モンゴルでこんな事が起ころうとは、誰が考えただろう。この広大な国の、共産主義から民主主義への移行は、世界でも類のないほど円滑なものだった。自由選挙が行われると、たくさんの人々が足を運び、時には、一票を投じるため、馬の背にまたがり何時間もかけてやって来る遊牧民もいた。だから、この事件が起こった時には、誰もが目をむいて仰天したのだ。10月2日、ナイフと斧を持った二人が、新生民主国家モンゴルのヒーローの一人、サンジャースレンギン・ゾリグのアパートを襲撃。彼の妻を縛り上げたうえ、浴室に引きずり込み、この学究的な36才の閣僚、ゾリグが仕事から戻ると、彼を18 回もめった刺しして殺害して逃走した。仲間の民主党活動家であり、国会議員でもあるエンフバタール・ダムディンスレンギンは断言する。「これは政治犯罪だ。」

 これが暗殺だとしても、犯行声明はいまだ出ていない。首都ウランバートルは一転、政治的に緊張した空気に包まれ、ほとんどの者は怖がって、犯人についての憶測すら公然と口にはしたがらない。この襲撃のニュースは広大なモンゴル草原にじわじわと広がり、モンゴル国民250万人が今や、推理小説まがいの不可解な殺人事件の犯人さがしに躍起になっている。警察の発表によれば、ゾリグの妻ブルガンさんは、殺人犯達がエルデネットという言葉を口にするのを聞いたという。そのエルデネットとは、ウランバートルの北400キロにある銅の採掘都市で、汚職の噂で揺れ、最近の政治議論の焦点ともなっている場所である。「もし私がアガサ・クリスティーなら、たぶんゾリグ殺害で得をすることになる様々な人間を指摘できるんでしょうが、」別の民主党員、ダヴァードルジィン・ガンボルトは言う。「今のところ、情報が不足していて、最終的な結論は何もくだせません。」

 人々が驚いたのは、この襲撃のタイミングである。ほんの数日前、元大学教授でもあるゾリグは、正式発表ではないが、首相候補として党から指名を受けたばかりだったのだ。その首相の座は、この半年間の2度の辞職により空席となっている。もし正式指名となれば、ゾリグは民主派が推す5人目の首相候補となるはずだった。その前の4人はいずれも、与野党間の対立に揺れ空転した議会により否認された。というのも、議会過半数を占める民主派は脆弱でまとまりがなく、主に元共産党員からなる議会少数派の人民革命党(MPRP)は、大統領バガバンディ・ナツァーギンを擁しているためだ。ゾリグは1990年の民主化運動当時、共産党独裁を打ち倒し、自由選挙への道を開くことに手を貸した立役者であった。しかし現在、社会基盤開発相大臣として閣僚入りしていた彼は、与野党双方が十分に納得しうる最有力候補と目されていた。「彼は、無血の民主化革命に大きな役割を果たしました。」エンフバタールはこう語る。ゾリグの死後、何千人ものモンゴル国民が、その多くはろうそくや線香を手にして、国会議事堂前に設けられた数夜の通夜の席に集まり、彼の遺体に最後の敬意を表した。ゾリグの党本部では、会場に人がぞくぞくと詰めかけ、告別の記帳をし、仏壇の前で手を合わせた。「これは、モンゴル国民にとって大きな損失だよ」先週行われた追悼式に参列した62才の年金生活者、モンゴルジャブ・チョインチグは、こう言って、悲しげに首を振った。「本当に、よく分からないご時世だ。」

 モンゴルの主要政党はそろって、ゾリグの殺害に対する糾弾の声をあげ、人民革命党などは、これは「民主国家モンゴルに対する挑戦」だと言明している。共産主義者にとっての長年の仇敵ゾリグの死に、人民革命党が関与しているのではないかと主張したがる者が多いなか、民主派は、そのような方針をとっていない。むしろ、公式声明を発表して、その中で、そういった非難は支持も承認もしないと力説した。政治は膠着状態に陥っているにもかかわらず、議員のほとんどは、名指しの非難の応酬をやめ、団結しようと説いている。「この難局に、全世界が我々を注目しています」人民革命党党首ナンバリン・エンフバヤルは、先週の告別式の追悼の辞でこのように述べた。「今後、私たちは袂を分かち、お互い争い合うことになるのでしょうか?いいえ、違います。さらに思慮を持ち、団結し、たくましくなっていくのです。」

 この事件に政治的な動機があるとすれば、ゾリグの殺害は、まだ生まれて間もないモンゴルの民主主義にとって、初めてのテロ行為といえる。海外の者は、モンゴルといえば、戦争ばかりしていた悪名高い祖先チンギスハーンのイメージで判断するかもしれない。だが今日のモンゴル人は、この国の民主国家への移行が、かなり平和的に行われたことを誇りにしている。1990年にはまず、共産党一党独裁のソビエト衛星国から複数政党を許す民主政体へと移り、その後、1996年の総選挙において民主派が圧勝、人民革命党は野に下った。「ずっと平和で流血のない時代だったのです」こう語るのは、モンゴルに在住するアジア財団の前理事長、シェルドン・セベリンハウス氏。しかし状況は一変してしまい、初めてボディーガードを使うような著名な議員も出てきた。「この殺人事件以来、目が覚めてみれば別の国にいた、といった気分です。」先週、6人目の首相候補として打診されたガンボルドはこう語る。「モンゴルは小さな国です。だから、みんな、お互いのことをよく知っていますし、力を合わせて頑張っているのです。こんなことが起こるとは、考えもつかなかったことです。」だが、その考えもつかなかった事が、実際に起こってしまった。モンゴル国民は今、おののいた気持ちで、この殺人事件の結末を待ち受けている。


問題の解答

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