昼下がり 〜第6章〜

 

「久しぶりですね、、、ここにいらっしゃるのは。」

コーヒーをカップに注ぎながらマスターが言った。

「そうですね、、、ここのところ少し忙しかったので、、、でも、やっぱりここにくるとなんだか落ちつきます。コーヒーもおいしいし。ふぅっ、、、。」

俺は一息つきながら言った。

「そうですか、ありがとうございます。そう言っていただけるとコーヒーを入れるのがまた楽しくなります。」

マスターは微かに頭をさげながら表情を緩め、静かにカウンターに戻っていった。

「ふうっ、、、。」

俺はまた一息ついた。窓の外に目をやると、日差しはそろそろ秋のきざしを見せ始めている。

「もうじき夏も終わりだな、、、。」

俺は誰にいうでもなくつぶやいていた。

 

一昨日、千夏の研究室でのバイトが終わり、、、なんだか俺は放心状態になっていた。自分のペースで作業をしていたとはいえ、やはりかなり忙しく、、、そして充実していたのだと思う。実際、早坂に”ごくろうさま”と肩をたたかれた時には、ひざの力が抜け少しふらつく感覚を覚えていた。そして、家に帰った途端どっと疲れがでて、そのままベットに入るやいなやほとんど丸1日眠り続けた。やっと今日の午前中になって少し落ちついたということで、とりあえず気分転換もかねていつもの”この店”にやってきたのだ。ほんの2週間足らずの間来ていなかっただけなのに、なぜだかとても懐かしい気がする。

窓の外を眺めると相変わらずビジネス街らしく、サラリーマンが足早に行き来している。その中にやけに日焼けした学生の姿もちらほらあった。そろそろ夏休みも終わりに近づき、それまで遊びまくっていた学生がそろそろゼミだのなんだののレポートが気になり始めて、図書館に顔を出し始める頃なのだ。

 

☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・

 

”カラン。。。”

リクルートスーツを着た学生が入ってきた。たぶん何かの授業で一緒だったことのあるヤツなんだろう、、、顔に見覚えがあった。向こうも俺に気がついたらしく、一瞬”あっ”とした顔をしたが、何もいわず俺が座っている席から一番遠い席に静かに腰をおろした。俺は何の気なしにまた窓の外に視線を戻した。が、なんとなくヤツのことが気になった。かなり離れているにもかかわらず、視線を向けなくても緊張感が感じられる。”あまり見てはいけないな、、、”と思いつつも俺は気になってチラチラと視線を動かした。ヤツはを水を運んで行ったマスターに小声でボソボソと注文をし、テーブルの上に置かれた資料らしき紙を落ちつかない様子で見つめていた。そして、運ばれたアイスコーヒーに目もくれず、少し不自然なほど背筋を伸ばし、紙に視線を落としてはいるがまったく頭にはいらずという様子だった。

 

”カランカラン。。。”

しばらくして、小脇にジャケットとビジネス・バックを抱えた男性が入ってきた。年の頃は30代半ばといったところだろうか。かなり急いできたらしく、額がうっすらと汗ばんでいる。その男性はズボンのポケットからハンカチを取り出して汗をふきながら、店内をきょろきょろと見渡した。ヤツがその男性に気づいたらしく、椅子から立ち上がって軽く会釈をした。男性もそれに気づき、俺のところから少し離れたテーブルのほうに向かった。二人はテーブルをはさんでお互い軽く会釈をし、静かに椅子に座った。カウンターからマスターが水とメニューを持っていくと、男性が間髪いれずにコーヒーを注文した。マスターは静かに”はい、かしこまりました”とうなずき、静かにカウンターに戻り豆を挽き始めた。俺はその様子をなんもなしに眺めていたのだが、あまりじろじろと見るのも悪いと思い、冷めかけたコーヒーを口に含み、ふたたび視線を窓の外に移した。

”就職活動か、、、”

俺は通りをぼんやりと見つめながら、あらためてさっきの二人のことを考えた。当の二人はと言えば、少し小さめな声でじっくりと話をしている。

 

”俺も少し前はああいう風に見えていたのかもしれないな、、、”

ほんの数ヶ月前のことなのに、自分が就職活動をしていたことがすごく前のことのように思えていた。と言っても、俺の場合はゼミのつながりでかなりあっさりと決まってしまったので、あまり就職活動そのものの実感することなくその時はすぎてしまった。だから、どちらかというと周りが忙しそうにリクルート・スーツ姿で歩いているのを見ることで”あぁ、そんな時期だったな、、、”と思い出すみたいな、、、そんな感じだった。

