昼下がり 〜第4章〜

 

「ぷるるるる。。。」

次の日の午後、俺が店でぼんやりとコーヒーを飲んでいたら不意に携帯が鳴った。一瞬、携帯に慣れていない俺は”びくん”とし、慣れない手つきでボタンを押す。

「もしもし、、、」

俺は少し緊張して電話に出た。

「もしもし、先輩ですか?瑞希です!今お時間ありますか?」

瑞希だった。心なしかいつも話している時よりもあらたまった感じがする。そんな感じが俺には少し可笑しかった。

「あ、平気だよ。いつもの店にいるけど、、、」

「わかりました。ちょっとしたら伺います。それじゃ。」

俺が言いかけると同時に瑞希がそう言って電話を切った。

”なんだかあわただしいなぁ、、、。”

そんなことを思いながら、、、俺は携帯をテーブルの上に置き、ゆっくりとコーヒーを口にふくみ、店の中で流れていた名も知らないイージーリスニングらしき曲に耳を澄ました。静かな湖面を思わせるようなピアノと弦楽器の透き通ったハーモニーが心地よかった。

 

★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。★。・.。

 

”カラン。。。”

静かにドアが開いた。

瑞希だった。なぜだろう、、、いつものようなにぎやかな元気さが感じられない。彼をとりまいている空気の流れはとても 落ち着いていて、静かなものだった。俺が振り向いたのに気づくと、瑞希は軽く頭をさげこちらに向かってきた。

「ご迷惑じゃなかったですか?」

瑞希の口調はいつになく丁寧だ。

「いや、ぜんぜん平気だけど、、、どうした?なんだかいつもと雰囲気違うけど。」

俺は不思議に思って聞いてみた。

「いや、別に普通っすよ。ただ、、、今日は少し真面目な話を聞いてもらおうと思って。だから、、、確かに少し緊張してるかもしれない。話そうと思ってる事、先輩に話すのが最初だから。。。」

瑞希は少しはずかしそうな表情をした。でも、それは一瞬のことで、すぐに真面目な面持ちに戻っていた。

「ま、とにかく座れよ。何にする?」

俺は瑞希を手招きした。

「えーっと、じゃ、先輩と同じものを。」

瑞希は俺の向かい側の席に静かに座って言った。

「じゃ、プレンドな。マスター、ブレンドもう一つね。」

俺はちょうど水とおしぼりを運んできたマスターに言った。マスターは静かにうなずいて、カウンターに戻り、豆を挽き始めた。"ガリガリ”と豆が挽かれていく音が店内に響き渡る。俺達以外に客はなく、ピアノと弦楽器の奏でるハーモニーが静かに、、、そしてゆったりと漂っている店内で、、、その”ガリガリ”という音がひときわ目立っていた。そんな静けさの中、、、なんだか俺達は二人とも口を開くきっかけを失っていた。お互いに向かい合って座っているからいやでも目があうわけで、、、なんだか少し気まずかった。普段からそれほどしゃべる方ではない俺がそう感じていたのだから、沈黙が苦手でにぎやかな瑞希は、すごく落ち着かない風で視線をあちらこちらに投げている。俺はそんな様子が少しおかしかった。だけど、”真面目な話をしたい”という瑞希の言葉を思いだし、雰囲気をそこねないようつとめて冷静を装った。やがて”コポコポ”とコーヒーが沸き始め、店内になんとも言えないコーヒーのよい香りがただよい始めた。マスターがテーブルにカップを運んできた時、丁度俺のカップも空になっていた。”おかわりください”と、目で合図を送るとマスターは軽く頭を縦に振り、俺のカップにもコーヒーを注いでくれた。

