「それで、何なのさ」 ソファに腰を下ろし、ホークアイ中尉がいれてきてくれたココアを一口飲んでエドワードは本題に入った。 久しぶりに訪れた東方司令部は、懐かしい。 最近西部などの遠方へ旅していたせいで、全くここに寄りつく暇がなかった。気にはしていたのだが、賢者の石を探す目的が前提にあるため仕方がない。 それでも、やはりこの地に足を降ろすと帰ってきたという気持ちになる。それがくすぐったいようでいて、少し苦しい。帰る場所を捨てた自分達なのに……リゼンブールを旅立つ時家を燃やした覚悟を今も忘れてはいないけれど、再びこんな場所を作っていいのだろうかと怖くなる。 だからこそ、エドワードは殊更ぶっきらぼうに接するのかもしれない。この東方司令部で大佐という地位にいて自分の後見人である男に。 「……もう少しくらい、態度を改めてみる気はないのかね?鋼の」 ロイ・マスタング大佐は片肘を付きながら、大仰に肩をすくめてみせた。溜め息までもわざとらしく付け加える。 「それなりにして欲しかったら、大佐こそ最高責任者らしくするんだな。……書類貯めてるんじゃないぞ」 誰から聞いたのか、そんな可愛くないことを言うエドワードにロイは小さく口の端を歪める。 「……最近は真面目なんだけれどね。誰がそんなデマを耳に入れたのかな?」 面白がってロイは目を細めた。 「何が最近はだ!いつも、毎日、真面目に仕事しろよ。中尉を泣かせるな、この給料泥棒っ」 エドワードはそう言い放つと足を組んでココアをぐいっと飲み干した。 ロイに会う前に司令部の面々には顔をあわせている。そこでロイの日頃の行いを耳にしていた。さぼって雲隠れする大佐の愚痴を吐く彼の部下がとても哀れだ。 「大方少尉あたりか……。まあいい。今回は来てもらったのは他でもない、君自身に関係することだからだ」 ロイはさらっと流してエドワードの望んだ本題に入る。 「俺?」 「そう。君達兄弟には親類はいるか?……頼るべき親類はいないと聞いているけれど」 「そんなもん、いねえよ」 エドワードはきっぱりと断言する。 「俺達、母さん方の親類にもどこほっつき歩いてるのか生きているのか死んでいるのか知らない父親の親類にも会ったことはない。きっと、いなかったんだろう。母親の葬式にだって誰も来なかった。村の人やピナコばっちゃんがやってくれた」 当時を思い出したのかエドワードは顔をしかめる。 「では、君の祖父や祖母、およそ親類と言われる人間には一人も会ったことはない?」「ないぜ。ただの一度も」 「……」 「だから最初から俺達兄弟は二人で生きてきた。二人だけだ」 強い目でそう言い切るエドワードの視線をロイは受け止める。そして静かに続けた。 「そうか。……だが、君達の祖父母だと名乗る人物が名乗り出て来たよ」 「……は?」 エドワードは間抜けにもぽかんと口を開け目を見開く。 「何、それ。あり得ない」 拒絶というより真っ向から否定する声音には不機嫌さが含まれている。どんなことは耳にしたくなりのが本音なのかもしれない。 「聞きなさい。君達の母方の祖父母に当たる人たちらしい。駆け落ちして姿を消した娘の名前はトリシャ。行方を探していたが見つからなかった。やっと探し出してみればもう亡くなった後で、孫がいると聞いてみるとそれが鋼の錬金術師だったと。どうしたらいいか、東方司令部に連絡を取り君達兄弟に会わせて欲しいと言ってきた」 「……」 「私としては、すべて鵜呑みにすることもできないが本人ではないから確かめようがない。一度聞いてみますと返事をしておいた」 「母さんの両親?……あいつと駆け落ちだったっていうのか?」 エドワードは眉根を寄せる。 確かに、駆け落ちしたのなら縁を切っていても不思議ではない。今まで知らずに来たことにも納得は行く。だが、母親は何も言わなかった。だから、これだけの話を聞いてもエドワードにはそれが正しいのか判断ができない。 「……一度、会ってみるかね?」 「……」 今更、必要だろうか。 兄弟二人で生きてきて、これからも二人で生きていくことに変わりがない。 親族がいても、自分達は変われない。賢者の石を探す旅を続ける。元の姿に戻るまで、だ。 「鋼の?」 「少し、考えさせてくれ」 迷う声でロイにエドワードは猶予を申し出る。 すべてを拒絶するつもりはない。 