疑念の種は、目立たぬ所でひっそりとまかれている。「間違っているのは誰で、正しいのは誰なのか、私たちには分からないのです。」小さな校舎の外に集まった群衆から、一人離れて座る青年が小声で言う。月明かりの夜の、小さな町バツラウトでのことだ。校舎の中では、イブラヒム・アリ氏が壇上に登る。かっぷくが良く押しの強いイブラヒムは、与党統一マレー国民組織(UMNO党)の権力中枢である最高評議会の一員だ。彼は、地方幹部100名を前に、彼らの疑念を静めるために1時間以上もついやす。よく通る声でマレーシアとその指導者マハティール・モハマド首相をたたえ後、彼は本当の任務にとりかかる。その3日前、首相のかつての子分、アンワル・イブラヒム氏を逮捕したことに対する弁護という任務である。彼は一段と声を張り上げ、アンワル氏の無実の申し立てをあざ笑う。「もしDr.マハティールが行動を起こさなければ、」それを、指導者に対するマントラのように彼は繰り返す。「この国は、危機に瀕していたでしょう。」部屋中で、そうだそうだと頷く首が見える。
深夜近くになって、ピカピカに磨かれたイブラヒム氏のベンツが汚い校庭から出ていく。「聞き分けの良い連中だろ?」彼はにやりとした笑いを浮かべて、タバコに火をつける。「党がアンワルをお払い箱にしてから、俺は毎晩これだ。」
だが、お上のお偉い連中がマレーシア民衆の疑念を静めるには、言葉以上のものが必要だろう。副首相の座を追われたアンワル氏には、9月20日に推定8万人以上もの群衆を駆り立て、首相退陣を叫ばせる力があったのである。その夜、警察のヘリが上空を旋回するなか、頭をフードですっぽり覆った特殊部隊のコマンドー達が、クアラルンプールのアンワル氏の自宅を急襲し、彼をブカールアマン警察本部に連行した。その後まもなく、少なくとも14名が同じように身柄を拘束され、その中にはUMNO党の青年支部長アーマッド・ザヒド・ハミディー氏といった人物も含まれている。アンワル氏が、党を追放されてからの数週間で、マレーシアのパンドラの箱を開けてしまったことは、ほとんど誰の目にも明らかである。問題は、マハティール陣営が、今後長期間その箱が開かないように蓋をしてしまうことに成功したかどうかである。
その努力が足りないと彼らを責めることなど到底できない。先週金曜日(9月25日:訳者)には機動隊が、礼拝後の国立回教寺院に乱入。機動隊員の中には、黒い戦闘用ブーツを脱ぐことすらしない者もいた。そして声高にアンワル支持を訴える集会をけちらした。そのため、憤激したイスラム教徒達の反発を招くのではないかという恐れまで出てきている。その後数日間に、さらに多数の抗議集会が予定されているなか、マハティール首相は言い訳もせず、アンワル氏が支持者に騒動を起こさないよう呼びかけるまで、彼に裁判審理を受けさせないと誓った。
首相のその、今までと一線を画した強硬路線が明確に打ち出されたのが、その週始めであり、アンワル氏の自宅での連日の集会が、ついにクアラルンプールでの過去最大の反政府集会へと発展したその日であった。その9月20日、日曜日には、国立回教寺院のバルコニーに立ち、自らの元の指導者マハティール首相を激しく批判するアンワル氏の声を聞くため、学生、労働者、知識人、主婦など3万人以上が集まった。そして、自分と一緒にムルデカ広場まで「散歩に出よう」とアンワル氏が提案すると、数万人がさらに加わる。そのムルデカ広場とは、コモンウェルス・ゲームズ(英連邦スポーツ大会)閉会式に出席のためクアラルンプールに滞在中の英エリザベス女王が、その日の午後早く、教会の礼拝に参列した場所の近くなのである。暗くなってからは、アンワル氏も含めて抗議者のほとんどは帰路についたが、その場に残った数千人がUMNO党本部に、そしてさらに軍隊と装甲車の待ち受ける首相官邸に向かった。「マレーシア人はもう、20年前とは違うのです」こう言うのは、その夜、アンワル氏の自宅外で過ごした支持者の一人、マヒンデル氏。「国民はもうこれ以上黙ってはいないでしょう。」