 

俺は、コーヒーを口に含みそんなことを頭の中にめぐらせる。そしてまた、なにげなく先程の二人のほうに視線をむけた。なんだか話がよい方向に進んだのだろうか、二人ともほんの少し表情がやわらいでいる、、、そんな雰囲気が伝わってくる。

”決まりそうなんだろうか?ならよかったな、、、”

他人事ではなく、、、結構まじめにそう思っていた。”なんだかほっした”、そんな感じだった。俺は視線を反対側の窓に移し、冷めかけたコーヒーを口に含んだ。

 

 −この就職難の時代に楽できていいよな。俺なんかもう数えるのもイヤなくらい会社訪問してるけど全滅しちゃって、、、もう一回最初からやりなおしって感じだよ。。。 −

 

少し前にはこんな言葉をよく耳にしていたから、なおさらそういう風に感じたのかもしれない。クラスでそこそこ仲がいいヤツの嫌味まじりの愚痴が、結構俺に精神的プレッシャーを与えていた。

”でも、、、俺だって何も苦労せずにのほんと過ごしてるわけじゃない、、、お気楽に遊びまわったり、いたずらに時間を過ごしているわけではないんだ。自分の気持ちを抑え込むために自分なりに相当悩んだり苦しんだりしてるんだ。”

気がつくと、窓の外の景色の中にせわしなく歩いているリクルート・スーツに身を包んだ学生の姿を目で追っていた。

”確かにある意味ではとても楽をさせてもらって苦労を知らないと言われたらその通りだ。わけがわからないまま拒絶されたり、自分の必要性を否定されたりすることで精神的苦痛を受けてもいない。社会の厳しさを肌で感じていないのは事実だ。でも、、、だけど、、、、俺にとっては”たままたスムーズに就職先が決まってしまった”というそのことが、逆に今になってから自分の進む道に疑問を抱き、うだうだと悩む状況を生んでいるような気がする。ま、就職活動の辛さや厳しさを実感してないから、”自分の進む道が、、、”なんて言葉がでてくるのかもしれないけど、、、。”

俺はそこまで考えて、これ以上はやめようと思った。だけど考えずにはいられなかった。

”この状況に従順であることは、まわりを納得させ、満足させることだろう。だけど、、、そこにその状況とは異なる”自分の意思”みたいなものを入り込ませる余地はないのだろうか、、、。”

俺の心の中で、ここ数日間忙しさと充実感のおかげで影をひそめていた疑問がふたたびひょっこり顔をだしていた。

 

☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・

 

”カランカラン。。。”

少し勢いづいてドアが開いた。横目でで”どこかみたことのあるなぁ、、、”と振り向くと、その長身のメガネの青年は早坂だった。

「やぁ、何こんなところで暇そうにしてるんだ?なんならまたこき使ってやろうか?」

早坂も俺に気がつき、カウンターでブレンドを注文してから、俺の座ってる席に近づいてきた。

「いやぁ、、、さすがにもう結構ですよ。ずいぶんとこき使われましたからねぇ、、、。」

俺は冗談っぽくきりかえした。

「そうか?バイト終わってさみしいって顔に書いてあるのは気のせいか?」

そう言って笑いながら早坂は俺の向かい側に座った。そして、日が傾きかけ西日でオレンジ色に染まりはじめている街を少しまぶしそうに眺めた。そろそろ夏が終わると言っても、夕方の西日はまだかなりきつい。

「確かに、、、バイトが終わってしまってなんだか気が抜けてしまったってのはありますね、、、ほんと充実してましたから、あの研究室での手伝いは。」

俺は少し間を置いてそういった言った。本音、、、のつもりだった。

「うまく現実逃避ができたからじゃなくてか?もし、ほんとうにそうだったんならこっちとしてもうれしい言葉だけどな、、、。」

早坂は窓の外に視線を向けたまま静か含みのある笑みを浮かべてに言った。二人の間に微妙な沈黙が流れた。

「現実逃避って、、、いや、これ正直な気持ちですよ。確かにバイトを始める前いろいろ悩んではまったりしてて、、、これ言っちゃ失礼な話なんですが、なんていうかな”その場の勢いと気分転換”、、、確かに現実逃避みたいな感覚はあったんです。だけど、、、実際作業とお手伝いさせてもらい始めてからは、そんな感覚はふっとんでたというか、、、とにかく夢中になってましたから。ちょっとおおげさすぎるかもしれないけど、、、。」

