「長い秋の一日」




 その日は、誠に秋らしい青い空が広がる上天気だった。
 残暑が通り過ぎ、涼やかな空気と爽やかな風を肌に感じることができ、まだ紅葉には早いがもう少し寒さが深まれば山間も鮮やかに色づくだろう。

「……秋の香りがするな」
 金蝉が長い金の髪を揺らして背後の天蓬に笑いかけた。
「そうですね。どこにあるんでしょうか?」
 見あたる場所にはありませんけれど、と天蓬はくんくんとどこからか香る匂いを鼻で嗅ぐ。
 優しくて甘い香りだが、根元がどこにあるか定かでない場所から遠方まで香るくらい強烈な存在感がある。
「どこだろうな。金木犀の匂いがすると秋だなって気がする」
 そう言って金蝉は深呼吸した。
 どこからともなく香ってくる金木犀。黄金色で小花が寄席集まった可憐な花だ。
 二人は、ゆっくりと歩いている。時刻は朝の通勤通学少し後くらいだろうか。道行く人間は、二人を追い抜いて急ぎ足だ。
 今日は、彼らの通う学校の中等部で体育祭がある。二人はその学校の高等部に属しているが、悟空がその中等部に通っているため保護者として見に行くのだ。
 一環教育を志している彼らの学園は下は初等部から上は大学院まで幅広い。当然、兄弟で同じ学園に通う子供もいるだろうから体育祭や学園祭などの行事は重ならないようになっている。
 高等部は、再来週が体育祭である。ただ、中等部と違うのは同時期に学園祭も行うことだ。実質3日間の祭りで、準備と後かたづけで1日ずつ。結局1週間ほど学校は喧騒に包まれる。
 中等部は義務教育のためそこまではしない。体育祭と学園祭は別である。体育祭の1ヶ月後が学園祭である。
 
「うーん、今からで場所取り間に合うか?」
「大丈夫ですよ。心配いりません」
 心配顔の金蝉に天蓬が太鼓判を押した。
「保護者席は元々多いですから。去年も大丈夫だったのでしょ?」
 昨年も二人は応援に行っている。その経験から天蓬は予想が付いていたのだ。今回も行けばわかるだろう。自分たちの席は確保されているも同然である。
 広い運動場を囲む保護者席は、前日からの席取りが禁止されている。十分場所はあるし不公平をなくすため、席取りは当日朝7時からと決まっている。
 そんな先着順の中、なぜ席があるといえるのか。元々場所が広いため席が取れないことはありえないのだが、きっと見やすい場所がぽっかりと空いているはずである。
 それは、金蝉が悟空の保護者として出席することが明らかだからだ。この学園で、金蝉の存在は有名である。
 観世音の血縁であり養い子。その血筋より目立つ容姿は、存在が奇跡のように美しかった。身体が弱いため、休みがちであるが姿が見られればそれだけで幸運と囁かれる。高等部なら、機会があるがそれ以外の場所では滅多に目にすることができない。それが、中等部の行事なら悟空の保護者として現れるのだから、親子供が注視しても仕方がない。
 そんな理由で、金蝉が座る席は確保されているのだ。見やすい最上の場所がこれからビニールシートが敷かれるまでぽっかりと空いているはずである。
 
