「城之内!」 その大きな声は近所中に響いた。呼ばれた当人である城之内克也は、竹箒で石畳を掃いていた手をを止めた。聞き慣れてしまった声だ。誰かなど振り向かないでもわかる。 「俺と結婚しろ!」 その頭がわいているとしか思えない台詞も慣れてしまったせいで、驚きはしないがそれでもご近所中に知れ渡る声で喚かれると、些か困る。 「……海馬」 城之内は振り向いた。 そこには、毎日見ている海馬瀬人が立っていた。 童実野町どころか日本でも有名な海馬コーポーレーションの社長をしている。大手企業の社長だが、彼は城之内と同じ年齢だ。最近高校2年生になったばかりだというのだから、驚く。仕立てのよい背広が板についている高校生などそういない。長身であるため、大層似合っている。時々奇天烈な白いコートをはためかせている時もあるが。 「城之内。今日こそ、いい返事を聞かせろ」 城之内の側まで大股で歩いてきて、目の前に立ち止まり毎回同じ台詞を告げた。 「海馬。おまえ、飽きないな……」 城之内は呆れ半分、はあと吐息をつく。 「飽きる訳がなかろう。いい返事を聞けるまで来続けるぞ」 ハハハハハと腰に腕を当てて高笑う海馬に、城之内はまるで出来の悪い子供を見るような目つきで仕方がなそうに肩をすくめた。 これでも、社長。名ばかりではない本物。ついでに背も高く顔もいい。茶色の髪に鋭く意志の強い青眼は人目を引く。美人でも可愛いコでも、選り取りみどりだろうに。ただ、多少の性格はアレだけど。 城之内が海馬を少しだけ哀れんだ視線で見ているのだが、海馬は気付かなかった。城之内の視線が自分に向いているだけで気分がいいのだ。ある意味、健気であるのかもしれない。 そんな兄二人を横目にして弟と妹は和やかに会話していた。 「こんにちは、静香」 海馬の弟であるモクバが兄同様に竹彗を持って掃除している静香の側まで来て挨拶する。 モクバは中学に上がったばかりでまだ小さいが、将来有望と評判だ。これでも海馬コーポレーションの副社長を勤めている。実力で兄を助け会社経営に携わっている。兄とは違い黒髪と黒い目の持ち主だ。だが、瞳の強さだけはよく似ていた。 「モクバ君、こんにちは。お仕事はいいの?」 城之内の妹である静香はにこやかな笑みを浮かべている。薄茶の髪に優しい茶色の瞳の美少女だ。兄は金茶の髪に琥珀の瞳であり、色彩と顔立ち、兄妹よく似ている。 「ああ。大丈夫。片づけて休憩時間に来ているから」 「そう?だったらいいね」 「ああ。あのさ、静香。これ……」 モクバはポケットから小さな包みを取り出して静香に差し出した。 「これ、なに?」 差し出された箱を手にとって静香は首を傾げる。平べったい包みだ。白い包装紙に青いリボンが掛かっている。 「チョコレートなんだ。美味しいって聞いたから、差し入れ」 モクバは照れくさそうに鼻の頭を掻く。 「ありがとう」 静香は嬉しそうに微笑んで礼儀正しくお礼を言った。 誰の目から見ても、モクバが静香に好意を抱いているとわかるだろう。静香は中学三年生だから二人の年の差は二歳だが、身長差はもっと開いている。が、それを補って余るほど男前である。 そんな兄弟と兄姉のやり取りを娯楽のように見守っている人々がいる。ご近所に住む気のいい大人達だ。兄姉を小さな頃から見守っている。 「社長さま、今日もきているのかい?」 「粘るなあ」 「見所あるんじゃないかい」 「そうか?どうだろうなー」 「うーん。でも。これでそろそろ一ヶ月になるだろう?」 「もうそんなになるかね」 「おし。じゃあ、ここらで俺が」 年の頃は四十代後半の男が代表して、声を上げた。 「おい、社長さまよ。克ちゃんが好きなことはよーくわかったけどよ。簡単にくれてやる訳にはいかねんだわ。なんたって、克ちゃんは、ここの跡取りだからな。もう、ここの血筋は克ちゃんと静香ちゃんしかいないんだ」 城之内兄姉の家は代々神社である。天神神社といって、かなり歴史は古くこの土地とともに存在してきた。昔から人々に「天神様」といわれ親しまれている。 兄妹の両親や祖父母はすでに亡くなっている。残された兄姉の兄が一応は跡取りである。