マスターがカウンターに戻ってしまうと、また店内に静けさが戻っていた。だけど、カップから立ち昇る白い湯気が俺と瑞希の間に漂い、心なしか気まずい雰囲気を和ませてくれているような気がした。沈黙が作り出した妙な緊張感が少しずつ薄れ始めているようだった。俺がなにげなしに湯気を目で追っていると不意に瑞希と目があった。一瞬の間の後、俺達はお互いカップに手を伸ばしコーヒーを一口に含みんで苦笑した。

「あの、、、。」

少し緊張がほぐれたせいだろうか、、、それともそんな二人の動きがはずみになったのか、、、瑞希が少し口を開きかけた。だけど、まだためらいの気持ちが強いらしく、出かかった言葉を飲み込んでしまった。瑞希からはたえず”どうやってきりだそう”とタイミングを計っている気配が伝わってくる。俺は瑞希が話し始めるのを待つつもりで窓の外に視線を移した。

真夏の日差しが容赦なく照りつけ、アスファルトからは湯気が立ち昇っている。そのジリジリとした日差しと熱気から逃れるかのように、通りを歩く人達が最寄のカフェに次々と吸い込まれていく。そのせいか昼間だというのに通りは閑散としていた。

”アスファルトにさわったら火傷でもしそうだな、、、”

俺がそんなくだらないことをぼーっと考えている矢先のことだった。

「いい香りっすね。」

不意に、、、瑞希がカップを手にうつむき加減で口を開いた。

「そうだな。」

俺は静かにうなずき、横目で瑞希の様子をうかがった。なんとなく落ち着かないながらも、”話をするんだ”みたいなちょっとした意思のようなものが感じられる。俺はさりげなく視線を瑞希のほうに戻し、話を聞く体制になった。といってもそんな大げさなものではなく、ちゃんと向かい合ったという程度のものなんだが、、、。

 

「あの、、、突然なんですけど先輩”公務員”ってどう思いますか?」

瑞希が少しためらいつつも勢いで言葉を言いきった。

「え?公務員?それがどうしたんだ?」

俺は瑞希から出た予想もしなかった言葉に少し戸惑い、手の力が抜けてあやうくコーヒーをこぼしそうになった。

「いや、、、ですから公務員の仕事ってどう思うかってことなんですけど、、、」

瑞希の声はさっきの勢いを無くし、だんだん小さくなった。

「あ、ごめん。急に言われたからちょっと驚いたんだ。そうだなぁ、、、俺のイメージだと堅実で安定性のある仕事って感じだけど。実際はどうなんだろうなぁ。」

「やっぱりそんなくらいの印象ですよね。」

瑞希は、俺の答えに少しがっかりというような表情をした。

「あれ?もしかしてお前公務員志望なの?ってか就職の話をするつもりだったのか?」

俺は少し驚いた。確かに公務員をめざすって言えば大学入学当初から意気込んでいるヤツもいるくらいで、3年のこの時期すでに本格的に勉強に取り組んでいるのが普通だってことくらいは知っている。だけど、、、俺自身まだ自分の身の振り方を迷っているところがあるってのに、まさか後輩である瑞希に就職の話をされるとは夢にも思ってなかったのだ。それに、、、瑞希って一回就職しても、将来的には親父さんの経営する会社をつぐはずじゃなかっただろうか。前に”なんで経営学部なんだ?”って聞いたとき、”いつかなにかしらうちの親父の手助けができそうな学部選んだんですよ。”みたいなこと言っていた記憶がある。”もし公務員になるんだとすれば、、、もし安定性や堅実さが理由で公務員になりたいってことだったら、、、ずっとその仕事を続けるってことだろうか、、、”俺の頭の中には、突然の瑞希の言葉にいろんな想像と疑問が浮かんでいた。

「実は、、、まぁそんなわけで。はずかしい話なんですけど、公務員になろうかって考え始めたのはつい最近なんで、、、だから、ぜんぜん準備とかしてるわけじゃなくって、あんまり現実性がないというかなんというか。まだ自分の中でも決めかねてるみたいなところもあるし、、、。」