俺は少しあたふたしながら口をひらいた。なんだか少しムキになっていて、顔が赤らんでいるのを感じた。

「ははは、そうムキになるなよ。別にそれならよかったんだけどね、、、ただ充実した時間を過ごしたって言ってるわりに、何か発散されてないものを感じるんだけどね、、、今の君の表情。」

そう話す早坂の表情はおだやかに見えたが、目は真剣だった。

”今の俺の心、、、すっかり見透かされているみたいだな、、、。”

俺はなんだか力が抜けて、がっくりと肩を落し下を向いて小さくため息をついた。

"そういえば、、、海にも俺の考えてることはすっかり見透かされてた。俺ってもしかしてわかりやすいのか?”

なんだか俺は、自分端から端までを観察されているような気がしてきて、その場に座っていることがすごくはずかしくて落ちつかない気分だった。なんとか平静をとりもどそうとグラスを手に取り、浮かんだ氷をカランと鳴らしてみた。その音は、俺の気分とは対照的に乾いた涼しいものに感じられた。

 

 二人の間に、また少し沈黙があった。ほんの数十秒くらいがとても長く感じられた。マスターがテーブルにやってきて、早坂の前に水とおしぼりを静かにおいて戻って行く。それをきっかけに、動きのなかった空気に流れれが戻ってきたような気がして俺は少しほっとした。

「ったく、、、痛いところをついてきますね、早坂さんは。確かに俺、今自分がどうしたらいいかわからない状態なんですよ。いや、もうずっと前からこの問題は抱えているんですけどね。バイトをさせてもらっている時はほんと充実していて、そのことはすっかり頭から離れていた、、、それが現実逃避って言えばそうなのかもしれませんが。ただ、バイトで充実した時間を過ごしたことが、、、それまで以上に自分の抱えている問題が重く感じてしまうようになったというか考えさせられてしまってるんですよね。」

俺は、、、空気の流れを感じたのが引き金になったのか、半ば無意識的に言葉を口にしていた。早坂にこんな話をするつもりはぜんぜんなかったのだが、、、ほとんど勢いにまかせて口を動かしていた。一気に話したせいか、口を止めると少し息がきれた。なんだか脳に酸素がいきわたってないようなくらくらした感覚だ。

「へぇ、、、で、その抱えてる問題ってなんだよ。」

俺の力の入り具合とは対照的に、早坂は、なんだか気抜けするくらいあっさりと聞いてきた。まるで関心のない世間話を適当に流しているような、、、そんな印象を受けるくらい。そして、グラスの水を少し口に含み、俺のほうに向き直り、足をくみかえた。

「そんなサラっと話せることでもないんですが、、、ま、この時期俺たちが考えるごくありふれた問題ですよ。自分は何をしたいのかとか、、、進むべき道はなにかとか、、、そんな感じの、、、。」

俺は早坂のあまりにもあっさり口調に少し動揺し、口ごもり気味になった。

「あぁ、、、それ系ね。で、どうしたいんだ?君は。」

早坂は相変わらず淡々とした口調だ。かと言って、別にいいかげんなわけではないのは目を見てわかる。

「そうずばり聞かれると答えようがないんですが、、、とりあえず就職は無事に決まったわけですけど、他に自分で気になることがあるというか、、、そういう感じなんです。」

俺はすごく歯切れの悪い話し方をしてるのが自分でもよくわかった。丁度この前の瑞希がそういう歯切れの悪い話をしていたのを思い出し、同じような自分に苦笑しそうになった。

「ふぅん、、、で、君本気でそれやりたいの?気になってること。」

「えぇっと、、、は、はい。たぶん、、、。」

早坂のきりかえしは気持ちがいいくらい速く、俺は自分の言いたいことを考えるペースがついていかず、また口ごもってしまった。

「あれ?たぶんってことはそれほど本気ってわけじゃないわけ?」

俺はメガネの奥で早坂の瞳が微妙に動いた気がした。

「いや、俺だったら、、、本気で”これがやりたい!これだよこれ!”って思ったら、きっと”たぶん”って言葉はでてこないからさ。性格的に迷う前に即実行に移しちゃうタイプなんだよな、俺。それが原因で痛い目を見ることも多いけど、、、。」