もしそれが無理でも妹が継がねば、神社は無くなるしかない。 「……」 むっつりと海馬は黙った。 兄が駄目なら妹が継げばいいと海馬は言わなかった。なぜなら、弟であるモクバが城之内の妹静香に恋していることを知っていたからだ。 海馬の反応から、男は一応理性はあるんだなと思いつつ、 「いいかい?俺たちはこの神社がなくなることを許す訳にはいかない。そして、克ちゃんも静香ちゃんも、同じ意見だ。これは、俺たちが勝手に思ってることじゃない。二人は絶対にこの神社を無くすことなんて望まないんだ。そうだろ?」 「もちろん」 城之内は即答した。 「はい。そうですね」 静香もにこやかに肯定する。そこに否定など入り込む余地はない。 この神社は血族によってのみ代々受け継がれている。それ以外の者には務まらない。 土地の者は他者を許さないし、第一神社に受け入れられない。それを知っているからこそ、兄妹はここから離れることなど考えられないのだ。それに、この土地を離れる訳にはいかない絶対的な理由があった。 「城之内。ここから離れる気はないのだな?」 「ああ」 城之内はこくりと頷く。 「貴様が継げば、妹は嫁いでもいいのだろう?」 「まあ、な」 元々跡継ぎは城之内である。妹は嫁いでいくものだと思ってきた。 「わかった。それならば、俺が婿に入ってやろう」 「……は?」 城之内はぽかんと口を開けた。大人たちもあんぐりとしている。 「元々、モクバが成人したら社長の座を譲るつもりだったからな。八年後。そうしたら、海馬の名を捨てて俺が城之内になってやろうではないか!嬉しかろう?」 ハハハハハハハ、海馬の笑い声が近隣中に響いた。 「……」 城之内は、どうしてよいやら困った。 まさか、海馬が簡単に海馬の名を捨ててもいいというとは思わなかったのだ。それが婿に入ってやるという台詞より驚いた。 大人たちも絶句した後、それならいいかもしれないと思い直した。まだ八年もある。それに、覚悟を決めることができるなら、見守って行ってもいい。相手は誰でもいい訳ではないが、海馬なら自分達の大事な「克ちゃん」を大事にしてくれそうだ。 だが、城之内からしてみれば、それだけが問題ではない。自分が継げば妹の静香が嫁に行ってもいい、というのは城之内が子孫を残すことが前提だ。この血は消せない。もし、自分が海馬を伴侶に選べば、次代への期待はすべて静香に行く。静香に負担が行く。 だが、静香は兄の気持ちを正確に読みとった。 「お兄ちゃん」 にこりと笑い静香は、兄の横まで来た。邪魔な竹箒はすでに地面に置いている。 「静香?」 「お兄ちゃんは自分の好きにしていいんだよ。そこまで責任持たなくてもいい。好きな人がいたらその人と一緒にいないとだめだよ」 「けど、静香」 「大丈夫。心配いらないわ。私が一人でも二人でも、この際五人でも子供を産むから。問題ないわ。どんと任せて」 静香は、非の打ち所のない笑みで胸を張った。 その可憐な唇から発せられたとは思えない発言だった。 「し、静香?」 城之内の方が焦った。 「五人くらい生めば、誰かは継いでくれるでしょ?今みたいに血縁者がほどんど皆無なんて事態にはならないわ」 「そうだけど、でも」 「お兄ちゃんが気にする必要ないわよ。だって、お兄ちゃん男だから元々子供は産めないじゃない。誰かに生んでもらうより、私が生んだ方が確実よ。それに子供を産むことは決して義務じゃないわ。私大家族がいいの。野球チームは趣味じゃないからサッカーができるくらい生んでもいいわ」 清々しく夢を語る静香に、城之内はぎゅっと唇を噛んだ。自分のために今そんな風にいってくれていることはわかっているが、静香の発言が嘘ではないことは理解していた。自分たちは血縁者が少なすぎるのだ。祖父母も両親もすでになく、先代であった母親は兄弟がいなかったから、叔父叔母はいない。父方にわずかにいるだけだ。大家族にあこがれる静香の夢は痛いほどにわかった。 「うん。静香」 城之内兄姉は感動に浸っていたが、海馬兄弟はそうはいかなかった。モクバが想いを寄せる静香が、自分が子供を産むから安心しろと言っているのだ。