昼下がり〜第5章〜

 

「少し休憩にしていいよ。コーヒーでも飲まないか?」

俺の背後から白衣を着た長身の院生が、PCのディスプレイを覗き込みながら声をかけてきた。

「いただきます。あ、自分がいれますよ。」

俺は一息ついてから椅子から立ち上がり、1度大きく伸びをした。コーヒーメーカーの置いてあるテーブルは俺が作業をしている部屋の隅の方にある。ゆっくりと歩を進めながら”ふっ”っとガラスごしに隣の部屋に目をやると、さっきの男性と同じように白衣を着た院生達数人が真剣な表情で作業を続けていた。そこには指示を受けながらパキパキと動いている千夏の姿もあった。

”がんばってるな”

俺はそんな千夏の様子を見てとても頼もしく思った。

コーヒーメーカーにフィルターをセットし、お店で挽いてもらったコーヒー豆をスプーンですくった。ほんのりとコーヒーの馨りが漂いはじめる。この研究室はコーヒー好きが多いらしく、各自がインスタントではなく挽いた豆を持ち寄るのが習慣らしかった。おかげで、俺はバイト中もなかなかおいしいコーヒーにありつくことができている。

「バイトく〜ん、、、俺砂糖とミルクたっぷりな!ブラック飲みすぎで最近ちょっと胃の調子悪いんだ、、、。」

長身の院生はそう言うと、イスにドカっと腰掛けて大きく伸びをし、”ふぅっ”と息をついた。

「胃の調子って、、、ストレスと疲れじゃないですかぁ?早坂さん、最近ほとんど寝ずに作業続けてるじゃないですか。ま、他の方達もそうだけど、、、いつも学会前はこんな感じなんですか?」

俺は、ホワイト・ボードに書かれたスケジュールに目をやりながら言っった。学会前日までスケジュールはびっしりだった。もともと余裕をもって立てられた計画が、実験が予想以上に時間がかかってしまっているらしく、1分1秒も無駄に出来ないという雰囲気が研究室に漂っていっているのが感じられる。

”本当に好きでなきゃ、こんな過密スケジュールこなせないよなぁ。。。”

俺はしみじみ思った。

「ま、だいたいこんなもんかなぁ、、、。結構実験ってヤツはさぁ、いくら余裕を持って進めようと思っても大概スムーズに行かないもんなんだ。だから別に驚きもしないんだが、、、でも、今回はこれでも君が来てくれてるおかげで全員が実験に集中できてるから結構楽なほうなんだ。ほんときみにはみんな感謝してるんだよ。でも無理はしないように気をつけてくれよ。俺達とちがって慣れてるわけじゃないんだから。。。」

早坂という院生はそう言って少し笑い、そして目をつぶった。

「ありがとうございます。でも、こんなこと言ってちゃいけないのかもしれないけど、、、俺これでもなにげに楽しませてもらってるんです。わからないことだらけだけど、、、なんていうかな、未知の世界に少しだけふれてるみたいな、、、。」

俺がそういって振り向くと、いつのまにか早坂はイスに座ったまま静かに寝息をたてている。

”そうとう疲れがたまってるみたいだな、、、。”

俺はそうっとコーヒーカップをテーブルに置き、自分の席に戻り音をたてないようにキーボードをたたき始めた。

”もうどのくらいデータなんかをインプットしただろう、、、。”

俺はふっと考えてみた。ディスプレイの隣には実験について箇条書きされた原稿用紙やデータを保存したMOなんかが無造作に積み重なっている。俺がふられた作業というのは単純な文書のインプットがほとんどで、指示を見ながら地道に進めていくものだ。だから慣れてくると結構サクサクとこなすことができていたはずなんだが、、、さすがに処理する量が半端じゃないのか、”やってもやっても追いつかない”という感じがする。”だいぶはけたなぁ。。。”と思って横を見ると、いつのまにか新たに紙が山積になっているのである。

「ふぅっ。」

俺は小さくため息をついた。と言っても、別にいやだとか辛いとかいった類のものではなく、、、なんて表現したらいいだろう。”夢中でがんばったあとの心地よい疲労感から自然に。。。”といったため息だった。

”そうなんだ、、、忙しいけれど、充実感でいっぱいなんだ。。。”

