯罪で告発しだすかもしれないと恐れてのことだ。だが今後、世界中の裁判所がガルソン予審判事同様の動きを示しはじめれば、アメリカも、訴訟手続きの確立した、しっかりした制度の国際裁判所の方が、深夜のドアのノックの音に怯えるよりはましだと判断することになるかもしれない。


問題の解答

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7 ×  8 ○  9 ×  10 ×  11 ○  12 ○