「Summer Time」2




「お友達が来ているんだって?」
「ああ……」

 三蔵は頷くと、振り向いて八戒を見つめた。
 それを認めて八戒が立ち上がり父親も室内に入ってきて、目の前に立った。相対する瞬間はなんとも言えない間があった。
「はじめまして、八戒と申します。三蔵さんには学校でもお世話になっています」
 先に八戒はぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、三蔵の父の光明です。貴方が八戒君ですか……。いつもいつも三蔵から話を聞いていますよ。三蔵が随分お世話になっているみたいですねえ」
 にっこりと光明は微笑んだ。
 穏やかそうに目を細める姿はとても合気道の師とは思えないほどだ。
 長い髪を一つに結び、着物をを着ている様が大層似合った。
「いえ……そんなことは」
「ありますよ。料理とか教えてくれているのは君でしょう?そして遊びに連れ出してくれのも……。三蔵がとっても楽しそうですよ。本当に、ありがとうございます。父親としてお礼をいいますよ」
「とんでもないです。お礼なんて……僕の方こそ、とても楽しいです」
「そうですか……。それは、良かった。三蔵は頭はいいのに世間知らずで今まで友達と遊びに行ったりもしなかったんですよ。どうか、これからも三蔵と仲良くしてやって下さいね。こんなに仲のいい友達は初めてなんですよ」
「……はじめて?」
「そう。家まで連れてくるなんて、八戒君がはじめてですよ」
「……」
「本当ですよ?」
 光明は楽しそうに微笑む。
「……父さん、何言ってるだよ」
 父親と友達が自分を無視して会話を重ねるのに、三蔵は口を出した。
 すごく、恥ずかしいことを言われたような気がする……。

 家で、八戒のことを話しているとか。
 今まで家に連れてきた友達がいなくて、八戒がはじめてだとか。
 これからも、仲良くしてやってねとか。

 高校生に言う台詞ではない……。
 まるで小学生か幼稚園児だ。

 三蔵は父に対してほとんど文句を言わないのだけれど、さすがに困った。
「何って八戒君と親睦を深めているんだよ。いい友達だね?三蔵」
「……そうだけど」
 いい友達と言われ、否定する言葉を三蔵はもたない。
 すごくい奴だと思う。一緒にいると楽しい。
 三蔵は複雑な表情で光明を見上げた。
「友達は大切にしないといけないよ?」
「うん」
 三蔵は小さく頷いた。そんな三蔵に光明はくすりと微笑しながら彼の金の髪をくしゃりと撫でた。
「じゃあ、お邪魔したね。八戒君、ゆっくりしていきなさい」
 光明はそういい残すと背を向けて部屋から出て行った。
「ありがとうございます」
 その後ろ姿に八戒はお礼を返した。
「……」
「……」
 部屋に沈黙が落ちる。

(何と言えばいいのか……?)

 二人とも共通の思いである。
 友達を紹介するだけなのに、すっごく恥ずかしかった。

 互いに言いあった台詞が友達というより、まるで父親と彼氏と彼女のようであったと、他人から見ればそんな雰囲気をもっていたと、幸運ながら誰も気付いていなかった。

「……いいお父さんですね」
 沈黙を破り八戒がにこやかに三蔵に微笑んだ。
「ああ」
 いい、お父さんと言われて嬉しくないはずがない。
 三蔵も嬉しそうに笑う。
「穏やかで、優しそうな雰囲気をもって。息子である三蔵をとても愛している。そんな思いが伝わってきましたよ」
「……そうか?」
 父親を褒められて嬉しいのだけれど、とても照れくさい。三蔵は表情を緩めてはにかむ。
「確かに普段はすごく温厚だけど。俺も怒られることなんてないけど。でも、1度だけ切れるくらいの鋭い怒りを見たことがある。門下生が人を傷つけた時だ……素人に、面白半分で……」
 もちろん、その人物は破門になった。
 あれほどの怒気ははじめて見た。
 怒鳴るとか、見える怖さではないのだ。触れれば断ち切れんばかりの雰囲気を漂わせて、静かな炎のような恐怖を覚える強さ。それを三蔵は覚えている。
「怖かった。背筋が凍るくらい……。理由もなく人を、まして遊び半分で素人を傷つけることを許すことはできないって。人間として、してはいけないって」
 三蔵はその時の光明の瞳を忘れられない。強くて、厳しくて、鋭い光を讃えていた。普段は見ることなど絶対にない光明の内面が現われていた。
「……そうですか。でも、きっと皆から慕われているのでしょうね」
「うん、とっても」
 挨拶も礼儀も大切だけれど、上下関係はそれほど厳しくない。
 本人自身が、己のことを偉いと思っていないからだ。同じ武道を志す同胞、という立場にいるのに、そこに上下関係など必要ないというのが師である光明の教え、というか信念である。
 皆から、慕われていた。
 もちろん三蔵とて師として、父として慕っていた。
「穏やかで強いなんて、なかなかできませんよ。それも道理です」
 一目と少しの会話からでも光明の人となりというものを伺うことはできた。尊敬に値する人物であると八戒は思う。人間として、大きいのだ。
 そして、だから今の三蔵がいるのだろうと、推測する。
 だから八戒も笑みを浮かべて納得する。
 あの人に育てられてきた三蔵。きっと幼い頃から愛しく見守り続けているのだろう。その人によろしく、と言われたのだから八戒にとってこれ以上の評価はない。
「うん。最近じゃあ、道場より子供達に書道教えていることの方が楽しそうだ」
「……書道教えてみえるんですか?」
「道場から渡り廊下で繋がった先に畳の部屋があって、そこで教えてる。だから、ここにはいろんな子供が来るぞ。書道だけ習う子もいれば、合気道の方にも惹かれてそのまま門下生になったり。皆素直で可愛い……」
 子供たちを思い出してにこにこと微笑む三蔵の方が可愛かった。
 きっと、父親と一緒に面倒を見ることもあるのだろう……。
「三蔵の字が綺麗なのは、だからでしたか……」
 八戒は気付く。
 三蔵の字がとても流麗で達筆な理由を。
「一応、父さんに習ったから。書道やってれば、あれくらいは、普通だろ?」
 三蔵は首を傾げる。

(そんなことないですよ……。とても綺麗です。書道やってたからって、綺麗な文字が書ける訳ではないでしょう?)

