「女官日記3」 |
女官の朝は早い。夜が明けると同時に起床し身支度を整えることから1日が始まる。 のように、お屋敷に住み込んでいる女官は小さいが(といっても狭くはない)1部屋与えられる。 そこには寝台と小さいが机と椅子に鏡、箪笥があった。 小さいとはいえ疲れた身体を休める場所であるから、居心地良い空間が一番である。その点この観世音の館は女官の扱いが良いといえるだろう。 1日の仕事は決して決まっているとは言い難い。 夜の番の時は女官の控え室で待機しているため、朝の番と交代に休息に入ることとなる、つまりは2交代制なのだ。もちろん、内宮と外宮を繋ぐ門には門番が交代で絶えず務めているし、この屋敷を取り仕切るために女官、門番など仕える者は主人の不自由のないように、心安らかに過ごせるように働いているのだ。 身支度として、髪を結い簡素な簪で留め、一部の隙もなく着物を着る。女官の衣装は館で統一されていて支給されるため、あらかじめ決まっている。その中でも新人となるとこれまた衣装が違った。一目でわかるように衣の色が違うのだ。 は主人の前に乱れた姿でなど行けないと、いつも支度には時間をかける。新人だからといって馬鹿にされるなど嫌だったし、何より主人を尊敬していたから誇れるように早く仕事ができる女官になりたかった。 支度の後は簡単に朝餉を頂き、仕事に入る。 今日の仕事は掃除から始まった。 の管轄は金蝉がいる宮にある部屋の掃除になる。使われていない部屋も多くあるため、時々は箒で埃を掃き、床を姿が映るほど磨き上げる。使わないからといって、掃除をしないなんてここではありえなかった。全てはいつ主人が使っても準備が整っているようにするのがお役目である。それ以外でも飴色の名工が作り上げた貴重な調度品、机、椅子、燭台、を磨いたりとすることなど仕事は山ほどあった。 それらをやり終えて、昼餉を頂き金蝉の部屋に顔を出せたのは窓から差し込む光も若干傾き始めていた頃だった。 「失礼します」 は扉の前で両手を胸に当て、ふわりと会釈して金蝉の執務室に入る。 金蝉はいつものように執務をこなしていた。机の上には片づけた書類とそうでない書類の束が左右に束ねてあった。窓が開いて風が入り込んでくるため、書類の上に文鎮を置くことも忘れていないようだ。そう、少々前に悟空が窓を開けて、重要な書類が風で飛ばされて室内に散らばっただけなら良かったのだけれど、屋外に1枚飛ばされ探し回ったことは記憶に新しい。 「金蝉様、何かご用はございませんか?」 「ああ・・・、そうだな。お茶を一杯とその後悟空を探して来て欲しい。ご飯を食べてから遊びに出ていったきりだ。いいか?」 「はい。かしこまりました。まずお茶を入れて参ります。その後で探しに行ってきます」 「頼む」 は頷くと、速やかに部屋を後にする。 そして、水屋でお湯を沸かし茶器の用意をする。今回は金蝉1人分のため、茶器は小振りな物を選んだ。それでも2〜3杯分入るものだ。青磁の蓋椀も暖めておく。沸騰したお湯を一度茶器に注ぎ暖めて捨てる。茶葉を入れてお湯を注ぎ、蓋をする。茶葉が開く間に木の実が数種類入った餡を真ん中に練り混んだ生菓子を花の形をした小皿に乗せる。 お盆に乗せて丁寧に執務室まで運ぶ。 だいぶ上手に運べるようになったとは思う。最初はこぼしはしないかと不安で歩く速度もゆっくりであったが、今では普通の速度で歩くこともできる。 優雅に歩くことはまだできないが、そのうち拾得しようとは誓う。 「失礼します」 はお盆を小さな台の上に乗せ、蓋椀に茶器からお茶を注ぐ。そこからは柔らかな湯気が立ち上ると同時にお茶の香りも部屋に広がった。 「どうぞ、金蝉様」 「ありがとう、」 執務机の横に蓋椀を置いて、茶菓子の乗った小皿も横に置く。 金蝉は蓋椀を持ち蓋を取って一口すする。 「ああ、美味しい。随分上手くなったな」 「ありがとうございます。もったいないお言葉です」 金蝉の誉め言葉には嬉しくなる。の主人は仕事をちゃんと認めてくれる方だ。やって当たり前ではあく、良い仕事をしたら誉めるし、感謝も述べる。聞いた話によると全てがそうではなく、女官など酷い扱いのお屋敷もあるらしい。はこの観世音邸で金蝉童子に仕えることができて本当に幸運で幸せだと思う。 「それでは、悟空様を捜して参ります」 「ああ」 金蝉は頷く。 は一礼すると執務室を後にする。 さて、どこに悟空はいるのだろうか?は悟空が行きそうな場所を思い浮かべる。 お昼を食べたこの時間、そろそろおやつが欲しくなって帰ってきてもおかしくはないのだが。どこかで寝ているか、天蓬元帥の部屋でも行って遊び時間を忘れているか、それとも?悟空を捜すのは初めてではないので大概検討が付いてくるようになった。 はひとまず、屋敷の中を見て回ることにした。 広い屋敷の中で悟空が良く行く場所は、奧宮の中にある庭の隅にある四阿か、内宮に位置し錦鯉が泳ぐ池に丸い橋が架かった先にある四阿か?