昼下がり 〜第2章〜

 

学祭が終わってしばらくたったある日、俺はいつものように馴染みの喫茶店でコーヒーを飲んでいた。窓の外に目をやると、空一面がを灰色の雲に覆われ、小雨がぱらついている。夏休み間近のせいか、にぎやかな学生の姿はまばらで、移動中のサラリーマンやリクルートスーツに身を包んだうつむき加減の学生が足早に行き来している。そんな様子が、、、俺の目には灰色でどこか無機質な空間として映っていた。

”俺もうじきこの世界に足を踏み入れ、、、そしていつかその色のない無機質な空間に溶け込んでしまうのだろうか、、、。”

そんな考えが頭の中をよぎり、そして俺は次第に自分の存在が薄れていく錯覚を覚えた。

”自分の存在か、、、。”                

瑞希と話をしたあの日以来、、、俺はずっとしまいこんできた迷いと不安、、、そして自分に対する憤りが少しずつ心の中を埋めていくのを感じていた。

”いつからだろうか、、、自分の意思よりも周りの評価を気にして行動するようになったのは?”

記憶のあるかぎり、、、俺はずっと”いいこ”を演じてきた。いや、”演じてきた”というのは多少語弊があるかもしれない。ある時期までは”いいこ”である自分になんの疑問も感じてなかったし、それが自分として”ごく普通”のことだったのだから、、、。実際、周りの人が満足そうに微笑んでくれるのが気持ちよかったし、、、なにより仕事で家に不在がちだった親父に誉めてもらうのがすごくうれしかった。例えば、、、些細なことだけどテストで100点をとって、夜中に帰ってきた親父に「よくやったな。」って頭をなでてもらうことなんかが、、、。

”あの出来事以来だな、、、俺がそんな自分に疑問を抱き始めたのは、、、。”

 

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確か大学2年の冬だったと思う。俺は図書館で試験勉強をしていた。比較的授業には真面目に出席していてノートなんかもきっちりとっていたしから、特に試験だからといって別にあせりも感じてなかった。だから、机に専門書を広げるかたわら、そのころちょっとはまっていた時代ものの小説なんかをぱらぱらと読んでいた。

「ここ開いてる?」

ふっと文庫から顔を上げると、見知らぬヤツが立っていた。無精ひげをはやし、なにやら大荷物を抱えたヤツは試験前の大学の図書館にはそぐわない風貌だった。

「どうぞ。」

俺はそういってまた文庫に目をおとした。

「サンキュ。」

ヤツはそう言って、ドサっと荷物を床に下ろし、無造作に俺の隣に座った。その気配が試験前のはりつめた図書館の空気とは異質だったからか、周りの学生達、そして図書館の職員までもがチラチラと俺達のほうに視線を向けた。しかし、ヤツはそんな視線なんてまったく気にならないのかドカっとイスに座り、何をするわけでもなく天井を仰ぎながらゆったりとくつろいでいた。

”なんか、変わったヤツだなぁ、、、。”

俺は文章を目をおいながらも、そのちょっと風変わりなヤツのことが気になっていた。時折チラっとヤツを見ると、相変わらず試験勉強を始める気配はまったくなく、試験前のピリピリとした緊張感と静寂に包まれた図書館の中をただただ見まわしてるだけだった。

”コイツ、、、本当にうちの大学の生徒か?”

ヤツが突然声をかけてきたのは、俺がそんなことを考えていた矢先だった。

「あのさぁ、、、おもしろい?その本。」

「あぁ、、、そこそこね。」

俺は不意をつかれた感じで、少しどぎまぎして答えた。

「ふぅん、そか。じゃ、続けろよ。」

ヤツは、そう言ってまた図書館内の”観察”(俺にはそういう風に思えたのだ)を始めた。俺もその”観察物”の例外ではなかったらしく、時折ヤツの視線を感じた。だけど、俺はそんな視線にはまったく気がつかないという風に文字を目で追っていた。いや、”追うふり”をしていた。そして気付かれないようにヤツの様子をうかがっていた。 

しばらくの間、ヤツは”観察”を続けていた。その視線はとても冷たく静かなものだった。そしてそんな瞳のどこかに”失望”のようなものが感じられた。まるで”希望を失った世界を離れたところから眺めている”、、、そんな感じだった。そしてそんなヤツの様子に、、、俺はなぜかわからないが興味をもたずにはいられなかった。