瑞希は自分自身でもまだいまいち考えがまとまらないっていうような感じで言った。

「でも、、、お前いずれ親父さんを手伝うみたいな話してなかったっけ?」

俺はなにげなく聞いてみた。急にこんなことを言い出す瑞希には、きっと何か考えていることがあるんだろうとその訳を聞いてみたかったのだ。

「あ、ほんと少し前まではずっとそう考えてたんです。だから今の学部選んだわけだし、、、今でも”いつか親父の会社を手伝いたい”って気持ちがないわけじゃないんです。だけど、、、ちょっとしたいいなって思うことが見つかったというか、、、。」

「それが公務員の仕事ってわけ、、、か。」

なんだか瑞希の言葉はすごく歯切れが悪く、俺は少しじれったくなって瑞希の言葉をさえぎって言った。確かに公務員になることは今まで思っていたような親父さんの会社の役に立つというっていうことから方向性はずれるかもしれない。だけど、、、それがそんな歯切れの悪さの理由になることなのだろうか、、、俺は不思議でたまらなかった。

「はい、、、。」

瑞希は相変わらず少しうつむき加減で、返事さえもがなんだか歯切れが悪い。

「でさ、別に公務員はいいんだけど、、、なんでお前そんなに歯切れ悪いというか、、、はっきりしないんだ?例えば公務員をめざすことで何か他に問題でもあるのか?」

俺は、、、自分で言うのもなんだがめずらしく口調が強くなっていた。気持ちの整理がつかずうだうだと悩んでいる自分の姿を、なんとなくはっきりしない瑞希に重ね合わせ、少しいらだっていたのかもしれない。瑞希もその口調の微妙な強さに気がついたのか、少し”あれ?”という顔をしている。

”自分に対する苛立ちを人にぶつけるなんて、、、俺どうかしてるな。”

俺はなんだか瑞希に申し訳なくなって苦笑してしまった。

「自分、何かおかしなこと言いましたか?」

そんな俺の表情を見て、瑞希が少し不安そうに言った。

「いや、、、なんでもないんだ。ごめん、少し自分のことがね、、、。で、どうなんだ。なにか考えてることがあるんだろう?」

俺はもう1度イスに座りなおし、そしてつとめておだやかに言った。

「いや、、、問題ってほどのことじゃないんですよ。確かにうちの親父、兄貴は放浪してるから、まぁあてにはしてなくって、、、だから自分が後々会社を手伝ってくれたらいいなくらいの期待は持ってると思うんですよ。だけど、別にそれを強要してるわけじゃなくて、、、もしやりたい事があってそれをきちんと説明すれば納得してくれると思うんです。だから、そういう意味では何も問題はないんです。ただ、、、。」

瑞希はそう言うと一息ついてコーヒーを口に含んだ。なんだかさっきよりもiいくらか歯切れよくなってきている。たぶん、話し出したら自分の中で考えが明確になってきた、、、そんな感じなんだろう。

「だったら別に悩むようなことは、、、瑞希がきちんと親父さんに思ってることを伝えて、お互いに納得すれば何も問題ないじゃないか?それにもしかして、そういう状況になったことを知って、お兄さんも、、、え?兄貴って???お前兄貴いたのか?」

俺はなんだかすごく驚いて、声がうわずってしまった。

「あれ?先輩知らなかったでしたっけ?2つ上の兄貴がいるんですよ。うちの大学の学生なんですけど、、、今、放浪生活してますよ。」

瑞希は”困った兄貴なんですよ、、、まったく”とでも言うように苦笑した。

「確か1年ちょっとくらい前かなぁ、、、ふらっと家に戻ってきたと思ったら、大学に休学届け出しちゃったりして。で、またふらふらと放浪してるみたいで、、、でも、もともとはすっごいエリートだったんですよ。大学に入った途端に別人になっちゃったというか、、、はじけちゃったというか、、、うち中大騒ぎでしたよ、その当時は。自分もかなり面食らっちゃいました。”いったい何がどうしたっていうんだよ、、、。”ってね。でもまぁ、、、自分的には今の兄貴のほうが”自分の道を歩いてる”って気がして好きなんです。で、前よりも少しだけ”身近な存在”に思えるっていうか、、、普段ぜんぜんうちにいなくて一緒にいるわけじゃないのにおかしな話なんですけど、、、。」

