光の見えない印パ紛争、その若者の素顔と実情・・・


 ほとんどのロックバンドは、いつか自分達の活動に興味を持ち、プロのレコーディングを手配してくれる者が現れる日を夢見るものだ。だが、パキスタン人ロックバンド「ジュヌーン」の場合、テープ取りというのはもっと無気味なものをさす。今年の夏、隣国インドのコンサートツアーを終え戻ってきてみると、自宅の電話が盗聴されているのではないか、そんな疑念をメンバー達は抱いたのだ。コンサート中、彼らのレコード会社のもとに情報相の役人達が足を運んでいたし、思いきってカラチ市街に出てみても、誰かに監視されているような気配を感じることがたびたびあったのだ。

 明らかに、政府の中に彼らをお気に召さない者がいたらしい。熱狂という意味の「ジュヌーン」は、舞い上がっていくようなギターのリフに合わせ、イスラム神秘主義スーフィズムの呪術的な融和のメッセージを歌い上げる。彼らの不運は、核実験を行ったすぐ後のインドでそれを唱導してしまったことだ。超満員となったニューデリーのコンサートでは、インドの若者たちがそれに酔いしれ「俺たちが欲しいのは文化の融合だ、核融合なんかじゃない」と書かれたポスターを振り回した。そのジュヌーンの「平和交渉」の知らせは、パキスタンでは国家に対する反逆だと受け取られた。パキスタンのナワズ・シャリーフ政権にとっては、このグループはこの時すでに憎むべき存在だったのだ。彼らの初期の作品の一つに、腐敗した政治家たちを痛烈に批判する歌があり、その歌が出てから政府は長髪でジーンズをはいた者が国営テレビに出演するのを一切禁じてしまった。そして今回の件で、圧力をかけられたコンサート企画会社は、事実上、以降のジュヌーンとの契約破棄に追い込まれてしまう。「僕たちは、軍拡競走という考え方を非難しただけなんだ」ギタリストでソングライターのサルマン・アーマッドはこう言う。「パキスタンには、きれいな水も健康も仕事もない。なのに、核爆弾なんか持つ余裕がどこにあるんだ?」

 同じような不満の声は国境を超えても聞かれる。パキスタン同様にインドでも、若者たちは核保有がもたらす利益に年長の者ほど浮かれているようには見えない。5月の核実験後にMTVは非公式なアンケート調査を行った。それによると、若い視聴者のほとんどすべてが核爆弾を支持した。しかし、その支持率は、若い中間階級のインド人の間で目に見えて落ちる。国際的な制裁措置のため学生ビザを取ることや海外で職を得ることが、今以上に困難になってしまうことに彼らは気づいたのだ。また、ふつうの若者たちも核爆弾をこころよく思っていない。「食べる物もないのに、戦争の事なんか心配してるヒマはないよ」こう言うのは14才のラジャスターン人オム・シン。彼はボンベイ市の路上で眠り、昼食を運んで1ヶ月70ドルを稼いでいる。インド南部の都市バンガロールで通信会社を経営している31才のサンディープ・センは次のように言う。「私はずっと不思議に思っているんですよ。ヨーロッパすべてが統一できるなら、なぜインドとパキスタンは出来ないんだ、と?」

 インドとパキスタンの若い世代を結びつけているのは、指導者に対する失望感の高まりだ。核実験後、そのフラスレーションはいっそう大きくなった。この核爆発は、その巨大な力で一つの悲劇をはっきりと浮かび上がらせてしまった。両国がいかにその素晴らしい能力と資源を同胞の殺りくに転用し、国民の持つ真価を無視してきたかという悲劇の物語である。1947年にインドア亜大陸がインドとパキスタンの二国に引き裂かれた時、再び浮上した歴史の傷跡や古来の敵対感情を、古い世代の者たちや、特に両国の政治家たちは今もなお持ち続けている。だがその憎悪はほんのわずかではあるが、薄らいできている。それに、今日の若者は、年長の者たちが取り付かれてきた報復劇など、もうこれ以上続けたくないと思っているかもしれない。インドでもパキスタンでも、衛星放送というものが国営放送の流す悪意に歪められた報道から彼らを解き放ったのである。生まれてすぐに悲痛な別離を余儀なくされた双子のように、両国の民衆は、国境を隔てた「兄弟」に対して非常に強い好奇心を抱いている。パンジャブ州ワガーの国境検問所のあたりには、ピクニックの家族連れが集まる。そこではみんなのんびりと欠伸をし、そして国境の向こう側に手を振る。それに答えて有刺鉄線の向こうから同じようにパキスタン人が手を振って返す。最近、カシミールでのイスラム教徒の暴動にも加わったことのある、まだ10代のパキスタンの若者が一人、国境を超えてインド領内に潜入しインド警察に拘束された。その彼の「使命」とは何か?それは、なんと、お気に入りのインド人アイドルスターが出演しているインドの映画を見ることだったのだ。