”俺も、、、そんな世界の中に埋もれてしまったものの一つとしてヤツの瞳(め)には映っているのだろうか、、、。”

俺は、ヤツがどうしてそんな視線でまわりを見つめているのか、、、なぜその瞳に”失望”の色を映しているのかを聞いてみたい衝動にかられた。

「悪い、、、俺邪魔してるな。」

ヤツが急に俺の耳元でささやいた。俺のどこか落ち着かない様子を感じとったようだった。

「いや、、、そんなことはない。」

俺はつとめて静かに言った。しかし、内心ヤツに心を見透かされてるようでかなり動揺していた。そして、その動揺を隠すかのように小説に視線を落とした。

「ちょっと外出ないか?」

突然ヤツがそう切り出した。

「うん、、、あぁ、、、いいよ。」

俺は、突然の誘いに少し戸惑いながらも同意していた。ヤツは俺の言葉を聞くか聞かないかの内に立ち上がり、無造作に置かれていた荷物を背負いスタスタを図書館の出口に向かって歩き出していた。俺はイスから慌てて立ち上がり、机の上に広げた専門書なんかを急いでカバンに詰め込んで小走りにヤツの後を追った。俺達の動きが、ピリピリとした静寂と緊張感を取り戻しかけていた図書館の空気を再びザワつかせた。貸し出しカウンターの職員がジロっと俺達を睨んで注意をうながした。俺は少し罪悪感を感じながらできるだけ足音を立てないように気をつけたが、ヤツはそんなことにはお構いなしに、スタスタを出入り口のバーを倒して図書館の外に出ていった。俺がやっと図書館の外に出たとき、ヤツは建物の前にあるベンチに座ってタバコに火をつけようとしてた。

「座れば。」

どうしていいかわからずに立ち尽くしている俺をみてヤツは言った。俺はヤツの言葉に従い少し間隔をあけてベンチに腰を下ろした。時折冷たい風が吹きつけ、まわりの色褪せた景色とは対照的にヤツの吸っているタバコの先が灯々(あかあか)としている。何を話すでもなくヤツは空を見据えたまま一定の間隔でタバコを吸い、そしてその煙を空に向かってはきだしている。俺はどうしていいかわからず黙ってヤツの様子を見守っていた。

「おまえって、、、おもしろいな。」

ヤツが視線を動かさずにおもむろに口を開いた。

「おもしろいって、、、なんで。。。」

「いや、、、だってさ。俺みたいなヤツに声かけられても普通ついてこないだろ。」

「あぁ、、、そう、、、か。」

俺は少し口ごもった。まさか興味をもったからなんて言えなかった。

「そっちこそなんで俺を、、、。」

俺はおそるおそるヤツに聞いてみた。正直、なんでヤツが俺を連れ出したのか知りたかったのだ。

「なんかお前、、、”ここから連れ出してくれよ”って心で叫んでるみたいだったから。。。」

ヤツはさらっと言い、意味ありげな笑いを浮かべた。

”ここから連れ出してくれ?俺が???”

俺はわけもわからずにヤツの言葉を心の中で反芻していた。

”ここから連れ出してくれ” 

ヤツはそんな俺の様子にはおかまいなしに、ただタバコを吸っていた。ただただタバコを吸い、、、空に向かって煙をはきだしていた。

「さて。」

しばらくして、ヤツはそう言って急に立ち上がり、タバコを地面に落とし無造作に靴で火を踏み消した。

「またな。」

そう一言いうと、ヤツは地面に置いてあった荷物を取り上げ足早にその場を去って行った。俺はヤツが大通りの人込みにのみこまれてしまうまで、その姿を目で追った。やがてヤツの姿が見えなくなると、さっきヤツに言われた言葉をまた心の中で反芻した。

”ここから連れ出してくれ” 

「ここから連れ出してくれ、、、って、、、いったいどういうことなんだ???」

俺は図書館の前のベンチに一人座り、そうつぶやいていた。

 

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それが、俺と海(かい)との出会いだった。

俺達はそれ以来ときおり会って話すようになった。特に約束をするという訳ではない。ただ、、、校内でふっとお互い同士を見かけると、どちらから誘うわけでもなく、ただなんとなく二人の時間(とき)を過ごすという感じだった。