 金蝉にあわせて天蓬はゆっくりと歩き、やがて二人は学園へと着いた。
 中等部へと足を向け、すでに場所取りをしている親御達の間を抜け空いている場所に持ってきた袋からビニールシートを取り出し広げた。そして、クッションも取り出す。天蓬が作業をしていると、金蝉が持っていた風呂敷包みや鞄をシートの上に置き四隅がめくれないように重石にする。
「ああ、いい場所だ」
 保護者席の一番前で、グランドが一望できる場所である。悟空が活躍する姿を見放題だ。
 元気のよい子供は、身体を動かすことが大好きで体育祭などは大活躍間違いなしである。頭を使うことは苦手だが、リーダシップもあるのでクラスでは打ち解けているらしい。家で話を聞いていると、楽しそうな学校生活の様子がわかる。
「はい、これ敷いて下さい。あとこれも膝の上に」
 柔らかなクッションと薄手だが暖かそうな膝掛けを天蓬は金蝉に手渡した。それを金蝉は素直に受け取りいう通りにする。
 反論の余地がないのだ。これで風邪なんて引いた日には目も当てられない。第一悟空が責任を感じるだろう。金蝉は四角いクッションの上に座り、二つに折った膝掛けを膝の上に乗せた。最近朝は少し肌寒くなってきた。日中はそれほどでもないが、長時間外にいることは、やはり金蝉の身体にはよくなかった。
「始まるまでに、時間あるし、お茶でも飲むか?」
 まだ生徒は整列もしてないから、時間がある。金蝉は天蓬を誘った。
「そうですね、頂きましょうか」
「ああ」
 金蝉は持参した大きな鞄から魔法瓶を取り出す。それは、暖かな紅茶が入ったものだ。お茶はいくつか用意しているのだが、今は紅茶がいいだろうと思いながら紙コップに注ぐ。二つ用意して一つを天蓬に差し出した。
「ありがとうございます」
 お礼を言って天蓬は受け取りふーと息を吐きかけて一口すすると、暖かい紅茶が喉を伝わっていく。
 金蝉も同様に紅茶を飲む。身体を暖めておかなければならない。用心は怠ってはいけない、と自覚がある。
 始まるまでに、見るため万全の準備を整えておこうと金蝉は心中思った。
 
 
 


 開会式が始まった。
 校長の話があり、生徒会長から様々な注意事項が告げられると、各団の代表選手が、最前列に並んで片手を上げて大きな声で選手宣誓を叫んだ。
 団は、4色に分かれている。全校生徒を赤、白、青、緑の4つに分け対抗戦が行われる。各競技に得点が与えられ、その総合点の一番高い団が優勝だ。
 悟空は、俺は赤だからと前もって告げていた。
 金蝉と天蓬は、その光景を見守りながら昨年を思い出した。昨年悟空は青団で一年生ながら走れば一番でテープを切り、リレーではアンカーを努め、応援合戦でも目立っていた。
 正しく、大活躍である。
 見ているこちらまで、そのエネルギーが伝わって来て悟空が常日頃学校生活を楽しんでいることが偲ばれた。
 今年も、おそらく同じように動き回るのだろうと予測できて微笑ましい気になる。
 選手宣誓が終わると、応援席から拍手が起こった。金蝉も天蓬も拍手をする。
 
 いよいよ競技が始まった。
 100メートル走はトラックを1週走る。単純だが足の速い人間と遅い人間が如実にわかる競技だ。6人一度に走るため、1位には3点2位には2点3位には1点と配点される。この配点は個人競技の基本だ。
 パン食い競争は多少不確定要素が加わって見ていて楽しい。足の早さもパンが上手く食べられないと走れないため、あまり重要ではなくなる。
 パンを口にくわえながら走る姿は笑いを誘って、応援席からくすくすと笑いが漏れた。同時にまばらに拍手も起こる。
 200メートル走が終わると定番の障害物走が行われた。
 平均台の上を歩きマットで前屈、ネットをくぐり最後はフラフープをしながらゴールである。フラフープがうまくできなくて、落ちてしまう生徒が多数いて失笑を買っていた。同じ団からヤジも飛ぶ。
 そして、定番中の定番借り物競走だ。
 悟空が並んでいるのが、見える。プログラムに順番が乗っているし、前日に悟空がどれに出場するか聞いているため二人は今か今かと待っていた。
「いよいよだな」
「ええ。見るからに楽しそうですね」
 遠目にだが、悟空の目がわくわくと輝いていることがわかる。
「こういうの好きですから」
 そう、どちらかといえば悟空はただ走るより何か要素が加わっている方が好きだ。難しいことを攻略するのはわくわく心躍るのだそうだ。
 悟空の番が来て、二人はじっとスタート地点を見つめた。
 ピストルの音とともに悟空はダッシュして、すごい勢いで借り物が書いてある札のあるところまでいくと、札をひっくり返して目を通す。瞬時に悟空は二人のいる方を見ると、走り出した。応援席、二人の前まで来ると。
「金蝉!」
 そう呼びながら手を出して促す。
 どうやら、借り物は金蝉らしい。なんと書かれているかわからないが、急いで金蝉は靴を履きロープをくぐるとトラックの中に入った。悟空は金蝉の手をつかんで走り出す。背中に天蓬の気をつけてという声が響く。
 早く走りたいだろうが、悟空は金蝉の無理ないペースにかわせて走りゴールテープをくぐる。
 一位でテープを切るが体育教師が微笑を浮かべながら待っていた。
「さあ、確認しようか」
 悟空は素直に持っていた札を渡す。

