「黒猫のワルツ」湯加減はいかが?





 リョーマはお風呂が大好きだ。
 テニス以外で執着のあるものといえば、お風呂が筆頭に上げられる程好きだ。大好きだ。
 いろいろなバスオイルやバスソルトを入れることに凝り、大理石でできた風呂や桧風呂や露天風呂などに入ることが幸せの極致という高校生とは思えない趣味を持っている。
 そんな彼の跡部家の部屋には当然だが、バスルームがあった。
 元々客室を改造した部屋であるから、洗面台と風呂、トイレなどが付いた豪勢な造りだ。
 洋館である跡部家らしく、風呂は天井が高く一面大理石でできていた。浴槽も広く、リョーマが足を伸ばせるくらいだ。
 その浴槽に湯を張り、いろいろなものを試すのがリョーマのストレス解消であり楽しみでもある。
 アメリカにある越前家で使っていたものや……リョーマの我が儘のため、日本から「日本名湯の元」などが取り寄せられていた……薔薇やラベンダーなどフローラル系の香り豊かで肌もすべすべになるという優れもの、森の香りや桧の香りなどのもの等、多種多様なバスグッズが揃っていた。
 跡部家に元々用意されたもの以外、リョーマ自身が持ち込んだものと、彩子がリョーマのために用意したものと数え切れない程のものが所狭しと洗面台の下の引き出しに納められていた。
 
 
 
 
 
「Key、お風呂入れて」
「……はあ?」
 突然自分の部屋にやってくるリョーマには慣れているが……同じ屋敷に住むのだから、兄弟のようにひょこりやって来るのは当然なのだけれど……その台詞は想像の範疇を越えていた。
 跡部は、彼にしては珍しく驚いたような顔で首をひねった。
「だから、Keyの部屋のお風呂、いれて」
 リョーマはにっこりと笑いながら、当たり前のように言う。その手には着替えなどが抱えられている。
「なんで、わざわざ俺の部屋の風呂に入る必要がある?ああーん?」
 跡部はリョーマの理解できない行動に頭を押さえながら、顔をしかめた。
「入りたいからに、決まってるでしょ?」
「自分の部屋の風呂に入れ。不満なのか?」
 跡部は訝しげに、問う。
 リョーマの風呂好きは有名で、跡部だとて昔から知っている。自分の風呂で好き放題バスグッズを楽しそうに試して、稀に跡部にまでその素晴らしさを説く程なのだ。
 それなのに、自室の風呂で満足していると思っていたが、何か気に入らないことでもあったのか。風呂が故障したとも、聞いていないが。
「不満なんて、ないよ。すっごく満足しているもん。でもね、Keyの部屋のお風呂にも入ってみたいんだよねー。俺、風呂巡りするの、大好きなんだー」
「……」
「Keyの部屋、ジャグジー付いてるって言ってたじゃん」
「ジャグジーが欲しかったら、付けろ。明日にも用意してやる」
 跡部は、リョーマの言い分に切り返した。
 この跡部家で手に入らないものなどありはしない。全て高級なものが揃えられている。一言欲しいといえば、すぐにでも手配されることくらいリョーマだとて知っているはずだ。
「もったいないでしょ?いつも使う訳じゃないんだからさ。偶に、Keyの部屋に来ればいいだけだし!」
 だけだし、じゃない、と跡部は思った。
 風呂ごときで乱入されるのは、御免被りたい。別にリョーマと話すのが嫌だとか、そういう次元ではなく、風呂くらい自室で入れと思うのだ。
 今も読書をしていたというのに、リョーマが来れば中断せざるを得ない。
「それくらい、もったいなくない。遠慮する必要ない」
「遠慮じゃないんだけど。わかんないかな?」
 リョーマは小首を傾げた。
「何がだ?」
「……Keyは何でも揃っているのに、慣れすぎだよ。まあ、いいんだけどね、それで。……でさ、お風呂入れて。Keyの部屋の入りたい。俺の部屋は別に今のままで十分に満足しているから、改造する必要ないし」
「そんなに今日ジャグジーに入りたかったのか?」
 引かないリョーマに、今日どうしてもジャグジーに入りたかったのだろうかと跡部は思った。部活の練習で疲労したとか、肩が凝ったとか、気まぐれとか。跡部はリョーマの行動パターンを考えた。
「それもあるけど。あのさ、久しぶりにこの部屋のお風呂入りたかったんだよね。昔、Keyの部屋で入れてもらったじゃん。3年前も、その前も。ちょっと懐かしくてさ」
 リョーマがそう言って笑う。
 跡部の部屋は昔から同じ部屋だ。小さな頃から全て揃った広い部屋で過ごして来た。
 リョーマが跡部家に訪れた際、兄弟同然と暮らしていたから、本当に子供の頃は二人一緒に入った。少し大きくなってからも、遊んで疲れて眠る前に風呂に入れと促し、ここの風呂に入った。
 その光景が記憶から呼び起こされた。
 確かに、懐かしいだろう。昔は大きかった浴室も今ではちょどいいはずだ。
 月日が経つのは早いものだ、と感慨深く跡部は思う。
 全く、らしくないが。そんな年でもないし。
「そうか」
「うん。だから、入れて?」
 リョーマは小さな頃を彷彿とさせる顔で目を細めて強請る。
「……わかった。好きにしろ。ただし、歌なんて歌うなよ?」
 跡部は折れた。ただし、一言付け加えた。
「え、駄目なの?いいじゃん、それくらい!」
「風呂で歌うと響くんだ。俺はこの本を読むんだから、それくらい我慢しろ」
 跡部は手にしている本でリョーマの頭を軽く叩く。
「ちぇ。……わかったー。じゃあ、入って来るね」
 そう言いながらリョーマは風呂へにこにこしながら歩いて行く。
 
 その後ろ姿を見て跡部は一つ大きなため息を付いた。






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