「お久しぶりです、金蝉」 天蓬はいつもの穏やかな微笑みを浮かべて金蝉を見る。 下界から久方ぶりに天蓬は帰ってきたのだ。 すぐに顔を出したいが、お風呂に浸かり、汚れを洗い流して金蝉の執務室に来た。 そうでないと、金蝉の側には寄れないから・・・。 「悟空は?」 いつもの騒がしい子供がいない。 そのせいか、執務室はとても静かである。 穏やかな風が部屋を駆け抜け天蓬の髪を揺らした。 「おやつだ・・・」 金蝉はちらりと天蓬を見るとそっけなく答えた。 悟空の胃袋は底が知れない。 どんなに3食たらふく食べてもお腹はすく。 おかげで、「おやつ」の時間があるのだ。 今日も連翹が作ったお菓子を食べているだろう。 金蝉もお茶にしようと言われたが、目の前に積まれた書類をある程度までこなさないと休憩もできないといって悟空だけを行かせたのだ。 「そうですか」 何となく見ただけで全てをわかってしまった天蓬は脇に抱えていた本を金蝉の前に差し出した。 「悟空にお土産です。絵本ですよ」 下界の絵本は天蓬が悟空に貸して以来、悟空の楽しみの一つとなっている。 それの新しい物らしい。 悟空は今ではひらがなも読める。 他にも興味があると、初歩的な本を読むようになった。 進歩は著しい。 金蝉は差し出された数冊の本を受け取ると机の上に積み上がっている書類の一番上に乗せる。 そして、不愉快そうに天蓬を見た。 「あれ?」 天蓬は首を傾げる。 そして、そっと金蝉の頬に手を伸ばした。 指に触れる柔らかな感触は熱を発していた。 「やっぱり金蝉、熱があるでしょう?」 天蓬は困った顔である。 一方金蝉は見つかってしまったのか、と少しばつが悪そうである。 目を伏せて、眉を寄せた。 「しょうがないですね・・・。以前より丈夫になったとはいえ、油断しないで下さいよ。貴方は身体が弱いんですから」 上級神は身体が弱い。 すぐに発熱したり、倒れたりする。 汚れに弱く、血臭に晒されると身体が持たない。 子供の頃からそんな金蝉を知っているため、余計に天蓬は心配してしまう。 確かに発熱する回数も減った。が、その油断が大敵なのだ。 金蝉は無理をする性格であるから、天蓬は見ただけで金蝉の体調がわかるようになってしまった。 「なぜ、休んでいないんですか?」 「大したことはない。今日中にこの書類を片づけないといけねえんだよ」 溜まってしまった書類の山。 悟空に付き合っていると、仕事も溜まるばかりだ。 部屋で遊ぶ、話しかける、らくがきするで、無視したくてもさせてもらえない。 おかげで、執務机の上には右にも左にも書類が山となっていた。 金蝉の性格上溜まった書類をそのままにしておくことができないのだ。 部屋も片づいていないと気が済まない。 天蓬とは大違いである。 部屋が汚くても書類が山となろうとも、全然、一向に気にならないのだから。 「あとどれくらいかかるんですか?」 「見ればわかるだろう。この山をなくすまでだ・・・」 どう見積もっても今日中に終わりそうに見えない。 はあ、天蓬は大きくため息を付いた。 何だ?と金蝉は天蓬を睨む。 「そんな顔してもだめですよ。熱があるのに、無理していい訳ないでしょう?そんな身体でやっても絶対に終わりませんって。お願いですから、休んで下さい」 天蓬は金蝉を見つめて訴える。 まっすぐ見つめる瞳。 その瞳はずっとずっと昔から知っている優しい瞳だ。 けれど、時々有無を言わせないくらい強い。 金蝉がどんなに望んでも天蓬が己に課している信念はかわらなかった。 そして、こんな時は逆らうことができないくらい金蝉を呪縛する。 「金蝉・・・」 何も言うことができない金蝉に天蓬が呼びかける。 優しい声と優しい指。 金蝉の額に手を置いて、さらりと落ちる髪をかき上げた。 額に軽く唇を落とし、頬を両手で包み込む。少し上向かせると視線が絡んだ。 天蓬はゆっくりと口付ける。 唇に触れて、柔らかくついばむように味わう。 「やっぱり、熱いですね・・・」 名残惜しげに離すと、囁いた。 金蝉は閉じていた瞳をゆっくり開いて、少し責めるように見た。 誰が熱くしているんだ、と目が訴えている。 それに天蓬はくすりと微笑むと、 「では、休みましょうね」 と言った。 これは言葉は優しいが、ほぼ強制である。 金蝉が、がっくりときていると天蓬は机を回って金蝉の側まで来た。 そして、金蝉が抵抗する間もなく抱き上げた。 ふわりと持ち上げられて、一瞬にして景色が変わる。 「天蓬??降ろせ!!」 金蝉が怒っても全く相手にしない天蓬だ。 にっこりと笑って黙らせると、さっさと隣にある寝室に連れていく。 寝台にゆっくりと下ろして、もう一度軽く頬に唇を寄せた。 「ほら、大人しく寝てて下さい」 寝台の縁に座り、金蝉の長くて金に煌めく散らばった髪をすくった。 天蓬を見上げる金蝉に安心させるように、 「1日ずっと付いていますから、寝て下さい、金蝉」 と言った。 熱が出ると実は心細くなる。 今ではそれを表面に出すこともなくなってきたが、あくまで表面だけなことを天蓬は知っていた。 「僕がいては邪魔ですか?」 金蝉は首をふる。 優しいのに意地が悪いことを言う。 邪魔だなんて、言うはずがないと知っている。 金蝉は少しだけ悔しかった。でも、どうやっても自分を休ませようとしている天蓬の心だけは嫌でもわかってしまう。 だから、目を閉じた。 目を開けた時も天蓬はいると言うのだから。 いなかったら、文句の一つでも言ってやろうと決めながら・・・。 天蓬は金蝉の寝顔を愛おしく見つめ、ずっと側にいた。 もちろん、目覚めた時は一番にその瞳に映るように・・・。 END |