 

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瑞希と話をしたあの日の夕方、俺はある意味勢いで千夏に電話をし、誘われていた研究室でのバイトをOKした。千夏は早速話をつけてくれ、その日の夜遅くに院生から連絡があった。”急で悪いができればその翌日から来てくれないか”と言うことだった。俺自身、とりたてて用事もなく、ある意味時間をもてあましていたのだが、次の日からという話には正直少しとまどった。”やってみよう”と1度は決めたものの、やはり未知の分野にふみこむというのは俺にとってすごく勇気のいることだった。おまけに、この先の自分についてまだ決めかねているといった自分なりにかなり切羽詰った状態なのに、他のことをやってる余裕なんてないんじゃないかっっていう気持ちもあったわけで、、、。だけど、、、いざ思いきってバイトをはじめ、新しい環境に身をおいてみると、その”忙しさ”と”充実感”が未だきちんと整理できていないでいる俺の中のもやもやした気持ちや迷いなんかを忘れさせてくれていた。

”引き受けてよかったな、、、。”

俺はそう心から思っていた。別に”現実逃避”というわけではなく、、、純粋にそう思っていた。

 

ここでのバイトもそろそろ10日が経つ。さすがに最初の1日2日は慣れない環境やわからないことの連続で、バイトが終わって家に帰るなりベットになだれ込んでいた。作業そのものよりも、緊張感からくる疲労がすごかったような気がする。だが、一通り作業の要領を得、なんとなくその場の雰囲気にも慣れてきた今では、自分のペースがつかめてきて、ひたすらデータや文字を追うだけじゃなく、”どんな内容なんだろう?”なんていう風に、わからないながらも考えをめぐらす余裕なんかもでてきていた。

”今までは、、、興味があってもなかなか接する機会がない世界だったから、少し得した気分だな。。。”

そういう意味でも俺は満足感を得ていた。

千夏の属しているこの研究室はバイオテクノロジーを専門としていて、主として”遺伝子組替え農産物”なんかを扱っている。難解ではありながらも、少しずつそういった内容の資料なんかを目にしていると、俺個人としても”場合によっては研究の成果がこの先の世界における農産物などの安定供給を確保するなどといった大きな問題にも役立つんじゃないか”とかそんな印象を持ったりもしていた。”染色体の組み合わせの螺旋が、、”とかそういう細かくて専門的な事を言われると、正直ほとんどわけのわからない状態だったが、その具体的な要素が研究されていくことで、単純かつ楽観的に考えれば”世界を救える”みたいな大げさことさえ言ってしまえそうな、、、そんな感じがして自然と興味がわいていたのだ。

一般的に”遺伝子組替え”って一言いうと、なんだか馴染みがなくて、”どういうものなのか”、そして”どのような仕組みで行われているのか”という事に関してほとんど認識がない事なんかから、今の日本社会において抵抗感は相当なものだろう。だけど実際はというと、安全性を確認した上(ま、ここの時点で大丈夫かと言われたらどうとも言えないのだが、、、)で、少しずつ日常生活に浸透してきているのも事実だというような話も聞いた。例えば、”害虫に強いイネ”とか、”日保ちのするトマト”なんかが身近なよい例らしい。

”もしこの先、研究がさらに進められ、ぞくぞくとそういったある意味”安全性が確認された優秀な作物”が増えていけば、、、。”

俺は単純に”ふっ”とそんなことを考えながら、もしそうなら自分のやっている作業も”少しはこういった研究が認知されていくのに役にたっているのかもしれないな”っと少しばかり得意に思ってみたりもしていた。で、無意識のうちに”なんとなく表情がゆるんでいる”というようなことも、、、あるような気がする。というか、今まさにそんな状態、、、なのかもしれなかった。

 

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「こら!なにボケっとしてるのかな?バイトくん。」

俺は”はっ”と我に返り後ろを振り向くと、笑いながら千夏が立っていた。

「なんだよ、急に。びっくりするじゃないか。。。」

俺は画面のほうに向き直りながら、つっけんどうんに言った。

”もしかしてニヤついてたのを見られたかもしれない、、、。”

