「金蝉!金蝉!」 天蓬が叫びながら金蝉の執務室に駆け込んでくる。 珍しいこともあるものだ。いつも飄々とした笑顔を浮かべてあわてたという顔を見た事がないのに。 金蝉は書類から顔を上げて聞く。 「どうしたんだ?」 「どうしたじゃありませんよ。貴方、今度大宮殿で催される祭典で、何をするんです?」 「・・・。どこから、聞いてきた?」 「貴方のことで、僕が知らないことがあると思いますか?」 「・・・」 じっと見つめる天蓬。 強い瞳に金蝉も負けた。 「祭典で、舞う・・・」 舞うといっても大勢の前でではない。 内々のものだ。 祭典の前夜の催しのようなもので、天帝の住む宮で執り行う者の前で舞うだけだ。 そんなことを、どこで聞きつけてきたのか? 自分でさえ、昨日要請があったばかりだいうのに。 はあ、金蝉はため息を付いた。 「お前は見にくるな!」 「何でです?」 「何でもじゃない!来るなと言ったら来るな!」 「嫌です」 「・・・」 「行くと言ったら行きますからね!何をしても。何なら、護衛に付きましょうか?」 「元帥がか?」 「最高の護衛だと思うんですけど?何か不満でも?」 「そうじゃなくて、普通はしないだろうが」 金蝉は頭が痛い。 元帥が護衛・・・。 聞いたことがない。 「いいじゃないですか。僕さっそく志願してきますから!」 「待て、天蓬」 走って行きそうな天蓬を引き留める。 「何でそんなに来たがる?」 「何でって、決まってるじゃないですか!貴方の晴れ姿を僕が見逃すなんて許せませんよ!!!」 「晴れ姿って、お前・・・」 「だって、舞の衣装着るんでしょう?あの素晴らしく、ひらひらして豪奢な」 舞の衣装とはものすごく豪華なのだ。 飾りの刺繍ががたっぷりと付いていて、何枚も着物をあわせる。 それに装飾品を付けるものだから、きらびやかこの上ない。 普段金蝉が着ているものとはほど遠かった。 つまり、女物なのだ・・・。 「なぜお前がそこまで知っている?」 「僕が知らないとでも?大抵の行事は頭に入ってますよ」 にっこりと微笑む。 なんて奴だ・・・。 大抵どころか、滅多にない祭事だというのに。 絶対、絶対見せたくないと決意する。 なぜ、女物の衣装を着ている姿を見せねばならないのか! 今回のことにしても、どうしても断れなかったからなのに。 何百年に1度の珍しい祭典。 前夜、祭典本番(5日間)、後夜と7日ほどかけて行われるのだ。 7日かけてのどんちゃん騒ぎ。 そして、前夜の舞に金蝉は要請された。 なぜ女性がやらないのか? それは該当者がいないからだ。 上級神以上で、婚姻を結んでいないもの。 そして古い神々に捧げる舞は、それなりな容姿のものであること、という嘘のような条件があったのだ。 それなりという言葉を信じてはいけない。つまりは一番美人がやらなくてはいけないのである。 衣装も豪奢で本物の麗人が身に纏うべきもの。そうでないと、衣装に負けることになる。 そして、恐ろしいことに該当者は金蝉しかいなかった・・・。 三大如来の推薦付きである。 常日頃、三大如来の覚えめでたき金蝉は、否の権利を持たなかった。 というか、誰も逆らえない。観世音も目じゃないほどの、権力者だ。 「金蝉、あきらめて下さい。僕は絶対行きますよ。そして、側にいますからね。任せて下さい、指一本誰にも触らせませんよ」 「・・・何だそれは」 「だから、護衛ですよ。本当に必要ですから!」 天蓬は笑っていたが、本当に心配していたのである。 金蝉は詳細を知らないだろうが、この祭事の舞の巫女は当代一の美人と言われたも同然なのだ。古い文献を紐解くことが大好きな天蓬は、かなりこの祭事に関しても詳しかった。 過去の姫巫女は当然天帝の目に止まり、側室になっている。 いくら金蝉が男性でも、かなり危ないと天蓬は踏んでいた。 天界一の美人なのだから、この際性別は関係ないだろう。 「たかが舞に?どうして護衛が必要なんだ?」 さっぱりわかっていない金蝉は首を傾げる。 「あ〜、もともと護衛は付いているものですよ。儀礼上巫女なんですからね。それに貴方は上級神ですし、それくらい当然です」 天蓬はさも当然と言わんばかりに語る。 あまりにも、当然として語るので、金蝉は信じた。 