< 旅人のお話 > 〜 出会い 〜

 

「もう一杯もらえるかな?」

 

カウンターの隅に座っていた旅人がつぶやいた。今までにみたことのない旅人だった。

この宿屋の酒場は常連客が多い。だから、その見知らぬ旅人のことがちょっと心にとまった。グラスを差し出しながら、私はその旅人に目をやった。年の頃はまだ20代後半だろうか…でも、そのわりには不思議な落ち着きがある。身なりはきちんとしていて、礼儀もしっかりとしていそうだ。しかし、そのせいか少しだけ近寄りがたい冷たさを感じさせる。

“ ちょっとした気分転換の旅行かなにかだろうか…”

私には、ついつい人の生活や事情を想像してしまう癖があるのだ。この癖のおかげで客と楽しい会話が弾むときもあれば、以前、客の気に障って険悪なムードを作り出してしまったこともある。だから、最近ではそういう話題は客を選んでするようにしていたのだが…。その旅人のランプを見つめる目、、、真っ直ぐで、それでいてどこか寂しげなうつろな影におおわれた瞳は妙に気にかかった。

 

「ジンジャーエールお好きなんですか?」

 

そういえば、、、さっきからずっとジンシャーエールばかり飲んでいる。これで3杯目だ。

旅人は、表情を変えずに店の中に一度目をやってからゆっくりと私のほうに視線を向けた。しかし、言葉はかえってこない。

“ 気に障ることを言ったのだろうか…”

 

「 好きというほどでもないんだけどね…。」

 

旅人は、私に不思議な微笑を向けながらゆっくりと口を開いた。親しみのこもったとも冷笑的ともとれる微笑だ。私は戸惑った。

“ このままこの旅人と向き合っているべきなのだろうか…”

気がつくと、旅人はグラスを揺らしながら氷を眺めている。いや、氷を通してどこか遠いなにかを見つめているようだ。さっきまでのうつろな瞳のまま…。その瞳を見つめていると、どこか見知らぬ世界に吸い込まれていきそうだ。先の見えないどこか物悲しい空間に…。

突然、後ろのテーブルに座っていた若者達が立ち上がって大声で歌い出した。“はっ”と私は現実世界に引き戻される。見回すといつもの酒場の風景…。若者達の楽しそうな笑い声が響き渡っている。私は心の動揺を隠すようにグラスを磨き始めた。ふっと旅人に目をやると、相変わらずグラスの氷を眺めている。ときどき、グラスの氷が“カラン”と心地よい音をたてた。

“ この旅人はいったい… ”

 

「 ごちそうさま 」

 

旅人が立ち上がった。さっきと同じ微笑を私に向けている。

 

「 しばらくこの街にご滞在ですか?」

 

私はぎこちなく聞いた。

旅人は何も答えなかった。ゆっくりとドアを開け、もう一度私の方を振り返り、軽く…しかしとても礼儀正しく頭を下げる。そして、、、静かにドアを閉めた。

 

これがこの旅人と私との最初の出会いだった。

 

酒場では、若者達の笑い声が響き渡っている。いつもどおりの風景だ。私は、旅人が座っていたカウンターの隅をみつめながら、またグラスを磨き始めた。