「家族の肖像2」
〜 お試し版 です〜



「お兄ちゃん!」

 にこやかな笑顔を向けて、そんな声で呼びかけ飛びつく金髪の少年を大柄でよく鍛えられた身体を持つ金髪の青年が抱き留め背中を叩き、元気だったかと少年の顔を覗き込む。
 その仲睦まじい姿は傍目から完全に兄弟に見えた。
 久しぶりに会った年の離れた弟が兄に会えて嬉しいのだなと、その光景を見ている通りすがりの人間は思っただろう。どこか心が温かくなる兄弟だなと感じたかもしれない。
 しかし、見る人間によっては、そんな暢気で穏やかな感情ではいられなかった。
 少なくと、東方司令部に勤める大佐以下数名は、違った。
 
 
 
 
 
 
「では、お疲れさまです」
 ハボックが机の上を片づけて椅子から立ち上がる。煙草の吸い殻で埋まっている灰皿も洗ってあり綺麗なものだ。
「ああ、ゆっくり疲れを取りたまえ」
「お疲れさまです」
「ご苦労さん」
 これから半休に入るハボックに皆から声がかかる。それに、はあと答えながらこれ以上仕事が増えない内にとハボックはそそくさと退出した。
 その後ろ姿を何気なく見送りはしたものの、残ったロイ・マスタング大佐以下の面々は途端表情を改めた。
「では、これから予定通り作戦を開始する」
「「「「「ラジャー……!」」」」
 ロイの張りのある声に息の揃った声が響いた。
 
 
 ことの起こりは、多分ハボックの犯罪疑惑だ。
 金髪の美少女とデートしていたという噂がつまるところの発端だろう。
 その時は、噂を否定したハボックを疑うことはなかった。実際のハボックは悲しいかな女性に振られっぱなしであるし、デートをしている余裕もないことは親しいブレダもよく知っていた。失恋する度にやけ酒につき合う間柄の彼らにおいて女性関係での秘密はなかった。もし、彼女ができたならば、自慢するのが当たり前なのだ。
 だから、美少女とつきあっているだなんて面白おかしく噂しても信じてなんていなかったのだ。
 ただ、別の観点から考えれば、なぜそんな噂が立ったのか疑問に残る。
 弟が訪ねて来たところを勘違いされたとハボックは弁解したが……確かにハボックには年の離れた弟がいるし、故郷の話も聞いたことがある……果たして、それは事実かどうか誰も確かめる術はなかった。
 いくら小さな弟とはいえ、美少女と勘違いするだろうか。
 そこから導き出される答えは、その時どんな理由にせよハボックは金髪美少女に見える人物と一緒にいたということだ。これは間違いない。目撃したという人間に裏を取った。
 彼は街中、背が高いせいで目立つ私服姿のハボックと彼の横に並んでいるせいで余計に小さく華奢に見える背中の中間まである金髪をした少女と並んで歩いていたと語った。斜め後ろ姿からしか見えなかったけれど、キャメル色のコートがよく似合っていた。
 しっかりと顔を見ていないけれど、あれは絶対に可愛いはずだ、そんな雰囲気が漂っていたと断言していた。
 
