ある日の金蝉さま 2

金蝉の朝は早くもなく遅くもない。
毎日同じ時刻に起きる。
隣に眠っている悟空を起こすことなく立ち上がり、身支度をするために部屋を出た。
まず、顔を洗い髪を梳かし結ぶ。「桜の間」通称衣装部屋で着替えて、食事などをする部屋に移動する。
「桜の間」には金蝉のためにしつらえた大量の衣装が置いてあった。祭事の際の誂えた豪奢な着物から通常の衣装、反物のままあるもの、身の回りを飾る装飾品などなどその数は計り知れない。こんなに増えるのは観世音の趣味に他ならなかった。
季節毎に届けられる反物や装飾品。
如来や菩薩などから贈られたものまであった。
管理は全て女官に任されているため金蝉はその全容を認知していない。
朝食の時間は金蝉の落ち着ける一時だ。
一人でゆっくりと食事を取る。
ぼんやりとできる貴重で唯一の時間なのだ。
ゆっくりと食べ物を口にいれ、味わい、香り高いお茶を飲む。
金蝉が食べ終え、食後のお茶を飲んでいると、
「腹減った〜!!!」という元気な声が聞こえてくる。
そして、金蝉の静かな時間は終わりを告げる。
「朝っぱらから、うるさい。少しは静かにしろ。悟空」
「え〜、だって腹減ったんだもん。しょうがないじゃん!」
悟空は悪びれない。
ちっと舌打ちをして、金蝉は「連翹」と呼んだ。
「はい、ただ今」
連翹は心得たように、悟空の食事を用意する。
悟空はよく食べるので朝食も金蝉の3倍だ。これだけ食べてすぐに腹減ったというのだから、燃費が悪いことこの上ない。
子供は一度に量が食べれないから、回数を分けて取ると育児書には書いてあったのだが、悟空には当てはまらないようだ。というか、動物だから一緒に考えてはいけないのかもしれない。とにかくよく食べる。そして早い。
金蝉の目から見れば消化が悪そうなのだが、悟空がお腹を壊したことを見たことがないため、大丈夫らしい。
恐るべき胃袋である・・・。
大量の食料が悟空の口に消えていく様を見ていると、食欲も無くなる。
本当に、悟空より先に朝食を取って良かったと金蝉は思う。
「そんなに、急がなくても誰も取らねえよ」
「・・・ええ・・ケン兄ちゃん。・・うぐ・・取る!!」
「食いながら、話すな。汚ねえな!!」
「だって・・・」
「食べ物は飲み込んでから話せ、サル」
悟空は言われた通り口いっぱいの食べ物をごくりと飲み込んだ。そして、元気いっぱいの声で、
「ケン兄ちゃんは、俺のおやつとか取るから・・・だから、食べたいものは先に食べるんだ」
「・・・ここには捲簾はいないだろう?それに、あいつぐらいだろう、お前から食い物取るような馬鹿は」
「うん、天ちゃんは取らない」
「当たり前だ。誰もそんなに卑しくない」
捲簾が悟空から食べ物を取るのはその反応を見て遊んでいるだけなのだ。
わからない悟空はその度に怒って、捲簾を楽しませているだけだ。あの男は以外に子供好きなのかもしれないと金蝉は思う。
よく悟空と遊んでいる所を見ると、ただの女好きで酒好きではないらしい。
「暴れん坊将軍」と自己紹介した時は思いきり怪しい男だと思ったが、悟空の面倒を見ていることだけは認めてやってもいいと思う。
「ご馳走様!!!」
悟空は両手をあわせて金蝉から習った挨拶をした。
金蝉も食べ物に関しては覚えが早い悟空を見て、よしと頷く。
「俺はこれから執務にかかる。お前は勝手にしてろ」
「うん。今日は天ちゃんの所にいって本を借りてくるんだ!」
「そうか、良かったな」
「いってきま〜す!!」
そう言うと椅子からぴょんと降りて駆けていこうとする。
「廊下は走るんじゃねえ!」
金蝉は釘を刺す。
「は〜い!」
と返事をして悟空は金蝉に手を振った。
それに金蝉もひらひらと手を振り返えしてやる。
そうでないと、いつまでも手を振るからだ。
走るな、と言われたのに廊下からは悟空の立てる足音が「走っている」と伝えていた・・・。