「……お母さん?」

 札には「お母さん」と書いてある。
 教師は金蝉の顔と札の文字を交互に見て困ったように唸なった。
「だって、金蝉は俺の保護者なんだもん。お母さんであり、お父さんなんだもん!」
 悟空はきっぱりと訴えた。
「悟空」
 金蝉は、お母さん発言には驚いたが悟空の叫びを聞き眉を寄せる。金蝉は悟空の保護者だ。本来なら引き取った観世音がその立場にあるはずであるが、残念ながら観世音はまったく手を出さなかった。悟空の面倒や躾をし愛情を与えているのは金蝉である。それに天蓬も加わって現在では二人で悟空の親代わりである。
「……そうか。わかった」
 教師は、手を振って降参した。
 札に「お母さん」と書いたことが不用意なのだ。一応気をつけていたはずなのだが、見過ごしたらしい。
 体育祭に、来れない親もいるだろう。片親、両親ともどもいない子供もいるだろう。それなのに、借り物に「母親」はまずい。
「……悪かったな。うん」
 謝ると、1位の列に並ぶよう悟空に言う。そして、金蝉に失礼しましたと頭を下げた。それに対して、金蝉はいいえと首を振り、悟空と並んだ。
「金蝉は、俺のお母さんだよね」
 そっと見上げながら悟空はそんなことを今更確認する。
「そうだな。父親でもあるけど。まあ、天蓬も同じようなもんだけど」
 金蝉は悟空の頭に手を置いて小さく笑った。
「うん!」
 悟空は全開の笑みで答えた。
 安心したようにご機嫌で、1位だよと金蝉に話しかける。
「あと、スウェーデンリレーと応援合戦に出るんだ。見ていて!がんばるから!」
「ああ」
 本当に、体育祭は悟空の本領発揮だ。授業参観とは大違いである。5月と6月に父兄参観があるのだが、その時の悟空は活躍の場がない。
 それでも、クラスや学校で活躍の場があることはいいことである。皆に認めてもらえるのだから。この学園に編入した時はどうなることかと思った金蝉であるが、今は安心して見ていられる。
 そんなことを感慨深く思いながら、金蝉は悟空の話を聞いていた。
 
 
 
 
 お昼である。
 見に来ている親と一緒にご飯を食べる時間である。親が来られない子供がいるのに、親と一緒に子供が食べる姿を見せるのはまずいのではないかとか、平等にするべきだろうという世評があるにはあるが、この学園では採用されていない。
 せっかく親が見に来ているのに、お弁当を作っているのに皆平等に生徒は教室で弁当など反対に教育として間違っているというのが学園長の意見だった。では、親がいない、来られない生徒はどうすればいいのか。友人と共に食べるか、友人の親と一緒にするか自分の技量でどうにかしろというきつい意見だ。
 この時期に友人つきあいをちゃんと学んだ方がいいのだというのが教育方針である。
 ちなみに、この学園の理事長の一人を観世音が勤めているのだが、それは余談である

