その日はついにやって来た。 いく日も前から準備されて、今日を迎えるばかりであった。 簡素だけれど上質な調度品が整えられた部屋。 窓際に立派な執務机と座り心地のいい椅子。 中央に来客用の長椅子に小さめの卓子。 壁際に給仕用の台と書棚。 今日からこの部屋の住人は金蝉童子である。 今まで観世音の保護下にあったが、晴れて成人と認められ公務に就くこととなった。 上級神としての地位が変わることではなく、生まれた時から格は決まっているので、「金蝉童子」として天帝から正式に公の場に出席できる成人と認められたということになる。 出席に義務が生じた訳でもあるが・・・。 それまでは、子供であるという理由で滅多に公に姿を見せなかった。 もちろん観世音の配慮であった。 「こんにちは、金蝉」 天蓬が顔を出した。 はじめて入る部屋。 天蓬がこれまで訪れていた部屋は観世音邸の奥宮にある金蝉の私室であった。ここは、以前の奥宮ではなく、内宮の別棟。 成人を機に別棟を与えられ、執務室、隣の私室、生活する部屋や女官などを任せれることになった。 「ああ、天蓬か」 金蝉は机から顔を上げる。 一応今日から公務に就いたはずなのに、机の上には書類が山に積まれていた。 「これどうしたんですか?」 天蓬は書類を指さす。 「ばばあの嫌がらせだろ」 初日から仕事をたんまりと押しつけた観世音である。 笑いながら女官と二郎神に持たせた書類を置いていった。決して自分で持たないところがとても観世音らしいと言えるだろう。 「それはまた・・・、ご苦労さまです」 「ふん」 金蝉は読んでいた書類をぱさりと机に置くと、天蓬を見上げた。 「どうしたんだ?」 「お祝いに来たんですよ、これでも」 天蓬は微笑みながら後ろ手に持っていたものを目の前に差し出した。 金蝉の眼前に白い色が飛び込んでくる。 真っ白な花。 花弁が幾重にも広がり、華やかに彩る。 百花の王である牡丹。 その純白。 「何がいいか悩んだんですけど、貴方にはこれが一番似合うと思って」 どんな白よりも澄んだ色。 清浄な存在、尊き魂。 金蝉は自分に渡された花を一瞬見つめると受け取った。 両手で抱える花束は金蝉をより艶やかに彩る。 「・・・ありがとう」 小さな声で金蝉は告げた。 それに天蓬はにっこりと微笑んで答えた。 「生けるか・・・」 このままでは折角の花が痛んでしまうと、金蝉は立ち上がった。 確か、隣室の私室に花瓶があったはずだ。 金蝉は扉を開き私室に入った。 天蓬はついて行くべきか、ここで待つべきか、と迷う。 天蓬の躊躇に気付いた金蝉は、 「ああ、入っていいぞ。まだ散らかってるけどな」 と言った。 許しを得た天蓬が私室に入るとそこには寝台を中心にたくさんの品物が広がっていた。 どう見ても贈り物。 衣装や宝石などなど。 食べ物がないのはきっとすでに別室で調理を待っているからだろうか? 聞くのもどうかと思ったが、一応お伺いを立ててみた。 「これは、どちらから?」 ちらりと贈り物を見ると興味なさそうに言った。 「如来や菩薩からだ。それ以外のものは別室に置いてある。ばばあがな、これだけは見ておけと置いていった」 如来と菩薩。 最上級神の方々。 金蝉はその神々から寵愛を受けていた。 とても、とても大切に・・・、我が子のように愛されていた。 その事実を天蓬が知ったのは幾分か前になる。 その時のことを思い出すとため息を付かずにはいられない。忘れられない体験だった。 「そうですか・・・」 天蓬は贈り物の数々に見向きもしない金蝉の後ろ姿を見た。 花瓶を取り出して天蓬を振り返る金蝉と見つめていた天蓬の目が合う。 「どうした?」 金蝉は不思議そうに聞いた。 「何でもありません」 天蓬は笑いがこみ上げる。 これだけの贈り物より自分が渡した花束を大切にしてくれる金蝉が、愛おしい。 だから、自然に手が伸びた。 花束ごと金蝉を優しくふんわりと抱きしめた。 ほんの一瞬の出来事。 金蝉が瞳を瞬いているわずかの時間。 「持ちますよ」 そう言って素早く花瓶を金蝉から取ると執務室に向かった。 「天蓬!!」 金蝉の慌てた声が聞こえたが、それは無視。 「金蝉、花持ってきて下さいよ。僕水汲んできますから!」 楽しげな天蓬の声。 「・・・早く汲んでこい!!」 金蝉はそう言い捨てた。 その後、金蝉の私室には天蓬から贈られた白い花が飾られていた。 END |