昼下がり 〜第3章〜

 

「ふぅっ」

俺は今日何回目かのため息をついた。

平日の午前中だというのに、窓の外を眺めると人はまばらだった。夏休みが始まったせいで学生の姿は見られない。だからだろうか、、、街自体から少しいつもと違った印象を受ける。もともとオフィス街に校舎が点在しているので、学生のいない夏休みの間は、他のオフィス街で見られるある種の緊張感みたいなものに包まれ、冷たい感じがする。

俺は、ここのところ毎日のようにこの店に足を運び、、、いつもだいたい同じ窓際の席に座り、、、何をするでもなくただコーヒーを飲み、、、そして窓の外を眺めていた。そう、、、そんな風にただただいたずらに時間(とき)を過ごしていた。幸い卒論なんかもないし、4年になる前に単位はほとんど取り終えていたので、これといった課題なんかもない。”じゃ、学生最後の夏休みを思いっきり楽しんだらいいじゃないか”と言われそうだが、、、しかし、そういう気分にもなれなかった。俺の中では、、、未だに”このままでいいのか?違うだろう?”という気持ちがくすぶっていた。注がれるコーヒーから立ち上る白い湯気を眺めながら、俺は考えた。未だに答えを出せずに流れに身を任せている自分。いや違う。”やりたいこと”は見つかったんだ。ただ、それを実行に移せないだけなんだ。周囲からの評価を気にし、とりあえずの安定性や確実性をもとめている。だから、、、せっかく見つけた”やりたいこと”は必然的に心の奥底にしまいこんでしまっているのだった。

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”ものを書きたい気持ち、、、”

その気持ちに気づいたきっかけは、同じクラスのヤツに半ば強引に誘われて、校内雑誌のサークルに入ったことだった。もともと読むことにも書くことにも比較的慣れていたから、みんなで大学内のことだけにとどまらず、多種多様な事柄をを調べてまわったり、意見交換をし、それを文章化するという作業はなかなか楽しかった。そして、自分にとって一番の収穫だったのは”文章を書くということで、自分の頭の中にある考えがきちんとした形に整理され、ちゃんと自分なりの考えを持ち、表現する場所を与えられた”ということだった。しばらくすると、はじめは”気軽な楽しさ”みたいな文章を書いていたのが、、、いつのまにか”書きたい”という欲求が生まれ、校内雑誌だけでなく自分個人としても文章を書くようになっていた。特にジャンルにこだわらず、自分が何かを感じたことに対して”書きたい”という欲求にまかせてとにかく書いた。書くことが生活の一部になっていた。でも、、、ただただ書くだけだった。人に見せたいとかそういう気持はあまりなく、ましてやそれを仕事にするなんて気は毛頭なかった。単なる学生の趣味にすぎなかった。だけど、、、そんな気持ちは少しずつ変化していった。

自分の気持ちが変わり始めたのは、、、たぶん3年になってすぐ、同じサークルのヤツの言葉を聞いてからだったと思う。

「オレさぁ、マスコミの学校行くよ。そういう関係に就職したいならちゃんと対策を取らないとな。」

彼の志望は新聞社で、さっそく予備校みたいなところの資料を取り寄せ通い始めた。そっちの勉強が忙しいせいか、あまり大学にも来なくなり、顔を合わせる機会もほとんどなくなってしまった。彼とはサークルで同じ一つのものを作り上げてきた”いわゆる仲間”だったわけだけど、、、彼がちゃんと現実的な目標を持って書いてた一方で、俺は漠然とただ”書きたい”っていう気持ちだけでなんとなく書いていた。そんな風にはっきりと彼と俺の間には違いがあった。別にどちらが良いとか悪いとかではないのだが、、、とりあえず就職活動を目前にしていたこともあって、俺は自分の今後について、、、、さらに言えば”書く”ということが果たして”自分にとって何であるか”ということを考え始めた。もし、なにかしら”書く”ということを仕事にするなら、そういうジャンルにしぼった就職活動をしなければならない。だけどその一方で、”仕事にはしたくない”という気持ちもないわけではなかった。仕事にしてしまったら、”書くこと”が義務になってしまうのではないか、、、もしくは人に見せるという前提が、”自分の文章を書くスタイル”を変えてしまうのではないか、、、そういった不安みたいなものが頭をよぎった。結局、俺はそういう不安材料から逃れていたいという気持ちが強かったのか、”もの書き”を職業にすることを棚上げにしてしまった。普通に就職活動をし、世間的にもある程度の評価を得られるような無難な選択をした。親父が金融関係で働いていたこと、、、ゼミの先輩にもそういう方面で働いている人が多かったことなんかがあったから、そういう道を選択することは俺にとってある意味楽だった。でも、、、その選択は、、、”とりあえず就職が決まった。”という安心感みたいなものを与えてくれる一方で、”何やってるんだ、俺は。これでいいのか?”という疑問をさらに増幅させていた。俺は、そういう気持ちを抑えるのに必死になった。”俺の選択は間違っていない。世の中そんなもんなんだ、しょうがないさ。”と日々自分に言い聞かせていた。