その頃になると、アンワル氏の投げかける脅威は、彼を追放したばかりの指導者層にもはっきりとしてきた。だからこそ、やせて眼鏡をかけたこの政治家が、その夜の記者会見に臨もうと意を決したその時、覆面をした軍の精鋭、連邦予備軍の兵士達が、ドアを蹴ってなだれ込み、その場に集まっていたアンワル氏の側近やジャーナリスト達を殴り倒して押しのけることになったのである。家族と弁護士を含む取り巻きをその場に残して、当局は車を乗り換え、彼を夜の闇に連れ去っていった。妻のワンアジザさんと弁護士団の両者は、その週末になっても依然、アンワル氏の姿を直接見ることはなかった。弁護士の接見が許されていないことや、裁判審理が開始されていないことから、彼を起訴し得るだけの十分な証拠がないのではないかと、多くの者が疑った。というのはアンワル氏の起訴は、ホモセクシュアルや不倫罪など、雑多な数々の容疑で決まりそうだからだ。
しかしそれ以外の点では、当局は取り締まりにおいてかなり強気の姿勢を見せてきた。月曜の朝に、中央裁判所に集まった怒れる群衆を放水車で追い散らしてからは、クアラルンプールの街は、ほぼ静けさを取り戻している。アンワル氏の側近グループの有力メンバーも、違反者に苛酷な治安維持法違反で身柄を拘束された。その中には、前述のアーマッド氏、マレーシア・イスラム青年運動の最高幹部4名、そしてマレーシア学生国民連合の会長も含まれる。他のメンバー達は地下に潜伏するか、国外に逃亡した。穏やかな、アンワル氏の妻ワンアジズさんは、アンワル氏逮捕の翌日、自分が彼の代わりを果たすと誓う。しかし彼女は、週末になっても外部との接触を禁止されていて、自宅周辺を警察によって取り巻かれ、群衆や個々のジャーナリストにさえ語りかけられない状態だった。
アンワル氏自身もまた、逮捕の数時間前に録画され、CNBCを通じて国外に向け放送されたビデオの中でしか発言が出来ていない。彼はカメラに向かって暗い顔で、UMNO党とマハティール一族の関与する汚職を警告する。そして10億もの金が(彼は、それが10億ドルなのか、10億リンギットなのかは明らかにしなかったが)、スイス銀行の口座に送金されたという情報を握っていると主張している。マハティール首相は、その疑いを即座に一笑に付したが、おそらく、そのビデオがマレーシア国民の大半の目に触れることなどないと思ってのことだろう。「マレーシアは今や、ワンマンショーの舞台のようです」と語るのはシンガポールのある金融アナリスト。「そこは、まったく別世界のようです。」
確かに、笑みを浮かべ、新たに自信にあふれたマハティール首相は、疑い深い報道陣を相手にする機会を楽しんでいるようでもあった。火曜日の記者会見で、優しさにあふれた「ドクターM」は、抗議集会を解散させた警察の功績を称え、そして残念だというような表情で、アンワル氏逮捕の決断は正しかったと語った。また、かつて自分の後継者となるはずだったアンワル氏が、マレーシアの法で認められた諸権利を奪われることはないと約束した。その上、アンワル氏に対する妻アジザさんの忠誠ぶりに触れ、寛大にも、自分はそれを高く評価していることを認めざるを得ない、とまで語った。「いずれ真実が分かれば、」彼は穏やかに、こう予言する。「誰もが、友人でさえ、彼を受け入れなくなるだろう。」
