“ 昼下がり ” 〜第1章〜

 

初夏のおだやかな昼下がり。大学の近くにある行き付けの喫茶店。俺は窓越しに忙しそうに通り過ぎて行く学生達をなんの気なに眺めていた。

学園祭りが近いせいか、大学周辺はちょっとした活気にあふれている。少し前まで“五月病”のどんよりとした空気に包まれていたのがうそのようだ。

「先輩って、、、いっつも冷静っすよね。なんかこうちょっと離れたところからみんなを眺めてるっていうか、、、一線退いてるっていうか、、、。」

普段からつるんでいる一年後輩の瑞希が不意につぶやいた。

「そんなことないと思うけど、、、。」

俺は視線を彼に移し、ちょっと苦笑した。

”おまえ、きっついこというなぁ、、、”っと心の中で思いながら、、、。

そんな俺の心を読み取ったかのように、瑞希はあわてて付け加える。

「あ、全然悪い意味じゃなくって、、、いや、、、あの、、、いい意味っすよ。冷静で落ち着いてて、、、。自分も見習わなきゃって思ってるんですよ。」

そう言ってぎこちなくテーブルに置かれたアイスコーヒーのグラスに手を伸ばす。氷がほとんど溶けてしまって薄まっているせいか不味そうだ。それにもかかわらず彼はその液体を飲み干した。

店内では静かにバッハのイタリア協奏曲が流れている。やわらかなピアノの音色が穏やかな昼下がりに心地いい。

カウンターでは無口なマスターが音楽雑誌を読みふけっている。ここで流れる音楽はすべてこのマスターのコレクションらしく、店内の壁という壁には古いLPやCDが所狭しと並べられている。ジャンルは本当に様々だ。クラシック、、、ジャズ、、、ニューミュージック、、、フュージョン、、、マスターの気分でその日にかかってる曲がちがうらしい…。そのせいか、来るたびになんとなく新鮮な印象を受ける。だけど、、、俺にとってはなんとなく落ち着く場所だ。

俺の視線に気付いたのか、マスターがふっと顔を上げた。一見気難しそうに見えるが、そんな中にもかすかだが目元や口元にあたたかさが感じられる。

“どうかしたかい? ”

マスターが俺に無言で語り掛ける。

“なんでもないですよ。 ”

俺は静かにうなずいて微笑んだ。

すると、マスターは何事もなかったように雑誌に目を落とす。

俺は、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。ふっと顔を上げると、瑞希が不思議そうな顔で俺を眺めている。

「そういえば瑞希、、、おまえこんなところであぶら売ってていいのか?一応幹事長だろ!模擬店の準備忙しいだろう。。。」

俺は、テーブルの隅に無造作に置かれているファイルに目をやりながら少し笑って言った。

「あ、それが全然大丈夫なんっすよ!計画の概要が決まったら後輩たちが急にやる気になっちゃって、、、自分が行くとかえって遊んじゃうし。。。」

瑞希はカラになったグラスをもてあそびながら苦笑した。

「確かにおまえは”遊び担当”だからな。。。」

「そうなんっすよねぇ、、、去年は先輩っていう名ストッパー役がいたから。。。“おまえ何やってるんだよぉ!”ってね。」

瑞希はあっけらかんと笑った。

“こいつのこういう底抜けた明るいところ、、、うらやましいよな。”

確かに俺は、、、どちらかというと物静かで口数も少なく冷静に構えているところがある。周りの人間にもそう言われるし、実際自分自身も感じていることだ。明るくて率直、、、そしてにぎやかな瑞希とは本当に対照的だ。こいつには自分にはない部分があるから、時々“はっ”とさせられたり、ドキドキすることもある。

“だけど、、、なんだろう、妙にしっくりくる。”

俺は、瑞希と一緒に過ごす時間が結構好きだったりする。別に変な意味ではなく、単純に居心地がいいのだ。だから、学年がちがうにも関わらずこうしてよくつるんでいる。俺の生活の中で大切な時間だ。

「そういえば先輩、就職どうなったんっすか?」

瑞希が不意に尋ねてきた。こういうことを瑞希はあっけらかんと聞いてくる。

「おいおい、相手が俺じゃなかったらどうするんだよ。この時期4年はピリピリしてんだぞ!」

俺は、苦笑しながら小声で言って、はぁっと肩を落とした。

“ま、瑞希らしいっちゃ瑞希らしいんだが、、、。”