瑞希と話すまで、、、なんとなくその”しょうがないさ”とあきらめることに慣れきっていた。いや、慣れきってるふりをしていた。けれど、、、それまで自分の中に抑えこんでいたものを指摘されたことで、心の留め金がはずれかかっていた。

「ふうっ」

俺はまたため息をついた。目の前にグレーのもやがかかってしまったような感覚に襲われた。

”このままじゃ、、、俺が俺じゃなくなる。。。”

俺は、そのもやを打ち消そうと頭を左右に振り、下唇をかんだ。

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”カランカラン。。。”

突然、ベルが騒がしく鳴り響き、ドアが開いた。

「こんにちわぁ、、、。」

聞きなれた男女の声だった。

「やっぱりここにいた。」

俺がドアのほうを振り向くと瑞希と千夏が立っていた。

「だから、いったとおりでしょ、夏先輩。」

瑞希が千夏に向かって言った。

「どうしたんだよ、、、なんかめずらしい組み合わせだな。」

俺は二人の顔をかわるがわるに見て言った。

「ちょっとね、そこのS書店まで本をさがしにきてたのよ。あそこって専門書揃ってるじゃない。で、そのついでに部室を覗いたら瑞希くんがいたってわけ。それにしても今日は暑いはね、、、ふぅっ。」

千夏は、そう言って額の汗をぴちっとアイロンのかかったハンカチで拭いている。

「先輩、また1人でくつろいでたんですか?自分も誘ってくれないとさみしいじゃないですかぁ。」

瑞希が少し笑いながら言った。

「お前気持ち悪いことゆうなよ。それでなくても”二人はあやしい”とか後輩達が冗談で言ってるじゃないか。ま、でもとりあえずここ座れよ。」

そう言いながら、俺は二人に向かって手招きした。

「何にしよっかなぁ。」

千夏がそう言いながら窓際に座り、瑞希がその隣に座った。

「自分はっと、、、やっぱ暑いからアイスコーヒーかな。夏先輩はケーキとかも食べちゃえば。疲れ気味とか言ってたじゃないですか。」

瑞希が、メニューを指差しながら千夏に言った。

「そだね、ここのケーキおいしいし。じゃ、ケーキセットで、、、パウンドとアイスティーお願いします。あ、それとアイスコーヒーも一つね。」

千夏は大きな声でカウンターで雑誌をめくっているマスターにオーダーした。

”相変わらず元気なヤツだな。”

俺はそんな千夏を見て思った。

千夏とは、サークルに初めて顔を出した時にいろいろと説明をしてもらって以来、なんだか腐れ縁になっている。といっても、、、俺は経済学部で、千夏は理系でバイオ関係の勉強をしているので、いつも顔を合わせているというわけではない。だが、サークル以外でも何かと会う機会は多い。お互いにいろんな事を相談し合ったりして、かなり親しい関係だったりする。といって、恋愛感情とかがあるわけではなく、相手の領域には必要以上に踏み込まないところが、さっぱりとしていて心地いい関係なのだ。それと、、、千夏のいつも元気で、”すぱっ”と竹を割ったようなはっきりした性格は、俺にとってよい刺激だったりもした。

「そういえば、、、どうなんだ、研究室のほうは。相変わらず忙しいみたいだけど、、、。」

「うーん、なんだかね、まだ環境に慣れてないせいか、パタパタしちゃってて。で、ほら、一番下っ端なわけだから教授や院生の方々の使いっぱ状態ってとこかな。でも、結構楽しんでるよ。」