海と俺が共有していた時間は、、、まわりのあわただしさとは対照的に、不思議なくらいゆったりとした穏やかなものだった。俺達の話す話題はごくささいな世間話から少しまじめな社会情勢に至るまでいろいろで、お互いがいい話し手であり聞き手でもあった。

あの日も、、、俺達は大学の図書館の前のベンチに座っていた。そうあの日は、、、あまり自分のことにふれなかった海がめずらしく語っていたんだ。

「俺さぁ、、、大学に入るまで何も考えずに、ただただ勉強だけしてきたんだよ。親のいうとおりに塾行って中学受験でうちの付属入ってさぁ、、、。それから高校の時も大学の看板学部に入って、一流企業に入るためにはいい成績とらなきゃなんだっていうまわりの雰囲気に流されてた。勉強一色の学生生活だったんだよなぁ。うちの親もさぁ、、、”エリートになることが子供にとっての一番の幸せだ”って思いこんでる典型的な人達だったしね。実際俺自身もそうすることに何の疑問も持たずにいたんだよね。」

そこまで話して、、、海は急に黙り込んで空を仰いだ。その視線の先には、目の前にある現実とはかけ離れた、、、何か俺には想像もつかない世界が広がっているように思えた。俺は、しばらく海が話し始めるのを待った。

「寒いな、、、場所変えよう、、、。」

海が不意に口を開いた。そして、俺に同意を求めるでもなく立ち上がって歩き始めた。俺はあわてて立ち上がり、クリアケースを小脇に抱え、海のあとを追った。海は、俺がついてきているかどうかを振りかえって確認するわけでもなく歩を進めていく。

”本当にマイペースなヤツだな、、、。”

俺は、苦笑しながら海に遅れをとらないよう足を速めた。

”どこへ向かっているんだろう、、、。”

海は店をさがす風でもなく、どんどん歩いていく。さほど身長差はないのだが、、、大またでガツガツと歩いていく海のあとを一生懸命追いながら俺は思った。

しばらくして、、、10分くらい歩いただろうか、、、不意に海が立ち止まった。必死であとに続いていた俺は、勢いあまって海の背中にぶつかりそうになった。

「あ、ゴメン。」

海はやっと俺を振りかえって言った。しかし、すぐに向きを変え、今度は道幅のせまい路地に入りこんだ。人がやっとすれ違えるほどのその路地は、さっきまでの大通りの喧騒とは別世界のようにひっそりとしていた。俺は海の後について、古ぼけた小さなビルの階段を上った。階段を上りきったところに”OPEN”と小さなプレートのかかったドアがあった。

「こんちわ!」

海はいきおいよくドアを開けた。海に続き店内に足を踏み入れた俺は、その独特な雰囲気と同時に不思議なまでのなにか心落ち着かれるものを感じた。磨きこまれたアンティーク調のカウンター・テーブルやイス、、、壁一面にところ狭しと並べられいる古いLPやCD。静かに流れる心地よい音楽、、、その中でときおり響くコーヒーの沸くコポコポという音、、、少し暗めな照明、、、それらによって作り上げられた空間が妙にしっくりくるのだ。静かに、、、そして穏やかに、、、。

”こんな店あったのか、、、知らなかったな。”

俺は2年近くもこの近くの大学に通っていながらこの店の存在を知らなかったことをすごくもったいないと思った。今まで時間をつぶすといえば、おきまりのファーストフードの店や、雑誌なんかでちょっと話題になったりした”流行もの好きな女の子”が足を運ぶようなカフェだったりで、、、間違っても”心落ち着くような空間”ではなかったからだ。そして、そう思いつつ一方で、、、なにより意外だったのが、あの海がこの店の存在を知っていたことだった。しかし、俺は思いなおす。

”もしかして、、、海だからこそ知っていたのかもしれない、、、。”

特別理由はなかったのだが、、、ふっとそんな気がした。そんな風に思いながら海のほうに目を向けると、海はなんとも言えないような懐かしさを感じさせる目で見せの中を眺めていた。まるで”昔旅立った古巣に戻ってきた”、そんな気持ちになっているようだった。

「お久しぶりです、マスター。1年ぶりくらいかな、、、ぜんぜん変わらないですね。」

海は一通り店内を見まわしたあと、僅かに笑みを浮かべて言った。

”そうかい?”

