「天上界アンソロジーの珍事、その後」




 何かおかしい。
 どこがどうと聞かれると大変困るが、自分に向けられる視線が何か含んでいるような、そんな気がする。
 女官達は常日ごろと変わりなく勤めてくれているし、なんら落ち度などない。
 主人に使える忠誠心も仕事に向ける誠実さも疑う余地などない。
 なのに、なんとなく違和感?
 どう言えばいいのだろう……?
 向けられる視線の中にほんのわずかに含まれるいつもと違う何か。
 それを問うてみたい。
 けれど女官に聞くのもどうかと思う。
 彼女たちはきっと何も言わない。
 主人中心に物事を考えるけれど、余計なことなど絶対に口にしないのだから。
 連翹など、絶対に口を割らないだろう。彼女はやんわりと微笑んで、何もないと言うに違いない。
 だからといって観世音に聞くなど、願い下げだ。
 あいつは面白ろおかしく脚色して自分をからかうに決まっていた。
 そうなるとあとは一人しかいなかった。



 「こんにちは、金蝉」
 天蓬が執務室にやって来た。
 「ああ」
 金蝉は机の上の書類から目を上げないで、それにそっけなく声だけで応える。
 それもいつものことと天蓬は気にしない。執務机の前まで来ると、楽しそうな声と笑顔で誘う。
 「実はとても美味しいお菓子を頂いたんですがご一緒しませんか?」
 「……そうだな、休憩するか」
 金蝉はちろりと天蓬を見上げて、徐にペンを置くと、ふうとため息をついた。そして、肩をこきこきとまわした。集中して書類に目を通し印鑑を押していたため身体が固まっているようだ。
 「失礼します」
 そこへ待ち構えたように、連翹が一礼して入ってきた。
 「そろそろ休憩かと思いまして」
 お茶の乗った盆を持ち、にっこりと微笑んだ。
 お茶などを準備する小さな机の上に盆を置き、湯を入れて碗を暖め一度捨て、大きな茶器からお茶を注ぐ。今日の茶碗は薄い青磁色が塗り薬に使われている繊細な茶碗だ。そっと蓋をして金蝉と天蓬の前ににそれぞれどうぞ、と置く。
 そして、天蓬がもってきたお菓子を小皿の上に置いて、これまた机の上に置いておく。
 全ての用意を整えて、満足そうに小さく頷くと、
 「御用がございましたらお呼び下さいませ」
 と言って退出していった。
 いつもいつも気の利く女官だと金蝉は思う。 
 見計らったように何でもこなす。何か言う前に先回りして欲しいものを準備準備してくれる。

 (いつもいつも、感謝しているんだけど……。それに報いてやれていないのではないか?)

 金蝉はしみじみお茶をすすりながら思った。
 が、それはおいておいて、今現在の疑問に思っていることを天蓬に聞いてみた。
 「なあ、天蓬」
 「なんですか?」
 「お前、俺に隠していることはないか?」
 「貴方にですか?そんなことある訳ないじゃないですか」
 天蓬は心外そうに言う。
 「……お前は隠し事の一つや二つありそうだ。それで、絶対に気付かせない」
 「金蝉……。そんなに信用ありませんか?」
 「ない」
 「………」
 それはあんまりな言いようだな、と天蓬は思う。
 確かに、金蝉に言わなくてもいいことならたくさんあるけれど。
 告げるべきでない諸事情は決して言わないけれど……。
 まさか、貴方を狙う害虫を駆除してしますとは、言えない……。
 「なぜ、そう思うのですか?」
 天蓬は一口お茶をすすりながら、聞いた。
 「どうも館中、おかしい。本当に微妙な空気というか、なんと言うか」
 「おかしいとはどういうことですか?」
 「俺を見る視線がな。そうだ、お前が来ると余計に強く感じるぞ」
 「………」

 (それは、もしや?)

 天蓬はその理由に思い当たった。
 けれどそれを金蝉に告げてよいのだろうか?
 観世音は本当に実行したんだな……。
 実は下界で『天蓬×金蝉アンソロジー』なるものが出版され、それを水鏡で察知した観世音が二郎神に下界までお使いに行かせ、大量にその同人誌なるものを購入してきたのだ。
 もちろん天蓬は20冊ほど手に入れていた。
 しかし観世音は日ごろの感謝をこめて、と館の女官達にその本を配るのだと言っていた……。
 それを読んだ女官たちが自分たちを暖かい目(?)で見ているのだとは、言えないではないか。
 けれど、折角のラブラブな本なのだから金蝉にも見て欲しいという思いもある。
 これはいい機会かもしれなかった。
 天蓬は頭をめぐらせた。
 これから本を軍舎まで取りに戻るには時間がかかるだろうし……。

 (……思い切って、観世音に借りてくるか?)