瑞希はそう言って”ははっ”っと少し笑った。

「昔は、変に他人行儀みたいなところがあったというか、、、兄貴に対して自分がすごい劣等感を持ってたから、正面から向かい合えなかったとみたいなところがあったんです。”できのいい兄貴とコンプレックスだらけの弟の典型”みたいなね、、、。でも今考えると、兄貴がエリートだったから、、、自分はコンプレックスはあっても、変に肩に背負うものがなくって、ある意味こんなお気楽でのほんとしてこられたのかもしれないですすよね。あぁ、今ごろ何してるんだろう、、、兄貴は、、、。」

瑞希は窓の外に視線をそらした。”はるか遠くに、、、なにか懐かしいものを眺めている”、、、そんな瞳(め)だった。

 

”瑞希の兄貴って???もしかして、、、。”

そんな瑞希の言葉を聞いて、、、その時俺の頭の中にある人物が浮かんでいた。

”海なのか?瑞希の兄貴ってのは、、、もしかしてあの”海”のことなんじゃないか?そう、、、俺の前に突然現れて、、、そして突然消えてしまった海。ヤツが瑞希の兄貴なのか?。でも、、、そんな偶然って、、、。”

なんだか俺の頭のは少し混乱した。でも、混乱しながらも俺は浮かんだ疑問を確かめたい衝動にかられた。

 

「なるほどねぇ、、、ちなみに兄貴の名前はなんていうんだ?瑞希の2つ年上っていったら俺の一学年上ってことだろう?もしかして知ってたりして、、、。」

俺は、変に勘ぐられたりしないようさりげなく聞いてみた。少し混乱しながらも、なぜだかどうしても瑞希の兄貴が海なのかどうかはっきりさせたかった。事実をはっきりさせて頭の中を整理したい気分だったのだ。

「あ、七海(ななみ)っていうんですよ。両親は”地球上の七つの海”みたいにスケールの大きい人間になって欲しいみたいな気持ちからつけたらしいんですけど、、、なんだかちょっと女の子みたいな名前でしょう。で、兄貴ははずかしかったのか”海(かい)”って呼べって周りに言ってたなぁ。でも、どうかなぁ、、、兄貴ほとんど大学来てなかったと思うから。ほんと困った兄貴なんで。」

”やっぱり”海”なんだ、、、。”

そう確信し、俺の心は少し揺れ動いた。まるで、通りすがりの微かな風が、鏡のように穏やかだった湖面にさざなみをたてるように、、、。

瑞希は、”困った”と言いながらもさっきまでの緊張と落ち着きのなさがうそのように、、、とてもおだやかでやさしい表情をしている。兄貴、いや”海”の話をしたせいか、今ではなんだかすっかりリラックスしたみたいだった。ぬるくなったコーヒーを飲み干し、瑞希は手をあげてマスターにおかわりの催促をした。マスターは、読んでいた雑誌を閉じ、コーヒーサーバーを片手に俺達のテーブルの方へ静かにやってきて、何も言わずカップにコーヒーを注ぐ。俺達二人はその様子を静かに見守っていた。なんとなくお互いちょっと休憩という感じだった。俺がふっと窓の外に目をやると、さっきまでのジリジリと照りつけていた日差しは心なしかやわらいでいる。それを見計らったかのように、通りには人が増え始め、そろそろ夕方のあわただしさのきざしを見せ始めていた。

「ふうん、”七海”って言うんだ。確かにちょとめずらしい名前かもな。もし知ってたらすぐわかりそうだけど、、、でも、どっかですれちがったことくらいあったのかもしれないなぁ。」

