「じゃあな」 長谷がバイクに荷物を乗せて俺を振り返ると、にやりと笑った。 いつも他人に見せている優等生の顔ではなく、親しい人間に見せる長谷らしい顔だ。この妖怪アパートにいる間は、長谷は取り繕う必要がないせいか、きっと学校や裏で仕切っている人間には絶対に晒さない豊かな表情を覗かせる。それはここの住人が長谷にとって価値があると認めている人間ばかりだからだろう。 まあ、人間より幽霊や半人間や妖怪の方が圧倒的に多いのだが。 「気を付けろよ」 これからバイクで結構な距離を帰るのだ。いくら慣れていてスピード違反で捕まるような馬鹿な失敗はしないとわかっていても、人生何が起こるかわからない。 別れる時は、ついついそう声を掛けてしまう。 「ああ。お前もな」 「大丈夫だって」 長谷の気遣いに、口癖になっている言葉を返す。自分にいつも大丈夫だって言い聞かせている。負けないように、がんばれるように。俺のことを俺以上に理解してくれている長谷は、ちゃんとその意味をわかっていてくれる。大丈夫だって言い続ける俺をだから見守っていてくれるのだ。小さなことでも長谷らしい鋭い目を光らせながら。時には思いもしないくらい細かく。 「……ああ。……まあ、少しは戻ったか」 肯定してくれるが、片眉を上げて長谷は俺に腕を回した。 「結構痩せたもんな。……うん、戻ってる。戻ってる。あと一押しだな」 そう言いながら腰や腕をペタペタと確認するように長谷は触った。本当に細かく俺を観察している。 「あのなー」 夏休みに入り始めた新しい修行のせいで俺は体重が十キロほど落ちた。以前も修行を始めた時がくんと減ったが、今回はちょっと落ちすぎだった。ご飯も食べられず辛い時期もあったが無事に乗り切りその後は美味しくるり子さんの超美味なご飯が食べられるようになり大分回復した。ただ、肉体労働のバイトにも励む傍ら修行をしている身としては、簡単に戻らないのが実状だ。 若いから食べたものがすぐに消化されて使われているのだろう。燃費が悪いな。 「休み中仕事で動いていたから、身体が引き締まったと言いたいところだが、もうちょっとだな。気を抜くと稲葉はすぐに体重が減るし。もうちょい太れ」 長谷は俺の全身を眺めながら腕を組む。 「これでも、ここに入ってからは少し太ったんだけどなー。修行があるから、難しいみたいだ。その分秋音ちゃんに負けないくらい食べているから大丈夫だと思うぞ」 自分の手首、二の腕や肩に手をやって確かめつつ、そう長谷に笑った。 「だったら、今度までに戻しておけよ」 「わかってるって。それより、早く出ないとクリが起きてくるぞ」 「あ、まずいな」 クリは長谷が大好きだ。長谷もクリを溺愛している。メロメロでデロデロだ。休日のパパと化している長谷はクリに会う度にお土産を持って現れる。クリが起きていると長谷が帰る時ぐずため、毎回クリが寝ている瞬間を狙って帰るのだ。 今は長谷がオーストラリア土産で買ってきた自分より大きなワニのぬいぐるみを抱えて昼寝しているところだ。気に入って最近はいつも一緒に寝ている。 「また、電話するし。何かあったら、そっちもしろよ。クリのこともな!」 長谷はメットを手にし、バイクに跨る。 「はいはい」 俺は手をひらひらと振る。 「わかったから、気を付けて帰れよ」 事故がないように、俺は毎回祈る。誰かを送り出す時はいつもそうだ。長谷の場合はバイクだから余計かもしれない。 「……なんか、単身赴任の父親みたいだな」 それなのに、長谷はくくと喉の奥で笑って馬鹿なことを言う。 「はー?何言ってんのだ?」 「俺、クリの休日のパパだし。なあ、ママ」 「ママ言うな」 お前がママなんていうから、秋音ちゃんもママっていうんだよ。自分がパパだからっていって、俺まで巻き込むな。 「ママだろ?毎日川の時で寝てるじゃねえか」 「仕方ないだろ?他に布団ないんだから。どうしろっていうんだ?」 確かに、クリを挟んで俺と長谷は寝ている。まるで親子、川の時だ。足下にはシロもいる。 だが、長谷が来るとクリは一緒に寝たがって付いて来るし。布団は一つしかないし。男二人は只でさえ狭いっていうのにクリが入るんだから、必然的に3人固まって寝るしかないんだよ。俺のせいじゃない。 「別に悪くないだろ?クリも嬉しそうだし。……どこか不満でもあるか?ああ?」 「……」 クリが嬉しそうなのは、喜ばしいことだ。あまり表情の変化がないけど、これからたくさん笑って欲しい。母親の愛は望めなかったけど、このアパートには妖怪や人間や幽霊からの愛情で満ちている。成仏するまで、ここでたくさんの愛に包まれていて欲しい。 「そうだな、今は夏だからいいが、冬になると布団だけじゃ心許ないから、暖かい毛布でも持ってくるか。……パパだからな」 それはそれは楽しそうに長谷は笑った。 まじに、親ばかだぞ。 「ということで、俺のいない間は任せたからな、ママ」 ママから離れることはないのか?長谷。 「……適当に任されてやる。ママじゃないけどな、パパ」 ぷいと横を向いて、言ってやった。 俺の態度に長谷は笑いを堪えるように口元を手で押さえ、もう片方の手で親指と人差し指で輪を作った。 OKらしい。 今度こそ長谷はメットを被った。そして、エンジンをふかす。 「じゃ、またな」 「おう!」 俺は走り去るバイクを見送った。 どうせ、また長谷はそのうちやって来るだろう。 クリが起きたら長谷がいなくなって残念がるだろうから、パパはまたすぐにクリにあいに来ると慰めようと決めた。 奴は親ばかだからな。 END |