 「金蝉、少し待っていて下さいますか?その憂いの理由に思い当たることがありますから」
 「やっぱり知ってるじゃねえか」
 金蝉は胡乱げに天蓬を見る。
 「金蝉の話を聞いて気付いたんですよ。決して隠していたわけではありませんよ」
 そういうと、天蓬は立ち上がった。
 「それでは、待ってて下さいね」
 天蓬は執務室を出て、長い廊下を歩いて観世音の住まう宮に向かった。





 「失礼します、観世音……?いらっしゃいますか?」
 天蓬は観世音の執務室までやって来た。
 「よう、天蓬じゃねえか、どうした、一人で?」
 観世音が隣の部屋から顔を出した。
 続きの間になっている庭園が見える部屋……睡蓮の花が咲き乱れる見事な水の庭園であり、誰彼も入ることは出来ない空間……でくつろいでいたらしかった。
 「お休みのところ申し訳ありません。少々お願いしたことがありまして……」
 「おめえが、頼みごと?」
 へえ、と観世音は唇を吊り上げた。
 「はい。あの、素晴らしい本を1冊お借りできないかと思いまして」
 「あの本?……というと、あれか?」
 「もちろんです」
 天蓬はにっこりと微笑んだ。
 「何に使う?もう、た〜くさんもってるだろう。足りないのか?」
 はっきり言って嫌味である。
 天蓬は保護者の方々に配るのと諸事情用以外の残りは全て自分でもっていた。観賞用、保存用、永久保存用、などなど……。
 「何冊あっても、ありすぎることはありませんが、今回は少々違うのですよ。金蝉に見せて差し上げようかと思いまして」
 それはもう、正しいことをするのだという涼やかな顔で天蓬は言う。
 「金蝉に?」
 観世音も面白そうに、目を細めた。
 「あのとんてもなく鈍感な金蝉も、皆の視線が気になるようです。観世音、女官達に本を配ったでしょう?」
 「ああ、いつもしっかりと働いてくれているからな。褒美の代わりだ」
 「そのせいですよ。女官達の暖かい視線(?)が気になるらしいです」

 あははははは!!!!

 観世音は爆笑した。
 「そうか、あいつにもそんな情緒があったんだな。そいつは良かった」
 「観世音、笑い過ぎですよ?気持ちはわかりますが……」
 「だってよ……。いいぜ、貸してやる。せいぜい、あいつに教えてやれ、視線の意味を」
 「承知致しました。後でご報告致しますよ」
 「待ってるぜ?」
 二人が、それはそれは楽しそうな人の悪い笑顔を浮かべたことは言うまでもない。





 「お待たせしました、金蝉」
 天蓬は金蝉の執務室まで急いで戻ってきた。
 あんまり待たせるとご機嫌を損ねてしまうからだ。そうなると、手が付けられない、こともないが……。(天蓬の方が金蝉より断然口が立ち、言いくるめることができた。過去、それでどうにかこうにかしてきた天蓬である。)それでも、どうせならご機嫌はいいに越したことはないだろう。
 「ああ、どこまで行ってたんだ?」
 金蝉はさほど気分を害していなかった。
 どうやら天蓬の持参したお菓子が美味しかったらしい。連翹のお茶も一役買い、時間を潰すのにはことかかなかったようだ。
 開けた窓からはそよそよと気持ちの良い風まで入ってくる。
 その悪戯な風は金蝉の長い金の髪を揺らしている……。その髪を鬱陶しげに金蝉はかき上げる様に天蓬は目を細めた。
 これから散歩に行ったらさぞかし気持ちよく昼寝したくなる陽気のせいか、金蝉はぼんやりと窓から見える青空を見上げた。
 「……ちょっと、そこまでね」
 天蓬は口元を僅かに吊り上げた。
 金蝉に気付かせない程度の、何か企む微笑む。
 けれど、長い付き合いの金蝉は若干の変化に気付いたようだ。

 (……何だ?)