マスターがカウンターに戻った後、少しの間を置いて、俺はおもむろに口を開いた。”さらり”とそっけない言葉を口にするかたわら、俺の心の中は”瑞希と海の繋がり”にあらためて驚きの気持ちで一杯になっていた。しかしなぜだろう、、、俺は”お前の兄貴知ってるかもしれない。いや、たぶん会った事もあるんだ。”という言葉が出てこなかった。別に知らないフリをするつもりはなかったんだが、なんとなく言い出すタイミングを逃してしまった、、、そんな感じだった。

おだやかな瑞希の表情を眺めつつ、、、俺は少し動揺した心を鎮めようと瑞希の様子をうかがいながら気づかれないように小さく深呼吸をした。あらためて見ると瑞希の表情やしぐさなんかは、海とどことなく似ているような気がする。とりわけ、窓の外を眺めている時の遠い瞳(め)は、海のそれと同じように俺をひきつける何かがあった。

”こんな身近なところで海との繋がりがあったなんて、、、。”

そんな驚きの感覚と同時に、俺の心の中には”もしかしたらまた海に会えるかもしれない、、、。”という淡い期待が生まれていた。

”そういう期待を持ってしまうまでに、、、俺の意識の中での海の存在はが大きくなってるのか、、、。”

俺は、自分がそういう気持ちになっていることがなんだか不思議だった。仲のいい友達にだってそんな風に思うかわからないのに、、、突然出会って、ほんの少しの時間を共有しただけの海に対して、なぜ自分がこんなに関心を持ってしまうのか、、、自分でもわかりかねた。ただ、、、そのほんの少しの共有した時間が、確実に自分の生き方の方向性を変えているのは事実だった。

”俺、、、また海と会って、今の自分の事を話たいら、、、抱えてること全部ぶつけたら、、、海はいったいなんて言うだろう。。。”

俺は、無意識的にそんな言葉を心の中でつぶやいていた。

 

「先輩どうかしましたか?なんかうれしいことでも思い出したんですか?」

瑞希の言葉に、俺ははっとわれに返った。

”海とまた会えたら、、、。”

そんなことを考えていたら、知らず知らずのうちに俺の表情が微妙にほころんでいたらしい、、、。そこからなにか心の動きを読み取ったのか、瑞希が少し怪訝そうな表情を浮かべていった。

「いや、、、なんでもない。で、、、なんだっけ?」

俺はすごくあせってしまい、、、とりあえず話をそらした。やっぱりなんとなく海のことを知ってるとは言い出せなかった。

「すみません、、、うちの兄貴の事ですっかり話題それちゃいました。話元に戻しますね。」

瑞希は”はははっ、すみません”とでもいう風に頭をかきながら苦笑した。

「うんうん、、、で?」

俺は冷静さを装いながら、、、内心海の話題が終わってほっとしていた。

”別に隠すつもりじゃ、、、だけどなんだかね。。。”

俺は、ちょっといたずらが見つかるのを恐がる子供のような気分だった。

「公務員なんですけどね、さっきも言った通り、まわりがどうとかいう問題ではないんですよ。自分の問題って言ったらいいのかなぁ?まず公務員になりたいと思ったきっかけなんですが、、、この前自分、合宿の下見に行ってきたじゃないですか。その時に直感的に思ったんです。なんていうのかなぁ、その土地の人達のあたたかさにふれたっていったらいいんだろうか、、、で、そういう”あたたかさ”や”やすらぎ”みたいなものがあふれた街づくりとかができたらいいなって。ほんと単純なんですけどね、、、。だけど、、、このご時世じゃないですか。”そんな理想みたいなこと実現できるわけない”とかそんなことばっかり考えてしまって、、、。もともとまわりにいる公務員めざしてるヤツらなんかも、口をそろえたように”安定”だとかそんなことばかり言ってるし。それ以前の問題で、試験に対する意気込みがぜんぜん違うし、、、。だからそんな中に俺みたいのが例え入ったところで、どうになるものでもないのかなって、、、。」

瑞希は半ば諦め加減で言った。

「でも、、、”やってみたい”っていう気持ちはあるんだろ。だったらやってみるべきなんじゃないかな。先がどうなるかなんてことは飛び込んでみてから考えればいいと思う、、、例え失敗したって何もしないで諦めるよりは気持ち的にも納得いくんじゃないか?」

”え?”