「ってか、、、みんなが夏先輩にあわせちゃってたりして、、、ほら、いつものマイペースに。」

千夏が結構真面目に答えていた横から、瑞希がちゃちゃを入れた。

「瑞希くん、、、それどういう意味よ。」

千夏が瑞希チロっと睨みつける。

「ひゃひゃひゃ、、、冗談っすよ、冗談。おこんないでくださいよぉ。」

「いじめてやるぅ!!!」

千夏は瑞希をたたく振りをする。それを瑞希は大袈裟にかわす真似をして笑い出した。二人のふざけ合う姿は仲の良い姉と弟のようだ。

「って、、、そんなことはいいのよ!」

千夏はそう言ってきちんと座りなおした。

「とにかく、、、早く自分で研究できるようになるまで、まわりからいろんなことを吸収しなくちゃ。使えるワザや知識はたくさん盗んどかないとね。ずっと使われっぱなしじゃたまんないもんね。」

千夏は笑いながらあっけらかんとして言う。

”千夏らしいや、、、。”

俺はなんだか可笑しかった。

千夏は少し前に大学院に進むことが決まって、今その研究室に出入りしているのだ。もともと好奇心旺盛で、自分で気にかかったことはなんでも深くやってみないと気がすまないたちだから、研究者向きなんだと俺は思う。もともと本人にそういう気はなかったらしいのだが、教授に薦められて院試を受け、院に行くことが決まったら、俄然興味が沸いてきたようで、最近では自分の研究の話になると目をキラキラと輝やかせている。

”千夏は自分の進んでる道に、何の疑問も持ってなさそうだよな。俺とは対照的だ。”

俺は、あらためてそんな風に感じた。

「そういえば、、、渉(わたる)また携帯電源切ってるでしょ。もう、、、連絡取れなくてこまってたんだよ!」

千夏が口を尖らせて言った。

「ってか、、、俺電源もなにも持ち歩いてないから、、、。」

俺は苦笑した。やっぱり、、、未だ携帯を持ち歩くことに慣れていない。

「買った意味ないじゃん。」

千夏はあきれた表情を浮かべた。

「そういやなんか用事あったんじゃないのか?」

俺は、これ以上携帯の話をされるのも考えものと思い、話題を変えた。

「そうそう、渉バイトしない?」

「バイト?」

俺は千夏の突然の言葉にあっけにとられた。

「うん。なんかね、うちの研究室もうじき学会あってさぁ、、、論文まとまられる人探してんの。ほんとは研究室の誰かがやるのが一番なんだけど、なにせ人不足で。で、他の研究室からヘルプ頼むって話もあったんだけど、この時期どこも忙しくて人貸してもらえないのよね。うちのクラスの子とかにも声かけてみたんだけど、みんな就職活動でこの時期必死でしょ。」

「あ、でも俺、、、」

俺は千夏の話をさえぎった。

”いくら文章書いてるからって、そんな専門分野のことをまとめられるはずないじゃないか。”

俺がそう言おうとすると、千夏は俺の言葉などおかまいなしにテーブルに身を乗り出して続けた。

「やってること畑違いだってことはわかっていってるのよ。渉文系だし、、、。でも、ほらなにげにわたし結構自分の勉強してることとか渉に話してたじゃない。だから、その辺のほんと”ずぶの素人さん”に頼むよりもいいかなって思ったの。それに、あくまでも文章をまとめるって作業で、院生の人達がちゃんと”こういうふうに”って感じの指示を出してくれるから、専門知識がどうのって話にはならなそうなのよ。」

千夏はそう言って一息ついた。運ばれてきたアイスティーのグラスにストローをさす。グラスの中の氷が”カラン”と涼しげな音をたてた。

「夏先輩、、、さっき自分に言ってたときと随分態度違うじゃないですかぁ。先輩、聞いてくださいよ!実はさっき、”自分なんかどうです?”って言ったら夏先輩ひどいんですよ!”瑞希くんじゃたよりないしぃ、、、”とか言うんですよ。」

瑞希が急に話に口をはさみ、ちょっとすねたような表情を浮かべた。

「だって、、、ほんとのことじゃん!なんていうかさぁ、瑞希くんっていいこいいこしたくなるような”かわゆーい弟くん”って感じなんだもん。」

千夏がおもしろがってはしゃいで言った。

「夏先輩、、、それってどういう意味ですか?」

瑞希は顔が真っ赤にしていた。

「ひゃひゃひゃ、、、冗談よ、冗談。さっきのおかえしー。」

瑞希は千夏の言葉に何も言えなくなったらしく、”しゅん”とおとなしくなった。そんな様子を見て、千夏は”まぁまぁ”と瑞希をなだめている。

”コイツら、ほんとに姉弟みたいだな。”