しかし、その「真実」とは、過熱気味のポルノ雑誌まがいの写真週刊誌から持ってきたようなものだ。アンワル氏逮捕の前日、裁判所は、数回にわたってアンワル氏と同性愛関係を結んだとして、アンワル氏の義弟とアンワル氏の演説草稿作成者の二名に有罪判決を下した(これは、お堅い地元の新聞数紙でも、珍しいほど詳細に報道された)。今回の嫌疑は、アンワル氏が運転手と同性愛関係を持ったとか、側近の妻やその他の女性と不倫関係を持ったとか、あるいはテニス仲間に国家機密を漏洩したなどという、この1年にわたる、首を傾げさせるような容疑の最新版である。(運転手と側近の義妹は後になって証言を撤回したが、現在、そうするように圧力をかけられたと述べている。)70年代半ばに反政府運動でアンワル氏とともに留置所で過ごしたことのあるイブラヒム・アリ氏を含めて、数人の知人は、アンワル氏のそのような性的な性癖は、最近までその兆候を目にすることなどなかったと言う。さらに多くの者が心配するのは、彼に対するこの一件はすでに、あまりにもドロドロしたものになりすぎていて、どのような判決が出ても、何一つ信頼できそうもないということだ。
そういった冷ややかな見方は、ことによれば、さらに長期政権を構えようともくろむマハティール首相にとって最大の脅威であるかもしれない。アンワル氏に共感し集会に集まったマレーシア人の多くは、国家による強権政治に対する不安の声をあげた。以前は警察や報道機関など公共機関に対して敬意を表していた首都の市民達も、今ではあからさまに、その善意を疑ってかかる。そして、取り締まりが行われそうだという気配のたびごとに、彼らは怒りをつのらせる。「アンワル氏によって、マレー人中流階級の人たちは、自分たちと当局との関係に対して新しい見方をするようになったのです」政治学者チャンドラ・ムザファール氏はこう述べる。「今までは、黙って、ただ言いなりだっただけの人たちが、国家機関のしていることに疑いの目を向け始めています。」
残る問題は、そういった疑念を真の改革運動にまで鍛え上げていくことのできる人物が、現在監禁状態のアンワル氏をおいて、他に果たしているのかということだ。彼がその仕事を託した人物、妻のワンアジザさんが今まで称賛されてきたのは、アンワル氏の敵対者でさえ「天使のようだ」と言うほどの、彼女の優しさと夫に対する忠誠ぶりによるものであり、争いごとで相手を叩きのめす技量ではない。しかも不屈の精神だけでは、大勢の人をバリケードに結集させることはできないのだ。その上、この信心深い主婦が今まで心配してきたのは、まず夫の健康状態であり、彼女には権力に異議を唱えるなどという趣味はあまりなさそうである。その彼女自身もまた、起訴される可能性が強まっている。アンワル氏が同性愛行為にふけっていたという主張を「証明」するため、警察はエイズウィルスを彼に注射しようとしているという噂があり、そのことに関して懸念を表明したためだ。彼女が反政府運動のシンボル以上のものになり得る、と考えている者は非常に少ない。彼女自身は、2000年までに行われることになっている首相選挙において、マハティール首相に対抗して出馬する予定ではいるのだが。
ところが、この改革運動は思いがけないところから、その推進力を得そうである。マハティール首相自身が国中にばらまいたコンピュータである。アンワル氏は逮捕に先だって、マレーシア全土をめまぐるしく遊説訪問していた。公式メディアは、そのアンワル氏の演説に対しては報道管制を敷き、彼を告発する側の言い分のみを取り上げていたが、その間、彼の支持者達は、ますますインターネットを頼りにして、自分たちのメッセージを広めていった。「45才以上は、誰もネットの使い方なんて分かっちゃいない。だから俺達の方に好都合なんだ。」アンワル氏の以前の報道官で、インターネット上の情報配信を組織することに手を貸したカーリッド・ジャーファル氏は、このように言う。前副首相の怒りに満ちた演説は、すぐに公務員などの手によってダウンロードされ、配布された。そのプリントアウトは、ビデオとともに、先週まで全国の街頭で売られていた。