天蓬が博識なのは認めていたので、疑問に思わなかったのだ。 そして口で丸め込んだ天蓬はいつの間にか護衛に付くことを承知させていた。 一番最初は純白の薄物。 前あわせで裾を引きずるくらいの長さでたっぷりの布が使われているため、歩くと揺れる。この薄物を2枚重ねる。そうしないと透けるくらい薄いのだ。それに軽いため、舞にはちょうど良い。 その上に濃紺で薄物より少し短めの丈の着物。 金の縁取りに金糸とさまざまな宝石、柘榴石、綱玉、翡翠、碧玉、青玉、青金石、蛋白石、緑柱石を縫いつけて牡丹の花が刺繍されているとても豪華なもの。 帯は金色。通常よりやや太めでぎゅっと縛られ、後ろで花のように結ばれる。 帯にはいくつかの飾り紐が結ばれていて、それぞれの紐先に瑠璃、瑪瑙、珊瑚の宝石が揺れていた。 髪は一つに結われて、金と銀の細工に大振りの真珠を施した簪を差す。 そこから、波打つように金の髪が垂れ下がる。 耳には紅玉を中心に柘榴石が花びらの形に細工された耳飾り。揃いの腕輪が細い手首に付けられる。 襟元には南洋真珠の首飾り。 全く、豪奢で豪華絢爛。 百花繚乱の中にあっても、浮き上がるほどの麗姿。 「天上の美」の中で「至上の美」だ。 けれど、どの宝石よりも名工も作り出せない一等極上なものが、紫水晶の瞳。 そこには、煌めきと強い意志がある。 引き込まれる、魔力を持っている。 纏う雰囲気は清浄で、崇高。 そこに女神が降り立ったようだった。 その女神はふと視線を上げて、部屋の隅にいる天蓬を見た。 それに天蓬は優しげな微笑みを見せる。 金蝉は恥ずかしげに目を伏せた。 その仕草は可憐であった・・・。 薄くて歩く度にふわりと舞う裾を片手で少し摘んで金蝉は悠然と歩く。 その後ろ姿は貴人。 天蓬は長い廊下を渡り祭事の宮まで金蝉の後ろに控え、金蝉の後ろ姿を見つめていた。 自分の遣えるべき存在を。 誰にも触れさせないように。 「いってらっしゃい」 そして、祭事のため飾り付けられた宮に設えられた舞台に行く金蝉に声をかける。 金蝉は振り返って小さく微笑むと頷いた。 金蝉の持つ鈴の持ち手には赤、緑、白の長い帯が結ばれて床まで下がっていた。 その金色に輝く鈴を持って振る。 一振りすれば、 「シャラン・・・!」 鈴の音が宮に響く。 華麗に舞う。 円舞だ。 金蝉が動く度にひるがえる長い裾と羽衣。 流れる金の髪も、舞と同時にゆらりと輝く。 細く高い笛の音。 鈴が立てる硬質で美しい音色。 「シャラン・・・!」 旋律はゆるやかに、艶やかに流れる。 見惚れてしまう・・・。 その場にいた全ての者を惹き付け、魅了し、離さない。 誰がその瞳に逆らえると言うのか? けれど、かの神は舞っている時、ふっと部屋の下座で立っている天蓬に視線を向けて微笑んだ。 一瞬のことであったが、天蓬にはわかった。 綺麗な微笑みは、天蓬の胸を打つ。 沸き上がる感情は何か? 至福?切望?それとも・・・? 「シャラン・・・!」 鈴の音が一際響いて、金蝉は天空から舞い降りてきた。 自分の役割は終わったとばかり、ここには用はないと金蝉は廊下を戻っていた。 もちろんその後ろに天蓬は控えている。 控え室まで戻ると、金蝉は美しく着付けられた豪奢な着物を惜しげもなく脱ぐ。 鬱陶しいことから介抱されて、反対に気持ちが軽くなっているようだ。 そして、一応祭事なのでいつもよりは艶やかな衣装を纏う。 薄物の二枚重ね。 下が空色の無地で上が純白に芍薬の刺繍が縫いつけられたものだ。 それに細い銀色の帯。 髪も全て下ろして、今は波打つように金色が背中を覆っている。 天蓬はそれを部屋の隅、扉の前で見守っていた。 そこへ扉をたたく音。 「はい?」 天蓬が金蝉の着替えの完了を確認して扉を開けた。 現れたのは、天帝付きの官僚だった。 彼は金蝉を認めると、前まで進み出て一礼した。 「金蝉童子様。今日はお疲れさまでした。見事な舞でございました。私天帝より言付けを賜っております。今夜お食事を大宮殿で用意いたしますので、お越し下さいとの仰せです」 天蓬はやはり来たか、と自分の予測が当たったことを知った。 しかし、全然喜ばしくない。 これをいかに退けるか、である。 天帝の申し込みでは、角が立たないように断るのが至難の業になる。 