散歩からはじまる休日


 



 「モンブランが食べたいな……」
 「はい?」
 「だから、モンブラン!」
 「モンブランというと、あの一般的な栗の洋菓子の?」
 「それ以外あるか?」

 金蝉は柳眉を潜めて天蓬を見上げた。

 (食べたい、というからにはそれ以外思いつかないけれど……金蝉からそんな言葉が出るなんて思わないじゃないか……)

 天蓬の優秀な頭脳は山脈のモンブラン?とか万年筆のモンブラン?とかぐるぐる回っていたのだ。

 「珍しいでね、金蝉が何か食べたいなんて言うの」
 「そうだな……。秋だなって思ったら食べたくなった」
 「そうですか。そんなものかもしれませんね」

 この観世音邸には日々たくさんのものが届く。観世音の仕事の付き合い関係なのか、子供達のために手配しているのか定かではないが、食べきれないのでは?と思うほど届く。その中の季節の食べ物だってその産地から新鮮で上質な物が直送されてくる。その度に美味しく頂いているのだが、さすがにモンブランのような生ものは届かなかった……。

 「では、買いに行きましょうか?」

 天蓬は久しぶりに二人で学校以外の外出もいいだろうと思う。ぶらぶら歩いて近所にある洋菓子店に行けば金蝉の運動や気分転換になるだろう。

 「そうだな、行くか」
 「そうしましょうか。では寒いですからちゃんと上着、着て下さいね」

 天蓬はしっかりと釘を刺す。
 「……わかってる」
 金蝉は毎度のことながら頷いた。


 ここ高級住宅街にある洋菓子店は、隠れた名店である。
 ヨーロッパのコンクールで優勝したというパティシエが腕を振るうアントルメ。ガラスケースに常時20種類ほど並び、小ぶりな構えだがイートーンもできる。テイクアウト用の焼き菓子もこれまた美味しく日持ちもするので贈答用に好まれた。

 少し肌寒い中をゆっくりと景色を楽しみながら歩く。

 青い澄んだ空。
 真っ白い雲。
 風は穏やかに吹いていく。

 通り沿いにある公園では子供達が遊んでいる。ブランコやすべり台の遊具で、広場でボールを追いかけてサッカーを……。母親はベンチに座り子供たちを見守り時折顔見知りに母親同士でおしゃべりに興じる。

 休日の午後。
 そこには穏やかで暖かな時間が流れていた。

 「いいですね……」
 のんびりと天蓬が呟く。
 「そうだな。いい天気だし、いい風だし。……歩いてるだけで気持ちいい」
 金蝉が天蓬を振り返ってにっこりと微笑する。

(僕としては金蝉の幸せそうな笑顔が見れるだけでいいんですけどね)

 そんなことを思いながら天蓬も微笑む。
 「気持ちいいですね。今度悟空も一緒に散歩に来ましょうか?」
 「いいな。特別目的地を決めなくてどこかに散歩するか?でも、悟空だとゆっくり散歩とはいかないかもしれないな」
 「確かに……。じっとしいるの、性にあわなさそうですね。どっちかというと走りたそうだし」
 天蓬は一緒に出かけたら、どうなるか想像して苦笑する。
 「悟空だと、散歩じゃなくて運動か?」
 子供はじっとしていることが大変苦手で、動きたくてしかたないのだ。金蝉もふう、と吐息を付く。
 どうやら、悟空も一緒に散歩とはいかないらしい。
 「……運動でしょうね。今度体育祭がありますし、見にいってあげればいいでしょう」
 「そうだな。そうしよう」

 中等部の体育祭が今度の日曜日にあるのだ。
 学院に通う兄弟が重ならないように、初等部、高等部とは違う日程で行われる。
 悟空のためにたくさんお弁当をもって二人で行こう。
 金蝉の体調のため、一緒に出かけることが少ないことを気にいていたのだが、そうと決まれば心も晴れやかだった。





 知る人ぞ、知る名店。
 小さな構えの洋菓子店。重厚な木材の扉に鈍い色のベル、ノブには『OPEN』の札がかかる。赤いレンガの屋根に白い壁、ガラス窓から覗く店内は上品な雰囲気が漂っていた。