 「お前、何かたくらんでるだろう?」
 こういう時の悪い予感は当たる、と金蝉は嬉しくもないが思う。
 「人聞きが悪いですよ、金蝉。僕はこんなに善良なのに」
 「白々しい。お前が善良だったら、天上界の全ての者が善良だろっ」
 「その認識は、どうかと思いますが?ま、いいです」
 天蓬はそれはにっこりと微笑んだ。そして、金蝉の腕を取ると座り心地こちの良い長椅子に自分ごと引っ張り込む。
 「おいっ、危ないじゃねえか」
 抱き込まれた金蝉は天蓬の腕の中で暴れた。
 「まあまあ。僕が付いているんですから、大丈夫ですよ」
 「余計危ないわっ」
 金蝉はわめいた。
 それを綺麗に無視して、金蝉を腕に抱きしめつつ隠し持っていたぶ厚い本を差し出した。
 「これが、原因ですよ、金蝉」
 差し出された本を認めて、金蝉は瞳を見開いた。
 唖然といった方がいいかもしれない反応である。
 それもそのはず……。
 その本のタイトルは『天蓬×金蝉アンソロジー』と書かれていたのだから……。

 絶句して、動きの止まった金蝉に天蓬は、
 「金蝉?金蝉?金蝉〜?」
 と目の前に手をかざしながら声をかけた。
 すると、

 「天蓬〜〜〜〜〜!!!!!何だこれは??????????」

 と金蝉の絶叫が部屋中に響き渡った……。

 予想通りの反応に天蓬は眉をひそめて耳を塞ぐ。
 そして、金蝉が大声を出し疲れたため黙った頃に口を開く。
 「何だと聞かれてもねえ……」
 天蓬は涼しい顔である。
 「どうしてこんなものがあるんだ?」
 金蝉は怒りを滲ませ、ふるえながら低い声で聞いた。
 「観世音が買って下さったんですよ。どうやら二郎神に下界へおつかいを頼んだようですけれど……」
 「………」

 (やっぱり全ての元凶はあいつか!!!……それにしても二郎神がおつかいだと?なんて哀れなんだろう。観世音に付いているのがあいつの最大の不幸だな……、それともあいつに会った時点ですでに不幸なのか……?)

 「金蝉?」
 黙った金蝉に天蓬が首をかしげながら声をかけた。
 「それで、これがどうして原因なんだ?」
 「それはですね、観世音が女官達に褒美代わりに配ったからですよ」
 「……配った?女官に??」
 「はい。館中の女官に」
 金蝉はあまりの事実に一瞬気が遠くなりかけた。

 (館中の女官がこの本を読んだのか……?だから、あの変な視線を感じたのか?)

 「貴方と私の愛の結晶を読んで女官の皆さんが微笑ましく見守って下さっているんですね。全く素晴らしい本です♪」
 にこにこと満面の笑みで天蓬はその本を抱きしめた。
 「……何が愛の結晶だ。ふざけるな!」
 「ええ〜、愛の結晶ですよ。中身ちゃんと見て下さいよ。見もしないで否定なんてしないで下さい」
 天蓬は本を金蝉に押し付けて訴える。
 「………」
 確かにその通りだけれど、正論だけれど、読む気力も根性も金蝉にはなかった。

 (絶対、嫌だ……!!!)

 断固として拒否したい金蝉である。
 本を天蓬に押し返して、
 「絶対に読まねえからな。そんなもの俺に見せるな。本当ならこの世から抹殺してやりてえくらいだ」
 今更、取り消せないことくらい金蝉にもわかっている。
 女官全てから取り上げるなどできるはずがない。
 それでも、こんな本読んでほしくなかった。
 第一、館中の女官はこれを読んで、天蓬と自分の関係を認識しているのかと思うと、羞恥で憤死しそうである。
 「……折角の本ですのに、残念ですねえ」
 天蓬は眼鏡を押し上げて、ふと考える。そして、悪魔のような微笑を浮かべた。
 「それなら、ここに書かれていることを私が実践で教えて差し上げましょう」
 「はあ?」
 天蓬は金蝉を有無をいわせず、長椅子に押し倒した。
 「天蓬!」
 金蝉は慌てて天蓬の胸を腕で押すがびくともしない。
 「……まあまあ、遠慮なさらず」
 そういうと、金蝉の首に口付けを落とした。
 びくりとふるえた身体に気を良くして、今度は唇についばむように口付ける。
 「天蓬……!!!」
 金蝉は抗議するように悲鳴をあげる。
 しかし金蝉の抵抗など微塵も妨げにならない天蓬である。
 もっとその声を聞きたいと思う。
 自分の名前を呼んで欲しい……。
 「愛していますよ……金蝉」
 天蓬はそう耳元に思いをこめて囁いた。


