<旅人のお話> 〜 ある少女 〜



ある昼下がりの出来事だった。


酒場を開けるまでのひととき、、、いつも、、、私はゆったりと古いレコードを聴きながら少し濃い目にいれたマンデリンを楽しんでいる。時折、ぼんやりと窓の外をに目をやりながら、様々なことに思いをめぐらせ物思いにふけったりする。ここ数年来の日課だ。そんな穏やかな午後の空気が、、、時の流れが好きなのだ。心に安らぎを運んでくれる、、、私だけの時間…。


その日は、、、ほんとうによく晴れていた。吸い込まれそうなくらいの透きおった蒼い空…やわらかい日の光…だからだろうか、、、なにかに誘われるように私はふらっと外に出た。少し秋の気配を感じながら…暖かい日差しに包まれてはゆっくりと歩き出した。


この小さな街は、まわりのほとんどを鬱蒼と茂った森に囲まれている。春には色とりどりの草花や新緑の木、、、秋には赤や黄色の紅葉、、、冬にはしんしんと降り積もる雪につつまれた銀世界、、、そんな季節の移り変わりが人々の目を楽しませる。少し離れた所に大きなcityがあり、忙しい日常に追われた人々がこの街のおだやかな時間の流れを求めて訪れることも多い。ゆっくりと疲れた心を癒し、、、そして、それぞれの世界に帰って行く、、、ちょっとした保養地といったところなのだろう…


“久しぶりだな… ”

本当に久しぶりだった。暖かい日差しが私をつつみ、体中にしみこんでいくのが感じられる。私は、あてもなく森の奥へと続く小径をゆっくりと歩いた。人通りがほとんどなくひっそりとした小径、、、その静寂さが私に不思議なほどしっくりきた。

しばらくしてふと気がつくと、私は療養所の前まできていた。こじんまりとした真っ白な建物とまわりの緑との鮮やかなコントラストが私の目にはとても眩しかった。暖かい日差しのせいか、療養所の庭にはちらほらと人の姿が見受けられる。それぞれが秋のやわらかい日の光を楽しんでいる。これからやってくる寒く厳しい、そして閉ざされた冬に向けて…まるでこの日差しをなごり惜しむかのように…

私は木陰にあるベンチに腰をおろした。小鳥のさえずりが透き通った蒼い空に響きわたっている。心地よいBGMといったところだ。私は、目を閉じでしばらくこのやすらかなひとときを楽しんでいた。



「ここよろしいですか? 」

不意に耳もとで声がした。ふっと目を開けると、淡いブルーのワンピースを着た少女、、、いや若い女性が私の前でたたずんでいた。まるで少女のような満面の笑顔が蒼空よりも眩しかった。


「どうぞ 」



しばらく私たちは並んで座っていた。何を話すわけでもなく、、、ただただ蒼い空を眺めていた。


「どこかお悪いんですか?」

突然“少女”が口をひらいた。私に少し心配そうな瞳を向けながら、、、


「いや、、、あまりにも暖かい日の光が心地よかったので…ちょっとした散歩なんですよ。」

私は、少し口ごもりながら答えた。

「 それならよかった。」

“少女”はそう言いながら私にゆっくりと微笑んだ。まるで心からほっとしているかのようにだった…


「どなたかのお見舞いですか?」

私は聞き返した。どうみても二十歳前後の若い女性が、私のように日の光に誘われて散歩なんてことはありえなさそうだったからだ。


「人を待ってるんです。あ、別に待ち合わせをしてるとかじゃないんですけど、、、もしかしてここに来たら会えるような気がして…」


“少女”は無邪気に微笑みながら私を見た。真っ直ぐななんの陰りもないやさしさにあふれた瞳だ。今日の蒼空に負けないくらいの透き通った瞳…。


「それにしても本当によいお天気ですね。」

“少女”はゆっくりと視線を空に向けながら言った。

“まったくです。”

私は何も言わずにうなずいた。


それからまたしばらく、私たちは空を眺めていた。時折、ふと“少女”に目をやると暖かい微笑みが返ってきた。そしてまた空を眺める。


“なんだか、、、とても落ち着くな…”

自分の部屋で感じる落ち着きとは少し違った感覚だ。いつもより暖かい落ち着き…。


“この ”少女“の笑顔のおかげかな… ”



「 えーん、、、えーん 」

突然の子供の泣く声に、、、私はふっと視線を庭に戻した。どうやら急に走り出して転んでしまったようだ。なかなか泣き止む様子はない、、、痛かったというよりはきっとびっくりしたのだろう…。


「男の子はないちゃだめだぞ!神様にこわーい顔でしかられちゃうよ。」


ふと気がつくと“少女”が子供のそばにかけよって頭をなでていた。まるでマリア像のように慈悲深く、、、やさしく微笑みながら…。


“この”少女“、、、どうしてこんなに鮮やかに微笑んでいられるのだろう…”



私はしばらくその様子を静かに見守っていた。いつのまにか子供の顔にも笑顔が戻っている。“キャキャ”っと嬉しそうな声が響いてきた。そこにはほのぼのとした世界が広がっていた。

しばらくして、子供の母親がやってきてしきりに“少女”に向かってお辞儀をした。“少女”は“いいえ、どういたしまして”というように丁寧にお辞儀をし、子供に手を振ってからベンチに戻ってきた。


「いいですねぇ、、、子供って、無邪気でかわいくって…」

“少女”は私に向かってまた微笑みかけた。

「ずいぶんと楽しそうでしたね。」

なんだか私の心までもが、その楽しさで満たされていくようだった。


“少女”は少し息をはずませて続けた。

「 ええ、とっても。子供大好きなんです。かわいくってかわいくって、、、普段はとなりの街の保育園で子供たちのお世話をしているんです。ここみたいに自然に恵まれた環境にないから、ちょっと可哀相なんですけど…」