「とりあえず○○銀行から内定もらってるけどね、、、。」

俺は窓の外を見つめながら、まるで他人事のように言った。

「けどねって先輩、すごいじゃないですか!この就職難の時に。自分なんて今から就職浪人だろうなぁってあきらめ入ってるのに、、、。」

「お前は大丈夫だよ。」

「大丈夫って、どうしてっすか?」

瑞希は身を乗り出して尋ねてきた。

「あは、、、いや、なんとなくな。」

俺は瑞希の力の入りように少しあわてた。

「何となくって、、、先輩すっげぇ無責任ですよ、それ。」

瑞希は少し怒ったふりをしてみせた。が、「でも信じちゃおっかなぁ。」と言って、ケラケラ笑い出した。

“そういう率直でまわりを明るくするところが人に好印象を与えるんだよ。”と、俺はあえて声に出さずに心の中でつぶやいた。

「で、話もどしますけど、、、先輩こんなところでくつろいでるくせに、“けど”ってなんなんですか?○○銀行っていったら最大手じゃないっすか。面接のときに気にくわないヤツでもいたんっすか?」

瑞希は“げせない”という目で、俺の顔をまじまじと見つめた。

「いや、気にくわないってわけじゃ、、、。」

俺は言葉につまって、視線をカップに落とした。白いカップは、飲み干したコーヒーで薄い茶色に染まっている。俺はゆっくりと振り返り、カウンターごしにマスターに“おかわりください。”と合図をした。マスターがゆっくりと立ち上がって新しいコーヒー豆をひき始める。すると、あたりには香ばしい豆の馨りが漂いはじめた。

俺と瑞希は、言葉もなく向い合っていた。なんとなく気まずい雰囲気が二人の間に流れた。さっきまで聴こえていたイタリヤ協奏曲のCDはいつのまにか終わっていた。コーヒーが沸く“コポコポ”という音だけが、断続的に続いてる。

どのくらい時間がたったのだろうか、、、。マスターが静かに二人の向かい合うテーブルへやってきて、沸きたてのコーヒーをカップに注いだ。

「あ、自分にも下さい。」

瑞希が口を開いた。

マスターは何も言わずにカウンターにもどり、白いカップにコーヒーを注ぎテーブルに運んできた。

“どうも”

瑞希がペコっと頭をさげた。マスターはかすかに微笑を浮かべながらカウンターにもどり、また雑誌に目を落とした。瑞希は運ばれてきたコーヒーに目を落としたままだった。

俺はなんともなしにまた窓の外に目をやった。人の流れが心なしかせわしなくなっていた。さっきまで快晴だった空にかげりが見え始めている。

「あのさぁ、、、やっぱ俺不満なんだよな、きっと。」

俺は静かに口を開いた。しかし、、、そのあとの言葉が続かなかった。いったい自分が何を言おうとしているのか自分でもはかりかねていた。そして、そのもどかしさからか、俺は使いもしない砂糖壺に手を伸ばし、スプーンで砂糖の山を作っては崩した。

「いいんですよ先輩、別に何も言わなくて、、、。」

その様子に気付いた瑞希が、そう言って静かに微笑んだ。

「いや、続けさせてくれよ。なんて言うか、、、話した方が考えがまとまりそうな気がするんだ。」

瑞希は何も言わなかった。ただ暖かい目で俺を見守ってくれていた。

「なんて言ったらいいのかな。俺自分自身に対して不満でいっぱいなんだよ。昔からそうなんだ、、、自分でどうしたいかより、まわりの評価を気にしてきた。自分の気持ちを心の奥底にしまいこんで、まわりのニーズに応えることに一生懸命だった。親父と同じ大学学部。就職もまわりが納得する銀行。何一つ自分の本心から決めた事なんてなかった気がするんだ。だけど、、、。」

俺はそこまでいって言葉につまった。

“でも、そういう道を進むことを自分自身が選んで決めてきたんじゃないか。”

そんな言葉が俺の頭の中をよぎった。

“そうだよな。”