「え、、、そうなんですか?」

俺はなんだか驚いて少しうわずった声で聞き返した。ちょうどその時マスターがコーヒーを運んできて、早坂の前に置いた。コーヒーから立ち昇る湯気を俺は黙ったままじっと眺めた。それを見た早坂は、微妙な笑みを浮かべて言った。

「君、、、おかわりは?」

早坂にそう言われて、俺は自分のカップがカラになっていることに気がついた。

「すみません、おかわり下さい。」

俺はカウンターに戻りかけたマスターの背中ごしに言った。マスターはふりかえり”はい、少しお待ち下さい。”という風にうなずいた。

 

「で、なんでそんなに驚くわけ?」

早坂は相変わらず微妙な笑みを浮かべている。

「いや、、、あの、だって、、、早坂さんはものすごくきちんとしるというか、、、あんましこういういい方は好きじゃないけど”あんまりつまづいたことのないエリート”ってイメージが、、、。」

俺は少しうつむきながら小声で言った。

「ははは、、、俺ってそんな風に見えるのか?まわりのヤツらに聞いてみろよ、そりゃ大きな誤解だ!もめごとしょっちゅう、、、痛い目にあってばっかりだ。それわかってるくせに、どうも思い立ったらそれに連動して体が動いてるっていうか、、、そんな感じなんだよな。さすがに今は立場的に自分の行動を抑制しないといけないことが多いけど、それでもなんだかんだ言って結構やりたい放題やらせてもらってるんだよな。まわりはほんといい迷惑だよ、、、。ってか、、、君のほうこそあえて言うけど”超優等生エリートくん”ってイメージがあるけど、、、おまけに自分の感情をあまり表にださないポーカーフェイス、、、ま、今日はちょっと違うみたいだが、、、。」

早坂は相変わらず微妙な笑みを浮かべている。

「いや、、、えーっと、確かに今日はしゃべりすぎてます。普段似たような事言われます。一線引いてるとか、、、。」

そう言いながらおれは初夏の頃、この場所で瑞希にそう言われたことを思い出していた。

”あれからずいぶん時間がたってるように思えるけど、、、俺の気持ちはぜんぜん整理がついてない、、、。”

「一線引いてるか、、、良くも悪くもとれる言葉だな。でも、そういうのはどうなんだ?俺だったらつまらないかもしれん、、、ほら、渦中にいたいタイプだから。でも、その場その時だけじゃなくて、もっと全体や先を見通すにはそういうスタンスもある意味必要なんだ。俺、この年になってやっとそういうことがわかってきたんだ、、、なさけないことにね。」

早坂はそう言ってなんだか無邪気に笑った。

「この年になってって、、、まだまだ早坂さんだって若いじゃないですか。」

「いや、、、さすがにそろそろやばいよ。なにかしら自分なりにある程度の答えをださないと、それがすべてではないにしろね。ま、だいたいつかんできてはいるようではあるんだが、、、。」

「それって、、、自分の進む道ってことですよねぇ、、、。」

「ま、そういうことになるかな。結局自分の思ったものをがむしゃらにやるみたいな感じだけど。」

早坂はそう言ってコーヒーを口に含んだ。まだ湯気のたつコーヒーは早坂のメガネを微妙にくもらせた。

「ってことは、、、ちゃんとやりたいことが見つかって、それを実行してるってことですよねぇ、、、。」

俺はひとり言のようにつぶやいた。

「いや、そんな大げさなことじゃない。”ただやりたいからやってる、、、”ほんとそんな感じだよ。たぶんよく考えるってのが性に合わないんだろうな。ま、多少は悩んだりはしてるけど、、、これでもね。たまに思うよ。”もっとよく考えてたらもっと違ったものが見つかるんじゃないか”とかね。」

早坂はポケットからきっちりアイロンのかかったハンカチを取り出し、メガネをはずしくもりをふきとりながらそう言って笑った。

「そうなんだ、、、でも、それで後悔とかはしてないんですよね。」

「うーん、、、。」

早坂はメガネをかけなおし、一瞬考え込んだ。

「それを簡単に答えるのは難しいな。ただ、自分で納得して選んだわけだしね。きっとどういう選択をしたところで多少の迷いなんかはないわけないんだろうし。とりあえず”これをやるしかない!”って自分に思い込ませてる部分はある。ま、ごくまれに”すぱっ”ってわりきれちゃったりするヤツもいるんだろうけどな、、、。」

