笑顔の行方





「どうして笑わないんですかね?」
「はあ?」
 天蓬の言葉に金蝉は呆れた声を出す。
 突然、執務室に現れたと思ったら、開口一番何を言うのか!
「昔は、もっとよく笑っていたと思うんですけど……」
「……それは、もしかして俺のことか?」
「あれ?金蝉以外の誰だっていうんですか?」
 さも当然と言う天蓬に金蝉は眉間にしわを寄せて、ついでに頭も抱えた。
 天蓬は目の前に金蝉の綺麗な顔を改めて観察しながら、ずいぶん昔の出会いを思い出した。
 金蝉に初めて出逢ったのは、彼がまだ子供、少年と呼ばれる頃だった。
 実は、偶然出逢ったその瞬間に一目惚れをしたのだが、それはもちろん金蝉は知らない。
 後に観世音の計らいというか、要請で観世音邸に出入りし金蝉とも会うようになるだが、月日を過ごし親しくなる過程で彼は笑っていた。
 素直ににっこりと微笑む姿はとても可愛いかった。
 少年時代の金蝉は、綺麗で可憐で透明感のある美人で、それはもう周りのものを一目で引きつけて離さない魅力に溢れていた。
 それは今でも変わらない。
 それ以上に、大人の金蝉は少年時代になかった艶っぽさがある。
 匂い立つような色気。
 お酒が入ったりした時現れるそれは、凶悪に周りをそそる。
 誰にも見せたくないと思わせる瞬間だ。
 自分だけのものにしておきたい、と独占欲が沸き上がる。
「笑う必要があるのか?」
 なのに、金蝉は嫌そうに言う。
「貴方が笑ったらそれだけで、僕は幸せになれるんです」
「……言ってろ」
 金蝉は天蓬から顔をそらす。
 うっすらと耳が赤く染まっていることから、照れていることがわかる。
 全く、可愛いなあと天蓬は思うが口には出さなかった。
 口にするともっと金蝉は意地になるから。
 天蓬は執務机を間に挟んで自分を見上げる金蝉に視線を合わせるため、腕を付いて身体を落とした。
 白くて細い顎に手を伸ばす。
 天蓬のしなやかな指が金蝉の頬に移る。
 ゆっくり顔を寄せた。
 重なる唇。
 一瞬触れた唇は柔らかく甘い。
 金蝉は瞳を瞬いて、天蓬を見る。
 きらりと輝く瞳にはある意志があった。
「お前は誰にでも笑えばいいと思うのか?」
「……いいえ」
 天蓬は首をふる。
「俺に誰にでも笑いかけろと言うのか?」
 金蝉の瞳は強い光をあびる。
 それに見惚れる。
「……いいえ」
「誰にだったらいいんだ?」
「……僕に。僕だけに」
 貴方の瞳と笑顔を。
「お前に?……お前だけに?」
「はい」
 僕だけに。
 金蝉は天蓬を見つめたまま、婉然と微笑んだ。
 その誰であろうと惹き付けてしまう強くて神秘的な瞳が天蓬を捕らえて離さない。
 艶やかに笑む唇が、
「天蓬」
 と呼ぶ。
 魅入られる。
 存在ごと、心ごと。
「お前は忘れている」
「何をですか?」
 天蓬は聞く。
「俺は昔から、誰にでも笑っていた訳じゃない」
「はい」
「それに身にしみたしな……、誰彼に笑うもんじゃねえって」
 金蝉は挑戦的に天蓬を見た。
「それって、もしかして?」
 天蓬の問いに金蝉は嫌そうに眉を寄せる。
「もしかして、何だ?」
 間違ったことを言ったら、機嫌を損ねるだろう。
 天蓬はしかし、思い当たることがあった。一つだけ。
「あの、ぼんくら息子ですか?」
 乱暴だわ、がさつだわ、ろくでなしだわ、どうしようもない竜族の王の跡取り息子。
 たまたま旅先で金蝉に出逢ってしまった。
 そして、当然だが思い切り一目惚れをして……。
 思い出すだけで、殺してやれば良かったと思う。
 一緒にいた天蓬は危機一髪というところで金蝉を救った。
「……それ以外誰がいる」
 口にするのも汚らわしそうに、顔をゆがめた。
「貴方にそんな顔をさせるなんて、殺しておけば良かったですね?」
 天蓬は本心からそう言った。
 今更遅いけれど、止めを刺しておくべきだった。
「……殺す価値などないだろう」
 金蝉は天蓬の穏やかな顔をしながらの不穏な発言をさらりと受けた。
 お前が手を下す必要はない、と。
 そうだろう?と首を傾げながら天蓬を見上げる。
 瞳を縁取る長い金の睫毛。
 どんな宝石も適わない紫の輝き。
 流れる金糸はそこから発光している如く煌めきを反射する。
 どうしてこのような麗しい神が存在するのか。
「貴方に触れる者を許すことなどできませんよ。そうですね、絶対触れさせやしませんよ」
 僕が、という囁きは金蝉の耳元で。
 それは、誓いにも似て。

 耳にかかる金の髪に指を差し入れてかき上げる。
 さらさらと流れて戻る金の波。
 それを満足げに見て、
「僕以外、触れさせない」
 鼓膜を振るわせるように吹き込む。
 金蝉の答えは、吐息の中に消えた。







END



 とあるサイトさまと「ギブ&テイク」企画をやった時のお話を再録。
 アンソロジーに寄稿した「竜宮恋歌」に連動しているお話です。
 



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