「アンワル氏は、誰もそこにそんなものがあるとは知らなかった、不満な気分を利用したのです。」クアラルンプールの西側外交官はこう語る。単にアンワル氏が活動するだけで、そういった感情が消えるわけではない。その点は、側近に最後に語った言葉の中で、彼も認めているようであった。約20年前、イラン国王の打倒にテープとファックスがどのような役割をしたのか、それを正しく理解することが肝心なのだと。しかし、側近によれば、アンワル氏の本当の狙いとは、他でもないUMNO党それ自体の内部で、マハティール支配をめぐる議論を引き起こすことであった。もちろん、そのような亀裂が彼の逮捕後に拡がっていくだろうと期待しているのである。党員によれば、論争はすでに始まっているという。それは主として、古くからのマハティール信奉者と、青年部のリーダーの逮捕に激怒した若手党員たちとの間で戦われている。そして、それは来年予定されている党内選挙の運動期間中も続くだろう、と言うのである。
もし今、選挙が行われれば、UMNO党が現在議会で占めている3分の2の絶対多数を失うことは、ほとんど確実だろうというのが、評論家の一致するところである。しかし、だからといって、マハティール首相に対する今までの忠誠が、今後弱まるということはない。「党のヒエラルキーは、非常にがっちりとしています」ムザファール氏はこう指摘する。「それに、結局のところ一般党員に分かりやすいのは、やはり権力というものですから。」マハティール首相はすでに、党内のアンワル派一味を一掃する処置をとり始めており、さらに青年部のメンバー達に、反アンワルを掲げてデモを行えとまで要求している。アンワル氏ほどの才覚を持つ者が誰もいないことを考え合わせると、反体制派が、どんな形にせよ、誰のもとに結集していくことになるのか、いまだ流動的である。
隣国インドネシアの5月に起こった革命的な政変は、アンワル支持者達によって絶えず、精神的な原動力として語られるが、そのインドネシアの軍とは違って、マレーシアの軍隊には政治色は薄く、また命令に背き、民衆の側につくことも考えにくい。(しかし、当局はインドネシア同様、非常に攻撃的である。先週、デモ参加者に浴びせかけた放水車の水には、目や肌をひりひりさせる酸性物質が混ぜられていた。)おそらく実際には、マハティール首相批判の大合唱が鳴り響くのは、マレーシア国外においてであろう。というのも、アンワル氏は海外の政府役人やメディアと非常に親しいことで名高かったからだ。インドネシアと南アフリカからは、この拘束された指導者を支援するメッセージが寄せられた。一方、オーストラリアからアメリカにいたる国々までが、彼の逮捕に対して遺憾の意を表明している。(世界銀行の経済学者、ジョセフ・スティグリッツ氏は、マレーシアはアパルトヘイト時代の南アフリカ同様の制裁を受ける危険を冒している、という警告すら発した。)しかし、そのような論調は、マハティール首相の決意をただいたずらに硬化させるだけのものになりそうだ。
「歴史的に見て、頼りとすべきものが我々には何一つないので、今後どうなるかを予想するのは難しいことです。」マラヤ大学の歴史学教授、クー・カイ・キム氏はこう語る。「いずれの方向に進むことも考えられます。」インドネシアとマレーシアの、そして植民地からの独立後の時代を同じく生きたスハルト大統領とマハティール首相の決定的な違いは、それぞれの国民の繁栄ぶりに非常に大きな格差があることだ。マレーシア人は今でもなお、経済的に打ちのめされた隣国インドネシアの4倍近くの平均所得を誇る。しかし国内の不満を今後永久に押さえ込みたければ、マハティール首相は、首相としてこの実績をなんとか維持していかなければならない。現在までのところ彼がとった行動は、西側の金融投資家からすこぶる評判の良い元大蔵大臣でもあったアンワル氏を、経済の操縦を誤ったとして激しく非難することと、そしてマレーシアを世界経済から遮断するという過激な処置である。しかし、多くの者が予想するように、この異端ともいえる政策も失敗に終われば、現在、単に疑念でしかないものも、いつでも彼自身の失脚の種となる得るだろう。
問題の解答
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8 ○ 9 × 10 × 11 ○ 12 ○ 13 ○ 14 ×