 それだけなら、たまたまだろうと流しただろう。
 だが、どうにもおかしいというか、何か隠しているというか、ロイの勘にピンと来るものがあった。その何かがはっきりしなかったけれど、ロイの勘を副官のホークアイも支持したのだ。彼女も思うところがあったらしい。
 そうなれば、怖いものはない。
 ハボックを尻目に、東方司令部内での情報集めが始まった。
 集めてみたところ、ハボックが半休を取る時は誰かに会っている可能性が高いということがわかった。もちろん、休みをどう過ごそうとそれは本人の勝手だ。
 しかし、最近のハボックは休日あったことを世間話にでも口にしていなかった。
 半休を取る時は、とても楽しそうに出かけて行く。
 実は秘密の恋人でもいるのかという意見も出たが、ハボックはそういったことを隠すことは苦手だ。顔に出るため、嘘は付けない。上司であるロイに狙っていた女性を取られた経験から内緒にしてるのだろうという尤もな意見も出た。
 ロイは却下した。
 当然だろう。
 彼の経験上、ハボックから匂う隠し事は色恋ではない。
 そんな中、寄せられた情報が一つあった。
 エルリック兄弟がイーストシティを訪れている時だった。街中でハボックと一緒にいるのを見たというのだ。その時ハボックは街に出て見回りをしていたはずだから、ばったり会って立ち話でもしていたのだろうと目撃者は思ったらしい。
 エルリック兄弟は司令部に勤める人間と親しい。ホークアイを慕い、ブレダと将棋をしたり、ファルマンに知らないことを聞いたり、フュリーと共にブラックハヤテ号と遊んだり。彼らは司令部に来る度、楽しそうに話をする。それを皆も楽しみにしているのだ。
 
 ここまでは、納得ができた。
 しかし、二日後ハボックが半休を取った時。同じように、今度はカフェでエルリック兄弟と一緒に楽しそうに談笑している姿が目撃された。街中にいる軍人が一丸となってハボックの動向を伺っていたから判明したことだ。
「……何だ、それは」
 報告を聞いてロイが不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
 隣で書類を束ねていたホークアイも珍しく驚愕し、だが次の瞬間は無表情に顔を戻していた。
「つまり、ハボック少尉は休日エルリック兄弟と会っていたということ?」
「そのようです」
 答えるファルマンも面白くなさそうだ。
「それって、ずるいよな。俺たちだってもっと遊びたいのを我慢しているのにさ」
 彼らの旅の目的を知っているから、なるべく引き留めないようにしているのだ。たまには気分転換をさせようとすることはあるが、やはり遠慮していた。
 ブレダがつまらなさそうに呟いた。
「でも、どうしてハボック少尉なんですか?」
 フュリーが首をひねる。
 それは、誰もが思う疑問だった。
 なぜ、ハボックなのか。
 聞けるものなら、声を大にして聞きたい。
「何で、ハボックがいいのさ?」
 そんな台詞が喉まで出かかった。
 今回のことで疑惑が疑惑を生み、ほとんど黒に近い灰色にハボックは認識された。証拠がないのが、難点だ。
 こうなったら、現場を押さえるしかないだろう。軍人らしい考えに落ち着き機会を待つことになった。
 次にエルリック兄弟がイーストシティに訪れ、ハボックが半休を取った時。または、示しあわせて街中で会った時。
 着々と計画は進められ、とうとう絶好の機会が巡って来た。
 
 まず、ハボックの後を付ける。
 一応なりとも軍人の後を付けるのだから、見つからないように細心の注意を払わないとならない。背後からそっと後を付ける役はフュリーとファルマンに決まった。
 フュリーは背丈から人混みに紛れ、ファルマンは気配を殺すことができる。
 無線を持ち、現時点でどこにいるか連絡を入れることが彼らの役目だ。
 
 ロイとホークアイは別ルートで街中を歩いている。連絡が来たらすぐに駆けつけることができるようにスタンバイ済みだ。
 目立たないように二人は私服だ。
 とはいえ、見目の良い二人は別の意味合いで大層目立った。だが、美男美女で歩いているからナンパにはあわない。もし、あったとしても彼らの邪魔をするものは完膚なまでに叩きつぶされたであろうが……。
 ブレダは残念ながら司令部で留守番だ。もぬけのカラという訳にはいかないためロイから命令され仕方なく涙を飲んで諦めた。留守番の役割はもし重大な事件が起こった場合は対処し即刻連絡を入れる。また、人手が必要になったなら手配をするのだ。
 