俺は、、、自分の口からそんな言葉がスラスラと出てきたことにすごく驚いた。普段の俺だったら、、、いや”今までの俺”だったら、きっとこんな言葉は口にしなかったはずだ。”そうだなぁ、、、確かに難しいかもしれない。勉強も相当集中的にやらなきゃいけないし、、、公務員だってそれなりにいろいろな周囲のしがらみがあって、自分の理想を求めるだけじゃやっていけないからな。もう少し状況を考えて結論を出したほうがいいんじゃないか?”とかいったつまらない一般論をもっともらしく口にしていたに違いなかった。だけど、、、”今の俺”は、、、そんな一般論を口にする”それまでの俺”とは何かが違っていた。

”そうだよ。!”これだ!”って思ったら何も考えずに飛び込んでみればいいじゃないか。もし失敗しても、またそこからなにか新しい道が開けるはずだ。”

瑞希に向けた言葉だったはずなのに、、、まるで自分じゃない誰かに諭されているかのように、そんな一言一言が自分の心の中に強く響いていた。

”まわりの人からみたら、なんて甘いんだって思われるかもしれない。実際、社会はそんなに甘くないなんてことは容易に想像できる、、、。でも、そういう常識的な考えよりも”やってみたい”って思うことがあるからうだうだと悩んでいたずらに時間を過ごしてしまっているんだ。だったら失敗覚悟で、、、。”

頭の奥底でまた”カチっ”っと何かが音をたてた。俺の中でまた何かがふっきれたような気がした。

 

「がんばろうぜ!お互いに。」

俺はとてもすっきりした気分で言った。なんだかそう言わずにはいられなかった。今までまるで曇りガラスごしに見ているかのようにぼやけていたまわりの景色が、はっきりとした輪郭を持ったような気がしていた。

「先輩???」

瑞希は、なんだかわけがわからないというような表情をしていた。きっと瑞希にとっても今までの俺からは想像できない言葉だったのかもしれない。

”俺自身でさえ驚いたんだから、、、瑞希が戸惑うのも無理ないな。”

俺は少し気を落ち着けるために大きく深呼吸し、もう1度イスに座りなおした。

「だからさ、、、とりあえず”これ”って思ったことやってみるんだよ。余計なこと考えないでさ。」

「は、はい!」

俺の真っ直ぐな視線と力のこもった口調に、瑞希はとまどいながらもうなずいた。俺達の間に一瞬沈黙が流れ、、、そして次の瞬間なぜだか笑いがおこった。

「なんだか先輩へんですよ!むっちゃ熱血やってるし、、、。」

瑞希が笑いをこらえながら言った。

「なんだよ!失礼なヤツだな。お前だって何力はいってうなずいてるんだよ。しかも単純、、、。」

俺も負けずと言い返した。

「単純って、、、先輩それはひどいっすよ!でもま、とりあえずよくわかんないけど、、、”Take it easy!”ってことで、、、いっちょやってみますか!」

瑞希は小さくガッツポーズをした。俺はそんな瑞希をなんだか頼もしく思った。

「さて、、、とりあえず、、、。」

そう言って俺は携帯を取り出し、千夏の番号を探した。瑞希はそんな俺の様子を静かに見守っている。

”まずこれが最初の一歩、、、。”

呼び出し音を聞きながら、、、俺は心の中でそうつぶやいていた。

 

 

2002.9.8 Wrtten by kanon