俺はそう考えたらなんだかすごくはずかしくなった。顔が少し赤くなっているのが自分でもわかった。

「なによぉ、、、心配して様子を見にきたっていうのに。ったく。」

千夏は少し口を尖らせて言った。俺の顔が赤くなっているのなんか全く気づいていないみたいだ。

「で、どう?調子は、、、だいぶ慣れてきてるみたいだけど。」

千夏は急に態度をかえて真面目に聞いてきた。

「そうだな、、、結構マイペースでやらせてもらってるから問題はないよ。疲れが次の日に残るほどの忙しさってわけでもないし、、、千夏たちには申し訳ないけどな。。。」

俺はそう言いながら苦笑した。毎日まわりのあわただしい様子をまのあたりにしていると、さすがに作業をこなしているとはいえ”自分ばっかり楽してるみたいで悪いな”っとか思ってきてしまう。

「あら、、、、渉だってがんばってくれてるじゃない。”よくやってくれてる”ってかなり評判いいんだよ。ってか、、、誰かしらマイペースで冷静でいてくれないと困るのよ!みんな壊れちゃったら収集つかないでしょ。」

千夏は今にも笑い出しそうに言った。いつも思うことだが、千夏の笑顔には人を元気にする力があると俺は思う。少なくとも俺は”その笑顔”に数えきれないくらい”ほっ”とさせられている、、、。

「って、、、みんな壊れるってどういうことだよ。ま、このハードスケジュールじゃ、普通でいられるほうがある意味おかしいのかもしれないけど。。。」

俺はそう言って苦笑した。

「そそ、そろそろみんなかなりおかしなテンションになり始めてるんだよね、実は。いわゆる”徹夜明けの次の日のナチュラル・ハイ状態のすごいヤツ”みたいな感じかな、みんな。わたしはまだ院生ってわけじゃないから、ある程度気を使ってもらって休んでるけど、、、ほら、そこで寝てる早坂さんなんて、教授からの指示を正確にみんなに伝えたりするいわゆる”しきり役”だったりするから、ほとんど休んでないんだよ。自分で許容範囲をちゃんと知っててやってるんだろうけど、、、それにしても辛いはずなんだよね。でも、、、辛いの通り越しちゃって、みんな異様に陽気なのよ。ちょっとこわいよ、、、ははは。」

俺は、千夏の言葉からは本当に大変なのだということをしみじみと感じ取った。

”一つの目標に向かってがんばり、そしてきちんと成果なり結果を出すことはやはり一筋縄じゃいかないんだ。その物事に対するひたむきな情熱と努力、、、そして覚悟が必要なはずだ。”

俺はそんなことを考えながら静かに寝息をたてている早坂のほうをふりかえった。俺は、気持ちよさそうに眠っている寝顔ごしに、、、どんな苦境にも動じない強くて真っ直ぐな柱のようなものを見た気がした。

 

「コンコン、、、。」

不意に研究室の入り口をノックする音がした。

「あ、もしかしてきたかな?」

そう言って千夏はイスから立ち上がってドアのほうへ向かった。

「お客様なのか?じゃ、静かにしてないとな。。。」

俺はPCに向き直り、マウスを動かし始めた。

「あ、違うよ。きっと瑞希くんだと思うんだ。実はね、みんなの休憩のためにお菓子買ってくるようにお願いしてたんだ。そろそろくる頃だから、、、。」

千夏は足をとめ、俺のほうを振りかえって言った。

「おい、お前瑞希を使いっぱにしてるな!あいつだって結構いろいろと忙しいんだから、、、その辺考えてやらないと”恐いお姉さま”って言われちゃうぞ。」

俺はそう冗談交じりに言って笑った。

「大丈夫よぉ、だって瑞希くんはわたしのかわゆい弟くんですもの!ふふ、、、。」

千夏がそう言いながらドアを開けると、予想どおり瑞希が立っていた。両手はケーキの箱でふさがっている。ケーキの箱なんて持っているのがはずかしいのか、微妙に瑞希の顔は赤くなっていた。