 とはいえ、いまだに両国の子供たちは、お互いに対する激しい怒りをたきつけられている。「インドではどんな子供でも、パキスタンと聞けばすぐに戦争や敵といった言葉を思い浮かべます」こう語るのは、学校児童の一般科目の学力向上を目的としたボンベイ(現ムンバイ)市の教育カリキュラム責任者、ティースタ・セタルバッド。彼女は、パキスタンに対する子供達のそのような考え方をなくすために、生徒をパキスタン人と文通させた。だが彼女自身の中にも闘うべき感情的なわだかまりが抜き去りがたく残っている。「インド人学生とパキスタン人学生とが実際に反目し合うなどということは一度もありませんでした」アメリカの大学に留学し、その双方と交流のあったインド人アディトヤ・キラカーンは、当時のことをこう言う。「しかし、何か言いがたい微妙な雰囲気がたえずありました。彼らパキスタン人は、インド人がパキスタン人を嫌う以上に私達インド人を嫌悪しています。」

 最近になってカシミールの紛争は、例の若者たちの特権空間インターネットにも流れ込んできた。電脳空間を暗躍する破壊工作員ともいうべきハッカー達が、カシミール政策を説明したインド国軍のホームページに侵入し、そこへアクセスすると自動的に「インド人を阻止しよう!」「カシミールを救おう!」と訴えるゲリラ支持のサイトにジャンプするよう細工したのだ。インターネットはインドやパキスタンにとって絶好のプロパガンダの場となっただけではない。それは、とんでもなく過激な考えを持つどのような人間にも理想的な表現の場を与えてしまったのである。たとえば「カシミール」などという扇動的な単語をブラウザに入力し検索するだけで、8万近くのサイトがヒットする。中には身の毛もよだつような残虐な写真もあり、チャットサイトが数十もついてくる。アメリカでインターネットコンサルタント会社を経営し、インドでもホームページを開設しているB.G.マエシュはこう言う。「インターネットによって、私達の憎しみが増幅されるということが時おり起こってきています。」

 両国の若者に人気のある競技クリケットでも同じようなことが起こっている。インド対パキスタンの試合は常に最大の観客を動員し、最大のスポンサーがつき、そして路上のノミ屋を大儲けさせる。だが、チームが相手国に乗り込む際には特別な警備が必要になる。インドでは、対パキスタン戦になると時々地元のイスラム教徒に意地の悪い冷やかしが浴びせられる。お前らインド人イスラム教徒はみんな、心の底ではパキスタンに勝って欲しいと思ってるんだろう、というのである。インドチームのキャプテン、モハマド・アザルディン自身がイスラム教徒だというのに、である。ボンベイのヒンドゥー過激派シブセナ党のリーダー、バル・タッカリーは、クリケット狂の都市ボンベイでパキスタンがプレイするのを拒否している。「男らしいとして、スポーツがもてはやされるのです」作家のウルバシ・ブターリャは言う。「それにクリケットは、一部の者にとって、敵がい心の唯一のはけ口となっているのです。」

 パキスタンでは、若者の間の無力感が特に顕著だ。そう出来る者たちは、この国をさっさと捨ててしまう。仕事を求める若者にとって、破産寸前の瀕死の状態のパキスタン経済はほとんど何の希望ももたらしてくれないのだ。人口統計学者ヌーマン・イジャズの推定によれば、この20年に4万人もの知的職業人や専門家が国外に移住してしまったという。金もコネもなく、この封建的な社会に残された者たちは、危険な過激派へと姿を変えていく。過去10年間にヘロインの消費量は倍増した。その傾向は主に10代の若者によるものだ。警察の記録では殺人犯や強盗犯の平均年令の低下が示されている。多くの者にとって、厳しい将来の見通しがあるだけで、他になすすべもない。「僕が一番恐いのは、ある日、ドアを開けたらそこにテロリストが立っていて、僕の頭を撃ち抜くんじゃないか、ということだ」こんなことを言うのは、17才の学生、アザド・ザファル。

 他の少年達は宗教革命家になっていく。パキスタンは教育にあまり予算をまわしたがらない。国家予算の30%が軍事費に消えてしまうのだ。そのためパキスタン人は息子を無料のイスラム神学校に入学させる。子供達はそこで6年間にわたってイスラム教の厳しいしつけを叩き込まれた後、その多くは10代で軍事訓練のためアフガニスタンに送られる。そうやって、その後タリバーン義勇軍に加わったり、カシミールのインド軍との戦闘に参加したりしてゆくのである。そしてその地でイスラム教の宗教的情熱に燃え立ち、パキスタンにも聖戦を持ち帰ろうとする者が多く出てくる。彼らはライバル宗派の指導者を暗殺し、そして時たま、宗教政党の集会で銃をぶっぱなしたりもする。熱烈なイスラム教の闘士ナビード・イルライはものすごい剣幕でまくしたてる。「この国で西洋化が起こっている。道徳が地に堕ちている。ここの指導者たちはみんな堕落している。全員、絞首刑に値する。」

 最近、一つの新たな恐怖が、パキスタンの上流階級の者たちを震え上がらせている。若者の一団が、エイズ菌を仕込んだ注射器を手に、欧米の服装をした女性を狙ってショッピングセンターや映画館をうろつき回っているという噂だ。いまだにインド亜大陸の双方で、このような恐怖をあおる流言飛語が飛び交うようでは、「ジュヌーン」やあるいは寛容の精神を伝える他の若者たちのメッセージに耳を傾けられるようになるまで、まだまだ幾世代もの時間が必要なのかもしれない。