「申し訳ないが、お断りすると伝えて欲しい。今日の舞のため、随分無理をした。身体が疲労しているため、きっとお見苦しいと思う。この祭事にこれ以外にも如来より仰せつかっている仕事があるため、今日はこれで失礼する」 金蝉は天蓬が思案していると、さらりと断った。 如来の名前を出すところがなかなか的をついている。 そうして、官僚に向かって、にこやかに微笑んだ。 「お願いする」 その綺麗な微笑みに官僚は、落ちた。 女神のお願いには誰も逆らえない。 「残念ですが、そうお伝えします。お体をくれぐれもお大事に・・・」 そう言いながら名残惜しそうに去った。 「ふん、面倒くせえな。帰るぞ、天蓬!」 金蝉は唖然と見つめる天蓬に声を掛けて、さっさと行ってしまう。 天蓬は急いで後を追った。 廊下と宮をいくつも抜けて、やっと大宮殿から出た。 明日の大広場には多くの人が集まるだろうが、今日は前夜のため、大門は開かれていない。 金蝉と歩くと、人目を引いた。 いつも、いつも。 今日はより輝きが増しているかもしれない。 先ほどまで女神が降りていた上級神は、存在自体が本人の如何に関わらず煌めいて主張しているのだ。無視することなんて、できない。 その周りの空気が、色が違うのだ。 触れることなんて、できない。 ずっと高みにある。 天蓬は感嘆と、絶望の淵にいた。 観世音邸に程なくして着く。 祭事に合わせて館内も用意されていた。 いつにも増して、磨き上げられた廊下。部屋には艶やかな花が生けられている。 女官達も催事用に紅白の衣装になっている。 どことなく浮き足立つ雰囲気と、それでも女官としての自尊心か、落ち着き仕事に向かう姿勢が見えた。 金蝉の私室にも青磁の花入れに今日は牡丹が数本生けられていた。 わずかに部屋に香る「伽羅」。 今回の祭事の舞にあわせ湯浴みと香を焚き清めたり、金蝉は準備をしかたなくしていた。 金蝉は部屋の中央にある寝台にどさりと、座った。当然薄い素材の衣装が乱れるが気にした風もない。 そして、ふう、と金蝉が息を漏らし天蓬を見上げ、 「お疲れ」 と声をかけた。 「いいえ。金蝉こそご苦労様でした。お疲れになったでしょう?」 「ふん。そうでもねえよ・・・。ただああいう場は好きじゃない」 「あんなに堂々としているのに、あの場の主役なのに、貴方らしいですね・・・」 「如来の命令でなけりゃ、誰がやるか!」 眉間に皺をよせて、不機嫌そうに言う。 こんなに、ぞんざいに振る舞って、乱暴な言葉を吐いても、金蝉の煌めいた存在は少しも損なわれない。 金蝉を見ていると、幸福と絶望が相反する思いで天蓬を蝕む。 絶対に離れられないのに、近くにいるはずなのに、遠くに感じてしまう。 「天蓬?」 「・・・」 「天蓬?」 黙って見つめたままの天蓬に金蝉は不審に思う。 苦しそうな表情。何かを飲み込んでいる、我慢している顔。 いつもとは違い表情が暗い。 どうして、そんな切ない顔をするのか??金蝉は思う。 「どうしたんだ?天蓬?」 金蝉は立ち上がり天蓬の前までやってくると頬に指を伸ばして、優しく触れる。 首をかしげて、天蓬の顔をのぞき込むように見上げた。 「・・・金蝉」 天蓬は自分の頬にふれている細い指を掴む。 「うん?」 「金蝉・・・」 「天蓬?」 不安そうに、気遣うように天蓬を見つめる金蝉。 その瞳に、天蓬は溜まらず抱きしめた。力いっぱい、華奢な身体が折れてしまうのではないかというほど。一瞬戸惑うが、金蝉は天蓬に身を任せた。 身体の力を抜いて、天蓬の背に腕を回す。 時々、本当に希に、不安になる。 自分は側にいてもいいのか? こんなに愛しているのに。 側にいられたら、幸せなのに。 金蝉が遠い場所にいるように感じる。 上級神の彼との存在の差は知っていたし、弁えている。 けれど、これほど崇高な魂だと実感する機会があると、ふと疑問に思う。 不安? 絶望? それとも、独占欲からくる・・・欲望? 心が叫んでいるのかもしれない。 この、神が欲しいと。 自分だけを綺麗な瞳に映して欲しいと。 天蓬は我慢できずに、無防備に目の前に晒されている白い首筋に唇を寄せた。 途端、小さく反応する身体。 「天蓬?」 