タバコを吸いながら雑誌をめくっていたマスターはそんなニュアンスを含んだ笑みを浮かべた。

この時間帯はいつもそうなのか、、、俺達意外に客はいなかった。

「マスター、ブレンド2つね。」

海はそう言って、大通りに面した窓際に座った。

”おい、まだ俺は何も言ってないのに、、、。”

俺はそう思いながら海の対面に座った。何も言わず外を眺めている海に俺は声をかけることもできず、なんだか少し気まずかった。マスターが水の入ったコップを運んできて何も言わずテーブルに置き、すぐにカウンターへ戻り豆を挽き始めた。

「ガリガリガリ、、、。」

自動のコーヒーミルの音にあわせて、あたりに豆の香ばしい匂いが広がり始める。相変わらず海と俺の間には何の会話もない。沈黙と少しの緊張感が漂う中で、俺は落ち着かなくてイスに座りなおした。

「お前、、、また何も言わないんだな。」

視線は窓の外に注がれたまま、突然海が口を開いた。

「また何もって、、、。」

俺は口ごもった。

”何だよ、考える間も与えずに注文したのは自分じゃないか、、、。”

俺は少し不機嫌になった。そんな気配を感じたのか、海はこちらを向いてまじまじと俺を見て言った。

「ちょっと試してみたんだ。」

そう言った海の表情には、何か含みのある笑みが浮かんでいた。

「試すって、、、どういうことだよ。」

俺は海がどこかおもしろがってるような気がして、カッとなって思わず声を荒立てた。

海は一瞬”あれ”っという表情を浮かべた。それを見た俺は自分自身がめずらしく感情的になってたことに気づき、なんだか少しはずかしくなってうつむいた。

「なんだ、ちゃんと腹立てることあるんじゃないか。」

そう言った途端、海は笑い出した。

”いったいなんなんだ、、、”

俺は顔をあげ、まったくわけがわからないまま大笑いする海の姿にあっけにとられた。

「いや、ごめん、お前さぁ、、、俺と一緒にいて腹立てたこととかなかっただろ。結構言いたい放題やりたい放題だったのに。今日だってそうだ。行き先も言わず勝手にここにきても何も言わなかった。だから、、、。」

そういいかけて海は口ごもった。大笑いしていたさっきまでの表情はいつのまにか消え、いつになく真面目な顔で再び口を開いた。

「だから、、、試してみたくなったんだ。”もしかしてコイツ昔の俺みたいなヤツなんじゃないかって”、、、確かめてみたくて、、、でも違ったみたいだ。」

そう言うと、海はあらためて俺のほうを見た。その表情には静かな、、、そしてやさしい微笑みが浮かんでいた。

「昔の海に似てる?」

俺は海に話かけるでもなく、、、ひとり言のようにつぶやいた。

”俺が海に似てる?どうして、、、あ、そういえば、、、。”

俺は海の意外な言葉に少し戸惑いながら、、、この店に来る前に海が話していたことを思い出していた。実は話を聞いている間、俺自身もチラっとそんなことを考えていたのだ。まるで”それって俺のことを言ってるのか?”みたいな、、、。だが、海がそんな風に思う要素があっただろうか。確かに俺は今まで海の言動や行動に対して多少戸惑いを感じながらも、従順だった。だけど、俺自身のことについては海に何も話したことはなかったはずだ。あたりさわりのない会話しかした覚えはない。別に故意的というわけではなかった。もともと俺は自分のことについてあまり話さないのだ。自分のことについて話すことが嫌いというわけではない。単にそれが習慣になっていたのだ。記憶ある限り俺はずっとそうだった。そう、あたりまえのことだった。

”そんな俺を、、、海はどうして”自分と似ている”という風に考えたのだろう、、、。”