俺は少し可笑しくなった。そして、砂糖の山を作るのをやめ、壺を元の位置に戻した。“ふっ”と目を上げると、瑞希が心配そうにこっちを見ている。

「あ、ごめん、気にしないでくれよ。」

俺はあわてて笑顔でいった。

「ほら、こんな不景気なご時世で実現するかわからない夢のために確実な就職先棒にるふようなことするわけないじゃん。」

「夢って、、、物書きですか?」

瑞希は、俺の様子を伺うように言った。

「あれ、俺お前に話したことあったっけ?」

俺は、不意打ちをくらって少し取り乱しながら瑞希をまじまじと見た。

「いや、確か合宿の時だった気がするんですけど、、、。めずらしく先輩が語ってて、ちらっとそんなことを言ってた記憶があるんですよ。先輩ってほとんど自分のこと語ったりしないっしょ。だから、あの時は“これは本気だな”って思ったんです。」

瑞希は少しバツが悪そうに言った。

「俺そんなことポロっと口に出してたんだ。いや、誰にも話した記憶がなかったからちょっと驚いた。はは、、、その通りだよ。ま、でも“夢”で終わったけどさ。」

「もっ申し訳ないっす。言いたくないこと言わせちゃった。でも、安心してください。自分、他の誰にもいってないっすから、、、神に誓って。」

瑞希は、まるで子供がいたずらしたのが親にバレた時みたいに慌てていた。

「別に気にしなくていいって。だいたい“神に誓って”なんて、、、お前いつからキリスト教信者になったんだ?」

俺は瑞希をちょっとからかって笑った。

「隠してたわけじゃないし、、、ただちょっと“あれっ”て思っただけだよ。なんだかなぁ、、、きっと相手がお前だからつい口から出ちゃっただんろうなぁ。」

俺はそう言いながらカップに手を伸ばし、冷めかけたコーヒーを口にふくんだ。

「先輩、それって誉め言葉ですか?」

瑞希は口を尖らせていた。

「だからさ、お前がいないと困るってことだよ。」

俺は“まぁまぁっ”と、なだめるように言った。

「それ本当っすか?うれしいけど、、、そうストレートに言われると照れますね。」

瑞希は“いやぁっ”と言う感じで頭を掻いている。俺は、そんな瑞希の様子をじっと見守っていた。

“やっぱお前って不思議なヤツだよ、、、。”と、心の中でつぶやきながら、、、。

 

「カランカラン、、、。」

不意にドアが勢いよく開いた。

「あ!瑞希先輩やっぱここだったんだぁ。もうっ、、、みんなずっと探してたんですよ!」

そう言いながら、大学生には見えない小柄な少女が息を切らせて店に入ってきた。

「あれ、咲ちゃん、どした?何か問題でも起こったかな?」

瑞希は、コロっと態度を変えて先輩顔で言った。さっきまでの俺とつるんでいた時の瑞希とは全然ちがうその様子に、俺はふきだしそうなのを必死にこらえていた。そんな俺の様子に気がついたのか、瑞希が“チラっ”と振り返る。目があった瞬間、俺は耐えきれなくなってふきだしてしまった。

「なんっすか、先輩!自分何もやってないじゃないっすかぁ。」

瑞希は顔を真っ赤にして言った。

「なんでもないって、、、。」

俺は可笑しさをこらえながら言った。

「じゃ、なんでそんなに笑うんすか!!!もうっ。」

「あのぉ、、、お取り込み中すみませんが、、、。」

咲と呼ばれていた女の子がおずおずと言った。

「あ、ごめんごめん、何だっけ、咲ちゃん?」

瑞希は動揺を隠そうと、女の子に向かってぎこちなく微笑んだ。

「えっと、特に何が起きたというわけではないんですが、今日の作業予定が終わったので解散にしていいかどうかを聞いてこいって言われたので、、、。みんな雨降りそうだから早く帰りたがってるみたいで。」