「こんにちわ、夏先輩。頼まれてたケーキ買って来ましたよ。もう、、、人使い荒いんだから、、、男がケーキとか買いにいくのって結構勇気いるんですよ。」

瑞希はそう言って少しすねてみせた。

「あら、、、瑞希くんでもそんな風に思うんだ。かわゆいからそういうのぜんぜん気にしないと思ってた。。。」

千夏は、今にも笑い出しそうなのを一生懸命こらえならがからかい半分に言った。

「失礼なこといわないでくださいよ!もう、、、渡しませんよ、このケーキ。」

千夏の言葉に瑞希は顔を真っ赤にして反論した。

「まぁまぁ二人とも、、、仲がいいのはわかったから。。。千夏、お茶の準備をしたほうがいいんじゃないか?」

俺は少しあきれ気味に言った。

「あ、先輩そこにいたんですか?いるならいるで助け舟だしてくださいよ、、、ひどいなぁ、もう。」

「ひどいって言われてもなぁ、、、。ま、そんなところに突っ立ってないで入れよ。」

俺は手招きしながら言った。

「じゃ、ちょっとわたしはお茶の準備するね。」

千夏はそう言って瑞希の手からケーキの箱をとりあげ、得意げに隅にあるテーブルに向かった。ケーキがよほどうれしいのか、かすかに鼻歌まで聞こえてくる。

俺は自分の使っているPCのそばにもう一つ椅子を引き寄せ、瑞希を座らせた。

「先輩、調子はどうっすか?結構大変なんじゃ、、、なんせぜんぜん畑違いなことだし。。。」

瑞希はPCの画面をのぞき込みながら言った。

「うーん、そうだな。始めはかなり戸惑ったけど、、、今は自分のペースつかんできたからわりと気楽にやってるよ。結構おもしろいんだよな、これが。」

俺はゆっくりとキーボードをたたきながら言った。

「ふーん、、、そうなんだ。俺にはなんだかぜんぜんわけわからんっす。頭パンクしそう。。。」

瑞希は、PCの画面とその横に無造作に置いてある細かく指示の書きこまれた原稿用紙とを交互に見ながら”ぽりぽり”と頭をかいた。

「あはは、、、まぁ、初めて見たらそうだろうな。で、お前のほうはどうなんだ?勉強は順調なのか?」

俺は自分のこともさることながら、瑞希の様子もかなり気になっていたのだ。

「あ、順調かどうかはわからないけど、、、とりあえず動き出してはいますよ。今日も図書館でいろいろと情報収集してるところを夏先輩につかまったって感じで、、、。」

瑞希は少し小声になってチラっと千夏のほうに目をやった。

「やっぱりあいつ、お前の邪魔したんだ、、、しょうがないヤツだ。」

俺はキーボードをたたきながら苦笑した。

「そうなんですよ!って、、、それは冗談っす。たまには息抜きも必要だし、、、先輩どうしてるかなって気になってもいたから、、、。でも元気そうで安心しました。」

瑞希はそう言ってニコリと笑った。

「おいおい、、、お前なんだか随分余裕だな。大丈夫なのか、、、ほんとに。」

「え、、、ダメそうに見えます?自分結構いけると思ってるんだけど、、、この前先輩と話したじゃないですか。あの後、親父と話をしたんですよ。そしたらすっきりして俄然やる気わいてきちゃって、、、このまま勢いで行けちゃいそうな気がするんですよね。でも、、、やっぱ勢いだけじゃだめっすかね。」

瑞希は”はは”っとまた頭をかいた。

「お前、親父さんに話したのか。納得してくれたのか?お前のやりたいと思ってること、、、。」

俺は驚いてキーボードをたたく手をとめて、瑞希のほうに向き直った。

「納得もなにも、、、自分そういうところは要領いいっすから、、、。とりあえず具体的なことははぶいて”公務員をめざすことにしたんだけど、、、。”ってことだけ話したら、親父も”ま、安定してるし確実な仕事だからな。”って、世間一般に言われてる”型どおり”の言葉を返してきましたよ。まさか、地方の小さな町とか村なんかの公務員をやりたいって思ってるなんて想像もつかないだろうなぁ、、、。試験に受かってから真実を暴露みたいな、、、。」

そう言っている瑞希は、どこか小さな子供が親にかくれていたずらをしている姿を思わせた。

「想像もしてないだろうなぁって、、、お前なぁ、、、。」

俺は少しあきれ気味に言った。

「いや、だって自分、、、たぶん親父に反対されたら”しょうがないな”ってあきらめそうだから、、、。これでも一応それなりには親のニーズには応えてきてたつもりなんで。でも、今回は自分の気持ちを信じてみたいんです。だから、、、多少の隠し事には目をつぶってもらうってことで、、、。」