本当の母親の両親なら、何か自分たちに言うことがあるだろうか。聞きたいことがあるだろうか。もう死んでしまった娘だ。 ここにはないアルフォンスに相談もしたい。 アルフォンスは、執務室に入らず庭でブラックハヤテと遊んでいる。中尉が今日は珍しく愛犬を連れてきていたため、どうせ待っている時間があるなら遊んでいてと言われアルフォンスは喜んで引き受けた。 「わかった。ゆっくり、考えるといい」 ロイは気遣うように頷いた。 翌日、エドワードは返事をした。 会ってみると。 執務机で書類に勤しむ大佐の前に立ち、はっきりと告げた。 ホテルでアルフォンスと前日よく話あって決めたことだ。 親類がいるかもしれないと聞いてアルフォンスも相当驚いた。今までないものと思っていた血の繋がった人間。自分達には祖母はいなかったが代わりにピナコがいた。幼なじみのウィンリィもいて。たとえ血が繋がらなくても家族だった。 アルフォンスはできるなら会ってみたいと言った。 母親が過ごした家や環境を見られたら、それはそれで嬉しいだろうと思うとぽつぽつと語った。母親との短い記憶だけが、支えになっていた。これ以上思い出は増えないが母親の故郷を知ったら少しは深まるのではないかと思えてならない。 エドワード自身は、あまり興味はなかった。 今更、という気が強かったのだ。 それに、余計な縁などいらなかった。この遠く険しい道を歩くのに、必要とは思えない。 何より、自分は母親を殺している。亡くした人を取り戻したくて子供の浅はかさと無知で決して犯してはいけない行為を行った。人体錬成が、今ならどれほど愚かなことか理解できる。 人間がしてはいけないことだ。 命を作ることはできはしない。 犯した罪を知っている。償うことなどできないことも。 その母親の両親に会う。本当は、怖い。謝ることもできないけれど、もし娘は幸せだったのかと聞かれたらどう答えたらいいのだろう。あんなやつと結婚して、病死した。苦労して、それでも笑顔で自分達を育ててくれた優しい母親。 本当に、母親は幸せだったのか? 父親は勝手に出て行って戻って来ない。もう戻る気はないのか、気ままに旅に出ただけなのか。家庭など顧みる人間ではなかった。自分はその背中しか記憶がない。父親らしいことなど何もしてもらった覚えもない。抱きしめてもらったことも、頭を撫でてもらったことも……。 母親は自分達に隠れて夜泣いていた。 戻ることのない、捨てていった男のことを思って。 母親の両親に会うのは気が重い。けれど、それを理由にして避けて通ることもできない。もう後悔はしたくはないから。 「アルと相談して決めたんだ」 「そうかね」 迷いを見せないように、決断を告げるエドワードにロイは後見人らしくもっともに相づちを打ちつつ、机に向かい書類にペンを走らせる。 「キャンベル夫妻はセントラルに住んでいる。家を訪ねるなら私から一報しておこう。地図も書いて渡そう。……そうだな、ちょうど出張があるから付き添いと行こうか?」 ペンを置くとロイは両肘を机上に付き手を組む。エドワードを見る目がどこか面白がっている。 「冗談。あんた本当は暇ないんだろ?出張が必要なら俺になんてつきあわず仕事して早く帰れ」 エドワードは追い払うように手を二度振って、邪険にあしらう。 「……鋼の」 その態度にロイは少し悲しそうな表情の瞳に浮かべた。だが、それが手だとわかってるエドワードは無視をする。 「あのさ、キャンベル夫妻に会うのはひとまず、俺一人なんだよ。本当ならアルフォンスにも会って欲しいけど、上手い説明できないだろ?だから俺が代表してまずあってくるんだ」 鎧姿のアルフォンス。なぜ、その姿をしているのか普通は問われるだろう。鎧を脱げと言われるだろう。14歳であるはずのアルフォンスの背丈は2メートルを越すほど高い。そして鎧を脱ぐことができない。 おかしなところばかりだ。 問いつめられても、なにも説明はできない。 「それなのに、保護者は余計」 エドワードが突っぱねるとロイは苦笑しながら頷く。 「そうかい。では、遠慮しておこう。出張があるのは本当だけれどね」 「嘘臭いな」 「君は、いつも失礼だな」 「それで、すぐに会いに行けばいいの?」 「ああ。こちらからも連絡しておくから構わないだろう」 しばらく話をしてエドワードはキャンベル家の連絡先と地図をもらった。 |