執務室には、さらさらと書類に書き込み、認め印をを押す音だけが響いていた。
机の上両側にうず高く積まれていた書類がかなり減っていた。
右側に処理済みの書類。
左側がまだのもの。
右側がきっちりと整えられ高く積まれている。左側はわずかであった。
猿がいないと仕事がはかどる。
しみじみと金蝉は思った。
「金蝉さま、ご休憩になさいますか?」
見計らったように連翹が部屋に顔を出し聞いてくる。
「ああ」
「畏まりました」
そう言って姿を消すと程なくして盆に茶器一式を持って現れた。
給仕用の台に茶器と蓋椀、茶菓子を用意する。しかし、金蝉は不思議に思った。
「何人分用意したんだ?」
連翹は微笑みながら答える。
「5人分くらいは大丈夫ですわ」
「5人分?」
「はい。もうすぐお客様がいらっしゃるような気が致します」
「・・・まさか、あいつらか?」
嫌そうに金蝉は顔をしかめる。
それに連翹はにっこりと返して、ほら、と扉を見た。
どどどっと廊下を駆ける音がした。
何人分かの足音。
金蝉ははあ、と額に手を当てて疲れた声を出す。
「金蝉〜!!!」
乱暴に開けられる扉。
そこから現れたのは、当たり前だけれど悟空だった。
「扉は静かに開けろって言ってるだろう、悟空!!」
ついつい小言を言ってしまう金蝉だった。
「こんにちは、金蝉」
「よう!」
「連翹、いつもの茶な!」
「お前ら、なぜ揃ってここに来る?」
「偶然会ったんですよ、金蝉」
にっこりと微笑みながら天蓬は言う。
「今の時間なら連翹が茶を入れてる時間だからな、ちょうど良かった」
観世音は、それだけのためにここまで来るのか?という台詞を吐いた。
「サルを預かってたから、返しに来たんだぜ?」
捲簾がにやりと笑う。
返しにこなくてもいい、と金蝉は思った。
けれど口にはしなかった。それを言うとサルが暴れるからだ。金蝉はこれ以上面倒はごめんだった。
「・・・連翹」
「はい」
連翹は当たり前のように用意されていた蓋椀に茶を注ぐ。
部屋に毎日のことだが、香り高い匂いが満ちる。
「旨いなあ!」
「美味しいですね」
「酒入れても旨いのかね?」
それぞれ感想を述べて茶を飲んでいる面子であった。
悟空はもちろん茶菓子を口いっぱい頬張ってご機嫌だ。
金蝉もあきらめて茶を飲んでいた。
すると、観世音がいらない発言をする。
「そうだ、今日夕餉でも食いに来いよ」
「誰が行くか、俺は忙しいんだよ!」
金蝉は吐き捨てる。
「ああ?仕事なら終わってるだろう?机の上が綺麗じゃねえか」
観世音は執務机の上を指さした。
金蝉は言葉に詰まる。
そう、よりにもよって今日は仕事がほとんど終わっているのだ。いつもは書類の山だろうに・・・。
「なあ、悟空。旨いご馳走食いたいよな?」
「うん!!!」
悟空は喜びいっぱいの顔だ。すでにどんなご馳走が食べられるのか思いを馳せているのか目がきらきらと輝いている。
「・・・サルに言うな!」
しかし観世音は金蝉を無視すると、
「お前らもいいよな?」
天蓬と捲簾に向かって聞くというより確認を取る。
「もちろんですよ、観世音」
「おお、いいぜ。旨い酒あるだろう?」
「あるある。たくさん飲め!ということで、決まりだ」
観世音は決定した。
それを嫌そうに金蝉は見つめていた・・・。


夕闇色に染まる頃、下弦の月が輝く時。
観世音の館の一角でその夕餉の会は開かれた。
もちろん観世音の独壇場であったことは言うまでもない。
困ったことに、金蝉は途中から記憶がなかった。
朝起きたら、寝台の上であったのだ。
何があって、誰がここまで運んだのか考えると、自ずと見えてくる答えに金蝉はため息を付いた・・・。


END


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