何年もの間、インド映画のけばけばしい総天然色の夢物語りを特徴づけてきたのは、何も考えないですむような、目も眩むばかりの美しさであった。プロデューサー達はこう言う。 生活の苛酷なインド人観客が必要としているのは休息なのだ。いくつかのお決まりの材料を盛り込んだ映画に、彼等は救いを見い出しているのだ、と。そう、インド映画のお決まりのパターン、おかしなほど薄紗の乙女、筋骨逞しいヒーロー、マシンガンの唸る中の美しくど派手な死、少々のドタバタ劇、巧みな振り付けの5、6曲のミュージカルソング、そしてハッピーエンド。こういった映画の手法は、陳腐な常套手段でもあり、また同時に公式でもある。その力は、ほとんど疑念を差しはさむ余地はない。

このお定まりのパターンをひっくり返して、大ヒットを飛ばしたのがマニラトナムである。この43才の映画監督は、新婚旅行中のカップルがカシミール地方でイスラム教徒の武力反乱に巻き込まれるというストーリーの、タミル語による作品「ロージャー」を1992年に発表し、大きな成功をおさめる。次作「ボンベイ」では、インド最大の国際都市、ボンベイ社会の宗教対立という生々しいテーマに取り組み、インド映画界において、確実にヒットを飛ばし興行収入をあげ得る、才能ある監督としての地位を確立した。この二つの大ヒット作は、ヒンディー語に吹き替えられ、それぞれ数都市で6ヶ月以上のロングランを続け、そのサウンドトラック版は数十万枚の売り上げを記録した。こうしてラトナムは、概して低俗な娯楽作品を好むインド人観客の口にも合うような社会派作品を産み出したとして高い評価を受けることになる。それ故、彼の最新の超大作「ディルセ(心から)」に集まった不評の嵐は、彼にとって皮肉なものだった。暴力に荒れ果てたインド北東部を背景に描かれたその愛の物語が、よりによって、あまりにもお定まりの筋書きだというのである。

インドの観客が期待するものが変わってしまったとしたら、その責任はおそらくラトナム彼自身にあるだろう。彼は15年前、映画会社が量産するくだらない映画にうんざりして、経営コンサルタントをやめ、映画を作りはじめた。そして、年に一本ずつ映画を撮ってきた。そのすべての作品において際立つのは、斬新なカメラアングルに、すぐれた映像と脚本だ。ほとんどの作品が批評家と大衆に歓迎された。その大成功をもたらしたのは、インド映画にはほとんど見られない一つの要素を彼が持ち込んだことである。つまり、社会意識である。「ロージャー」と「ボンベイ」に出てくる悪党は、重苦しいほどに現実味を帯びていて、悪役特有の狡猾な目つきをしていたり、知性を欠いていたりすることはない。また、もっとお決まりの、農民を苦しめる封建的な領主や陳腐な麻薬密輸業者などとも違い、この二作品の悪党は、受けた被害ゆえに反逆に転じた者たちであり、その激しい姿勢も十分に説得力がある。「人は、盲目的に自分の人生を投げ出そうとする時、そこには必ず、大きな心の痛みと苦悶、感情の圧殺と洗脳があるに違いないのです」ラトナムはこう言う。「私が示したいのは、こういった人たちもまた、私たちと同じ社会システムの構成要素であり、私たちが目を向ける必要のある問題に、叛旗をひるがえしているのだということです。」

この監督の才能は、けばけばしいインド映画に優美なおもむきを添える、みずみずしい大自然の壮大な映像のいくつかに、社会派的な説教じみた理屈をうまく隠していることにある。彼は、ワンショットに何時間もかけ、カットの度に何メートルものフィルムを無駄にしてしまうことで有名だ。「私には表現したいことがあるのです。もし、それが物語りの形を取らなければならないのであれば、それはそれで一向にかまいません」とラトナムは語る。「人々が慣れ親しんでいる形式を与えたいのです。」彼の作品では、他の長篇作品では間の抜けた感じで唐突に始まる歌と踊りでさえ、多くの場合、若きタミル人天才作曲家A・R・ラフマーンの感動的なリズムに合わせ、夢の情景としてストーリーの中にうまく織り込まれている。

間違いなく「ディルセ」は、前作に続く正統派の風格を持って私達の前に姿を現わした。歌の場面は、荒涼としたラダク地方の砂漠とケララのエメラルド色の海とが対照的に浮かび上がるよう撮影され、独自の映像を与えられた。不運な全インドラジオ局の記者を、インド映画界トップの主演男優、シャールク・カーンが演じる。彼は、マニーシャー・コイララ扮する謎めいた女性に惚れ込んでしまう。彼女は、子供のころインド兵士に受けた集団レイプが原因で、独立反乱運動に駆り立てられていて、それゆえ彼の愛をはねつける。そして物語は、ニューデリーでの荘厳なクライマックスへと。この「ディルセ」は、海外のインド人達の間であまりにも前評判が高かったため、封切りの数週間イギリスのトップ10に割り込むほどであった。

だが残念ながら、この宣伝用フラッシュ映像の方が、映画自体の出来よりも優れていたようだ。映画の評判はインドでは、さんざんなものだった。たいていの場合大目に見てくれる観客達も、筋書きがあまりにも気まぐれで、インドの端から端まで場面が跳び移り、まるで観光旅行のコマーシャルでも見ているようだと、この作品を酷評している。ラトナムの作品からは、いっそう現実を重視する傾向を期待するようになったと多くの者は言う。というのも、「ロージャー」が製作されたのは、タミル人技師が誘拐され、殺害された後のことであったし、「ボンベイ」は、1992年から93年にかけてこの大都市を荒れ狂った暴動に応える形で撮られたからだ。だが、それに対して「ディルセ」は、良く知られた分離独立闘争の実情からは離れてしまい、遠いアッサム地方から訳の分からないまま北西部のラダクに場面を移してみたり、また、荒れた北東部などよりスリランカでの方がもっと一般的に見られる種族 -- 爆弾を抱えて突っ込む決死の爆破犯 -- を劇中に配してみたり、といった具合なのである。

いつも使っていたタミル語ではなく、より使用範囲の広いヒンディー語で今回初めて撮影したラトナムは、あまり難しいことは分からないと言われる層を取り込むため、脚本を分かりやすい簡単なものにしたのでは、と訝る批評家が中にはいる。「ひとたび千人もの人を暗い映画館の中に座らせて、私の映画を見させるからには、大事なのは、私の言いたいことを彼らに伝えるということです」彼はこう言う。だが彼は、「ロージャー」や「ボンベイ」において自らが産み出した手法が、彼の意図を超え、大きなメッセージを発していることに、この「ディルセ」以降、気づくことになるかもしれない。


問題の解答

1 ×  2 ○  3 ×  4 ×  5 ○

6 ×  7 ○  8 ×  9 ×  10 ×