ヒカルは人混みの中待ち合わせ場所へ急ぐ。 今日は約束の時間に間に合う。 いつもいつも遅刻して毎回「君は時間も守れないのか」とお小言を食らっている身としては偶には約束の時間に行って、俺にもできるんだという態度を見せたいところである。もっとも、偶にではなく、普通時間を守るのがルールだろと相手には言われるだろうが………。 ヒカルだって別に遅刻したくてしてる訳ではない。電車に1本乗り遅れたとか、出かけに母親に郵便物を頼まれたり、上着が気に入らなくて着替えたり、上手い手を考えていて時間を忘れてたり、電車が事故で遅れたり、和谷から電話がかかってきたり。ヒカルにとっては理由になるが相手にとっては理由にならないらしい、言い訳の数々を聞く度にあいつは怒る。 でも、あいつ律儀だし。真面目だし。几帳面だし。 これが他の人間なら、しょうがないなと笑ってくれるのだが、彼はそうはいかなかった。 融通が効かない、塔矢アキラ3段。もうすぐ4段。 父は元名人塔矢行洋。サラブレットとして名高い囲碁界の若きプリンス。 進藤ヒカル初段、もうすぐ2段は彼と待ち合わせをしていた。 出逢ってすでに4年ほど経ってしまった二人は、紆余曲折の末現在はプライベートでも一緒に碁をする仲になっていた。碁が中心だが偶にそれ以外でも逢う。大抵ヒカルが映画が見たい、買い物がしたい、などといってアキラを引きずって行く。なんだかんだと文句をいいながらも付き合ってしまうアキラは実は人がいいのかもしれなかった。 ヒカルは約束の場所に付いてきょりきょろと見回すがアキラはまだ来ていないようだった。彼は約束の10分前には付いているタイプであるから、珍しいことである。ヒカルは、俺が先なんてすごい、とか思いながら百貨店入り口にあるからくり時計の下でアキラを待つことにした。 人混みは嫌だといったけれど、ここがわかりやすいんだ、と決めた場所だった。 さすがに隣を見ても人待ち顔の人間がちらほらといる。ヒカルは、はあと息を吐き出した。 「ねえ、君」 「へ………」 頭上から声をかけれたヒカルは顔を上げた。 「あ、やっぱり可愛いね。一緒にお茶でもどう?」 「………は?俺?」 「そう、君」 「………」 目の前には大層背の高い青年がいた。大学生くらいだろうか、シャツにジャケットとジーンズというカジュアルな格好をしたまあまあ見目の良い顔立ちをしていて、きっとそれなりにもてるのだろうと推測された。ヒカルの知り合いでは冴木辺りが近いかもしれない。 ところで、これはナンパであろうか。 一緒にお茶に、などとベタに誘われるとは思わなかった。ナンパとはこうもテレビで見たままなのか、とヒカルは埒もないことをちらりと思った。 多分、どう考えても、嬉しくなんてないけど、自分は女の子に間違えられている。 そりゃあ、成長が止まっているような気がするけれど。 和谷はどんどん自分をおいて大きくなっているし、越智だって少しずつ自分に迫っている。塔矢だって昔は少女のような顔をしていたくせに、段々凛々しくなり背も高くなっている。 それが、実はとても悔しい。 俺だって、でかくなってやると思っているのだが、どこかにいってしまった成長期。牛乳を飲めば背が伸びるなら毎日だって飲むのに………。ヒカルは自分を囲む背の高い知人友人を思い浮かべて少し憂鬱になる。 「君、俺の好みにジャストミートなんだよね〜」 金髪の前髪に薄い色の大きな瞳。高くはないが鼻筋は通っていて、薄く色づく唇が可憐である。華奢な身体に大きめの上着を着て細目のブルージーンズ。背中にはリュックに足下はスニーカーとボーイッシュな感じの美少女。 変に濃い化粧で覆っている作った今時の少女の中、ひときわ目立っていた。 だって、本物なのだ。化粧なんてしていない素の肌と顔は紛れもなく天然物で、最近お目にかかることができない美少女だった。 「綺麗な髪だよね〜」 青年は微笑みながら指をヒカルの髪にさらりと滑らせる。 「………俺、これでも男なんだけど」 そんな青年の心など知らず顎を引いて逃げる仕草をして、ヒカルは言いたくなさそうに、小さく呟く。 「え?そうなの。すっごく可愛いからわからなかった。でも俺性別には拘らないから、大丈夫」 そう言って笑うとヒカルの腕を引っ張る。 (俺が構うって………!) ヒカルは全く動じない青年に眉をひそめつつ身をよじる。 「ちょっと………」 「美味しいお茶とケーキの店があるんだ。ね、行こう」 「え?美味しいケーキ………ってそうじゃなくて。俺、約束しているから」 「いいじゃない。俺と行こうよ」 「離せっ………」 振り払おうとするが、力の差は歴然としていた。大学生くらいの大柄な青年と最近運動もしていない華奢な自分では圧倒的に不利だった。 (どうしよう………) 「進藤………!!!」 ヒカルが困惑していると、凛とした耳慣れた声が響いた。振り返るとつかつかと歩み寄りヒカルの腕を掴んでいる青年の腕をがしっと乱暴に掴み、 「離して下さい」 と低い声で言い捨てる。 「君は何をしているんだ」 そしてこんな時だというのに、ヒカルに向かって小言も忘れない。 「塔矢」 アキラの顔を見て安堵するヒカルに、少しだけ眉をひそめてアキラは自分より背の高い青年を鋭く見る。 しかし、まだヒカルから腕を離さないでいる青年もアキラを邪魔くさそうに見る。二人の視線が絡むが、青年はヒカルを懲りずに誘う。 「なあ、俺と行こう」 ヒカルは首をふる。 「進藤は僕とこれから出かけるんです。離して下さい」 「こんな奴より、俺と一緒の方が楽しいと思うよ」 「ふざけないで下さい」 「だって、お前彼氏って訳じゃないんだろ?だったら口出すな」 「「………彼氏?」」 ヒカルとアキラの声がはもる。 彼氏って、何だと思う。 ヒカルは男の俺に彼氏がいてたまるか、と内心毒づく。 「そう、お前のものじゃないだろ?」 だから口を出すなと青年はアキラを牽制する。 一方アキラは一瞬思考が停止したが、瞬時に復活する。 「僕は彼氏じゃない。が進藤は僕のだ。僕の生涯唯一の(ライバル)だ。そうだろ、進藤」 きっぱりと堂々言い切る。 自分にとって進藤は大切なライバルである。あの日、そう決めた。出逢った時から意識せずにはいられなくて、彼が再び囲碁界に戻って来た時に決定的に認識した。これ以上の存在が自分にある訳がない。 「確かに、俺はお前の(ライバル)だけど………」 そう、塔矢は自分のライバルだ。 どんなに強い相手がいようとも、ヒカルと共に高見を目指すのは彼だけだ。ヒカルは小さく頷く。 「だけど、って何だい」 しかしアキラはその語尾の曖昧さを許さなかった。 「だって!お前………」 いつもお前はライバルって名言しているのに、こうしてそれを強要されると言いづらい。天の邪鬼なヒカルは、上目遣いでアキラを睨む。 その何とも言えない二人の世界を作り上げる様を横で見ていた青年は思う。 「進藤は俺のだ」「生涯唯一だ」「俺はお前のだけど………」等、と確かにその耳で聞いた。彼氏じゃないってはっきり言ったのに、それはどういうことか。それ以上、と言いたかったのか。 実は出来上がっている、将来約束したカップルだっのか? 青年がそう思っても仕方がない。 二人は大切な「ライバル」、という言葉を省いていたのだから。二人にとっては言わなくても当たり前である言葉であるため必要性を感じなかった。それがなくても話が通じるのだ………。 「ほら、行くよ、進藤!」 アキラはそう言って青年の腕の力が緩んだ隙に、ヒカルの腕を掴むとずんずんと歩き出した。 「待てって、塔矢!」 ヒカルもアキラに促されるまま歩き出すが、アキラの歩調はいつもより早くてヒカルは駆け足になる。 「塔矢、早い」 ヒカルが困ったように訴える。しかしアキラは怒ったようにヒカルを見下ろす。 「君はどうしていつもこうなんだ!」 「そりゃ、よく迷惑かけてるけど、今回は俺のせいじゃない」 「君がふらふらしているのが悪いんだ」 「俺、ふらふらなんてしてない。約束の時間10分前に着いてお前を待ってただけだ!」 ヒカルはふらふらと言われ憤慨する。 「待ってだけで、これかい?第一僕は5分前に付いたよ」 「だから、本当にあの場所に着いてすぐに、声をかけられて引き釣られそうになったんだって………」 ヒカルが嘘を言っていないとアキラにもわかる。 日本語に不自由している彼が必至につたない説明をする様をアキラは真っ直ぐに見つめた。 「全く………」 アキラはため息を付いた。 いつも遅刻してくるくせに、偶に時間前にやってきたと思ったらこれか。 進藤ヒカル。平穏や退屈とは無縁の存在である。 「進藤。君、これからは約束の時間ぴったりにしろ。待っているな。だからといって遅れるな」 「お前、横暴!!!そんな面倒なことできるか。遅れるなって言うのに、待つななんてできるもんか!」 命令口調のアキラにヒカルはプンプンと怒る。 時間ぴったりに来いなんてヒカルにとっては神業だ。そんな事できる訳がない。普通は電車の時間があるから、余裕をもって見る。そして相手を待つのだから………。 「仕方がないだろ。君のためだ」 「どこが、俺のためだ!」 「全部だろ?」 「お前、煩い!」 「進藤!」 結局口喧嘩になってしまう二人はそれでも並んでヒカルが行きたいといっていたショップに歩いていった。 それが、彼らの変わらぬ日常である。 おわり。 |
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