 チリン。

 「いらっしゃいませ」
 ベルを鳴らしながら店内に入ると、白くて簡素なギャルソン風のリボンが腰を1周して前で結ぶデザインのエプロンをした店員が笑顔を向けてくれる。
 ガラスケースに並んでいるケーキはどれも色とりどり、季節の果物が乗っていて美味しそうだ。
 「へえ……」
 「美味しそうですね」
 金蝉も天蓬もしげしげと見つめる。
 「テイクアウトですか?」
 「あ、はい」
 店員はにこやかに微笑みながら、「では、お選び下さい」と穏やかに言う。その言い方が優しくて早く決めなければという焦りを感じさせない。
 「どれがいいだろう?」
 「モンブランじゃないんですか?」
 「そうだけど。それは決めているんだけど、それ以外。悟空は何がいいだろう……」
 「そうですね……。甘いもの大好きですからチョコレートもいいし、生クリームも美味しいだろうし。ああ、聞いてみましょう」
 天蓬は店員を見つめて微笑む。
 「今日の、お勧めは何ですか?」
 「今日ですか?そうですね……、季節のタルトです。いい洋ナシとオジンジが入ったので甘酸っぱい味に仕上がっています。甘いものをご希望であれば、生クリームとカスタードが重ねてあるムース。中に栗が入っています」
 「……ふむ。ありがとうございます」
 天蓬は思案げに首をかしげながらお礼を述べる。
 「金蝉、栗が入ったムースなんて、どうですか?」
 「いいな。美味しそうだ。どうせ悟空はたくさん食べるんだし、季節のタルトも買おう」
 「そうしましょうか」
 「ああ」 

 金蝉は頷く。そして何を思ったのか天蓬の上着をひっぱり、こっちだと促す。店内の角に豊富な種類の焼き菓子が置いてある。
 ブリオッシュにサブレ、ガレット、マドレーヌ、カヌレ、キャラメルがけバターケーキ、ドライフルーツたっぷりのケーキなど一人分の大きさのケーキ等々……見るだけで涎物の焼き菓子が所狭しと並んでいた。
 「これも買って行こう。日持ちするし、体育祭のお菓子にもいいし」
 「いいですよ。じゃあ、選んで下さいね」
 天蓬はにこやかに微笑んで傍に用意されている小さな籐のかごを渡す。それを受け取って金蝉は手にとりしげしげと眺めながら楽しそうに選ぶ。天蓬はそんな可愛らしい金蝉を見つめて、先にケーキを頼んでしまおうと店員に向き直った。
 「すみません。注文お願いします」
 「はい」
 「モンブラン、季節のタルト、栗の入ったムースを3つづつ、お願いします。焼き菓子も今選んでいますから」
 「畏まりました。それではアントルメを先にお包みしますね」
 「はい」
 店員は注文されたケーキを取り、手際よく箱に詰めいていく。それが仕上がった頃金蝉が戻ってきた。
 「天蓬、選んだ」
 金蝉はたくさんの焼き菓子を入れたかごを両手にもちながら、天蓬を見上げた。小さなかごでは入りきらなかったらしくかごを2つ持っている。
 「これでよろしいですか?金蝉」
 「ああ」
 金蝉は満足そうに、こくんと頷く。それを天蓬は受け取った。
 「これもお願いします」
 そして、天蓬はかごを店員に差し出した。
 「はい」
 店員はそれを受け取って別の紙袋に潰れないように詰める。手早くケーキの入った箱をリボンで結び焼き菓子の紙袋と一緒に半透明の大きな袋に入れる。
 「どうぞ」
 店員は袋のもち手を広げて差し出し、天蓬はその大きな包みを当然のように受け取る。
 金蝉はサイフを出して会計をさっさと済ませる。荷物を天蓬が持つから、金蝉は会計を行う。それはしっかりと役割分担されていた。

 「行こうか、天蓬」
 「はい。金蝉」
 二人は頷く。そして、天蓬は扉を開けて金蝉を先に促す。
 「ありがとうございました」
 後ろで店員の声がするので軽く頭を下げて外に出た。
 空を見上げると青い澄んだ色がどこまでも広がっていて、なんだかそれだけで嬉しくなる。

