「SWEET」1





 朝5時45分に水野家の唯一の男子、竜也の部屋からめざましの音がする。
 6時になるとランニングに行くためだ。
 Tシャツとトレパンに着替えタオルをもって出かける準備をする。
 この家で一番早起きのため、郵便受けから新聞を取って玄関の靴箱の上に置いておくのも竜也の仕事になっている。
 玄関では愛犬のホームズが一緒に連れていって欲しいと座って待っていた。
 竜也が行くか?とホームズに呼びかけると嬉しそうに飛びつく。それをかわしてリードを付け堤防までランニングだ。
 竜也の行って来ます!という声が響くと母親の真理子が起きてくる。
 そして、朝食やお弁当の準備をする。
 6時30分になると竜也の姉の桜子が眠そうな顔で起きて来る。
「おはよう、真理子さん」
 あくびを抑えながら桜子は母親に挨拶をした。
 桜子は母親のことを「真理子さん」と呼ぶ。どうがんばって見ても母親に見えないし、真理子という発音が好きだったからだ。
「おはよう、桜子」
 真理子の優しい声が心地いい。
「あ、今日のお弁当の卵焼きはシーチキン入りだ」
 テーブルに並べられたお弁当箱の中身を見て桜子は嬉しそうに顔をほころばせる。
 桜子は朝が苦手だ。
 高校生ともなればお弁当を自分で作る者も多い。けれど、どうにもこうにも起きられない上に朝は頭が回らない。おかげでお弁当は母親にお願いしていた。
 真理子もどうせ息子である竜也の分を作らないとならないので、1人分も2人分も変わらないからと請け負っていた。
 その分を補うように、後かたづけや夕食など桜子も協力している。
 桜子が朝食をそろそろ終えようかという時間になると竜也が帰って来る。
「ただいま。おはよう姉さん、母さん」
「おはよう、たっちゃん」
「おはよう、竜ちゃん」
 にこやかに返される言葉に竜也は微笑みながら桜子の隣の席に座る。
 姉弟隣が指定席。それは家族でどこかへ行っても変わらない。
 竜也の前に真理子がトースト、ハムエッグ、サラダを並べる。その横で桜子がポットから紅茶をマグカップに入れて竜也に渡す。
「はい」
「サンキュー」
 竜也はお礼を言って受け取りごくごくと飲んだ。
 もちろんミルクたっぷりの紅茶だ。おかげであまり熱くなくすぐに飲み干せる。走ってきたのであまり熱いと飲めないのだ。
「たっちゃん、今日時間ある?」
 桜子が小首を傾げて今日の予定を竜也に聞いた。
「今日?今日なら珍しくサッカーもないよ。監督が用事があってできないから」
「あのね、お買い物付き合って欲しいの。だめかな?」
「別にいいよ、どこで待ち合わせる?」
「駅前にしよう。南口にじゃあ4時」
「了解。姉さん迷わないでよ」
「いくらなんでも、駅前くらい行けるわよ」
 桜子はすねたように言う。
 竜也がからかうのには訳がある。
 桜子は極度の方向音痴だ。ふらふら興味のある物に惹かれるとどこにいるのかわからなくなる。おかげで携帯電話を強制的に持たされた。
 竜也とお揃いの携帯は互いにメールができるため重宝している。
 一番の理由は使い方がわからないため、竜也に教えてもらうためだった。同じ機種ならわからない事があれば聞けるからだ。世の女性に多いが機械全般に桜子も疎かった。
「じゃあ、ね」
 桜子はふんわりと立ち上がり用意に取りかかる。
 竜也も朝食を急いで食べて準備をする。
 すると、二人とも同じ時刻に家を出ることになるのだ。
「いってきま〜す」
「いってきます」
 玄関から元気な声が響く。
「「「いってらっしゃい」」」
 真理子と叔母の声がキッチンから聞こえる。
 二人が出かける時刻は、一緒に住んでいる叔母達、孝子、百合子が起きて来て、朝食を取る時間帯だった。


 竜也が約束の駅前南口に着いたのは4時を少し回ったところだった。
 急いだのだが、友達に捕まって学校を出るのが遅れた。走ってここまで来たため少し息が弾んでいる。
 姉の桜子を探すと、壁に背を預けてぼんやりと立っていた。
 茶色の長い髪を後ろに流して一カ所だけ飾りの付いたピンで止めている。
 竜也より少し濃い色の琥珀の瞳がどこを彷徨っているのか、目の前が見えていない。
 グレーのセーラ服に白いスカーフ。
 とても一般的な制服だけれどそれを身に纏った桜子はとても人目を引いていた。
 が、当然だが本人は全く気付いていなかった。
 竜也はこれだからほっとけないと思いながら声をかける。
「姉さん、ごめん遅れた」
「たっちゃん?いいよ。私もさっき着いたばかりだから」
 桜子は竜也を視界に認めると嬉しそうに笑う。
「ところで、どこに行く?買い物って何」
「あのね、新宿まで出てもいい?今度真理子さんの誕生日だからプレゼントを買いたいの」
「ああ、来週だよね‥‥。いいよ、じゃ新宿まで行こう」
 竜也は姉を誘うように券売機で切符を買って改札に行く。
 それでなくても、人目を引いていたため、早く移動しようと思ったのだ。