「それにしても、大丈夫ですか?」
 久しぶりに走った金蝉は少々つらそうである。天蓬の心配そうな声に平気だと返すが、あまり調子がよくはないだろう。しかし、金蝉は例え調子が悪くても、気分は良さそうである。
 子供、悟空と走ってゴールテープを切ったのだから、嬉しくないはずがない。
 金蝉は金蝉なりに、悟空を愛している。もちろん天蓬もである。
「お母さんってのが笑えますが。随分若くて綺麗なお母さんです」
 実は借り物は「お母さん」だったと金蝉から聞いた天蓬は思わず我慢できず噴き出してしまった。笑いが止まらない天蓬に金蝉は憮然としてぷいと横を向いた。
「あのな。天蓬だって、一緒だろ。おまえだってお母さんでお父さんだ!」
 からかいを繰り返す天蓬に金蝉はふんと鼻を鳴らした。
「もちろんです。一緒ですよね。……でも、昔は僕にとっても金蝉は保護者であり友人であり、親でしたよ」
 引き取られた天蓬の精神的フォローをしていたのは金蝉だ。肉体的には身体が今よりずっと弱く寝ていることが多々あって何か物理的にすることはできなかったが、天蓬は金蝉によって救われていた。暖かい家族というものを得た。
「お前はあんまり手間かからなかったけどな。その分悟空は手がかかる」
 思い出したように金蝉は口元を柔らかくつり上げた。そして、天蓬の黒髪をつんと引っ張る。
 よく食べ、騒ぎ、動き回る悟空は子供らしい子供だ。
 天真爛漫を絵に描いたような子供は、家族の中にあって明るいムードメーカーでもある。
 天蓬は愛おしげな微笑を浮かべて金蝉を見ると、そうですねと答えて金蝉の長い金の髪をさらっと梳いた。
 太陽の下で輝く金の髪は惜しげもなく輝き、天蓬の目を楽しませる。
 その瞬間周りからカメラのシャッターの音が耳に響くが天蓬は無視をした。先ほど金蝉と悟空が走る姿はビデオを回され、写真がたんまりと取られた。父兄の皆様は、折角の機会を決して逃さない。シャッターチャンスも見逃さない。大手を振ってビデオを回し写真が撮れるこの時、金蝉を撮りまくる。天蓬も一緒に映ることが多いが、だからといって咎めることはしない。肖像権を訴えることもしない。なぜなら、個人的な楽しみにとどまっているからだ。他に売られることもない。だから、観世音も昔から少々のことは見逃している。天蓬も一応危険がないかは気を配っているが写真やビデオは撮られるがままだ。
 金蝉はそんなこと気づきもしないため、わざわざ言うことではないと天蓬は教えていなかった。
「金蝉!」
 悟空が手を振って保護者席に歩いてくる。
「あのさ、こいつもいい?」
 悟空は自分と同じくらいの背丈の少年を連れてきた。
「友達なんだ」
 そして、照れくさそうに鼻をこする。その表情に金蝉と天蓬は顔を見合わせて笑い次いで悟空の友人に向かって歓迎した。
「もちろん」
「どうぞ、どうぞ」
「お弁当、たくさんあるから、遠慮なく食べて。ほら、座って」
「ありがとうございます。ナタクです」
 悟空の友人ナタクは気前良く受け入れてくれた二人にぺこりと頭を下げ名乗った。悟空の友人にしては、大層行儀がいいと二人は互いに心の中で思った。
 そして、ビニールシートの上に4人が中央を囲むように座ると真ん中に三段のお重を金蝉は広げた。天蓬が取り皿と箸を配る。
 
「いただきまーす!」
 行儀よく両手をあわせると悟空はぱくぱくと食べ始めた。
「うまーーーーい!」
 相好を崩して悟空は叫んだ。
 小さい身体のどこに入るのか不思議に思うほど、悟空はよく食べる。そのため、かなりの量を金蝉は作っている。お重に何段も作られた弁当は、おかずの種類が豊富で彩りも美しい。
「いただいます」
 同じように、ナタクは皿に取ったおかずを食べる。
「美味しい……」
 一段目には、稲荷寿司と海苔巻きが入っている。
 二段目には、唐揚げ、牛蒡の牛肉巻き、小さなアルミホイルに入っているマカロニグラタンと鮭の香草焼き。
 三段目には、切り干し大根と揚げの煮物と南瓜の甘いサラダ、春雨とハムの中華風酢のもの、青シソと梅肉とキュウリのあえものに出汁巻き卵。
 籐のかごには紙ナプキンが敷かれ、食べやすい大きさに焼かれたマドレーヌとクッキーが並べられている。
 見事なお弁当である。ちょっとお目にかかれないくらい見た目も美しく上品な薄味で何より料理の幅が広い。
 ナタクは噂に聞く金蝉を間近に見て、そのお弁当の豪華さとそれを作ったとは思えないくらいの美貌と細くて白い指を観察した。
 学園で噂になっている人だった。たまたま友人になって、気があった悟空の保護者がその金蝉であると知った時は驚いた。
 だからといってナタクはそのツテを活用しようとは思わなかったし、まさか目にする機会があるとも思わなかった。今日、こうして連れてこられて一番驚いているのはナタク本人である。
 それにしても、本当に美味しいお弁当だとナタクは感心し、感動した。これほどのものは滅多に食べられないだろう。
「すごく美味しいです!」
 ナタクは率直に誉めた。それ以外ナタクには伝える方法がない。
「そう?ありがとう。たくさん食べて」
 金蝉はナタクに慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。その表情にナタクは一瞬ぽーとする。しかし、すぐに顔を戻し、はいと頷いて食事を再開する。
 金蝉と天蓬は子供たちが食べる姿を見守りながら、自分たちもおかずを盛った皿に箸を付ける。
 和やかに食事が進むと、金蝉は魔法瓶から紙コップにお茶を注ぎながら、
「はい、日本茶」
 といって子供達に渡す。
「日本茶以外に、紅茶も珈琲もあるから、飲みたかったら言って。デザートには日本茶よりそっちの方があうし」」
 子供達は、受け取ったお茶を一口飲み、はーいと良い子の返事をした。
 育ち盛りの中学生である。どれだけ食べても食べた側から消化して活力になり、成長へと繋がる。ばくばくと食べる悟空と気を使いながらもぱくぱくと食べるナタク。二人の食べっぷりを見ると、力を入れてお弁当を作ってきて良かったと金蝉は思う。
 前日から仕込みをして、今日の早朝から作ったお弁当である。体調が悪くては応援に行けなくなるので、本末転倒にならないよう睡眠にも注意した。天蓬が金蝉の横で見張っていて、ここ1週間は毎回そろそろ寝て下さいとベッドへ追い立てられた。
 努力が報われて、金蝉の嬉しさもひとしおである。
 