「えっ、雨?」

俺は窓の外へ視線を移した。土砂降りとまではいかないが、かなりいい降りになっている。

「そういえば、気付かなかったけど、咲ちゃんも肩少し濡れてるじゃん。傘は?」

瑞希は“自分のせいだ”という感じで、すまなそうな表情を浮かべている。

「いえ、私が校舎を出た時にはまだポツリポツリだったんですよ。走っている間に本格的に降り始めちゃって、、、。でも、大丈夫!私頑丈にできてますから!」

咲はガッツポーズをしながら笑顔で言った。

「頑丈って、、、咲ちゃん、風邪ひいたら大変だよ。ごめんね。」

「気にしないでください、瑞希先輩。本当に大丈夫ですから。ただ、、、今から校舎に戻るのはちょっとやばいかなって、、、。」

咲は少し困った表情で言った。

「そういや俺達も傘もってなかったよなぁ、、、。」

俺は、窓の外みながらぼそりと言った。

「そんな先輩、人事みたいに、、、。しかし、どうしよっかなぁ。」

瑞希は壁によりかかりながら腕組みをしながら考えていた。

「とりあえず、、、急いで戻らないとみんな待ってるから学校に戻るしかないし、、、。あ、マスター。傘借りられないっすか?あったらでいいんですけど、、、。」

瑞希はマスターに声をかけた。

「確か入口の傘立てにビニール傘が2・3本あったはずだから使っていいよ。」

マスターは雑誌をめくる手を止めて言った。

「助かります!必ず返しますから。」

瑞希は少しほっとしたのか、少し微笑んでマスターにぺこりと頭を下げた。

「先輩はどうしますか?自分と咲ちゃんは学校に戻りますけど、、、。」

「そうだなぁ、、、俺はもう少しここにいるよ。もしかしたら通り雨かもしれないし、、、。みんなによろしく言っといてくれよな。」

俺は、久々にサークルに顔を出して賑やかな雰囲気を味わうのも悪くないと思ったのだが、もう少し一人静かに考えたいという気持ちが大きかった。

「そうですか、了解っす!あ、そうだ。とりあえず戻る前にメールでも送っとくかな。」

そう言って瑞希は携帯を取り出すと、手慣れた感じでメールを打ち始めた。

“ 携帯ねぇ、、、。”俺は心の中でふうっため息をついた。

俺は携帯を持ち歩いていない。理由は簡単で、あまり必要性を感じていないからなんだろう。だから、つい最近就職先のOBに携帯ないと仕事で困ると言われるまで、自分には縁のないものだと思っていた。案の定、仕方なく買いはしたものの、家の机の上に置きっぱなし。使い方だってろくすっぽ覚えていない。だからだろう、、、簡単に使いこなしているヤツを見るとある意味“すごいヤツだな!”と感心してしまう。

”そういや瑞希にも「今時携帯持たない人なんてほとんどいないっすよ!せっかく買ったんだから使ってくださいよ。先輩とアポとるのに不便で仕方ないっすよ。」って言われたっけな、、、。”

そんなことを考えていると、後輩へのメールを送り終わったらしく、不意に瑞希がイスから立ち上がりジーパンのポケットから財布と取り出そうとしていた。

「えーっと、、、。」

と瑞希が言いかけた。

「今日は俺がおごるよ。いろいろ話聞いてもらったからさ。サンキュ!」

俺はそう言って、少し微笑んで合図を送った。

「話聞くだなんて、、、自分たいした事してないっすよ。でも、、、せっかくだからごちになりまぁす。らっきぃ!」

瑞希がとてもうれしそうに言うのを見て、俺はしみじみ思った。“ やっぱりにくめないヤツだ。”と。

“俺もあのくらい素直に感情を表にだせたら、、、。”

一瞬、俺の心がチクリとかすかに痛んだ。

“いつからだろう、、、この痛みを感じるようになったのは、、、。”

「じゃ、先輩またっす。たまにはサークルにも顔だしてくださいね。マスターもごちそうさま。」

そう言って瑞希はドアの脇に置いてある傘立てから一本傘を抜き取り、ゆっくりとドアを開けた。その後ろで咲が俺とマスターにペコリと頭をさげた。そして二人は静かに店を出て行った。

二人の去った店の中に、“しん”とした静寂が広がった。俺は一人テーブルに向かい、冷めかけたコーヒーを口に含んだ。気のせいか、口に残る後味がさっきよりも苦く感じる。瑞希と話した事で、自分の心の奥底にしまいこんでいた不満が少しずつ少しずつ自分の中に広がっていくのを感じていた。

“このままでいいのだろうか、、、。”

「カチン。」

不意にカウンターの方で音がした。振り返るとマスターが鳴り終わったCDを取り替えていた。静かにピアノの音が流れ始める。キース・ジャレットの“Come Rain Or Come Shine”。俺は、目を閉じてジャズの音色に耳を澄ました。

窓の外では相変わらず雨が降り続いているどんよりとした空は、昼の色から夜の色へと移り変わろうとしていた。

“このままでいいのだろうか、、、。”

俺は心の中で繰り返していた。

“このままでいいのだろうか、、、。”

俺の心が微妙に揺れ始めていた。何かが少しずつ少しずつ動き出していた。