 買い物の場所は何でも揃うだろう、新宿高島屋だ。
「どれがいい?たっちゃん」
 そして、ここは女性物一般の売場だ。
 鞄、アクセサリー小物、あらゆる物が置いてある。洋服は当然だが別の階にヤング用とミセス用と個別にある。
 目の前にあるのはスカーフや膝掛けなどなど。色とりどりの布物が広がっていた。
「さあ?」
 竜也は困っていた。
 どれがいいかなんて、わからない。
 自分より若干下にある桜子の目をすがるように見た。
 それに桜子は目を細めると、
「色だけでいいよ。真理子さんに似合う色。そしたら柄は選ぶからそこから見て」
「茶色か、薄いピンク」
 竜也は即答した。
 なぜなら、母に似合う色とは姉に似合う色であったからだ。
 もっとも、竜也にも似合うのだけれど‥‥、つまり親子の容姿は良く似ているのだ。
「うん。じゃ、ピンク系にしよう。茶色は当たり前だからね〜」
 そう、茶色ではあまりに合いすぎて無難な色になってしまう。
 桜子はスカーフが所狭しと並んでいる台から、何枚も広げて選んでいく。
 そして、3枚ほど竜也の前に置いた。
 そして、1枚ずつ広げる。
 スカーフの両端ををもって「ほら」と竜也に見えるように自分の方に寄せてみせる。
 一つは小花柄。可憐な花が散っている。
 一つは幾何学模様というのか?何が描いてあるかわからないもの。でも色合いは綺麗だ。
 一つはアジアンテイストというのだろうか?
 う〜ん、竜也は頭を悩ます。
 どれがいいんだ?女性物ってわからない‥‥。
 悩んでいた竜也は突然ひらめいた。
「姉さん、ちょっともって」
 そういって姉の肩にスカーフをかけて合わせてみる。
「これだね」
 選んだのは小花柄のスカーフだった。
 姉に一番似合うから、母親にも似合うはずだ。
「たっちゃん、これでいいの?」
「ああ。それがいい」
 竜也は自信満々に答える。
「そっか。じゃこれにする」
 桜子は竜也の意思を見て取って嬉しそうに頷いた。
「待っててね。会計すてくるから」
 桜子はそういって会計までふわりと歩いていった。
 残された竜也は居心地が悪い。
 制服姿の男子生徒が女性物売場にいたら、それは目立つに違いなかった。
 竜也が少し離れた椅子の側にいると桜子が手を振りながら歩いてきた。
「ごめんね。じゃ、お茶にしようよ」
 桜子は違う階にあるティルームに竜也を誘った。
「たっちゃんの好きな美味しいケーキもあるのよ」
 というので、竜也は言い返す。
「姉さんだって好きだろ。俺だけじゃないのに」
「そうね。でも、たっちゃんチーズケーキとか好きでしょう。ここはレアチーズが美味しいよ」
 エスカレーターで3つ上った階の角の場所にあるティルーム。天井が2階分をぶち抜き吹き抜けになっているせいで店内は殊更広く見える。片側の窓からは陽光も余すことなく入ってきていて、明るい。
 二人はちょうど並ばずに入れた店内の奥に座れた。竜也がメニューを覗き込むと確かにレアチーズケーキの写真が美味しそうに映っていた。それ以外にもケーキは種類が豊富だ。
「ケーキだったら店員さんが見本もってきてくれるよ」
「ここ前来たことあるのか?」
「うん、お友達と一緒にね。美味しかったよ」
 桜子はその時を思い出したのか幸せそうに微笑んだ。
「じゃ、レアチーズケーキ」
「私はね、どれにしようかな?あ、すみませんケーキ見せてもらえますか?」
 桜子は側にいた店員に声をかけてお盆に乗せたケーキの見本をもってきてもらう。同時に店員は一つずつケーキの特色を説明をしてくれた。
 悩んだ末に、桜子はモンブランにした。互いに飲み物はミルクティ。
 竜也がやっと落ち着いて店内を見回すと大きめの観葉植物がたくさん置いてあり。テーブルや椅子などの家具も飴色の木目が美しい。
 音楽はゆったりとクラッシック。ちょうどショパンのピアノ曲が流れていた。
「へえ、いいお店だね」
「そうでしょう?いつかたっちゃんと来ようと思ったんだ」
「普通は彼氏と行きたいっていうもんだよ」
 竜也は姉に彼氏がいないはずだと知っていたが一応そう言ってみた。
 これで、いるなんて言われたらかなりショックだ。
「彼氏なんていないもの。いいの、たっちゃんとデートできれば」
「デートってね、姉さん‥‥」
「立派なデートじゃない」
 桜子はにっこりと反論など入り込む隙間がないほどの微笑みを浮かべた。
「いいけど」
 だから竜也も照れながらも容認する。
 本当は嬉しいのだけれど、それを認めるのもしゃくなのだ。
 姉弟でデート。
 不毛なようでいて、不毛でない。
 見目麗しいカップルが素敵なお店でゆっくりとおしゃべりをしている様はとても美しい。
 どことなく雰囲気が似ているし、容姿はそっくり。
 男女の差こそあるが、どう見ても血が繋がっていた。
 しかし、それがどうした?
 その光景を見ていた他人はいいもの見たなと自分の幸運を歓迎していた。
 
 所詮、世間ってそんなものだよ。


                                           END


 

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