second choice


「美味しいねぇ、このパスタ。先生、これ何使ってるのかしら?」
 朝井小夜子は器用にフォークを扱い、パスタをくるくると巻いた。トマトベースのパスタである。
「あー、鰯ですね。あとは松の実」
「へぇ、これが鰯? 臭みが全然ないやん、ふぅん」
 どれどれ、とアリスが皿に手を伸ばす。トングで小皿に盛ってから、こちらもくるくると巻きつけ、大きな口でぱくんと食べた。アリスの食欲は見ていて気持ちがいい。形のいいふっくらとした口唇が動く様はなんとなくエロティックだ。本人のキャラは別として。
「あ、美味いわ、ほんまに。火村、今度ウチでこれ作ってぇや」
「あぁ。完熟のトマトが手に入ったら。新鮮な鰯とな」
「うんっ」
 元気のいい返事に、朝井は笑った。
「あんた、ほんまに食いものには目ぇないなぁ」
「そりゃそうですよ。食は基本ですやん」
 無国籍料理店。朝井の新刊祝い、ということで火村とアリスと三人で飲んでいる。
食通らしい朝井お薦めのその店は、確かに料理が美味かった。河原町三条のはずれにあって、スペースも広い。年齢層も上なのか、喧騒とは無縁の空間であった。
「火村火村。このサラダもいける」
 生憎、火村の小皿はふさがっている。どうしようか、と躊躇する彼にアリスはフォークを突きつけた。
 はい、あーん。
 よく新妻がするという、あのポーズ。
 アリスは頓着なくそれをやってのけた。火村も照れるでもなく口をあけ、咀嚼する。
「うん、これは面白いな。フェタチーズと生ハムと香草。イタリアンな食材なのに、かかってるドレッシングは韓国風だ」
「あー、そうかぁ。これ、韓国風なんか。うんうん、そういや、焼肉屋のサラダとかこんな味やわ」
「どれどれ、どんな味?」
 朝井は興味を覚えてアリスに問う。朝井の皿もふさがっている。アリスは一瞬の間の後、無意識にだろう、店員を呼んだ。
「すみません、小皿取り替えてもらえる?」
 ふっと、笑ってしまった。
 普通、女の子に“はい、あーん”をするもんやで。男にしたかておもろないやろ。それも同年代の親友に。
 火村と目があった。口唇の端を吊り上げて、満足そうに笑っている。朝井の反応を面白がっているのか、それともアリスの行動に満足しているのか。朝井には区別がつかない。
「先生?」
「はい?」
「…いや、なんでも」
 多分、両方なのだ。でもアリスの前では答えないに違いない。なんだか訊くのが馬鹿らしくなって話をかえた。
「それより、なんか追加頼もうか?」
「そうですね。もうそろそろお腹はいっぱいだから、軽いものがいいかな」
 おまえは? と火村がアリスに目で問う。
「俺ももうそろそろ。デザートとかつまめるもんとか」
 協議の末、果物の盛り合わせとチップスを頼むことにする。
「アリス。グラスも空いとるやん。ついでに飲みものも頼んだらどない?」
「うーーん。そうですね、何にしよ。…火村の飲んでるのなんか美味そうやけど」
「これか?」
 それはインドネシア産の地酒だ。薄い緑色をしていて見た目にはカクテルのようだが、その実アルコール度数40度という火の酒である。
「やめとけ、これはキツイぞ。おまえじゃ酔っ払う」
「ええやん。酔っ払ったら介抱してくれるやろ」
 アリスが悪戯っぽく火村を見上げる。その様はどう見ても、彼女が彼氏に甘える図に他ならない。
「はっ、送り狼になってもしらないからな」
「ええ? そんなんなったことないやんか」
 おいおい。あんたは襲ってほしいのん? 朝井はひとりで突っ込んだ。しかし心の中のつっこみに帰る言葉はない。当たり前のことだが少々空しい。
 ジントニックにでもしとけ。そうこうしているうちに火村が勝手に注文してしまっていた。しかも、ご丁寧にジンは薄めにと。朝井はため息をつく。この二人といると、ええんやけど胸焼けするわ。
 ほどなく追加の品が運ばれてきて、アリスが一口飲んだ。そしてちょっと首を傾げる。
「あれ? ジントニックってこんなに美味しかったっけ?」
「結構、甘いだろ。松脂の香りもそんなに気にならないんじゃないか?」
 うん、とアリスが肯いた。
「ジンを薄くしたからな。メーカーもそんなにきついのじゃないし」
「えぇ? どこでそんなんチェックしたん?」
 朝井は目を丸くする。
 ほら。火村が後ろのカウンターを指差した。
「あの銘柄ならアリスもいけるんですよ」
「へぇ、そうなん。なんて名前? こっからだと俺、目ぇ悪くて見えへん」
「俺が覚えといてやるから別にいいさ」
 おい。
「うん、せやね」
 おいおい。
 朝井は絶句した。だったアリスとて30代の成人男性だ。ひとりでとは言わなくても、火村以外の人間と飲みに行くこともあるだろう。そういうときの為に普通知りたいと思うのではないか?
 思わずそう尋ねたら、アリスが不思議そうに言った。
「せやかて、そういうときはビールにしますもん」
「ビール?」
「火村がね、ビールが一番軽いし俺向きやって言うから。それにビールやったらどこにでもあるでしょ?」
「まぁ、そうやね」
 そう言えば、火村抜きでアリスと飲むとき(たまにはそんな機会もある)、アリスはビール一辺倒だったかもしれない。律儀に守っているというわけだ。彼の教えを。
「なんや、もう…」
 やってられへんわ。思わず出るのは愚痴のような言葉。それを寸でのところで呑みこんだ。
 朝井のそんな様子も眼中にないらしい。アリスはといえば、果物を物色するのに忙しいようだった。トロピカルなあまり普段お目にかからないフルーツを前に、彼の意識はすべてそこに集中している。そういうときのアリスはまるで子供だ。目が生き生きと輝き、生気に満ち溢れている。
「これ、この髭のん、甘酸っぱくて美味い。これ何?」
「ランブータンでしょ」
「ふうん、これが」
 赤い髭をむしると、ライチのような白い実が現れる。朝井もこれが好きだった。手を伸ばしひとつ齧る。
「美味いのか、それ?」
 火村がアリスに問いかけた。
「うん、うまいよ。何、火村。食べたことないのん?」
「あぁ一度も」
 しかしプレートには2つしか乗っていなかった。ひとつはアリスの口の中、もうひとつは朝井の齧りかけだ。
 齧りかけでよかったら。そう喉元まで出かけた時。
「火村。舌、出して」
 火村がそれにこたえてちょっと俯き加減で口を開く。アリスは火村の肩をつかみ、ぐんぐん顔を近づけていく。