俺は不思議でたまらなかった。

「さっきも話してたけどさ、、、。」

海は俺のそんな風に考えている様子を気にするでもなくまた話始めた。

「昔の俺は、、、ほんとまわりに従順な自主性のないヤツだったんだ。何事につけても波風立てず、ある意味社会的に求められるニーズに答えることが俺のすべてたっだ。まわりからは”大人びてる”って言われてたけど、そんなことは全然なかった。誰かに何か言われなければなにもできない子供だったんだよ。でさ、高校まではそんな”子供”でいることが許されてた。まわりの連中もそんなヤツばっかりだったしね。同じ制服を着て、、、毎日同じような生活スタイルで、、、親が望むエリートコースを進むことに何の疑問ももたず、それを目標としてしまうような、、、そんな人間の集まりだった。俺もそんな中で同じように暮らしてた。そして自分の置かれた環境の中、、、あえて限定するけどね、、、で認められることに満足を感じていたんだ。きっとそんな生活に疑問を持っていたヤツがいたかもしれない。でも、みんな表面上だけの付き合いだったから、自分のことを話したり、ましてやあえて”他人の領域”にまで踏み込んで、そういう部分を指摘するなんてこともなかった。だけど、、、大学に入ってそんな環境はガラっと変わったんだ。確かに付属出身のヤツはたくさんいた。だけど、それ以外に本当にいろんなヤツがいたんだ。出身地もばらばら、育った環境も全然違う。大学に対する考え方や目的もだ。遊びたいヤツ、、、”これが研究したい”ってこだわってるヤツ、、、”とりあえず大学くらい行っとくか”ってヤツ、、、。そんな中に俺達みたいなのが突然放りこまれたってわけだ。で、ある時突然、同じクラスの一人から言われたんだよ。”お前って何やりたいんだ?”って。そいつは就職がいやで遊びたくって大学に入ったようなヤツで、別に深い意味で聞いてきたわけじゃなかったんだ。”昼飯何にする?”くらいの感覚だろうな。だけど、俺はその質問に真剣に悩んでしまったんだ。”俺は何をやりたいんだろう、、、”って。いくら考えても答えが見つからなかった。その時の俺、黙り込んで自分でも気づかないうちに困惑した顔になってたみたいで、、、話かけてきたヤツはきっと困ったんだろうな。明るく「そんな真面目に考えるなよ。深い意味はないんだからさ。別に今やりたいことなくたってそのうちなるようになるっしょ。さ、どっか遊びにいこうぜ!」」ってさらっと言ったんだ。正直、その時すごくショックだったよ。その時はそれで話は終わりになったんだけど、、、その日から俺の頭から”いったい俺は何がやりたいんだ?”っていう疑問が離れなくなった。大学ってさ、なんて言うか、、、最低限のベースは与えられるだけど、そこから先は自分が”これ”って考えて行動する場所でさ。それが授業サボッて遊ぶことでも、がむしゃらに勉強することでもなんでもさ。”とりあえずの意味で器を与えられてその中に何を入れるかは自分次第”みたいな感じだろ。自分に一任されてるっていったらいいのか、、、そんな環境で、俺みたいな今まで目標だとかやるべき事を与えられ、それをこなす事に慣れきってた人間に、急に”自主性を持ってなにかやれ!”って言われたって、なにがなんだかわからなかったんだ。」

海は一口コーヒーを飲んでさらに続けた。

「俺、、、本当にその時初めて”自分は何がやりたいのか?”って考え込んだんだ。はずかしい話だけどさ。それまでそんなこと全然考えたことなかった。マジで悩んだよ。しばらくの間、何をするにも頭のかたすみに”自分は何をやりたいのか?”っていう疑問があって、、、おかしくなりそうだった。いや、、、実際おかしくなってたのかもしれない。辛気臭い顔で四六時中うわの空だった。そんな俺を見て親は心配したよ。今までそんなことなかったからね。まるで”腫れ物”をさわるような扱いをされた。”どうしたら元通りになってくれるの?”みたいな、、、。俺、そんな扱いがウザくって、、、面倒くさくてさ、、、とうとう爆発したんだ。初めて親に怒鳴った。”かまわないでほっておいてくれ!”って。その時の親の顔ときたら、、、まるで化け物でも見たような顔だったな。」

そう言って海は少し笑った。

「でさ、それから俺しばらく部屋に閉じこもったんだ。部屋にカギをかけて、ほとんど部屋の外に出なかった。もちろん大学にも行かなかった。カーテンを閉め切った薄暗い部屋でただただうずくまってた。自分でもわけがわからず何も考えられなかった。だけどさ、、、3・4日してかなぁ、急に自分が空腹である事に気がついたんだ。そんなに自分がわけわからない状態になってるってのに、体は正直というか現金というか、、、そしたらそんなことしてる自分が急に可笑しくなった。”何やってるんだろう俺、、、”みたいなね。で、気がついたら外に飛び出してた。なんかさぁ、その時外の景色がすごくはっきり見えたんだ。今まで何気なく通り過ぎていた街並みが急に鮮やかな色彩を帯びて俺の目に映ってた。それでさ、、、同時に俺の中にあった何かがふっきれたんだ。」

