「黒猫のワルツ」冷たいデザートはいかが?




「はい、あーーーん。Key」

 
 差し出されたスプーンとリョーマの笑顔を見つめ、跡部は固まった。
「……は?」
「だから、あーんって」
 無邪気に繰り返すリョーマに跡部の口元が引きつった。
「何が、あーんだ?」
 ああ?いきなりなにが起こっているんだ、誰か教えてくれと跡部は胸中で叫んだ。
 いきなりノックと共に部屋のドアが開きリョーマが入ってきたと思ったら、ソファに座って本を読んでいた跡部の側にやってきて、件の台詞である。
 驚くなというのが無理だ。
「もう、食べてくれればいいんだって。どうしてわかんないの?」
 リョーマは眉をひそめて、唇を尖らす。全く跡部が困っている理由が思い当たらないらしい。
「ほら、Key!」
 リョーマがスプーンを跡部の口元に突き出して、ほらと視線で訴える。跡部はしぶしぶ口を開きスプーンの中身を租借した。
 それほど甘くはないが、餡の甘みが口に広がりもちもちっとした弾力のある代物を楽しむ。
 そう、白玉だ。ほんわり甘いぜんざいの中に白玉が入った冷たいデザートだ。リョーマの手の中にあるガラスの器の中に入っている。
「どう?」
 嬉々として聞いて来る。
「まあまあだな」
 跡部が素直な感想を述べると、リョーマは不服そうに跡部を見つめる。
「美味しくない?」
「……そこそこだな」
 こういう時、跡部はどこまでも正直者である。その反応にリョーマは、少しを不満そうに下を向いてから気を取り直したかのように、笑った。
「これ、俺が作ったんだよ」
「……お前が?」
 今度は跡部も目を見開いて驚く。まさか、リョーマが作ったものだとは思わなかった。どうりで、美味しいかと聞いてくる訳だ。跡部は納得した。
 だが、まさかリョーマがこんなものを作るとは思わなかった。今までだって作ったことはないはずだ。
「そうだよ」
 跡部の表情の変化に満足してリョーマは頷いた。
「なんでまた……。いつもはシェフが作ったものをうまいうまいって食べているだろうに。言えば、何でも作るだろう?」
 跡部邸にシェフは一人ではない。各国の料理を作ることができデザートまで精通した何でもこなせる人間が何人か雇い入れられている。分野を分けてしまうのでは美味しいものはできないし、好みのものに到達するには時間がかかるという理念の元、食に対してオールマイティに追求できる人間が選ばれている。
「だって、作りたかったんだもん。だから、料理場で坂上シェフに聞きながら作ったんだ」
 坂上シェフはこの屋敷の古参である。そして、リョーマと仲がよい。
「それにしても、いきなりだな。どうした?」
 跡部は疑問を投げかけた。
「この間、皆で遊びに行った時に買ったんだ。白玉粉と餡がセットになって『手作りおやつ』が売っててさ、作ってみたくなったんだ」
 皆とはテニス部のメンバーである。忍足、芥川に宍戸と鳳と日吉といったお馴染みのメンバーは先日買い物に行っている。新しく出来たコンセプトがなかなか変わった百貨店らしい。
「なるほど」
 見目新しい商品を見て、思わず買ってしまったのだろう。
 そして、坂上シェフは持ち込まれた商品とリョーマのお願いに負けたのだ。
 きっと、シェフはリョーマが怪我をしないように気遣いながら見守ったに違いない。火を使うのは、湯の中に落として浮き上がってきたものをすくい上げるまでの短い間だけだから、よく考えれば子供にもできるお菓子の一つかもしれない。
「作りたての勝利だな。一流シャフが作ったというなら形が不揃いの時点で減点だが、素人のリョーマが作ったなら上出来だろ」
 跡部は改めて誉めた。
 今作ったばかりの白玉はもちもち感がある。甘味所でも作り置きしてある場合が多い中、例え素人が作ったとしても作り立ては何よりも美味しいだろう。
「あのね、白玉粉を水を入れて耳たぶくらいの柔らかさにするんだ。それで熱湯に入れて浮き上がってくるのを待って冷水に浸すんだけど、この耳たぶの柔らかさってのが難しくって。耳たぶって皆同じ柔らかさなのかな?疑問に思わない?」
 リョーマは認められて嬉しかったのか苦労話を語りだした。
「あ?」
「だから、こうやって坂上シェフのと俺の比べさせてもらったー」
 リョーマは無邪気にそんなことを言って跡部の耳に手を伸ばし感触を確かめるように触れた。
「うーん、Keyとは同じくらいかな」
 自分の耳を同じように触りながら跡部の耳とを比べるように、首を傾げた。
「あのなー」
 跡部は少々疲れてきた。
 一体何をやっているのか。暑いからか?だからこんなにらしくなく弾けているのか?
 リョーマの行動は突拍子もないけれど、それにしても今回はまた格別である。
 本当に、猫みたいな奴だと跡部はしみじみと思った。毎回毎回思うけれど、思うことは止められない。
「はい、あげる。俺の分もあるから、一緒に食べよう」
 が、肩から力が抜けている跡部などものともせずリョーマはにっこりとした笑顔を浮かべて誘った。
 彼の中ではすでに、跡部が白玉ぜんざいを食べることが予定に組み込まれているらしい。
 跡部はそのガラスの器を受け取った。
 諦めの境地である。お手上げである。敗北である。
 いかに跡部でも、泣くコと子供ではなく、リョーマと己の母親達には敵わないのだ。反抗するのが馬鹿らしいくらいである。いらない労力は使わないに越したことはない。
 跡部の哲学には反するが、世の中には例外があるのが常だ。
 跡部は心中で大きなため息を落としながら、それでも手の中の白玉をスプーンですくって食べる。
 
 それを横でにこにこしながら機嫌良さそうにリョーマは見つめている。
 
 それは、ある夏の暑い午後のことだった。
 



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