”はは”っと微かに笑いながらも、、、そう言っている瑞希の瞳はさっきの子供の無邪気さとは対照的に、真っ直ぐで透き通ったものだった。

「そうか、、、。」

俺の口からはそんな短い一言しかでなかった。

”瑞希、、、本気なんだな。。。”

その真っ直ぐで真剣な瞳に、俺の心は何か”ずっしりとした重さ”を感じていた。その”重さ”は、忙しさや充実感で表面上忘れ去られていたかに思っていた”心の迷い”を引っ張り出し、そしてそれを粉々に砕いてしまいそうな、、、そんな”重さ”だった。

 

[そろそろきちんと自分の気持ちに向きあえよ、、、。]

 

俺の後ろで静かな声が聞えた、、、聞えた気がした。俺は”はっ”とした。

”今の声はいったい、、、。”

俺は振り向いて部屋の中を見まわしたが誰もいない。早坂のおだやかな寝息とコーヒーを入れるコポKポという音だけが静かに響いているだけだった。

「先輩、どうかしましたか?」

瑞希が怪訝そうに言った。

「あ、何でもないよ。まぁ、とにかくがんばれよな。」

俺は少しとってつけたように言った。

 

「お茶の準備できたよ!渉、早坂さん起こしてもらえる?」

千夏が俺と瑞希のほうを振り向いて小声で言った。

「え、起こしていいのか?このまま寝かせておいたほうが、、、」

「そうなんだけどね、、、でも、早坂さん今日ぜんぜん何も食べてないからね。甘いものでも食べて脳に栄養補給してからまた休んでもらったほうがいいかなって思ってね。」

千夏はそう言いながらケーキを箱から取り出して皿に並べ始めた。俺は椅子から立ち上がり、早坂が寝ているソファのほうへ静かに歩を進めた。

「じゃ、自分はそろそろ退散します。お二人とも無理しないでくださいね。」

そう言って瑞希も椅子から立ち上がった。

「え。瑞希くんもケーキ食べて行けばいいのに、、、。」

「いや、自分もそろそろ戻らないと、、、やる事たくさんあるし。せっかくなのにすみません。」

「そっか。じゃ、ちょっと待って!」

そう言って千夏はテーブルの隣にあるロッカーからトート・バックを取りだし、その中からリボンのついた小さなセロファンの包みを取り出した。

「自分で食べようと思って買ったんだけど、、、瑞希くんにおすそわけ。今日はほんとありがとね。」

千夏はニッコリと笑って瑞希のところまで行ってその包みを渡した。

「え、夏先輩いいんですか?うれしいな。実は自分もちょっと甘いもの食べたいなって思ってたんですよ。またいつでも使いっぱにしてください。」

瑞希はとてもうれしそうに言った。

「あはは。瑞希くん、、、現金だね。さっきはぶーぶー文句言ってたくせに。」

「キャッシュなヤツとでもなんとでも呼んでください!うれしいものはうれしいんです。ではではお邪魔しましたぁ。先輩もまたです。」

瑞希はそう言って部屋を出ていった。

「やっぱ瑞希くんってかわゆいよね。あんな弟欲しかったな。」

千夏は楽しそうに言った。

「あっちは迷惑かもしれないぞ、、、。」

俺は苦笑した。

「そんなことないよ、、、絶対!”素晴らしいお姉さま”って思ってるはずよ。さて、、、みんな呼んでくるね。」

千夏はそう言って隣の部屋に入っていった。

 

”ふうっ、、、”

俺は小さく深呼吸した。瑞希と千夏のいなくなった部屋には、いつのまにかさっきまでの静けさが戻ってきていた。

”それにしてもさっきの言葉は、、、。”

俺はソファで静かに眠っている早坂を前に思い返していた。

 

[そろそろきちんと自分の気持ちに向きあえよ、、、。]

 

”あれは、、、もしかして俺の心の声だったのだろうか、、、。”

 

俺はふとそんな風に考えながら早坂のほうに手を伸ばした。

 

2002.11.3 Written by kanon