 え…ちょっと…!

 あっという間に口唇があわされ、欠片がアリスから火村へと移動した。その間約10秒弱。
「うん、いけるな」
 平然と火村が感想を言う。
「どっかで売ってるかな?」
「そりゃ百貨店の地下だったら売ってるだろ」
 おお神よ。これでふたりは親友だというのですから。
 確かにもしそんな関係だったら、恥ずかしくて人前でここまでの行為はできないだろう。いくらアリスが天然だと言っても。だからふたりが清いお友達だというのは納得できるのだが、しかし。



 それからすぐお開きになり、朝井は京阪三条駅へ、火村とアリスは下宿へとタクシーにと分かれることになった。駅まで送ってくれると彼らが言うので、有難くその申し出を受ける。途中でアリスがコンビニに入りたいと言った。明日の朝食を仕入れるそうだ。
 火村と朝井は、コンビニの外で立っていた。
「なぁ、先生。アリス、あれでええの?」
 ちょっと心配になったのだ。朝井だからこそ、まぁ胸におさめておけるが、他の人物だったらそうはいかないかもしれない。例えば片桐とか。彼なら発狂するかもしれない。
「いいんですよ」
 火村は鷹揚に笑った。
「しつけたんです。ああいう風にわざわざ」
「しつけ、た?」
 ええ。火村はおもむろに煙草を取り出し、火をつけた。
「ああいうことをするのは変じゃない。親友なら当たり前だ。ってね。長い時間かけて」
「火村先生…」
「そりゃぁ大変だったんですから。あれでアリスは恥ずかしがりなタチでね」
 火村は眉尻を下げ、笑み崩れた。まぁこのニヤケ顔ったら。助教授のファンに見せてやりたい。多分、色々な策を弄したのだろう。時には芝居を打ったり、はたまた飴とムチで言い聞かせたり。
「でも、なんで? 人前でする必要がどこに?」
「そりゃ虫除けですよ。あいつに群がってくる虫に、あいつが誰のモノだかをはっきりさせないと」
 やるなぁ。朝井は唸る。
 徹底的な姿勢は尊敬に値する。見習いたいけど、私やったらそんなまわりくどいこと、せぇへんな。さっさと既成事実作って本人に自覚を持たせたるけれど。
「じゃ、どうして手を出さんわけ?」
「出さないんじゃない。…出せないんですよ」
 火村が照れたように苦く笑う。
 その顔はちょっと見ものだった。どこか人間離れした感じのするクールな助教授が、凡人と一緒のラインに下りてきた。そんな風にも見えた。
 ふうん。先生、ちょっと人間ぽいやん。
「先、行くわ。アリスにそう言うといて」
「朝井さん?」
「二人きりの時間、少しでも多くしてあげる。火村先生の純情に免じて」


 じゃあね。朝井は身を翻した。火照った身体に夜風が気持ちいい。
 そうして駅にたどりつき、切符を買って電車に乗り込み、椅子に座る。隣のカップルがイチャイチャしている。反対側の隣はオヤジが眠りこけている。日常に身をおきながら、朝井は二人を思った。
 アリス。
 あんた、これ以上ないほど愛されてるんやないの。早いとこ気付いてあげぇな、先生ぶちぎれんで。
 けれど火村の恋情を受け止めるのは至難の技だろう。アリスが泣くのや苦しむのは見たくない。朝井とてアリスを気に入っているのだ。もちろん恋愛感情抜きでだけれど。
 ま、もう少しええか。このままでも。アリス、幸せそうやし。火村先生もなんやそう思うと可愛いし。
 朝井は電車の揺れに身を任せ、目を閉じた。がたんごとん、と振動が心地よく身体に響いた。



【End】 


くるみさま
ありがとうございます〜♪
本当に、感謝、感謝でございます!
サイトオープン記念にリクエストしてしまいました!!
「友達以上恋人未満の作家編の二人」で過保護、ラブラブ(他人から見たら、お前らできてるだろ?)という私のあほんだらなリクエストに答えてくれました。
いや、もう読んでいて悶えてしまいましたわ♪
こんなにジャストミートでいいのかしら?
私の好みに合わせてかなり甘くなっております。
本当に、幸せ。
ちょっぴり、朝井さんになって二人を見てみたい気になりますよね。胸焼けするけど・・・。(笑)
しかし、どうやって「しつけ」たのか、疑問です。し、知りたい・・・。!!
今度くるみさんに聞いてみますね。



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