その騒動は噂で始まった。スマトラ東部の漁港の町、バガンシアピアピで、ちょっとした交通事故が原因で、マレー人が中国系住民に殺されたという噂が広がった。数時間とたたないうちに、暴徒が町を暴れ回り、中国系の家屋や商店のほとんどに火を放った。先週水曜日の夜が明ける頃には、400軒以上の建物が損壊、または焼失してしまい、中国人は隣接する街に避難した。こういった事件は、これだけではない。列島中のインドネシア人が見境を失ってしまっているのだ。「社会の秩序が崩壊しつつあるのです。」最近、解禁された週刊誌テンポの編集長、グナワン・ムハマド氏は言う。「軍は、どうしてよいのか分からないのです。」

 スハルト大統領の不名誉な退陣から四ヶ月がたち、この国は、経済不況の影響の大きさを身にしみて感じ始めている。そして民衆の怒りは、抑えられないものになってきている。スマトラ島でもカリマンタン島でもスラウェシ島でも、そしてジャワ島においても、盗賊団が、商店、倉庫、穀物貯蔵庫、エビの養魚池、チークのプランテーションなどを厚かましくも堂々と襲撃しているのだ。警察や軍の兵士は、介入できないか、あるいは消極的な場合が多い。そして大学の新学期が始まり、学生たちのデモも再び活発になり始めた。

 今回のこの新たな社会不安の高まりの背景には、昨年来3倍にもなった米価の高騰や、その他生活必需品の高騰がある。収入が平均的な家庭は、食べていくだけで必死なのだ。現在1800万人にものぼり、毎日1万5千人の割合で膨らみ続ける失業者は、飢えに苦しみ始めている。しかし社会の安定が脅かされているのは、それだけによるものではない。同時に、ハビビ大統領や軍に対する信頼が大きく揺らいでいることにもよる。ハビビ氏が大統領の座について4ヶ月たつが、彼は前スハルト大統領の息のかかった身内というイメージを払拭できないでいる。その一方、軍に対する民衆の敬意も最低で、そのことにより、事態を収拾する軍の能力が大きく損なわれている。「政府には威信がなく、軍は怖がって強硬な手段をとれないのです」ジャカルタの戦略国際研究所副所長、ジョセフ・クリスティアーディ氏は、こう言う。「この状態は、非常に危険です。」

 政治活動を行っている学生や野党の大多数は、ハビビ氏の退陣を要求している。だが、誰が、どのような体制がハビビ政権に替わればよいのか、あるいはまた、そもそも指導者が替わることで事態が良くなるのか、まったく分からない状態だ。192の政党とNGO(非政府組織)諸団体の連合体である「国民民主連合」は、臨時国民協議会の始まる11月10日に合わせて、全国規模のデモを計画している。「我々は、国会を少なくとも3万人の人で包囲したいと思っている」組織者の一人、ラトナ・サラムパエト氏は言う。「要求が受け入れられるまで、我々はその場を動かないつもりだ。」その要求には、ハビビ氏を退陣させ、有力野党のリーダーから成る、ある種の集団指導体制に替えることと、政治・社会問題から軍が手を引くことが含まれている。議会においては、与党ゴルカル党が圧倒的多数を占めているが、民衆の圧力が高まれば、議員達はハビビ氏と袂を分かつことも考えられる。あるいは、デモが多発すれば軍の介入を招き、来年5月に予定されている総選挙が延期されるのではないかと懸念する活動家もいる。

 そのいずれにせよ、貧しい者たちにとっては、安堵の日はほとんど見えてこない。「現在の価格では、米を買うこともできない人々が、8000万人います」A・M・シャリフディン国務相食糧担当大臣はこのように認める。さらに不穏なことに専門家は、ハビビ政権の身内びいきのため、海外からの食糧物資が、それを緊急に必要とする者の手に迅速に渡っていないと主張する。ジャカルタの農業政策研究所所長のH・S・ディロン氏によれば、米の調達制度が最近、世界銀行の認可した方法に変わり、それが政治利権を生んでいるというのである。「権力の座にいる者たちは、相変わらず旧態依然のやり方で、物事を進めたがっているようです」と彼は言う。「配役が変わっただけなのです。」

 今年5月の暴動の衝撃が、その記憶にまだ生々しい500万人の中国系住民は、頼りになる法と秩序の保証のないまま、さらなる暴力の発生に身を引き締めている。「私たちは、非常に憂慮しています。」と言うのは、華人優位のビンネカ・トゥンガル・イカ党の議長、ヌルディン・プルノモ氏。「軍は、非常に真剣に取り組まねばなりません」と彼は言う。「もし軍が尻込みすれば、略奪はますますひどくなり、最後には誰も抑えられなくなってしまうでしょう。」

 ハビビ大統領にとっても見通しは非常に厳しいものである。彼は、前任者の腐敗した独裁主義的な体制の解体を目指し、重要施策を講じてはきたが、世間一般ではいまだに、過去の遺物としか見なされていない。前スハルト大統領の伝説的なまでの財産に対して、公開調査を行えという一般大衆の要求に、先週ついにハビビ氏は屈することになる。だが、行われる二件の調査に対しては、その真剣さを疑う声が強い。というのは、その内の一件を指揮することになっているのが司法長官アンディ・ガリーブであり、当初、海外に隠し資産はないというスハルト大統領の主張を認めた、その当の人物だからである。

 大統領の人気もないであろうが、反対勢力の方も、まとまっているとも団結しているとも言えない。現在の政権の布陣が理想的なものではないことを認めながらも、協同組合相大臣アディ・サソノ氏は、ハビビ氏が現在得られる最良の選択肢であると主張する。「それ以外の選択肢は、あまりにも危険です。」多くの知識人もそれに同意する。しかし、これ以上、庶民の胃が、空腹で鳴り続けることがあるようだと、インドネシア民衆は、事態を冷静に考えることができなくなりそうである。

(写真:ジャカルタの穀物倉庫で、こぼれた米を拾う子供達。多くの人にとって、主食すら買う余裕がない。)


問題の解答

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