 この後の金蝉の行方を知っているのは、本を読んだ女官と観世音、下界の女性達だけである……。





 「ありがとうございました、観世音」
 天蓬は頭を下げてにっこりとお礼を言った。
 「ああ。それでどうだった?」
 観世音はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
 「ええ、この本を読ませることはできなかったんですけど、実践で教えて差し上げましたから」
 「実践ね〜え?」
 「はい。絶対読みたくないって言うんですよ……。でも中身を見ずに否定されても寂しいですし」
 「それで実践でわからせた訳か……?」

 (まあ、お前はそれで、大満足なんだろうな……?)

 観世音はほくそえんだ。
 天蓬に振り回されている金蝉を見るのはとても楽しい。
 感情を表に出して、怒鳴ったり、わめいたり、照れたり、笑ったり、時には幸せそうに見える。
 それは全て天蓬が引き出すことができる感情だ。
 「よくわかって頂けたと思います」
 天蓬は満足そうに頷く。
 「よ〜くわかっただろうよ、お前の愛を」
 「もちろんです。溢れんばかりの愛がありますから」
 「随分、垂れ流してるけどなっ」
 少しだけからかってみる。けれど天蓬はどこ吹く風だ。
 「そうそう、これはちょっとしたお礼です。美味しいんですよ」
 天蓬は感謝の気持ちをこめて、金蝉も美味しいと認めたお菓子を観世音に差し出した。
 「ありがとよ」
 観世音は早速食べようと、「お茶入れてくれ」と女官に告げる。
 「それでは僕はこれで失礼します」
 「わざわざ、報告ご苦労だったな」
 観世音はこれっぽっちもご苦労などと思っていない顔で天蓬を見送った。


 がんばれよ、金蝉……。
 愛があってよかったな。
 いつでも協力してやるからな。

 そう観世音が心の中で無責任に呟いたことを金蝉は知らない。
 知らないことは、多分、幸せだろう……。





「おまけ」

 「観世音様、本当によろしいのですか?」
 「ああ、不満か?」
 「とんでもございませんわ!」
 女官はすぐに首をふる。
 「じゃあ、いいじゃねえか」
 「……はい。ありがたく頂戴致します」
 女官はそれを大切そうに目の前でかかげてみせて、感謝の意を表した。
 大層嬉しそうにして……。
 それに、ふむふむと満足そうに観世音は微笑んだ。

 (いいことをすると、楽しいなあ……!!!)

 自分のした行為によって、いつも懸命に勤めてくれている女官達が喜んでくれるのだから、嬉しくないわけがなかった。
 こよなく、満足、である。

 そんなことを繰り返し、館中の女官にそれは広まった……。




 「私、昨日観世音様じきじきに、本を頂きました……」
 琥珀はそっと秘密を打ち明けるように口を開いた。
 「そう、貴方も?」
 「では、連翹様も?」
 「ええ。どうやら館中の女官に配って下さったらしいわよ?琥珀」
 連翹は目を細めて応えた。
 「そうですか……。さすが観世音様ですね。素晴らしいものでした」
 琥珀は思い出したのか、うっとりとした表情である。
 「確かに、この上なく素晴らしい本だったわね」

 (まさか私もあのような本が存在しようとは思わなかったわ……!本の端から端まで、どこを開いてもお二人しかいないし……。本物には負けるけれど、かなりのもの……)

 「でも、それを主上に申し上げてはだめよ。あくまで観世音様のお慈悲なのですから……」
 「もちろんですわ。私、絶対に気付かれません。今まで通りお二人を大切に見守るつもりです」
 この館の女官達はほとんど二人の関係を知っていた。
 観世音に意志でもともと女官の人数は決して多くはない。
 信頼のおける者しか雇われない。
 館であったことは他言無用、それが守れる者しかいない。
 主人の命令は絶対で、主人の幸せのみが彼女たちの信念である。
 「それでは、これまで通り、お仕えしましょうね」
 「はい」
 連翹の言葉に琥珀は大きく頷いた。
 「では、そろそろお茶をお持ちしましょう」
 「はい。私、先にお菓子の用意をしてまいりますわ」
 琥珀は水屋に立った。
 連翹はその後をゆっくりと追った。

 今日のお茶は何にしましょうか?と考えながら……。


    おわり。





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