 やがて、デザートまで到達した頃には三段のお重は綺麗に片づけられていた。
「このマドレーヌ、美味しいです!」
 ナタクが顔を崩して喜ぶ。ここの雰囲気に慣れてきたのか、態度がとても素直だ。
「ああ、マドレーヌは蜂蜜が入れてあるから。甘さが柔らかだろ?」
「はい!」
 じーんと感動しながらナタクはマドレーヌを頬張る。
「金蝉、このクッキー美味しい!特にナッツが入ったの。香ばしい!」
 ナタクに負けず悟空も叫んだ。口の端に食べカスを付けながらである。
「クッキーはプレーンのとカシューナッツが入ったのとチョコチップが入ったものを作ったから。悟空、好きだろ?」
「うん!チョコチップも旨いけどな!」
 両手に持ってばくばくと食べる姿は欠食児童のようである。普段あんなに食べているというのに。まるで、食べさせていないようだ。
 その様子に苦笑しながら天蓬は珈琲を飲む。実はすでに天蓬は家で味見をしているため、ここで無理に食べる必要はないのだ。その分子供達に存分に食べさせるべきであろう。それに、金蝉なら食べたいと言えばいつでも焼いてくれる。
「うーん、少し余るみたいだな。……ナタク、残り持って行くか?」
 たくさん焼いてきたため、籠の中の焼き菓子はまだ残っている。時間をかければ、完食できるのだろうが、昼休みの時間の方が先に終わりそうだ。
「いいんですか?」
 遠慮がちなナタクに金蝉は即答する。
「いいよ。遠慮なく、どうぞ。……それに、今度遊びにおいで。好きなお菓子焼いておくから」
 金蝉は手早く紙ナプキンで残りのクッキーやマドレーヌを包み、その上からチェック柄の布ナフキンで包み結んだ。
「はい」
 そう笑顔で金蝉はナタクに手渡す。
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げて、嬉しさが隠しきれずにタナクも笑った。その笑顔に、安堵したように金蝉は、やっと笑ったなと頭に手を置いて髪をさらっと撫でた。触れられた部分がじんわりと暖かくなってきてナタクは戸惑ったが、再びお礼を言うと悟空をせかしてグランドを走っていた。
 そろそろ終了の時間である。昼休みが終わりですと、アナウンスが先ほどから入ってるため、二人が急いだのは当然と言えた。
「ご苦労様でした」
 子供達を見送った金蝉に横から天蓬の声が聞こえた。お重を仕舞ったり、ゴミをまとめたりとした後かたづけを終えた天蓬は金蝉に紙コップを渡す。中からは紅茶の香りが漂ってきた。
「ありがとう」
 それを受け取り、一口飲んで金蝉はほっと息を吐いた。
 賑やかな食事だった。楽しい時間であったが、何分金蝉の身体はこういうことに向いていないのだ。心と身体は別物なのだ。それをわかっていて、天蓬は金蝉に休憩を取るように無言で即した。
 しみじみと味わいながら紅茶を飲んでいると、天蓬は金蝉の膝の上に膝掛けを乗せる。ついでに、鞄から薄手のショールを出して肩にかける。
「……」
 過保護だなと思ったが口には出さなかった。出したら最後、小言が待っていることは必至だからだ。身体を大事にして下さいと耳にたこができるくらい言われ続けている。
 午後のプログラムが始まるとアナウンスが入り、次の競技が始まった。
 悟空を見逃す訳にはいかないが、あのナタクも応援したいと思った金蝉はグランドに視線を向けた。その横で天蓬が苦笑していたのだが、金蝉は知らんぷりで通した。
 