“少女”がそう言ってちょっと切なそうに首をかしげた時、胸元でキラリと蒼い何かが光った。

「あ、ごめんなさい。眩しかったですか?」

私が少し目を細めたのに気付いたのか、“少女”は胸元からネックレスをはずした。よく見ると、“少女”の手のひらで光っているのは蒼く透き通ったボタンだった。ボタンの穴に銀色の細いチェーンが通してあるのだ。日の光があたると、キラキラとサファイヤのように輝いている。


「きれいでしょう。私の大切なお守りなんです。」

“少女”はとてもいとおしそうにボタンを眺めている。その瞳の暖かさが私にも感じられた。


私は“ ふっ ” と思った。

“ もしかして、、、この”少女“の微笑みは、、、この蒼いボタンのおかげなのだろうか…”



「 何年か前に、、、」

“少女”がゆっくりと話し出した。

暖かい、、、そして真っ直ぐな瞳が私に向けられている。私は少し緊張した。あまり目と目をあわせて話をするということがなかったからだ。しかし、、、なぜか目が離せない。



“そういえば… ”

私はふと旅人のことが頭に浮かんだ。真っ直ぐで、、、それでいて計り知れない寂しさを宿した瞳…。この“少女”とは対照的な瞳、、、しかし、その対照的な二つの瞳が私をひきつけるのだ。

“不思議だな…”



“ どうかしましたか?”

私の少し遠い視線に気がついたのか、、、“少女”が不思議そうに私の顔を見つめている。私ははっと我に返った。

“なんでもありませんよ。続けて下さい。”

ゆっくりと微かにうなずいて、、、“少女”の言葉を待った。


「 何年か前に、、、父がこの療養所にしばらくいたことがあるんです。少し心臓が弱ってまして…。」

“少女”はその頃を思い浮かべているかのようにゆっくりと続けた。


[ 私は、すごく動揺していました。忙しい仕事をなんなくこなし、家族への愛情も人一倍だった父が、、、ある日突然倒れたのです。信じられなかった、、、さっきまであんなに元気だったのに、、、私たち家族を暖かく見守っていてくれたのに、、、“なにがあったの?どうして?”って…。

しばらくの間、、、私は泣きつづけました。あまりにも自分の中で父の存在が大きかったから…。毎日のようにこの療養所にお見舞いに来て、でも笑顔を見せられなかった。明るく元気な姿を見せられなかった。父はそれを敏感に感じ取っていたんでしょうね。だからいつも“私は大丈夫だから安心しなさい。”って…。繰り返し繰り返し言っていました。父を元気付けなければいけないのは私のはずなのに、、、みんなちゃんとやってるって安心させてあげなければいけないのは自分なのに…。かえって父の負担になっていたんです。」


“少女”の、、、さっきまであんなに明るく暖かだった瞳がすこしだけ涙でくもっていた。


“大丈夫だろうか…”

私は少し心配になった。


「 毎日、、、このベンチで泣いてました。自分が情けなくて、、、なにもできないことが悔しくて、、、。でもね、そんな時にある男の方に出会ったんです。ちょうど今日みたいな日でした。とても蒼くて、、、そして果てしなく澄んだ空が眩しかったのを覚えています。その方は泣いている私に向かってこういったんです。“こんなに空が蒼いのに、、、透きとおっているのに、、、もったいないよ。”って…。」


いつのまにか“少女”のくもっていた瞳に明るさが戻っていた。


「“ 透きとおった空にこの蒼いボタンをかざすと、、、心が澄んで、、、なんだか心地いいんだ…”って、、、そう言って、この蒼いボタンをくださったんです。」


確かに、その蒼いボタンは暖かい日の光によってなんともいえないやわらかな色彩を帯びていて、やすらぎを感じさせた。


「それから何回かここでその方にお会いしたんです。ちょっとお仕事でお疲れだったみたいで、、、休暇をとっているんだとおっしゃってました。それなのに私を気遣ってか、いろんなお話をして下さったんです。いろんな国を旅したお話とか、、、本のお話とか、、、本当に楽しかった。そんな風にしていたら少しずつ心が軽くなって…いつのまにか笑顔を取り戻すことができてたんです。父もそんな私の変化に気付いたらしくて安心したのか、だんだんと回復して…今では以前よりも元気にばりばり働いてます。」


“少女”の顔には“ 父親の回復のうれしさ、、、自分の笑顔を取り戻してくれた男性への感謝の気持ち”があふれていた。


「 でも、、、しばらくして急にその方の姿を見かけなくなったんです。まぁ、休暇が終わってご自分の街へおかえりになったのだとは思うのですが、、、ただ、、、お礼も言えなかったのでそれが心残りで、、、。それで、、、もしかしたらまたここにいらっしゃるのではないかって思って、、、機会があるとここに来てみているんです。」


“少女”は少し複雑な表情をしていた。それほどその男性に感謝していたのだろう…。




「そろそろ帰らないと…。」

“少女”は立ち上がった。気がつくと、いつのまにか空がやわらかいオレンジ色に色づき始めていた。すっかり話こんでしまっていたようだ。


「ありがとうございます。とても楽しかった…。」

そういって“少女”は丁寧に頭をさげた。


「いいえ、、、こちらこそ…楽しいひとときをありがとう。」

私の、、心からの言葉だった。




“少女”は鮮やかな笑顔を残し、去っていった。


“さて、そろそろ私ももどらないと…。”

私はベンチから立ち上がった。


“今日、、、酒場にはどんな客がやってくるだろうか…。もしかしてあの旅人がまたやってくるかもしれない、、、”

そんなことを考えながら、、、私は暮れかかった夕日を背に小径を歩き始めた。