軍部にも、一応の祭典はあった。 かつての天将・羽林(うりん)を祭る日だ。 血に塗れた闘神も、その日だけは中央の舞台に立つ。 武舞台という、闘場に。 手の中に落ちてきた白い花を、金蝉は声もなく見つめていた。 興味津々で悟空は金蝉を見上げている。 捲簾は忌々しい思いを口笛で誤魔化すという、器用なマネをした。 そして、金蝉の隣りで天蓬が唇を噛み締める。 「花を手にした人は、闘神を手合せすることが出来ます。 武舞台の方へ上がって下さい」 武舞台で待つのは、当代の闘神・ナタク太子。 背後に見え隠れする、李塔天の思惑。 「……嵌められましたね」 天蓬は、誰にも聞こえないように心の中だけで呟いた。 天蓬、捲簾と親しく、また闘神候補にされそうな悟空の保護者である金蝉童子。 李塔天には目障りな存在である。 その彼に対する警告なのだ……軍部には首を突っ込むな、という。 「天蓬、お前の白衣貸せ」 この場を治めるのに、 天蓬は陰険極まりない手段を行使しようかと思った時だった。 動揺を感じさせない声で、金蝉が低く囁く。 「それは構いませんが…………どうするつもりですか?」 「……お前に任せたら、祭りをブチ壊しかねん」 さっきまで考えていた手段がまさにそれなので、 天蓬は苦笑を浮かべざるを得なかった。 天蓬の白衣を手に、金蝉は武舞台へ上がっていく。 下々の席になど姿を見せる筈のない金蝉童子に、観衆からはどよめきが起こった。 「生憎と、私は闘神のお相手が務まるほどの武芸を持ち合わせていない。 だが、それで辞退するのも祭りの興を殺ぐ…… ナタク太子、聖龍刀を拝借して宜しいか?」 丁寧な口調ながら、金蝉はナタクより先に手を差し出した。 ナタクが李塔天の意思を伺う余裕を与えない。 持ち主の神気を映して刀身を現す聖龍刀。 今は、鋭利な細身の刃を光らせる……持ち手である金蝉と同じように、美しい刃を。 天蓬の白衣を被きにすれば、金糸の髪が僅かに覗く。 歌を、紡ぐ。 戦に散るが望みとあらば 敢えて私は止めはせぬ 恋の便(よすが)に剣を抱いて 冷えた臥所(ふしど)で休もうか? 戦で恋する男を亡くした女の歌。 ゆったりと剣が弧を描く。 手首を返せば、剣閃がそれを追って煌く。 戦に散るが運命(さだめ)とあらば 敢えて私は逆らわぬ 君の遺した衣(ころも)を抱いて 残る香りに眠ろうか? 天蓬の着崩れした白衣。 煙草の灰が落ちた焦げ、黄色くなった襟や袖口…… それなのに、見る者は極上の衣を思う。 剣を持たない手で、金蝉は白衣を口元へ運び、目を伏せる。 男の残り香を、愛しむように。 忘れてくれと君が望めど 敢えて私は忘れ得ぬ 想いの丈を刃に乗せて 深くこの身を貫こか? 恋しい男の代わりであるように刃を抱く。 白い頬に、光る刃の影が落ちる。 金糸の髪がサラリと揺れて。 極上の女が其処にいる。 貞淑な妻、情熱的な恋人、哀愁漂う寡婦。 ……男が身勝手に欲する全ての女が、其処にいる。 愛されたいと、願う。 「…………金蝉」 其処にいるのが誰か解っていても、確かめたくて天蓬は呟く。 呟いて尚、恋しい想いの行く先に迷う。 「…………金蝉」 そこにいるは金蝉の筈。 だが、別の女がいる……別の男を愛している。 どうしようもなく、息苦しくなる。 「金蝉…………っ」 カシィ――ンっ。 鍔鳴りに、幻の呪縛から解き放たれた。 被きがスルリと金蝉の頭から落ちて、ただの白衣になる。 幻の女は其処にはおらず、無愛想な美貌の男神が立つ。 何も告げず、誰にも告げさせず、金蝉は武舞台から降りた。 「…………返す」 「え、ああ、はい……」 誰もが幻に酔っている中、一人平然と金蝉は白衣を天蓬に返した。 目の前に立つ見知った筈の顔を、天蓬はまじまじと見る。 「帰るぞ、悟空」 用はないとばかり踵を返し、さっさと人込みを抜けていく後姿。 それを追いながら、天蓬はまだ幻に酔っていた。 愛されたいと、願う。 人込みを抜けるのに、手の中にある白衣が煩わしくなって、 他人の迷惑顧みずに袖を通そうとして、ふと気付く。 武舞台での、金蝉の仕種を思い出す。 吸い慣れた煙草の臭いと、書庫の黴臭さが少し移った、 お世辞にもいいとはいえない臭いのする白衣。 それを、愛しげに抱き締めた金蝉の表情を思い出す。 あの束の間に、愛されていたのは自分だったと。 「白衣も貸したんだし、それくらい願ってもいいでしょう?」 天蓬の呟きは、誰にも聞き咎められることはなく。 「天ちゃん、早く―――っ!」 悟空の声に、天蓬は微笑を浮かべて足を速めたのだった。 霧島様から10000ヒット記念に頂いた小説です。 ありがとうございます!! 金蝉様に踊って頂くって、やはりいいですよね・・・。うっとりします。 私は円舞だったのですが、霧島様は剣舞! 想像するだけで、顔が崩れますわ。 天蓬の白衣ってのが、ポイント高いです。もう、感激です。 |
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