「すいません」 天蓬は金蝉の肩に手を置き、身体を離す。 「なぜ、あやまる?」 「・・・」 「天蓬!!」 強い口調で金蝉は言う。 「・・・貴方が大切で、大切で、大切なのに、壊したくなる・・・」 「天蓬、何を迷っている?」 まっすぐな瞳で天蓬を金蝉は見る。 「貴方が欲しくて・・・」 金蝉は瞳をわずかに見開いて、でも視線は逸らさなかった。 そして、 「だったら、抱けばいい」 きっぱりと言う。 「金蝉?」 その言葉に天蓬の方が驚いてしまう。 「貴方自分が何を言ってるかわかってるんですか?」 「わかってる!」 「わかってませんよ!!ご自分の身体のことを忘れたわけではないでしょう?貴方は汚れに弱い。子供の頃に比べれば増しですが、それでも極端に弱いんです。そんなことしたら貴方の身体がどうなるのか、想像できるでしょう?」 天蓬は悲痛な声で訴える。 「だからどうだっていうんだ?汚れに弱い?そんなことは嫌って程知ってる!!!」 今までそれでどれだけ辛い、悔しい思いをしたことか・・・。 金蝉は止められなかった。 だからといって、天蓬にこんな顔をさせるのは嫌だった。 天蓬はわかっていない。自分がどんなに辛そうな、今にも闇に巣くわれそうな顔をしているかを! そんな顔を、そんな気持ちにさせているのが自分だなんて、腹立たしい。 そして、悔しい。 自分の身体が弱いことくらい、百も承知している。 でも、それが何だというのだろう? 「天蓬?そんなに怖いのか?」 「怖いですよ・・・。貴方を傷付けるのが、汚すことが怖い。何よりも大切な存在なのに、自分で壊してどうしますか?」 天蓬の真剣な目。 金蝉は天蓬の頬を両手でそっと包んだ。そして、真っ直ぐ見つめる。 「ずっと、側にいるんだろう?誓っただろう?だったら、そんな顔するな!」 「金蝉・・・」 「いいか?俺の身体なんて変えようがない。だったら、覚悟しろ!」 「覚悟ですか??」 「そうだ。俺が倒れたらその分介抱すればいい。熱が出ようが、身体が動かなかろうが、汚れようが、お前が責任を取ればいいだけだろう?違うのか?」 「金蝉・・・」 天蓬は名前を呼ぶことしかできなかった。 なんて、綺麗な神だろうか・・・。 この神は自分から墜ちると言う。 自分など手の届かない場所にいる存在なのに、この手に落ちてくるなんて信じられない。 誰が逆らえるのか? この麗しく、絶対の神に・・・! 天蓬は抱きしめた。その存在ごと、自分にとっての絶対的な神を。 「愛しています」 その言葉しか言えなかった。 目の前に晒される白い肌。 月明かりに浮かび上がるなめらかな裸体。 わずかにふるえる身体を優しく抱きしめる。 辛そうに潜められる眉も。 甘やかな吐息も。 触れる度、身じろぐ肢体も。 自分を呼ぶ掠れた声・・・。 潤んだ瞳からこぼれる涙。 訴えかけるような澄んだ紫水晶が自分を見つめて映す。 優しく穏やかに、慎重に愛撫を施して、 決して傷つけないで、 一つになる。 「金蝉?」 「ああ・・・」 抱きしめた身体は熱をはらんでいるのか、ふんわりと暖かい。 金蝉は天蓬の胸に頭を預けて、ほうっと息を吐く。 「大丈夫ですか?」 うっすらと、瞼を開く。 瞳がまだ潤んだままできらきら輝く。 「大丈夫だ・・・」 天蓬は金蝉の汗で張り付いた髪をかき上げてやりながら、こめかみに唇を落とす。 そして、頬に、細い顎に、首筋に。 最後に唇についばむような口づけを。 瞳を閉じて気持ちよさそうに口づけを受けている金蝉を見ていると天蓬は嬉しくなる。 なんだかな、と思う。どんどん貪欲になる。 だからくすりと笑いが漏れた。 「何だ?」 「いえ、もう一度してもいいですか?」 天蓬の問いに、金蝉は瞳を瞬いた。でも、強い瞳で、 「何度でもすればいい」 艶やかに、掠れた声で言う。 「何度でも?」 「ああ。好きなだけ・・・」 「それでは、好きなだけ・・・。責任取ります」 「許す」 貪る身体は極上で。 夢のような、吐息の時間。 その後。 責任問題がどうなったというと、金蝉は3日ほど発熱し寝台から動けなかった。 けれど幸い祭事に人々の関心がある時。 祭事で疲労したと理由を付けて、ずっと館に引きこもっていた。 その間、もちろん天蓬は金蝉の側を離れなかった。 END |