そこまで言って海は窓の外に目をやった。そして、少したってまた俺に視線を向けた。

「ところでさぁ、、、お前って何かやりたいことある?」

海は少しいたずらっぽい笑みを浮かべて、、、急に俺に話をふった。

「え?俺、、、。」

突然の海の質問に、俺は口に運ぼうとしていたカップを落としそうになった。

”やりたいこと、、、。”

俺は考え込んだ。よくよく思い返してみると、、、今まであらためて自分が何をやりたいかなんて考えたことなかった。まわりのニーズに応えることイコール自分のやりたいことだと思っていた、いや思いこんでた。今海自身が話していたことが、、、本当に自分のことのように思えた。

「急にそんなこと言われても、、、。」

俺はどう答えていいかわからずに言葉に詰まった。

”自分のやりたいこと、、、。”

「そんな深く考えるなよ。別に深い意味はないから。」

海はそう軽く言ったが、、、俺は考え込まずにはいられなかった。

「昔の俺みたいな反応するなよ!そう気にするなって。だいたい今ちょっと考えたくらいでやりたいことが見つかったら苦労しないぜ。俺だって未だに探してるんだからな。。。」

俺の困惑している様子を読み取ったのだろう。さっきまで見せていたいたずらっぽい笑みは消え、おだやかな目を向けて海はそう言った。

「え、そうなのか?」

俺ははあまりの意外さに、はっと目を上げて海を見た。すると海は窓の外を見ながら”そうそう”とうなずいた。

「だって、、、海は。」

「だって何だよ。」

俺が言いかけると海が振り向いて間髪入れずに言った。その顔にはまた面白がっているような笑みが浮かんでいた。

「いや、、、。」

俺はそんな海を見て口ごもった。

「”やりたい放題やってるくせに、、、”って顔に書いてあるぜ。」

海はニヤニヤしながら言った。

「いや、そんなことは思ってない。」

俺は少し図星をさされて、あわてて反論した。

「ただ、、、。」

俺はどういう言葉が適切なのかわからなくて、、、開きかけた口を止めた。海は自分のやりたいことをやりたいようにやってるんだとばかり思っていた。過去がどうだったにせよ、今の海は自分のスタイルをくずさずにマイペースに行動しているように俺には見えていたのだ。だからは”やりたいことをさがしている”なんて、、、俺には想像できなかった。でも、、、時折見せていた”遠くを見つめる瞳(め)”は海の本音を映し出していたのかもしれない。

「確かに俺、、、世間から見たらむちゃくちゃやりたい放題やってると思うよ。大学もろくすっぽいかず、ふらふらといろんな所放浪して、、、うちにもあんまり寄り付かない。親は俺がぶちきれたの見てるから何も言わないんだけど、、、心配してるのはよくわかってるんだ。で、今回はちょっと事情があってうちに呼び戻されたんだ。一応さ、めちゃくちゃやってるの自分でもわかってるから、最低限のことは親の言う事聞いて置かないとだからな。」

そう言って、海は今まで見せたことなかったようなちょっとはずかしげな表情を見せた。

「なんて言うかさ、俺あの時に自分の目に映った色鮮やかな景色を忘れたくないんだ。それと、”何かふっきれたような感覚”をね、、、。」

その言葉には、なんだか海の本音が感じられた。俺はじっと海の目を見ながら次の言葉を待った。すると、海はカップがからになった事に気づき、マスターに目で合図をした。コーヒーサーバーを片手にマスターが静かにやってきて、、、何も言わずコーヒーを注ぎカウンターに戻っていった。その姿を目で追いながら、また海が口を開いた。

「だからさ、”自分の思ったように、、、自分の気持ちをそのまま行動に移してみよう”って思ったんだ。今の俺はその”決め事”を実行してるだ。ただそれだけなんだ。”何をやっていきたい”なんてまだわからない。ただ、、、かわり映えのない日常を、何を感じることもなく送っていたら、、、まわりと同じような生活をしていたら、、、あ、断っておくけど、別にあたりまえの日常が悪いって言ってるわけじゃないぜ、、、ただ俺はその中にそのまま身を置いていたら、そのまま何も変わらず、自分の探している答えを見つけることができず、いたずらに時が流れていくだけなんじゃないかって気がしたんだ。だから、あえて日常から離れてふらふらと放浪している。なんていうのかな、、、自分が知らなかった場所で、、、未知の世界に触れることで、例えばいろんな人と出会ったり、違う環境に身を置くことはすごくエネルギーがいることなんだけど、そういう刺激を受けることで今まで自分が見えていなかった何かが見えてくるんじゃないかってね。で、それが自分の探している答えをみつける手がかりになるかもしれないみたいな。。。」