 誰もが書道をすれば、綺麗な文字を書けるなんて、ない!という突っ込みを入れたいが、八戒はやめておいた。
 そん事をわざわざ言う必要はないだろう。
 彼にとってはそれが当たり前なのだから。自覚があろうとなかろうと、三蔵の綺麗な文字に変わりはない……。文字には人柄が表れるというが、三蔵の場合はぴったり過ぎだろう。
「そろそろ勉強しましょうか?」
「そうだな……冷えたし」
 随分涼んで、雑談も楽しんだのだから、今日ここに来た本分を全うすべきであろう。それをしないでいることは、今後機会があっても来にくい。勉強が捗らないと思われるのは避けたかった。
 三蔵も八戒に同意して、鞄から勉強道具である参考書とノート、ペンを取り出し机に広げた。
 互いに向き合い、勉学に勤しむ。
 集中力が優れているから、すぐに自分の勉強に取り組むことが出来る。エアコンが立てるモーターの音とコップに浮かんだ氷が溶けあい触れあう僅かな音だけが部屋に響く……。

 三蔵が英語、八戒が数学の問題集をやっている。
 三蔵は時々辞書を片手に、ぺらぺらとめくり意味を訳してメモを取り長文に挑んでいる。八戒は受験用になっている微分積分の問題集を解いている。数式ををノートに書き連ねて、ふむ、と思考する。
 超、進学校に通う彼らは他の学校に比べて、進みが速い。
 その学校は3年分の教科書など2年間でさっさと終わり3年は完璧な受験体勢になるのだ。塾に通って学校で教えられない部分は補う人間も少なくない。大学数あれど日本を代表する天下のT大進学率が全国10位以内という、驚異的な進学校なのだ。
 勉強の仕方がわからない、という一般高校生とはかけ離れていた。独自でちゃんと勉強の仕方、効率の良いやり方を知っているし、基本的に物覚えが良いので、羨ましいことに記憶できないと嘆くことはない。

「三蔵、ちょっと参考書貸してもらえます?」
 例題が乗っている参考書を確認したくて、八戒は三蔵が一度ペンを置くのを待って声をかけた。
「ああ、いいぞ」
 三蔵は本棚から数学の参考書を選んで八戒に渡す。
 図書館であれば、相手の邪魔はしたくないから蔵書から捜してくることもできるのだが、ここでは無理である。
「折角集中してるのに、すみません」
 八戒が謝る。
 すまなさそうな八戒に三蔵は、何だそんなことかと肩をすくめる。
「別に、これくらい気にするようなことじゃない。……必要なものがあったら気兼ねなく言ってくれ。一緒に勉強しているのに、遠慮する必要ないだろ、友達だし」
 語尾はやや小さくなりながらも、友達だから、と三蔵は言う。
「そうですね……。そうします」
 八戒は嬉しくなる。三蔵が大切そうに「友達」と言ってくれる。
 家に友達を招いたことがないという三蔵である。ここまで親しくなった友達がいないと父親が言っていた。

 (……自分は果たして、三蔵の特別になれているのだろうか?)

 八戒はそう疑問に思う。
 なれていたら、いいなと切望する。
 大切な友達だと自分だって思っている。特別だと自覚がある。
 いささか友達の領域から逸脱しているだろうという、感情も理解している。その感情の名前さえも……。でも、まだはっきりさせなくてもいい。こうして傍にいられれば、満足だ。

 少し黙ってしまった八戒に、三蔵が迷いながら口を開いた。
「なあ、良かったらご飯食べていくか?」
「……え?いいんですか?」
「いつも、料理教えてもらってるし……。俺も少しはできるようになったし……。お前より美味しくはないけど……」
 口ごもりながら、若干耳を染めて誘ってくれる三蔵がとても可愛い。
「三蔵さえ良ければ、喜んでご相伴に預かりますよ?」
「いいのか?」
「ええ。もちろんです」
「そっか」
 三蔵は安堵の吐息をついた。
 八戒が三蔵の誘いを絶対に断る訳がないのに、緊張して「いいのか?」と聞くのだから、全く敵わない。
 人付き合いが苦手で、でも心がまっすぐで純粋な三蔵。
 惹かれない訳がないなあ、と八戒はしみじみ思う。
 
「じゃあ、今度は僕の家にご招待しますよ。勉強して、その後で料理教室なんてどうでしょう?」
 八戒は三蔵に魅力的な提案する。料理が上手くないたいと思っている三蔵にとって、実際に目の前で教えてもらえる機会は嬉しいものだ。男子高校生が実体験で料理を習える機会は限りなく少ない。当然ながら、ちまたの料理教室に通い時間も度胸も三蔵は持ち合わせていなかった……。
 だから八戒の申し出は三蔵にとって喉から手が出るほど嬉しかった。
「いいなあ!」
「じゃあ、決まりです」
 予測した三蔵の返事に八戒はにっこりと微笑んだ。
 その時を思うと今から期待感が溢れてくる。三蔵と一緒に料理をして、お菓子とかも作れば喜ばれるかもしれない……。
 八戒は思いをはせる。



 今年の夏はまだまだこれから。
 暑くて辛いが、その分楽しいことがありそうである。


                                         END



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