 
 午後の部の最初は、男女混合リレーである。
 最初の女子はトラックを半周、次の男子はトラックを1周、次の女子は1周半、その次の男子は2周とどんどんと長くなる。男女入り乱れるため、盛り上がる。
 応援席から、それぞれの団から声がかかる。
 このような団体競技は、配点が大きい。1位が40点、2位が30点、3位が20点、4位が10点となる。
 
 次は、騎馬戦である。
 ある意味、一番荒っぽい競技だ。これも、男子と女子戦がある。
 馬になる人間は身体が大きく機動力がある方がいい。上に乗る人間は瞬発力などが優れていて、身体が軽い方がいい。
 はちまきを取られたら負け、時間内に勝ち残っている馬が多い順に得点が決まる。
 先に、女子の戦いが行われた。男子ほどの騒々しさはないが、一種異様な雰囲気が漂う。女同士が戦うのだ、女の戦いは怖いと男子は心中思う。
 男子の戦いは予想通り、力技だ。激しい戦いだ。見ている方もはらはらする。
 上と下とで激突して、はちまきを取り合う。いくつもはちまきを取る猛者も中にはいるが、即刻退場となってしまった生徒は悔しそうだ。
 
 次に、大玉転がしである。
 大玉転がしというと、割合小さな子供の競技に思えるが中学生がやっても難しい競技である。それを見ていた親達は納得した。
 各色に塗り分けられた玉が、本当に大きくて大きくて前が見えないのだ。前方不注意であっちへこっちへと曲がりまっすぐ進まない。
 バランスが取りにくくポールを1週してこなければならないのだが、これが上手く回れない。どこからともなく、くすくすと笑いが起こる。
 だが、この競技にナタクがいるとわかった時点で、金蝉と天蓬は拳をぎゅっと握りながら応援していた。
 上手くポールが回れた時は、手を叩いて喜んだ。結構バランスを取ることが得意なようで、一番早く1周できていたように思えた。この競技は、一人で大玉を転がしてポールを周り1周して来るのだが、リレーになっていて5人くらいの団体戦だ。
 ナタクは悟空と同じ赤団であり、トップでゴールした時は天蓬と金蝉は手を取り合って笑いあった。まるで、我が子のような態度である。
 何分、二人は悟空の保護者だ。ついついナタクに対してもそういう気持ちになってしまっても仕方がない。それに、今日は親が来ていないようであるし、その分自分たちが応援しようと二人は勝手に思っていた。
 