誰の子供だ、それは。兄弟は視線を合わせた。モクバはまだ互いに中学生であることから想いを伝えていない。伝えていないのに、誰かの子供を生むという静香に文句は言えないし嫉妬もできない。そう、伝えなければならなかった。 モクバは心を決めた。兄が婿に入っていいといったのは自分のためなのだから。 「静香」 モクバはどきどきしながら静香を呼んだ。 「どうしたの?モクバ君」 「俺。まだ自分が子供だってわかっているけど。でも、静香のことが好きなんだ。だから、俺が十八歳になったら結婚して欲しい。それまでに、静香に似合うような男になるから。まだ、こんなに小さいけど、でも!静香が好きなんだ」 モクバは思いの丈をぶつけた。 「……モクバ君」 しん、と周りは無言になった。城之内も海馬も、周りの大人たちも。プロポーズの言葉を邪魔する無粋な人間はいない。 モクバは静香の返事を待つ。 「あのね、モクバ君の気持ちは嬉しいの。だから、まず、ありがとう。だけどね、モクバ君まだ中学一年生になったばかりだよね。私も三年生。モクバ君は十八歳になったらと言うけど、中学、高校の六年間は決して短くはないよ。私たちにとってはとても長い。いろんな事があると思うの。もしかしたら、モクバ君、その間に好きなコができるかもしれない」 「そんな!ないよ!」 モクバは叫んだ。自分の思いを否定されるというより心代わりを示唆されるなど許せない。だが、静香は穏やかに笑う。 「違うよ。モクバ君の気持ちを疑っている訳じゃないの。そのくらい六年後は長いと言いたかったの。だって、私だって六年後の自分なんて想像できないから。今はモクバ君が好きでいてくれる私だけど、全然性格が変わっているかもしれないよ。こんな女お断りって思うかもしれない。だからね、モクバ君が十八歳になったら、もう一度言ってくれる?その時、私でいいって。私と結婚したいって思ってくれたら」 「……うん。必ず」 モクバは手のひらをぎゅうと握り頷いた。自分はまだ子供なのだ。だが、静香はそれに対して、しっかりと未来を見据えて答えをくれた。 「モクバ君、どうしてそんな顔しているの?」 静香はそっとモクバの頬に指を伸ばす。 「複雑そうな顔している……」 「え、いや。断られた訳でもないけど、了解をもらった訳でもないから。なんて言っていいか困って」 だが、モクバの根底にある不安のようなものを静香は一蹴りした。 「それなら、モクバ君が今まで通り会いに来てくれればいいんじゃない?他の人が目に入らないくらい。そして、モクバ君のことも教えて。私のことも知って欲しい」 「静香」 モクバは感極まった。思わず、静香に抱きつく。身長差があるため、弟が姉に抱きついているように見えるが。 「おまえの妹は、すごいな」 「まあな」 「海馬コーポレーションの社長夫人に相応しい器だ」 「静香はな、死んだ母親に似ているだ。漢前さがそっくりだ。俺やここらの大人達でも静香にには絶対に敵わない」 「……それは、強いな。モクバも尻にひかれるのが目に見えている」 「海馬。人事じゃないぜ。二人が結婚したら静香は義理の妹だ。おまえも絶対に静香には勝てない」 「……」 なんとなく想像が付いて海馬は黙った。 一部始終を黙って見守っていた大人はうんうんと頷いていた。 「さすが、静香ちゃんだね」 「ほんとにねー。きっぷがいいね。惚れるね!あんた」 「まったくだ。静香ちゃんがいる限り安泰だな」 「ああ、まったくだ」 「まあ、相手も良さそうじゃないか。副社長さまは将来いい男になるだろうさ」 「そりゃ、静香ちゃんをどこの馬の骨にやれるかい。副社長さまなら合格点だろ」 「それなら、社長さまもそれなり……だろう。克ちゃんも安心できるな」 「ええ。兄弟二人にこの土地の大事な兄姉を取られるとは思わなかったわ。先代も生きていたら驚くね」 「そりゃ、言える。あんまり驚いて、空に舞い上がっちまうさ」 「違いねえ!」 大人たちは自分達で勝手に盛り上がっていた。 その日この神社に集う人々は深夜まで酒盛りをした。兄姉の伴侶が決定したも同然だったからだ。 |