はたまた、かくれんぼをしていたのか全く理解できない場所か? 内宮と外宮とを繋ぐ門を預かる守人に聞いてみると悟空は出て行ってはいないようだ。が、これは絶対的なことではない。彼はその身軽な身体で軽々と門を飛び越えてしまうのだから、守人が知らない内に外へ行ってしまう可能性も高かった。 はそれでも今日はこのお屋敷の中にいるような気がしたので、当たりを付けて探すことにした。 奧宮にある四阿。そこまでいく小道の周りに美しい花々が咲き乱れ、心を瞳を楽しませるため、「花の四阿」と密かに呼ばれている場所である。は今は石楠花が咲いている小道を歩いて四阿まで行く。 「悟空様?」 呼んでも返事はない。誰も居たような気配もない。 ここではなかったか?と諦めて次の場所へ移動した。 内宮の中央に位置する池はそこそこの大きさで瓢箪のような形で大、小の池が繋がっている。その間に朱色の丸い橋がかかるため、池に移る姿はとても美しい。 透明で澄んだ池には自由気ままに錦鯉が泳いでいる。はその橋を渡り四阿に入る。 「悟空様?」 その辺りを探しながら呼ぶ。 「いらっしゃいますか?悟空様?」 返事はない。 ここにもいないのだろうか?が諦めかけた時、四阿の茂みに悟空の来ていた着物の上着が引っかかっているのが見えた。ひょっとしたらと、はその茂みを掻き分けて木々の間を潜る。 その先に見えたものは、悟空が寝ている姿だった。 「悟空様?」 はひっそりと呼びかける。 「う・・・ん?」 悟空は寝ぼけた声で目を擦りながら、それでもぱっちりと瞳を開いてを見た。 「あれ?だ」 「はい。探しましたよ、悟空様。こんな所にいらっしゃったのですね?金蝉様がお探しですわ」 は優しく教える。 悟空が金蝉を慕っているなんて誰の目にも明らかだった。 「そっか。池で少し泳いでそのまま寝ちゃったんだ・・・」 どうりで服が木に引っかけてあるはずだ。しかし、もう乾いただろうか?は上着を取って悟空に渡す。 「もう、大丈夫みたいですわ」 「うん」 悟空はそれを着て、腕を上げて伸びをする。 「参りましょうか?お腹空いていらっしゃいませんか、もうおやつの時間ですよ」 「空いたよぺこぺこだ」 悟空は、思い出したようにお腹をさすって意志表示をする。それがおかしくては微笑みながら、懐から小さな包みを取り出して悟空の手の平に落とした。 「どうぞ。内緒ですよ」 「ありがとう、!!」 手の平に乗せた包みは金蝉に出したものと同じお菓子だ。きっとお腹を空かしているだろうと思って持ってきたのだ。最近は準備が良くなったような気がするである。 悟空が全開の笑顔でお礼を言うのが、これまた可愛くては嬉しくなる。 食べ終えると、悟空はに心配そうに上目使いで聞いてきた。 「金蝉、怒ってた?」 「いいえ、心配されていただけですわ」 「そっか・・・、良かった」 悟空は安心したように、ほっと一息付く。 やんちゃな事をするのに、金蝉に嫌われることは極端に怖いらしい。きっと悟空の中心に金蝉がいるからだろう。 「悟空様は、金蝉様が大好きなのですね?」 当然のことだが、あまりに可愛かったので、聞いてみたくなった。 「うん。大好きだよ。太陽みたいで、きらきらしてて明るくて!側にいると気持ちいいんだ」 にこにこ笑いながら、嬉しそうに話す。 「そうですわね。とてもきらきらして輝いていて、お綺麗ですわね」 の同意に悟空は嬉しそうにそうだろう?と下からを見つめてくる。 「は?金蝉のことが好き??」 「もちろんですわ。我が主人にお仕えできるのが私の誇りです」 「誇りって?」 「悟空様と同じで大好きだということですわ」 「そっか」 「はい」 二人は手を繋ぎながら橋を渡り、金蝉の居る部屋へ向かう。いくらか歩くと、金蝉の居る宮の窓が見えた。あそこには、悟空の養い親との主人が居る。 そう思うと嬉しくなってしまう。自然と顔がほころんでくる。 その窓を二人で見つめ、あそこが金蝉様の窓ですわね?と話しかけた時、その窓から金蝉が顔を出した。風に揺れてなびく金の長い髪が光に輝く様が美しい。 悟空が金蝉を見つけると、 「金蝉!!!」 と大きな声をかけて手を振って金蝉を呼んだ。 「遅いぞ、サル」 金蝉は心配だからわざわざ窓から顔を出して外の様子を見ただろうに、わざと素っ気ない風に言うのがにはわかった。なんて、素敵な主人だろうか? は金蝉に 「すぐに参ります、金蝉様」 と伝えて、悟空を連れて部屋に急ぐことにした。 「急ぎましょうか?悟空様」 悟空ににこやかに笑いかける。 「うん」 悟空の返事も楽しそうだ。 部屋に帰ったら、我が主人と悟空のためにお茶入れよう。きっと喜んで下さるに違いないから。そう思うと、の心は幸せに満ちあふれるばかりだ。 |
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