そう言って、海はまたかすかに笑みを浮かべた。そう言った海の目は、迷いや不安なんてないとでも言っているかのように透き通っていた。

「不安とかはぜんぜん感じないのか?」

俺は思わず口を開いた。

「不安?」

海は一瞬不思議そうともあきれたとも言えそうな表情を浮かべた。

「そりゃ、ないわけないだろ。不安でたまらないよ。もしかして”やりたいことなんて、、、答えなんて見つからないかもしれない”とか考えることもよくある。あと、そうだなぁ、さっきも言ったように、やっぱり親に想像もつかないような心配をかけてるんじゃないかって思ったりね。”こんなことしてちゃダメなんじゃないか”って、自分の進んでいる道を疑う気持ちは絶えず心の奥底にある。そんな時たまらなく不安で自信をなくす。だけど、、、。」

海は一息ついてまたコーヒーを口にふくんだ。

「だけど、、、もしそういうことを恐がって何もせずただ時を過ごしていたら、、、忙しさに紛れているうちはいい。ただ、、、ふっと流れの中で立ち止まった時、”俺には何がある?”っていうものすごい不安に襲われそうな気がするんだ。”俺はいったい何物なんだ”っていう存在感を疑ってしまうみたいなね、、、俺はそのほうがずっと恐いんだ。だから俺は”自分のやりたいことを探す!”って決めた自分の決めたように動くことが、、、ある意味自分自身の存在意義を確認する事になって、心にある不安を包み込んでくれるているのかもしれない。」

そう話し終わると、海はしばらくの間窓の外を眺めていた。俺はその間、海の話をもう1度頭の中で繰り返し考えていた。今の自分に重なる部分が多い気がする反面、自分の決めた道を歩いている海にくらべ、何もせずただただ現実にのみこまれている自分自身がとてももどかしく思えた。

”自分は今与えられた現状にただ流されている。何か動かなければいけないって気持ちはいつも心にある。けれど、ある意味不自由のない状況を壊してまで自分のやりたいことを探すなんて行動を起こす勇気は持ち合わせていない。でも、、、やっぱりこれじゃいけないんだ。”

そんな思いが頭の中で渦をまいていた。すると、海が不意に口を開いた。

「ま、でもさ、別に俺みたいな選択が必ずしも正しい訳じゃないからな。人それぞれ自分にあった考え方や行き方があるわけだし、、、万人が勧めても自分には受け入れられないこともある。だから、、、そんな深く考え込むなよ。お前は今のお前でいいんじゃないか。」

俺が考え込んでいるのを察したんだろう。まるで俺の頭の中を覗いたかのように、おだやかな口調でそう付け加えた。

「いや、、、でも俺このままじゃ、、、。」

俺は答えの出ない言葉を口にする。

「お前って、考え始めると相当深いところまでいきそうだよな。でもさぁ、、、そうやって自分自身に疑問を持ってるだけでも十分だと思うぜ。例え答えが出せなくたって、自分についてそういう自覚を持ってるのとそうでないのとでは大違いじゃないかなぁ。ま、俺も偉そうなこと言えないけど、、、これだけは言えるかな。急いで答えを出そうとする必要はないってこと。と言うよりもむしろ急いで答えを出しちゃいけないのかもしれない。さっきも言ったけどさぁ、そういう疑問をもちながらまわりを見渡すことで、ある時ふっとその疑問に対する答えが見つけだすきっかけになるんじゃないかな。ま、急いであせって深く考えることが自分にあった答えを出す方法とか限らないってことさ。ってか、、、俺なんだかくどくど喋りすぎだなぁ、、、。」