「なるほど、、、。」

俺はまただまりこんでしまった。

「ま、多いに悩むの結構!いろいろ悩んで失敗してみてくれよ。」

早坂は少しふざけた感じでそう言い、”うぅ、、、ん”と気持ちよさそうに背伸びをした。

「えぇ、、、はいぃ?そんな、、、悩めって、、、。」

俺はその言葉に少しあっけにとられた。

 

「だからさ、、、要はそんなに急いで答えを出さなくてもいいんじゃないかってことだよ。」

早坂はメガネをはずし、カップに手をかけながら言った。普通よりも少しグレーがかった薄茶の瞳は、なんとなくどこを見ているのかはかりかねる印象があった。

「確かに、、、。」

コーヒーを一口飲んで、早坂は続けた。

「その時期その時期のタイミングとか節目はあったりするし、絶好のチャンスを逃しちゃいけないってこともある。ま、君にとってその時期がいつなのかは俺にはわからないけどさ。就職活動だってある意味”これからの自分の進む道”を方向付ける時期の1つだから、みんないろいろ考えるし、改めて”自分ってなんなんだ、、、。”って自問自答したりする。だけど、そう簡単には答えはでないし、例え答えがでたって、その事がこれからのすべてを決めてしまうわけでもないと思うんだよね、、、俺は。」

「そうなんですけど、、、。」

俺は早坂のもっともな意見になにも言えなくなった。

”そうなんだ、、、俺はどこか焦っている気がする。まわりがいろんな意味で動き始めているというのがかなり影響しているのだろう。確かに”物を書きたい”という気持ちはずっと心のどこかにあった、、、でも、ほんのこないだまで”それを仕事にしよう”とかそういうことを真剣に考えてはいなかったはずだ。瑞希との話がきっかけで海のことを思い出し、、、ふとしたことからバイトをやり、、、いつのまにかなんだか”物を書く”ことイコール”仕事”という図式が俺の頭の仲で出来あがっていた。

 

☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・☆。・。・。☆・。・。・

 

「さて、すっかり長居してくつろいじゃったな。そろそろ戻らないと、、、学会の最終チェックが間に合わなくなったら困るからな。」

そう言って早坂は立ちあがった。俺は少しはっとして顔を上げた。

「おいおい、なんだかさっきよりさらに覇気がなくなってるぞ。俺が言ったことなら聞き流しとけよ。別に君には君のちゃんとした考えがあるわけだし、今までだっていろいろなことをきちんと”自分で”判断してきたんだから、、、今までどおりでいいんだよ。人の意見なんてものは”そういうのもあるなぁ、、、。”くらいなもんで、いちいち従う必要はないんだぞ、”優等生くん”。」

早坂はそう言って俺のわきを通りすぎながら肩を軽くポンっとたたいた。

「早坂さん、その”優等生くん”ってのやめてくださいよ!ったく、、、。」

俺はつい立ち上がって反論した。

「冗談だよ、冗談!そんなにむきになるなよ。あ、ここおごってやるよ。あらためてバイトお疲れ〜ってことで。」

早坂はカウンターでコーヒー豆を受け取りながら言った。

「え、そんな、、、すみません。って、、、早坂さんもここのコーヒー豆買ってたんですね。」

「あぁ、学生時代からここのコーヒーにはお世話になってるから、、、ね、マスター。おかげで、ほんともうインスタントとか飲めなくなっちゃってさ、、、。」

「いつもごひいきにしていただいております。」

マスターがひかえめに、、、そしてうれしそうに言った。

「じゃ、またな。」

 

”カランカラン、、、。”

早坂は肩越しに手を振りながら出ていった。

「ふぅっ、、、。」

俺は腰を下ろし一息ついた。店の中を見渡すと客は1人になっている。窓の外では相変わらず人があわただしく行き来している。

”あせらず多いに悩めか、、、。確かに、俺あせってて周囲が見えなくなってるのかもしれないな。”

冷めかけたコーヒーを口に含むと、いつもにくらべてなんだか少し苦く感じた。

”さて、どうしたものか、、、。”

さっきの二人がいた席を見ると、いつのまにか二人ともいなくなりテーブルの上はきれいにかたづけられていた。

”うまくいってるといいな、、。”

俺はそんなことを思いながら窓の外をぼーっと眺める。店で静かに流れている音楽が心なしかいつもより心に響いてくる感じがした。

 

「ふうっ、、、。」

無意識に今日何回かめのためいきをついた。そのためいきは、、、糸の切れた凧がふらふらと空(くう)をさまようように俺のまわりを漂っていた。

 

 

 

2003.9.13 written by kanon