「風邪の功名」




「珍しいなあ………」

 金蝉はしみじみと呟く。
「すみません」
 対する天蓬は申し訳なさそうにベットの中から謝った。
「謝ることじゃない。調子が悪いのに、何言ってるんだか」
 くすくす笑う金蝉は楽しそうだ。
「欲しいものあるか?冷たい飲み物でも飲むか?果物でも食べるか?」
 かいがいしく、聞いてくる声が弾んでいる。
「………金蝉、楽しそうですね」
「楽しいぞ。とっても!」

「………」
「だっていつもと立場が逆だろう?俺はお前に世話ばかりかけているから、偶にお前が寝込むと嬉しいぞ」
「………嬉しいですか?」
「ああ、嬉しい。お前、年に1度くらいしか熱も出さないからなあ………。こんな機会滅多にないし」
 それはそれはにこやかに嬉しいと言われて天蓬は内心複雑だった。
 風邪を引いてしまった天蓬は昨日から熱を出してしまっている。いつもは体調に気を付けているし、元々丈夫だから風邪も引かない、寝込まない。
 それに金蝉の身体が弱いから、より自分がしっかりしなくてはと思っているせいかもしれない。が、稀に気が緩むというか、天蓬に取り付く強い風邪菌があるらしく、ダウンする。

「だから、安心して寝ていればいいんだって。申し訳ないなんて、思うな。家族なんだから」
「金蝉………」
「家族は迷惑かけてもいいもんだろ?うん?」
「そうですね」
 天蓬は笑う。
「五月蠅いだろうから、悟空には立ち入り禁止にしてあるし。ゆっくり寝ていろ」
「はい」
「で、何か欲しいものはあるか?」
「じゃあ、飲み物下さい」
 金蝉はベットの横に置いてある水差しから氷水をグラスに注いでほら、と天蓬に渡した。天蓬は起きあがり、それを両手で受け取って天蓬はこくりと飲み干す。

(………冷たくて、美味しい)

 ふう、と吐息を付いて「ありがとうございます」とグラスを金蝉に返した。
「横になれ」
 金蝉は天蓬に布団をかけてやり、額に手を伸ばす。
「まだ、熱いな」
 少し汗ばんでいる額は熱を伝えてくる。自分の体温と比べてみても、まだまだ熱があることがわかる。
「気持ちいい………」
 冷たい金蝉の手のひら。
 金蝉が冷たいのではなくて、自分が熱いだけなのだが、病人の天蓬にとって金蝉の手は殊更気持ちよくて、落ちつくものだ。
 天蓬は金蝉の指を上から自分の手で掴む。
 それに金蝉はくすりと、微笑む。
「心細いのか?………傍にいるから、安心して眠れ」
 金蝉は額の上から手を外させると、そのまま手を繋いでベット横にもってくる。
「こうしてれば、いいだろ?」
 優しく微笑む金蝉に天蓬は目を閉じた。

 そして、夢を見た。


 懐かしい、夢。
 初めて、この館に来た幼い頃。
 やはり熱を出してベットで寝ていた時だ。

 
「天蓬、調子はどうだ?」
 天蓬は寝込んでいると金蝉が部屋にやってきた。
「金蝉………?」
 ベットの中から驚いたように金蝉を天蓬は呼んだ。
 小さな掠れた声は、熱のせいか、咳のせいか辛そうだ。
「ほら、アイスノン。変えよう」
 金蝉はタオルを巻いたアイスノンをひとまずテーブルに置いて天蓬の頭をそっと持ち上げ、枕の間にあるぬるくなったアイスノンと取り替える。
 
 ひやりと冷たい冷気が頭から伝わってくるのが、気持ちいい………。
 
 天蓬は目を閉じる。そんな天蓬を見つめながら金蝉はかいがいしく世話をやく。
 濡れたタオルで天蓬の額や首筋を拭いてやる。汗で天蓬の髪もしっとりと湿気を含んでいることから、随分熱を出していることがわかる。

(熱、高いのだろうか?)

 金蝉はそれに眉を若干寄せながら、天蓬の額にかかる髪をかき上げると、自分の額をコツンと当てた。

(………金蝉!!!!!!!)

 天蓬の内心は絶叫だった。
 間近に金蝉の顔がある。綺麗な顔が目の前にあるのだ。
 金の髪が一筋天蓬の顔にかかり長い睫毛が、閉じている瞼が見える………。
 額に金蝉の額が当たって密着している。

「熱いな………」
 やがて、熱を計り終えた金蝉は至極普通に宣った。
 金蝉にしてみたら、意識するようなことではないのだ。
 天蓬は脱力する。
 意識しまくりの自分は、これでかなり体力を使ったのかもしれない。
 ふうと、一度ため息を付く。
「金蝉………」
「何だ?」
 金蝉は首を傾げる。

「こんなに、側にいると移りますよ」
 その天蓬の言葉に金蝉は呆れたように、肩の力を抜いた。
「あのなあ、これだけ側にいて、毎日顔をあわせていれば、移るのは当たり前なんだ。それに、移るならとっくに移ってる!」
「………でも、貴方が風邪を引くと、僕より辛いですよ?そんなの嫌です」
「家族なんだから、移ってもいいんだ。第一、俺以外お前の看病を誰がするっていうんだ?」
「そうですけど………」
 確かに、古株のお手伝い以外、いないだろと思われた。
 観世音は、そんなタイプではないし、今は仕事で海外に行っている。
 必然的に天蓬の世話をするのは金蝉しかいないのだ。
「もう、いいから。俺がもし、お前の風邪が移って寝込んだら今度はお前が看病すればいいだろ。それでおあいこだ。わかったか?」
「………はい」

 天蓬は仕方なさそうに微笑む。
 本当は嬉しい。
 家族だから、移るのは当然と看病してくれる金蝉が。
 初めてこんな風に、迷惑をかけてしまってどうしたらいいか、と思った。
 でも、そんな心配も不安も金蝉は一掃する。
 
 できるなら、金蝉に移りませんように………。
 もし、移ったらもちろん看病をするけれど、金蝉にはできるだけ笑っていて欲しい。
 それには自分が早く直さなければ、ならない。
 
「もう、寝ろ」
 金蝉は布団を天蓬の首まで引っ張り上げる。
「………金蝉、少しだけ、眠るまで傍にいてくれますか?」
 天蓬は自覚はないが、縋るような瞳で金蝉を見つめる。
「いるから。傍にちゃんといるから………」
 天蓬の小さな我が儘とも言えないお願いに金蝉はにっこりと微笑んだ。
 その笑顔に安心するように天蓬は目を閉じた。


 天蓬は、ふと目を開けた。
 随分眠っていたようだ………。
 懐かしい、夢。

 傍らには、約束した通り金蝉がいる。
 何時の間に眠くなったようで、ベットに突っ伏すように顔を伏せている。長い金色の髪が広がっている………。
 天蓬はその髪を一房取って、指にくるくると巻き付ける。すぐにほどける髪。それを何度か繰り返して苦笑すると、再び目を閉じた。

 金蝉が傍にいる限り、天蓬の夢は果てしなく優しい。
 きっと夢の中でも、また逢おう。



                                        END




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