< 旅人のお話 > 〜 再会 〜
” カラン”… 静かにドアが開いた。
「 こんばんわ… 」
“ あ、この前の旅人… ”
私は、グラスを磨く手を止めた。旅人はこの前と同じ様にとても礼儀正しく頭をさげ、ゆっくりとカウンターの隅に座った。そして、私に微笑んだ。そう、、、この前と同じ、、、不思議な微笑だ。
「 どうぞ 」
私は、旅人の前にジンジャーエールを置いた。ランプのあかりが透明な氷にやわらかな光を映し出している。ときおり“カラン”と心地よい音をたてる。
“ よかったのだろうか… 。”
グラスを置いてしまってから、私の頭を“ふっ” と不安がよぎった。
”別に注文をされたわけではなかったのだが、、、”
グラスを一瞥し、、、旅人は何も言わずもう一度私に微笑んだ。ゆっくりと、、、“ありがとう”とでも言っているかのように…。そしてグラスに視線を戻し静かに見つめている。そう、、、あの遠い、どこか寂しさに満ちた瞳で・・・。
“ まだこの街にいたのか…。 ”
この酒場には、毎日いろんな客が訪れる。ほとんどが常連だが、若者、、、年配の紳士、、、客層は実にさまざまだ。ある客は大勢でにぎやかに、ある客は一人静かに、、、自分なりの時を過ごしている。一人一人が、その時それぞれの思いを抱えて…。私は、そんな客達の様子をカウンターごしに眺めている。時には、相談ごとをもちかけられたり意見を求められたりして会話を楽しんだりもするのだが、、、たいがいはそれぞれの空間を静かに見つめている。私からそこに新しい風を吹き込んだりはしないように気をつけている。ただ、そこにある空間を壊さないよう、ちょっとした気配りをするだけだ。まぁ、ついつい癖で頭にいろんな想像をめぐらせながらではあるのだが…。だから、これほどに旅人の存在に敏感になっている自分が、、、気になってしまう自分が不思議に思えた。
“ この旅人が初めてこの酒場を訪れてから、もう一週間くらいたつだろうか。”
“ はっ ”っと私は我に返る。そういえば、ここ一週間私はこの旅人のことばかり考えてる。こんなことは酒場をはじめて以来あっただろうか。
“ いったいどうしてしまったんだ。なぜこんなにこの旅人のことが気にかかるんだ…。”
私は自問自答した。しかし、、、答えはでない。ただ、旅人の瞳に魅入られてしまったのだ。そう、あの真っ直ぐな、、、それでいてどこか寂しげなあの瞳に…。
“ まったく、どうかしてるな。”
私は、グラスを磨く手を早めた。気持ちの動揺をさとられないように…。
旅人はゆっくりとグラスを揺らしている。透明な氷の向こう側にあるどこか遠い世界を見つめながら…。
「 この街は… 」
突然、旅人がゆっくりと口を開いた。私は驚いて旅人の方に視線を移した。旅人は相変わらずグラスを見つめている。
“ 空耳だったのだろうか… ”
私はしばらく黙って旅人の次の言葉を待った。時計の“ カチカチ ”という音が妙に気にかかる。ほんの数分間がとてつもなく長く感じられた。
「 この街は…変らないね。そう、昔と、、、。」
旅人はとてもなつかしそうな目をしていた。
確かにこの街は昔と変っていない。さまざまな人が訪れ、、、そして去っていった。しかし、時の流れ、、、風、、、あまりにも自然なことすぎて気にも止めていなかったのだが、、、そういった空間はほんとうに少しも変っていない。昔のままだ…。
「 この街をご存知なんですか?」
私はちょっとためらいがちにおそるおそる訊ねた。
「 昔、、、住んでたんだ。この街に… 」
そう言って旅人は静かに微笑みかけた。そしてグラスをゆっくりと口にはこぶ。
“ あれ?”
私はふっと思った。
“ この旅人の瞳、、、この前とどこかが違う…。”
真っ直ぐで、、、それでいてどこか寂しげな瞳…それは変らない。しかし、、、どこかが違っているのだ。
“ 気のせいか、、、いや違う。この前とは確かに何か違う。 ”
私はしばらく気付かれないように旅人の様子をうかがった。自然とグラスを磨く手に力が入る。
“カチカチカチ…”
今日はいつもより客の入りが少ない。そのせいかやたらと時計の針の音が耳につく。
“ 哀しみの目…。”
そう、、、そんな気がする。すべてをあきらめた、それでいて何かを忘れられない、、、計り知れない程のとてつもなく深い悲哀、、、新たに旅人の瞳に刻み込まれているのが読み取れる。
「 あの… 」
私は、とっさに “ なにかあったのか ” と聞きたい衝動にかられた。
旅人は、グラスから私にゆっくりと視線を移した。そして “ どうかしましたか?”そんなニュアンスを含んだ、、、しかし変らない微笑みを私に向けた。私は、出かかった言葉を飲み込んだ。”ふれてはいけない・・・。”っと直感的にさとったのだ。
“ なんでもありませんよ。”
私はゆっくりと首を振り、旅人に微笑みかけた。自分以外の何か別のものに動かされているように、、、自然にそうしていた。とても奇妙な感覚だった。
「この街は、、、この酒場は、、、とても落ち着くんだ。そう、、、心穏やかになれる。やすらいだ気分になれる。でもそれが…。」
” カラン…”
旅人の言葉をさえぎるように、ふいにドアが開いた。一日の仕事を終えた二人組みの男が“がやがや”と入ってきた。何やら仕事で上手く行かないことがあったらしく、少し興奮気味だ。彼らの登場が、、、それまでの時間の流れをすっかり変えてしまった。旅人は口を閉ざした。そして、またグラスに視線を戻す。私は、旅人が言いかけた言葉の続きが気になってしかたがなかった。しかし、先の言葉を推し量る術はない。しかたなく、もう一度旅人の方に視線を移す。なぜか、ここにきた時よりも少し影が薄く感じられた。
“ いったいこの旅人に何が…。”
「 ごちそうさま。 」
旅人が静かに立ちあがった。そして、私に微笑みかけて丁寧に一礼する。心なしかその表情には親しみが感じられる。“またきます。”そんな風に語り掛けているようだった。
“ お待ちしてますよ。”
私は、そんな気持ちを込めて旅人がドアを閉めるのを静かに見守っていた。
“ ほんとうにまたきてくれるだろうか…”
私はそんなことを考えながら旅人が見つめていたグラスを手に取った。溶けかかった氷が“カラン”と心地よく音を立てる。
“ 今日は早めに店をしめようか…。”
後ろのテーブルで愚痴を言い合っている男達に目をやりながら、ふとそんな気分になった。
いつもどおりの酒場で、いつもどりに時計の針が“カチカチ”と時を刻んでいる。その音響きが、私の心に少しだけ寂しさを感じさせた。