夢想離宮 5


 帰途

「あのさー、俺、昨日寝ちゃったんだけど、あれからみんなはどうしたの?」
 翌朝はゆっくりと朝食をとり、昼過ぎに車に乗り込んだ。
 運転手は天蓬。助手席には金蝉が乗っている。後部座席が捲簾と悟空だ。
「あん?俺はおまえを部屋まで運んでそのまま寝たぞ。この俺が一人寝なんて珍しいっての……」
 金蝉の冷ややかな視線が突き刺さった。
 一応、悟空の保護者としては、子供の教育によからぬ影響を与えるような発言は控えさせるべきである。
「金蝉とてんちゃんは?」
 悟空はそんなことはまるで気にもせずに身を乗り出して、二人に尋ねた。
「……風呂でのぼせたから、そのまま寝た」
「僕も金蝉を部屋に送って、すぐに寝ました」
 確かに捲簾が眠りに落ちるか落ちないかの寸前に、隣室の天蓬が戻ってきたのを捲簾は知っていた。夜半すぎだったが、何かあったと思うには早すぎる時刻だ。
「俺ね、すっげー、いい夢みたんだ」
「いい夢?」
「そう。あのさ、翠晶果の果汁の風呂があってさ、そん中で果汁飲み放題なのにさ、お盆が浮いていて果実も食い放題なの。そんで、もうイヤってくらい飲んで食べてさ……うまかったなぁ」
 悟空は自慢げな口調で説明する。
「……翠晶果の果汁風呂……」
 想像した金蝉はその甘ったるさに顔をしかめた。聞いているだけで胸やけがしそうだ。
 悟空にとってはいい夢かもしれないが、金蝉にとっては悪夢だ。
「どうせなら、僕は翠晶酒の風呂の方がいいですねぇ〜」
「あっ、俺もその方がいいね」
 それほど酒に強くない金蝉はどちらも遠慮したいところである。
「夢は願望が出るっていいますよ。あれだけ飲み食いしてもまだ足りませんでしたか?悟空」
「……えっ、もう満腹だよ。てんちゃんは何か夢、見た?」
「そうですね、まあ……夢より素晴らしいものを見ましたので、夢を見る暇がなかったとでもいいましょうか……」
 にこにこ。
 バックミラーに映るその笑顔が常よりも上機嫌であることに捲簾は気づいていた。たとえ、見た目はまるで変わらずとも。
「えっ、それ、何、何?」
 乗り出す悟空に天蓬は更に笑んで見せる。
「……それは、秘密です」
(それなりに収穫があったわけだ……)
 その内容に興味がある捲簾であったが、下手にヤブをつついてヘビを出すわけには行かない。
「ちぇっ、つまんねーの。ケン兄ちゃんは?」
「んなもん、見ねーよ」
 だいぶ呑んでいたし、温泉にもつかったし……それにそもそも彼の眠りは浅い。彼に限らず、軍人ならば誰でもそうだろう。軍に身を置いたその日から、ぐっすり眠ったことなど皆無に等しい。ここにこうして来ていることだとて厳密に言えば、金蝉の護衛というれっきとした任務だ。宮内であったとしても常に気を配っていた。打ち合わせたりもしていないが、天蓬だとて同様に気を抜いていなかっただろう。
「ふ〜ん。金蝉は?」
「……秘密だ」
 見ないと一言言えばそれでおしまいだというのに、嘘はつけないらしい。
(律儀な奴……)
「えっ、どんな夢見たの?」
「秘密だって言ってんだろ……」
「え〜、ズルいよ〜。教えてよ〜」
 悟空が座席でじたばたと暴れる。
「秘密だって言ってんだろ、このバカ猿」
 ごきっと鉄拳が飛ぶ。
「……何の夢見たんです?金蝉?」
 ムキになる様子を怪訝に思った天蓬も尋ねてみた。
「うるせー、おまえには関係ないっ」
(それって関係ありますって言ってんのと同じじゃねえの?)
 金蝉がうるさいので火はつけていないものの、くわえ煙草の捲簾はにやりとほくそ笑む。
「そんなに夢見が悪かったんですか?}
 くすくすと天蓬はおかしげに笑った。
「誰のせいだと思ってんだ、このバカ野郎っ」
「……もしかして僕のせいだったりします?」
 確信犯だ。しかも非常にタチの悪い。
「うるさいっ。もう黙れ」
 そっぽ向いた耳の付け根がほんのりと紅く染まっていた。
(おやおや、どんな夢見たんだか……)
 その内容に大変興味のある捲簾だったが、下手につつくと姫君の激怒を買う。
「……ま、いいや。あのさ金蝉、連れてきてくれてありがとな」
 悟空の珍しく真面目な様子に金蝉はしばし言葉を失う。
「俺、すっげー嬉しかった」
 にぱっと満面の笑みなど向けられてしまうと、照れくさくてどうしていいかわからなくなってしまう金蝉である。見た目はほとんど表情が変わらないものの、天蓬と捲簾には一目瞭然だった。
「……別に。約束だからな」
 どこまでも不器用な金蝉だ。
「でもさ、本当に楽しかった。またいつか、旅行しような」
「そうだな……機会があったらな」
「大丈夫じゃないですか?時間ならたっぷりあるわけだし……」
 天界人の寿命は長い。それは退屈に倦んでしまうほど。
「……そうだな。だが、もし今度旅をするなら……」
 金蝉は、そこで言葉を切る。
「するなら、何です?」
 天蓬は先を促がした。
「今度は護衛はいらない」
「おいおい、あんたが護衛なしで外出れるかっての」
(バカ野郎、その護衛に襲われてれば世話ねえだろうが)
「ふん」
 呆れた捲簾のセリフに金蝉は思いっきり傲慢に鼻で笑って見せた。
 4人を包み込み、通り過ぎていく風。
 澄み渡った空と輝く光が照らす。
 真っ直ぐに続く道はどこまでも果てしない。
 
 
 それが、彼らの最初の旅だった。
 もちろん、その何百年後の来世で、長い長い旅をすることになるとは誰一人として思いもしなかったけれど。



END



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