海はそう言って笑った。

海はそんな風に言ったけど、、、俺の中には自分がどうするべきか答えをだせないこと、そして動き出せないことへのもどかしさとあせりで”時間をかけて”なんていう悠長なことを言っている余裕がなかった。きっと海もそんな俺の気持ちを察していたに違いない。だけど、そんなことはあえて口にはしなかった。俺と海は、言葉のないままお互いに窓の外を見ていた。そして、店内はしんと静まりかえったまま時が流れた。どのくらい時が流れただろうか、、、いつのまにか外は夕暮れの気配を見せ始めている。とおりにはそろそろ人が増えはじめ、店の中とは対照的にあわただしい空気に包まれているようだった。

「さてと。」

そんな静寂をやぶったのは海だった。

「俺そろそろ行くわ。久々にここのコーヒーゆっくり飲めたし。結構いろんなところふらふらしてると、ある時急になつかしくなったりするんだよなぁ、、、ここのコーヒーの味。」

海は立ち上がりながらマスターに向かって言った。マスターはその言葉に微かに口元に笑みを浮かべて応える。まるで”ま、忘れなかったらまたおいで”とでも言っているように、、、。

「つき合わせて悪かったな。ここ俺のおごり。」

海はそういってジーパンのポケットから千円札を取り出してテーブルに置いてドアに向かった。

「あ、いいよ。ちゃんと払うから、、、。」

俺がそう言いかけた時、海はすでにドアノブに手をかけていて、振り向きざまに言った。

「そういうところ、、、もうちょっと素直になったほうがいいぜ。」

そう言って、海はニヤっと笑った。そして肩越しに手を振りながらドアの外に出て行った。そんな海を俺はただただ言葉もなく見送り、海が出て行ってしまった後もしばらくの間ドアを見つめていた。

 

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「もう一杯飲むかい?」

俺がはっとして顔を上げると、テーブルの横にコーヒーサーバーを持ったマスターが立っていた。

「あ、お願いします。」

俺は反射的に答えた。”ふっ”と窓の外に目をやると、もうすっかり暗くなり、雨足がかなり強くなっていた。

”俺はいったいどのくらいこうしていたんだろう。”

俺は、熱いコーヒーを口に含みながら考えた。海との出会い、そしていろんな話を思い出していたら、すっかり時間がたつのを忘れてしまっていた。雨に濡れた窓ガラスには、自分の姿がぼんやりと映っている。そんなぼやけた自分の姿は、今でも不安定でなにもできないでいる自分の状態を映し出しているように思えた。俺は、、、無性に”海に会いたい”っと思っていることに気がついた。

「あの、、、最近海はここに来ましたか?」

俺はなにげなしにマスターに聞いてみた。海が今どうしているのか、、、そして、自分なりの答えを見つけ出すことができたのかを知りたかった。もう1年以上海とは会っていない。まったくの音信不通だ。というより、もともといなくなってしまったことすら知らされてなかったんだ。ただなんとなく、、、”顔をあわせることがなくなった。”そんな感じだった。マスターはゆっくりと首を横に振った。

「そうですか、、、。」

俺は少しがっかりした。過去に話をしたことを思い出した懐かしさと、、、そして、こんな自分を見たら海はまた何か言ってくれるんじゃないか、、、また海と会うことで”なにか自分にきっかけをもらえるんじゃないか”という淡い期待が俺の中にあった。

”俺って、、、すっかり海に甘えてるな。”

そう思ったらなんだか可笑しくなった。と同時に、少し目頭が熱くなるのを感じた。

”ヤバい、、、なんか泣きそうだ。こんなところで泣いたらかっこわる、、、。”

俺は動揺し、平静を取り戻そうと深呼吸をしようとした。”ふっ”と顔をあげると、まだマスターがそこに立ったままだった。俺は涙ぐんでいるのがバレないようにできるだけ平静を装った。でも、マスターにはわかってしまっていたのだろう。その表情には、なんとも言えない暖かい笑みが浮かんでいる。まるで、”大丈夫、きっと元気にしてる。で、そのうちひょっこり顔を見せるさ。”とでも言っているみたいだった。

”そうですね、、、きっとどこかで、、、。”

俺は、そういう気持ちをこめて精一杯の笑顔を返した。すると、マスターは微かにうなづいてカウンターに戻って行った。

 

俺は、まだ微かにコーヒーから立ち上っている白い湯気を眺めながら、、、不安定でどうしようもなくゆれる気持ちを静かにかみしめていた。

 

                                                2002.4.24 Written by kanon