 「帰りましょうか」
 「そうだな。お茶にしよう?」

 これから帰れば3時のお茶になるだろう。
 二人は顔を見合わせて、微笑みあった。





 今日のお茶はセイロン、ティンブラ「ケニルワース」。
 癖がないから飲みやすく、フルーティーな香りがするためストレートに向く。
 買ってきたのは「モンブラン」「季節のタルト」「栗の入ったムース」である。甘さが控えめになってはいても、その甘すぎない美味しさを楽しむために紅茶はストーレートがいいだろうと金蝉は思う。

 「もうすぐお茶入るから、ケーキ用意して」
 「はい。金蝉はどれ食べますか?」
 「俺はやっぱりモンブラン。そんなに食べられないから、最初に食べる」
 「そうですか……。じゃあ、僕は違うのがいいですね、季節のタルトにしましょう」
 天蓬は食器棚から数種類あるうちの小花柄に金の縁取りのケーキ皿を取り出しケーキの箱のリボンを解き開けて中から慎重にそっと出して用意する。フォークも並べて、あとは紅茶を待つばかりだ。
 行儀よく椅子に座って天蓬は金蝉の作業を見つめる。
 白い指が滑らかに動いて紅茶を入れてくれる。うっとりとその仕草を瞳におさめて、天蓬は幸せそうに微笑んだ。
 なんてことないこの時間が、とても愛しい。

 「はい、天蓬」
 「ありがとうございます」
 金蝉は白地に青いレース模様のついたカップに琥珀色の紅茶を注いで天蓬の前に差し出した。
 「じゃ、頂きましょうか?」
 「そうだな。頂きます」

 二人は手をあわせてからフォークを掴みそれぞれのケーキを一口大の大きさに切り口に運ぶ。味わうように租借して、紅茶を頂く。
 「金蝉。美味しいですよ、紅茶もケーキも。洋ナシとオレンジの酸味がとっても美味しいですよ……」
 「モンブランも美味しい。細かい栗の欠片がマロンクリームに入っていて、甘すぎない。スポンジもふわふわしてる」
 金蝉は満足そうに微笑んだ。
 「そうですか……じゃあ、次はモンブランを頂きましょう」
 「ああ。いいと思うぞ。俺は1個で十分だし……、残りは悟空にやろう。夕方には帰って来るだろうし」
 悟空は遊びに出ていて、現在不在である。夕方にはちゃんと帰るからご飯残しておいてね、と言い置いて飛び出していった。
 きっとケーキを見たら、喜んで全て食べ尽くすに違いない。
 「体育祭用の焼き菓子は隠しておいた方がいいでしょうね。食べ尽くされてしまいますよ」
 「わかった」
 金蝉は天蓬の警告に大きく頷く。
 さもありなん。
 焼き菓子は体育祭でのお楽しみに取っておかなければならない。そして、お弁当も腕を振るってやろうと金蝉は思う。きっとたくさん食べるに違いない。
 その親子のような光景は一目を引くだろう。
 どう考えても兄弟の年齢であり血のつながりは見えない容姿なのに、悟空の保護者である金蝉と天蓬……。
 その美貌ぶりも保護者、生徒の間で人目を引いて注目を集めるだろう。しかし、この学園として慣れた光景であるから無闇に声をかけられることではない。
 
 「体育祭、楽しみですね」
 天蓬はその日を思い浮かべて自然に微笑んでしまう。
 「そうだな。きっと悟空も活躍するだろ」
 動くことが大好きな子供は、こと体育祭においてヒーローだった。元気に走りまわる様は大変微笑ましい。
 金蝉も同じように微笑んで天蓬に言う。
 「一緒に行くんだから、用事入れるなよ?」
 「もちろんですよ。絶対一緒に行きましょうね」
 「忘れるなよ?」
 研究に入り込むと時間の経つのも忘れる天蓬は、その時だけ信用がなくなるのだ。
 「信用して下さいよ。当分、詰めることもありませんから、大丈夫ですよ」
 安心させるように天蓬は笑う。
 金蝉も瞳を和らげながら天蓬を見上げて、「絶対だぞ、破ったら許さないから」と笑う。


 それは穏やかな午後の一時。
 来週が楽しみな保護者の二人だった。




                                        END




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