俺はそんな様子をほほえましく思った。

「ま、そんなことは置いといて、、、で、どう?渉やってみる気ある?急な話なんだけど、、、まじで考えて見てよ。就職活動も終わって時間あるでしょ。」

千夏は急に真面目か顔になり、まっすぐな瞳(め)で言った。

「そうだなぁ、、、。」

俺は少し考え込んだ。確かに時間はあるし、興味をそそられる話でもあった。だけど、、、それをやることで、、、”ものを書く”ことに力をそそぐことで、、、抑えこんでいた自分の気持ちがあふれだし、止められなくなるような気がした。

「先輩、やったらいいんじゃないですか?この前も”何かを書くことがやりたい”って言ってたじゃないですか。」

瑞希がなにげなしに言った。

「そうなんだけど、、、院生のなかに知識のない俺が混ざってってのはなぁ、、、やっぱり少し抵抗あるというか不安というか、、、。」

俺は言葉を濁した。”自分をためらわせているのはそういうことじゃない。”と自分で自覚しながらも、表面上そういう気持ちを隠すためにもっともらしい言い訳をした。

「だから、そのへんのことは大丈夫よ。ちゃんと事情は説明するし、なにげにわたしもこまごまとヘルプも出せると思うんだよね。」

千夏は”安心して!”とでも言うような笑みを浮かべながら言った。

「そうだなぁ、、、ちょっと時間をくれないか?急な話でちょっとここでは決められないから、じっくり考えて見るよ。」

俺は、そう言ってとりあえずその場での返答をさけた。自分の気持ちを整理する時間が欲しかった。こんな状態で引き受けたら、更に混乱してしまうような気がしてならなかったのだ。

「了解!ただ、、、そうねぇ、今日が月曜日だから、、、今週いっぱいくらいで返事もらえる?こっちも結構切羽詰ってるから。ま、無理にとは言わないし、気楽に考えてみてよ。」

千夏はそういってパウンドケーキを口に運んだ。”おいしい!!!”という満足そうな表情がなんだか子供っぽくて、とても難解な研究を手伝っている学生には見えなかった。だけど、、、そういう千夏の雰囲気はなんとなく俺の気分を楽にしてくれた。

「あ、俺をそろそろ行かないと。合宿の準備途中だったんだ。休憩終了!あ、ここ夏先輩のおごりですかぁ?」

瑞希がそう言って、立ち上がった。

「ったく、、、しかたないわねぇ。今回は特別だぞ!って、、、わたしもそろそろ行かないと。”資料さがしにいつまでかかってんだ!”って怒られちゃう。お金ここに置いとくね。」

そう言って千夏は財布から札を取り出してテーブルの上に置いた。そしてクリアケースを引き寄せ立ち上がった。

「二人ともがんばれよ。」

俺は小さく片手を振りながら言った。

「もっちろんよ!渉もあぶらばかり売ってないで、しゃきっとしなさいよ。あと、バイトの件検討よろしく!」

千夏が元気よく言った。

おごってもらえたのがうれしいのか、瑞希が子供のようにうきうきとした足取りでドアに向かう後ろを、”まったくしかたないわねぇ、、、”とでも言うように千夏が続いた。

「そうだ、先輩明日か明後日時間あります?ちょっと話したいことあったんだ。」

瑞希が不意に振りかえって言った。

「あ、たぶんここにいるから、、、都合のいいときにでも連絡しろよ。久々に携帯でも使ってみるかな。」

俺は笑いながら言った。

「わかりました。連絡します。携帯忘れないでくださいね。」

瑞希は少し真面目な表情を浮かべながらそう言い、千夏と二人ドアを出て行った。

「ふうっ」

俺は一息つき、冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。賑やかな二人が出て行った後、店の中にはふたたび静寂が戻っている。マスターは相変わらずカウンターの向こうで雑誌をめくっていた。

「バイトか、、、。」

俺はそうつぶやいていた。そして、また窓の外に目をやった。ちょうど一番熱い時間帯のせいか、真夏の日差しが目に痛かった。俺は目を細めながら通りを眺めていた。相変わらず、心の中ではもやもやが渦巻いていた。だけど、、、なぜだかわからないが、、、”なにかが動きだす”という理由のない予感を俺は微かに感じていた。

「さてっ」

俺はカップに残ったコーヒーを飲み干した。そして静かに席を立った。

 

                                                                      2002・5・3 Written by kanon