 
 さて、悟空が出場するスウェーデンリレーがやってきた。
 これは、男子と女子それぞれ行われる。トラック1周、1周半、2周、3周と走者毎に距離が増えていく。トラック3周など走るだけで、大変だ。体力がないと速度を保ったまま走り切れない。そのため、最後の走者は運動部のエースが担ぎ出されるのが通例だ。
 このリレーの最後の走者を悟空は努める。3年生が主なメンバーの中で、悟空は身体もまだ小さく体力もなさそうに見える。が、見えるだけである。化け物並の体力と速度を誇る悟空は最後を努めるに相応しかった。
 先に女子が行い、男子が行う。
 女子は男子より少しずつ距離が少なくてアンカーは2周である。
 それでも、学園で走るのが早い生徒が集められているせいで、皆早い。あっという間に目の前を駆け抜けて行く。
 人が走る姿はとても美しいと金蝉は思う。真剣な顔で真っ直ぐ前だけを見て翔ていく姿は自分ができないから余計に感動する。
 女子が終わると拍手が贈られ、次は過酷な男子だ。
 ピストルの音と共に走り出していく第一走者。第二走者にバトンが渡され、走る。距離が伸びれば伸びる程、走者は辛そうに顔を歪ませながらそれでも走る。競い合い、距離が広がると思えば、また追いつくの繰り返しだ。そして、いよいよアンカーにバトンが回った。
 悟空が走り出す。
 なんといっても、3周である。全力で走らないと追い越されるが、あまりに全力であると最後まで持たない。だが、悟空は最初から飛ばした。颯爽と、目の前を翔ていった。至るところから声援がかけられる。
 この競技は、当然団の中で足の速い人間が選抜される。なぜなら、配点が高いからだ。1位には80点、2位には60点、3位には40点、4位には20点。他の団体戦より、ずっと高得点だ。
 悟空はプレッシャーなど感じていないように、ただ走っている。前にいた走者をさっさと追い抜いた。そして、速度を緩めず、独走する。
 その顔は、楽しそうだ。苦しくないのだろかと、人は思うだろうが悟空は苦しいなんて思っていないと金蝉にはわかった。普段から、所かまわず走り回っているような子供だ。落ち着きのない子供だ。エネルギーが切れるまで動いて動いて疲れたらぱたりと寝る。
 そんな姿を思い描き、金蝉は小さく笑う。
 そして、悟空はゴールテープを切った。
 拍手が周りから贈られる。この競技で1位を取ることは、栄誉なことだ。団からも讃えられる。皆から小突かれてそれを嬉しそうに笑いながら受け取っている姿が見えて、金蝉も嬉しくなった。
「成長しているんですね」
 天蓬が金蝉の気持ちを読んだように、話しかける。
「ああ。子供の成長は早いな」
 感慨深いものがある。眩しそうに目を細め金蝉は天蓬に笑い返した。
 二人ともまだ高校生だというのに、すでにどこぞの両親のようである。他人からすれば、達観し過ぎであるかもしれないが、本人達からすればこれが普通だ。大人の手ではなく、自分達の小さな手で家族を築いて生きてきたのだから。
 
 その後いくつか競技が行われ、最後の応援合戦がやってきた。
 これで悟空は去年も活躍している。音楽にあわせて、皆が踊る。女子はボンボンを持ちチアガールのように軽快に手足を動かして踊る。そして、男子は組体操だ。乱れのない動きで号令と共に形が変化していく。その中で悟空は持ち前の運動神経を生かして前列の一番目立つところでバックテンを決めたり側転をしたりとアピールしている。
 最後は、大柄な生徒達に持ち上げられ上の位置からジャンプして1回転しながら着地した。ちょっと一般中学生にはできない技だ。体操選手ならともかく……。
 各団の応援が終わると、集計が行われ結果発表だ。
 見守る中、今年は赤団が優勝だった。去年は悟空の活躍も空しく3位だったから、今年は殊更嬉しいだろう。
 
「今日は、またご馳走にしないと駄目だろうな」
「そうですね。優勝しましたし、活躍もしましたし。なによりお腹が空いているでしょうね」
「あれだけ食べたけどな。……若いってすごいな、お昼にあんなに食べてもあっという間に消化するんだぞ。驚異だ」
 拍手をしながら二人は、これからのことを相談した。
「いっそのこと、焼き肉でいいんじゃないですか?きっと、がつがつ食べますよ」
「……そうだな」
 さもありなん。飢えている悟空には肉に限る。
 デザートを付けて祝ってやればいいかと金蝉は思いながら、天蓬に帰ろうと促した。帰りの準備をして悟空より先に帰宅して夕食の準備をしなければならない。
 天蓬は金蝉が何かするより早く荷物をまとめ、ビニールシートをたたんで鞄に入れると肩にかけてゴミを袋を持った。金蝉の手を出す暇もない。
「では、行きますよ」
 そして、金蝉を促した。さすが天蓬である。一日も終わり、疲れが出てきても不思議ではない金蝉だ。これから夕食が、と言っている時点で天蓬はこれ以上金蝉に負担をかける事を嫌った。
「ああ」
 お互いがお互いを支えている。そう金蝉も知っているから、素直に頷いて天蓬の隣に並んで歩き出した。
 
 
「帰ろう」
 
 そうして、二人は秋の気配がする道を家へ帰っていった。
 
 今夜はきっと、ご馳走だ。
 

 
                                                         END




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