 ロイはホークアイと並んでゆったりと歩いている。実は作戦中などど誰も思わないほど余裕があるように見える。そこが大佐たる所以かもしれないとは、本人には言わないけれどホークアイの弁である。
 問題のエルリック兄弟は昨日司令部に顔を出している。ロイはこれから姿を現すだろうエドワードのことを思い出す。
 昨日はいつも通り報告書を出してホークアイのいれた紅茶を飲み報告を兼ねつつ世間話をした。相変わらず旅先で騒動を起こしている彼は、会う度に生傷が絶えない。
 何か有力な情報はないか、本はないかとロイに必ず聞いてから資料室や図書館に文献を探しに行くのが常だ。そのまますぐに旅立ってしまうこともあるが、1週間ほど滞在して文献を探すことも多々ある。
「大佐、最近何かない?」
「何かとは随分大雑把な聞き方だね」
 わかっているのに、揶揄するよう聞けば拗ねたように唇を尖らせて顔を背ける。
「ああ、やだね。もうぼけが始まったのか?」
「どこが、ぼけかね。君の方が耳が遠くなったのではないか?」
「俺のどこが?」
「言ったことをすぐ忘れる。もしかして、聞こえていないのではないかと心配になるよ」
「はあ?」
 素っ頓狂な声を上げてエドワードはロイの顔を見た。
「どれだけ言っても怪我をする、隠す。報告をしなさいといっても音沙汰ない。反論はあるかね?」
 エドワードは言葉に詰まる。
 今まで口が酸っぱくなるほど言われてきた言葉だ。それを実行できた試しがない。
 エドワードは畜生と小さく呟いて、ふんと鼻を鳴らす。
「性格悪い。根性悪い。それなのに、何でこんな奴がもてるのかがわかんないなー。女の人って見る目ないの?」
 エドワードの反撃にロイは肩をすくめた。
「失礼だね。私の魅力がわからない方がおかしいんだよ」
「はあ、よくそんな世迷い言が言えるよな。中尉は美人だけど大佐に惚れたりしないだろ?やっぱり見る人が見ればわかるんだよ」
 エドワードは正論を吐いた。そのつもりだった。
「……子供だね」
「あんたの方が失礼だ!」
 だが、ロイは何倍も上手だ。
「鋼のには経験値が足りていないから、私の魅力がわからなくても仕方ない。それに、鋼のが貶す部分こそ好かれる要素にもなりえる。君にはわからないだろうね」
 ロイは腕を組んで、大人の狡さを見せ笑う。
「……あんたは無駄な経験があり過ぎだろ?そのうち背中から刺されるぞ」
 女性の恨みは怖いらしいからと付け加える。
「それも本望だろうね」
 対してロイは全く動じなかった。
「信じらんねー。あんたおかしい。絶対、おかしい。……中尉、大佐ってどうしてこんなに常識が通用しないの?」
 エドワードはついに唯一の良心であり常識であるホークアイに助言を求めた。ホークアイは目を細めてエドワードの意図を受け取ると口を開く。
「あら、エドワード君。そんな今更なことを言っていては駄目よ。大佐が女性関係にだらしがないのは今に始まったことではないわ。背後から刺されるなんて序の口よ。恨み辛みで呪い殺される可能性だってあるんだから。私はいつか隠し子が現れるんじゃないかと常々心配しているくらいなのよ」
 おほほと高らかにホークアイは笑った。残念ながら目は少しも笑っていない。
「……中尉」
 情けなさそうな声音でロイはホークアイを呼んだ。
「何でしょう?私生活に口を出す気はこれっぽっちもありませんが、仕事が滞るなら話は別です。さぼらず書類を片づけてから女遊びに精を出して下さい」
 果たして、部下から、それも女性の部下からこんなことを言われる上司がいるだろうか。情けないにもほどがある。
「やっぱり、中尉が最高!」
 エドワードが楽しそうにホークアイを褒め称えた。ロイだけが大変心苦しく居心地が悪い思いをした。






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